天才 

今月のコラムは昭和の宰相・田中角栄について書かれた石原慎太郎著『天才』を参考に書かせていただきました。元々、田中角栄のことを金権政治と批判して真っ向から弓を引いていた筆者が、なぜこの本を書くことになるのか。それはある方の一言「貴方は実は田中角栄という人物が好きなのではないですか」でした。 執筆するにあたり田中角栄についての書物を探しまくると、戦後の政治家の中で彼ほど多くの本が書かれている例は他にない。そしてそれらを、読めば読むほど彼ほど先見性に富んだ政治家は存在しなかったと痛感したそうです。

 

田中角栄は若くしてテレビというメディアを造成し、南北に長い日本の国土を機能的なものに仕立てた高速道路の整備や新幹線の延長整備、各県に1つずつという空港の整備。エネルギー資源の乏しいこの国の自活のために原子力推進を目指し、アメリカ傘下のメジャーに依存しない独自の資源外交など。彼の先見性に満ちた発想の正確性を今日の日本の在りようが歴史の現実として証しています。独自の発想で、まだ若い時代に40近い議員立法を成し遂げ、それがまだ法律として通用しているという実績を持つ政治家は他にいません。

 

田中角栄は1918年新潟県柏崎市に生まれ、1946年衆議院選出馬、落選しますが翌年再び出馬し29歳の若さで当選。1948年法務政務次官に就任、炭鉱国管疑獄により逮捕されるが、翌年、今の時代では考えられないことですが、獄中から立候補し再選を果たします。1957年戦後初の三十代の大臣として郵政大臣に39歳で就任。大蔵大臣、通商産業大臣と次々と閣僚のポストを手中に収め、1972年『日本列島改造論』を発表、54歳で内閣総理大臣となり日中国交正常化を実現。翌年には日ソ共同声明を発表。1974年金脈問題を追及され内閣総辞職に追い込まれます。1976年ロッキード事件が発覚し逮捕され自由民主党を離党するが、その年の総選挙ではトップ当選。その後1985年脳梗塞で倒れるまで闇将軍として政界に影響力を持つ。1990年政界引退。1993年死去。1995年最高裁で5億円収受(首相の犯罪)が認定される。
この本で、田中角栄の人間的な魅力に改めて触れたのが、聴く人を魅了する挨拶でした。私のお気に入りは大蔵大臣就任時の挨拶です。「私が田中角栄だ。私の学歴は諸君と大分違って小学校高等科卒業だ。諸君は日本中の秀才の代表であり、財政金融の専門家ぞろいだ。私は素人だがトゲの多い門松を沢山くぐってきて、いささか仕事のコツを知っている。これから一緒に仕事をするには互いによく知り合うことが大切だ。我と思わん者は誰でも大臣室にきて欲しい。なんでも言ってくれ。いちいち上司の許可を得る必要はない。出来ることはやる。出来ないことはやらない。しかし、すべての責任はこの俺が背負うから。以上だ。」
政治家の一番大事な仕事は、世の中を良くすることだと思います。その為には未来を見通す先見性こそが何より大切だと感じます。何を支援し、何を切り捨てるのかを責任をもって決めることが必要です。田中角栄が「天才」と言われる所以は、若くして政治の道を志したから、そしてその道を精一杯極めたからだと思います。

 

最後に私がメンタルヘルスの先生から聞いた天才(カリスマ)の特徴をお伝えします。
1.天才は必ず敵をつくる 2.内なる自分に語りかける 3.他人の反応に疎いが、自分がどうしたいかが強い

 

(参考文献:石原慎太郎著『天才』幻冬舎,2016)

 

2016年10月

 

2016/10/01