高倉健

また一人日本を代表する銀幕スターが亡くなりました。1931年福岡生まれ。明治大学を卒業後、1955年東映ニューフェース第2期生として東映に入社。56年映画「電光空手打ち」で主役デビュー。1960年代前半まで時代劇映画をメインにし、片岡千恵蔵、中村錦之助、美空ひばりの映画などにも助演していました。1963年に出演した「人生劇場 飛車角」以降、任侠映画を中心に活躍。その後、「日本侠客伝シリーズ」「網走番外地シリーズ」などに主演し、東映の看板スターとなります。「昭和残侠伝シリーズ」の主題歌「唐獅子牡丹」が大ヒットし、今もカラオケで歌い継がれている。1976年東映退社、フリー転向後、「君よ憤怒の河を渉れ」にて任侠映画のイメージを脱却し、1977年には「八甲田山」、「幸せの黄色いハンカチ」の2作品に主演、第1回日本アカデミー賞の最優秀主演男優賞と第20回ブルーリボン賞の主演男優賞のダブル受賞に輝いた。それ以後も数々の作品に主演し、合計4度の日本アカデミー賞の最優秀主演男優賞、2度のブルーリボン賞の主演男優賞に輝いています。
映画俳優として輝かしい経歴ですが、その経歴以上に、考え方や生きる姿勢が素晴らしいと、誹謗中傷も多い芸能界で、多くの芸能人から高倉健さんに対しての賞賛の声を聞きます。本人も「普段どんな生活をしているか、どんな人と出会ってきたか、何に感動し、何に感謝しているか、そうした役者個人の人生経験や生き方が芝居に出ますね」と。また、現場では座らないことで有名でした。「現場では自分よりお金をもらっていない人たちの方がはるかに頑張っている。現場はそうした人たちのおかげで成り立っている。そんなことに気づくのに何十年もかかった」。

 
人間・高倉健を紐解くとき、1つの作品を終えるたびに公の場から距離を置き、ふらりと海外へ行き消息不明になる自由奔放さと、監督やプロデューサーをはじめ、若い新人俳優やスタッフにも必ず立ち上がりお辞儀をして敬意を払う礼儀正しさ。この一見して矛盾した2つの行動にヒントがあるように思います。消息不明になる行動は、映画スター・高倉健から普通の人間に戻るリセットボタンであり、飾った世界で流されないための工夫だったのかもしれません。いくら金があっても、いくら物があっても、いくら地位があっても、ちっとも感謝できない人は幸せになることはできません。人生を充実させていくのは映画スターという肩書でもなく、お金の有る無しでもない、感謝の心をもてるかどうかだと思います。「幸福とは感謝して生きることのできる人」のことだと知っていたのかもしれませんね。
どうぞ安らかに・・・

 

 

2015/02/01