Column / 社長コラム 社長コラム

2019.09.01

あした死ぬかもよ? Vol.2 ~孫正義~

数年前より「孫正義」を題材にコラムを書きたいと考えていましたが、なぜか先延ばしになっていました。しかし、「あした死ぬかもよ?(ひすいこたろう著)」の本に書かれていた「孫正義」の若き日の出来事を知り優先順位が上がり書くことができました。孫氏は死と向き合うことで、自分の人生を変えました。『1983年に起きた出来事です。創業時3人だった社員も、その頃には125人に拡大し、売上高は45億円にまで成長していました。しかし、その矢先、20代半ばにして孫さんは突然の病に倒れるのです。病名は慢性肝炎。それも肝臓ガンへ進行する可能性の高い肝硬変寸前の状態。死亡リスクの高い重病です。孫さんは、20代にして、「5年は(命が)もつかもしれないが、それ以上は……」と診断されてしまうのです。入院当初、孫さんは、夜な夜な、病院でひとりメソメソ泣いていたのだそう。「会社も始動したばかり。子どももまだ幼いのに、俺もこれで終わりか……」こんなに勉強して、こんなに熱い気持ちで会社を起こしたのに、あとたった5年で俺の命は終わるのか……。なんのために仕事をしていたんだろう……。俺の人生はいったいなんだったんだろう。しかし、このとき、病院のベッドで、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』と出会います。幕末のヒーロー、坂本龍馬は28歳で脱藩し、33歳で暗殺されるまでの約5年間で日本を変えています。「5年」と寿命を宣告され、病院で泣いた孫正義。しかし!しかし!しかし!5年で革命を起こした龍馬の人生を知り、「あと5年もあれば、相当大きなことができるのではないか」と思い直した。そして「たかが自分の命ぐらいでくよくよしてどないするんや。もっと大きく構えにゃいかん」と思うきかっけになったのです。』
 孫正義、1957年8月11日生まれ、日本の実業家、カリフォルニア大学バークレー校卒、ソフトバンク、純資産219億ドル(約2兆4千億円)。孫氏は佐賀県鳥栖市の朝鮮人集落で幼少期を過ごし、豚や羊と一緒に生活する、非常に貧しく不衛生な環境で育った。その後、父親の孫三憲氏が消費者金融、パチンコ業で成功した頃から生活も安定しはじめる。1980年カリフォルニア大バークレー校卒業後、コンピュータ卸売業「ユニソン・ワールド」を設立。1983年、先に記述したように慢性肝炎を患う。また、14歳で結婚し日本へ渡ってきた孫氏のおばあちゃんの口癖である「人様のおかげだ」この言葉を人生の指針にし、「お金じゃない、地位や名誉でもない、おばあちゃんの言っていたように、人に喜んでもらえることに、貢献できるような仕事がしたい」と思い、今に至る。
 孫氏の経歴を分析してみると、幾つかの急成長のポイントが見つかりました。1つ目は渡米前に日本マクドナルド創業者・藤田田氏に会いに行き「どんな事業をしたらよいか」と質問します。藤田田氏は「コンピューターの時代が来る」と。その言葉通り、大学時代に自分で開発に携わった自動翻訳機を1億円でシャープに販売。逆に日本のインベーダーゲームをアメリカに輸入する。その時点で恐ろしい大学生でしたが、孫氏はこんなものでは終わりません。卒業後、たくさんのソフトウェアを集めて販売する会社、日本ソフトバンクを設立することになります。2つ目はYahoo!JAPAN設立(Yahoo!とはインターネット関連サービスの提供を行っていた企業の草分け的存在の企業、検索エンジンをはじめとしたポータルサイトの運営企業)に至る前に、日本を3ヶ月で席巻させるとYahoo!に直談判して日本の権利を勝ち取る。3つ目はインターネット接続サービス「ヤフーBB」開始、NTTに戦いを挑むも、NTTの既得権益に関しての理不尽な対応をめぐり何度も頓挫。総務省に駆け込みNTTの遅い回線が日本にどれだけ不利益なのかを説明し、大騒ぎをする。そして、ここでも直談判で権利を勝ち取る。4つ目はスティーブ・ジョブスとの出会いでiPhoneの素晴らしさを知り、独占販売権利を手中に収める。 そのために、ボーダフォンを買収し、ソフトバンクのロゴマークを変更、Appleのロゴマークに近いカラーに統一し受け入れ体制を準備する。4つの急成長を通じてコンピューター→PCソフト→インターネット→電話通信へと滑らかな変化と孫氏の行動力が相まって成功のスパイラルが高回転し、今の企業が出来上がります。
孫氏は「志を高く、人生1回しかない、自分が登りたい山を、決めてほしい、自分の人生を何に賭けたいのか、心に決めてほしい、遅くなりすぎる、その分人生の年限が減る、実現する可能性が低くなる、早く志を持った者は強い、自分の人生を無駄にしない、是非みなさん、1回しかない人生を無駄にしないでください、大切にしてください」と言っています。孫正義の人生を調べ、改めて心に強く感じたことは「志を高く持って生きる」「いつ死んでも後悔のないように生きる」「家族の笑顔・社員の笑顔・お客さんの笑顔を生み出すために生きる」こんな生き方をしようと思いました。
参考文献 ひすいこうたろう著『あした死ぬかもよ?』ディスカヴァー・トゥエンティワン, 2012年
2019/09/01