Column / 社長コラム 社長コラム

2016.03.01

成人式

20年前、阪神淡路大震災の難を妻のお腹で過ごした長男が成人式を迎えることができました。はなむけの言葉を探しましたが「ありがとう」この一言だけが思い浮かびました。長男の内向的な性格を変革するために、一緒に始めた朝の散歩や男旅を懐かしく感じます。成人として自覚と誇りを持って羽ばたいて欲しいと願います。今回のコラムは、私の誇れない成人式の頃を書きます。

成人式を迎えた頃、私は大学を中退して東京へ家出中でした。あの頃の私は学歴や外見だけでダメな奴と決め付ける大人が嫌いで、心のどこかで馬鹿にしていたように思います。でも、自分には何もない、それは自分が一番わかっていました。目標もなければ誰かに期待されることもない、友人と過ごす時間だけが唯一の救いで、勿論将来の希望もありません。尖って反抗していたのは傷つけられまいとしていたのかもしれません。そんな自分を変えたくて、いやそんな自分から逃避したくて、私は東京への家出を決意しました。東京へ行けば変われるんだと、何の根拠もないのにそう思い込んでいました。友人たちに見送られJR大阪駅から夜行列車に乗り、早朝上野駅に到着しました。今ではあり得ない何の計画性もない旅立ちでした。不思議とあの頃のことはよく覚えています。まず、当時流行っていたテレビドラマ「俺たちの旅」の舞台だった、吉祥寺の井之頭公園を散策。その後、住み込みで働ける先を探し何件かを訪問しましたが「関西から来た」と言うと全て断られました。途方に暮れて吉野家で牛丼を食べながら、「どこで寝ようか」と考えていました。ここで奇跡が起こります。何と吉野家のアルバイトスタッフが、偶然2ヶ月前まで阪急塚口駅(私の住んでいた武庫之荘の隣駅)に住んでいたことが発覚。「偶然ですね、泊まりにきますか」と。好意に甘えて家に行くとお母さんに「ちゃんと親に言ってきたの?」と心配されます。家出してきたとは言えませんでした。翌朝、朝食までごちそうになり、吉野家本社へ面接に行きました。これがご縁で吉野家の工場で住み込みで働くことになりました。家に帰ってこない息子が東京にいて、吉野家の人事課からの「息子さんが東京で住み込みで働きたいと言っていますが大丈夫ですか」との電話に、母親は二つ返事で「よろしくお願いします」と対応、ご立派です。吉野家に住み込みで働きながら資金を貯め吉祥寺へ転居。3畳一間で風呂なし、共同トイレ。寝転がっていても全てが手に届く狭い部屋。今では絶対にできない経験です。そんな環境の中で将来について、「どう生きる」「何がしたい」などいつも考えていました。独りで暮らし一番感じたのは、世間の冷たさ厳しさと両親の愛情の深さでした。それまで両親の元でぬくぬくと暮らしていた人生がどれだけ有難かったか。親への感謝の気持ちが芽生えました。生きていくためには自分で考えて、自分で動かなければなりません。人生を変えるのはそう簡単じゃないと実感した家出生活となりました。

あれから34年。あの頃の自分にアドバイスするなら「置かれた場所で咲きなさい」。置かれた場所に不平・不満を持つのではなく、どんな場所に置かれても花を咲かせる心を持ち続ける。人生は決して順風満帆ではない。苦労や試練は人を強くし、深みを与える。境遇は選ぶことができないが、生き方は選ぶことができる。今というかけがえのない時間を精一杯生きなさい。時間の使い方が命の使い方。こんな言葉をかけてあげたいと思います。


2016/03/01