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阪神淡路大震災から20年。今振り返ると、あの震災が人生の大きなターニングポイントだったように思います。私は起業から約5年が経ち、ようやく仕事も安定し牛乳宅配業界でもそれなりに名前が売れてきた矢先の震災被害でした。神戸市を中心とした3,200世帯すべてのお客さまは震災の影響を受けました。住居の大半は全壊もしくは半壊。ライフラインはストップし、家で暮らすこともできなくなり、小学校の体育館や公民館などで暮らすことを余儀なくされました。当たり前ですが、すべての仕事ができなくなりました。しかし、救いとなったのは、全国の方々からの身の回り品の寄付、炊き出しのボランティアなど、人から助けられることにより、人の情けや愛情を身近に感じられたことでした。
そんな意気消沈だった私に立ち直るきっかけを与えてくれたのは、1995年、震災年度の日本青年会議所会頭をされていた山本潤氏でした。私は潤さんの実直な人柄、細かいところまで行き届いた気遣いや心遣いに人として憧れて、セクレタリー(かばん持ち)をさせていただきました。震災の朝、潤さんの自宅は全壊し、かけがえのない息子さんが犠牲となりました。人はいつか死ぬ、それは否めない事実ですが、それがある日突然くるというのは辛すぎる現実でした。悲しい現実の中で「この年に会頭になったのは自らの運命であり使命」と自らが先頭に立ち、全国を飛び回り、被災地域へのボランティア活動を呼びかけました。そんな潤さんの立ち振る舞いは、全国の青年会議所メンバーの心を揺り動かしたことは言うまでもありません。
そして私も「私に起こった逆境はあの人に比べたら、たいしたことではない」と、心を奮い立たせたことを今でも鮮明に覚えています。「この状況下でできることをやろう」とお客様の安否確認やわずかに残った牛乳を届けに回りました。悲惨な街の景色を観ながら車を走らせていると、苦しいのは私だけではない、みんな同じ境遇であることに気づかされました。「今がチャンス」と何度も何度も心に言い聞かせました。心が前向きになると不思議に良いことが起こりだしたように思います。神戸市からの依頼で、小学校などへ避難している40,000人への牛乳デリバリーの仕事が舞い込みました。車をかき集め、人を募集し、必死に自分にできることのすべてをやりました。この利益をすべて比較的震災の影響のないエリアでの営業活動に使わせていただき、震災年の終わりには3,000世帯へのデリバリーができていました。震災によりすべてを失い、それと引き換えにどんな困難も乗り越える力を得ました。どんな困難も心の受け止め方を前向きに変えるだけで、結果が変わることを経験しました。それ以降どんな逆境が起こっても、どうしたらこの逆境を楽しめるかを考える習慣ができたように思います。
あれから20年。震災時お腹にいた息子も今年で二十歳を迎えます。憧れの潤(JUN)さんにあやかり、淳(JUN)と名付けたことを息子に教えておこうと考えています。自分の身に起こる出来事すべては必然。すべてを受け入れすべてを楽しむことが大事ですね。

 

 

2015/04/01