祝・尼崎青年会議所60周年

平成元年、27歳の時に尼崎青年会議所に入会しました。尊敬できる先輩、同世代の仲間、同じ経営者であり、似通った境遇の多く仲間と出会いと数々の学びがありました。中でも厳しい先輩方と痺れるような感覚の中、お付き合いを通して学んだことは、人生を生きていく上で大きな財産となっています。挨拶の仕方から酒の注ぎ方、強烈なカリスマ性だけではなく茶目っ気にとんだユーモア、「白か黒」キッパリと腹をくくる、迷いや不安を見せず毅然とした堂々とした態度、など生き様の原点がここにあるように思います。愛すべき尼崎青年会議所が60周年を迎え、シニアクラブ会長として挨拶させていただきました。

  「多くの皆様に支えられ、そして、見守られ、尼崎青年会議所は創立60周年を迎えることになりました。私がこの場に立ち、皆様に申し上げる言葉は『感謝』この一言に尽きます。心からの感謝・御礼を申し上げます。創立60年を機に尼崎青年会議所は、この尼崎という街に何を残せたのか、何を誇りに思えるのかを考える機会となりました。毎年、毎年誕生する理事長のリーダーシップの下、地域貢献事業、社会貢献事業、青少年事業、周年ごとに庄下川に浮かべた舟だんじりや継続事業としてエコクラブなど素晴らしい事業を開催し、運動を展開してまいりました。しかし、この尼崎に何を残せたのか、何を誇りに思えるのかを考えた時、私の脳裏に一番最初に強く思い浮かんだのは、『礼儀や規律を重んじ、先輩を敬う伝統』、すなわち、尼崎JC道ともいうべき道、その道で磨かれた多くのリーダー達のことでした。尼崎青年会議所を卒業後、リーダー達はPTA会長、地域諸団体の会長、社会奉仕団体の会長、仕事に於いては、その業界団体の会長など多くの諸団体で活躍してくれています。そんなリーダーの、一人ひとりがこの尼崎に残せたものであり、誇れるものであると、手前味噌ではありますが、自負しております。そして、尼崎JC道の根幹にあるものが『鴻池祥肇』であり『鴻池を支えた男達』の存在でした。

 40年前、鴻池が現役だった頃の話です。尼崎青年会議所は他LOMから尼崎軍団と呼ばれていました。それはそれは男臭い集団で、いつもダークスーツに身を包み、今でいう反社会的な様相を呈した、男が男に惚れるという言葉がピタリと決まるぐらい素晴らしい男達がたくさん存在しました。尼崎軍団の願いはただ一つ、『鴻池を日本青年会議所の会頭にする』でした。麻生太郎会頭年度、次年度井奥会頭が決定し、鴻池は副会頭に決まりました。麻生会頭から『井奥の次は大阪に決まっているから、会頭への爪を伸ばさぬように』と釘を刺されました。尼崎の先輩方からも『スポンサーである大阪JCに刃向かうなんて以ての外』と大反対を受けました。しかし、鴻池の思いはブレません。その姿を見ていた鴻池を支えた男達も微塵もブレることはありませんでした。井奥会頭年度、なぜか鴻池は次年度会頭指名を受けました。なぜ予想に反し、会頭指名を受けることができたのかは、我が尼崎JCの誇るレジェンド竹瀬元紀にお聞きください。晴れて鴻池は日本JC会頭となり、尼崎を日本一に導いてくれました。有難い、本当に有難いことです。鴻池が居たから尼崎JCがあり、鴻池を支えた男達が居たから尼崎JCシニアクラブがあり、尼崎JC道が出来上がりました。しかし、昨年末、尼崎JCの大きな柱である鴻池は亡くなりました。悲しい、本当に悲しいことです。しかし、悲しんでばかりはいれません。鴻池が居なくなったとしても、鴻池が居た尼崎青年会議所は未来永劫負けられないんです。『尼崎は負けてはならん』そんな気概をもって、現役とともに一歩一歩、前進することを、この場で誓い本日のお礼の挨拶といたします。ありがとうございました。」

 私は尼崎青年会議所に深い思いや目的があって入会したわけではありません。たまたま知り合いから声をかけられ入会した「たまたまのご縁」でした。しかし、その「たまたまのご縁」が未来の人生や仕事を大きく変えていく大きな出会いの場となりました。考えてみれば地球上には何十億人もの人が生きていますが、その中必然とも思えるような出会いに遭遇すること、数え切れないほど売られている本の中で人生を変えるような本との出会いなど、ご縁とはそれ自体が奇跡のような物です。「物事にはすべからく、ご縁が働いている」としか思えません。私にとって、青年会議所入会は奇跡的な必然だったのかもしれません。JC入会から30年、最近になり理解できるようになったことは、ご縁に対して敏感になることができれば、良き縁を生かしてタイミングよく自身の成長ができたり、ビジネスを広げていくことが可能になるように思えます。今は「たまたまご縁」に感謝の気持ちでいっぱいです。「良きご縁の積み重ねによって人生は彩られる」

2019/11/01