Column 社長コラム
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2023.02.01
鎖の会 2022
2022年は、皆さんにとってどのような1年だったでしょうか?私はコロナ禍でたくさんの事に気付かされた1年でした。世界と日本の対策や報道の違いなど、残念ながら日本の弱い部分を知りました。同時に、本当に素直な国民性であることも。だからこそ本物を見抜く力、真実をリサーチする能力が必要な時代だと思います。私の2022年は、「やりたいことをやり尽くす1年」にしたいと多くの事業を始めました。しかし、コロナ終息の時期が延び、思い通りにならないことも多い年だったように思います。中々、コロナが終息しないので、途中から2022年は2023年のスタートダッシュを決めるための準備の年としました。来年こそは、コロナが終息し、素晴らしい1年になることを願います。
さて、今回は、私が会長を務める尼崎青年会議所(以下「尼崎JC」)の「鎖の会」について筆を執ります。
「鎖の会」とは一体何か、発足のきっかけ、名前の由来等について書かせていただきます。
「鎖の会」とは、19年前に鴻池祥肇先輩が作った会です。
その当時、高岡伸一さんという、我々世代が尊敬してやまない先輩がいらっしゃいました。それは、それは男らしくて、素晴らしい先輩でした。その高岡先輩が19年前、経営苦により自らの命を絶ちました。高岡先輩と鴻池先輩の関係は、仕事上、鴻池組の名義人が高岡組という関係で、高岡先輩の結婚式の仲人は鴻池先輩が務め、鴻池先輩の結婚式の仲人は高岡先輩のおじいさんが務めました。明治、大正、昭和と続く、切っても切れない間柄でした。鴻池先輩は高岡先輩の死を知り、「貸せるお金はないけど、話ぐらいは聞いてやれたのに…、何も死ぬことはなかった」と悔やまれました。「鎖の会」は、その年の12月29日、鴻池先輩が東京にて仕事納めをして、尼崎へ帰ってくる日に始まりました。毎年12月29日に集まりが開催され、尼崎青年会議所の現役メンバーが多く参加します。
あれから19年が経ちましたが、数年前より、「鎖の会」に大きな変化が続いています。2018年12月末、会の創設者の鴻池さんが亡くなりました。奇しくも葬儀は12月29日「鎖の会」当日でした。葬儀は麻生太郎氏が葬儀委員長を務め、二階さんなど政界の大物も多く参列されていました。この葬儀に、竹瀬、森本、武本歴代シニア会長と共に参列し、鴻池さんをお見送りしました。その足で「鎖の会」へ参加し、多くのメンバーと鴻池さんの思い出話をしたのを覚えています。その翌年、2019年12月末には鴻池先輩に続き竹瀬さんが亡くなりました。葬儀はまた奇しくも2019年12月29日「鎖の会」当日に行われました。葬儀は森本先輩の会社で行われ、武本さんと私で参列しました。4年前鴻池先輩、3年前竹瀬先輩が「鎖の会」当日に葬儀が行われました。2020年の「鎖の会」はコロナにより中止にしました。2021年は高岡さんが亡くなって19年も経ち、「鎖の会」を創設した鴻池さんも亡くなったので、これを機に「鎖の会」を辞めようか、そんな風にも考えましたが…。ご子息の鴻池肇一さんに「鴻池さんの作った会だけど続けさせてもらう」と断りを入れて、私の一存で尼崎JC出身の政治家の慰労会をすることになりました。その理由は、昔のように自民党いや鴻池祥肇、一択の時代は終わり、公明党、維新などの仲間も増えてきました。選挙でバチバチやっても、年の終わりのこの「鎖の会」には、皆さんに集まってもらい、矛を収めて、同じ尼崎JCの名の下に一致団結してもらいたいという思いからです。この「鎖の会」の、今後については、私の次の会長に委ねたいと思います。
「鎖の会」この名前の由来ですが、一番最初に行われた「鎖の会」の冒頭挨拶に鴻池先輩がおっしゃった言葉です。「JCは毎年、新しい理事長が誕生し、その理事長を中心に輪っぱをつくる。毎年、毎年、1つずつの輪っぱが繋がり、やがて鎖となる。俺たちは命の輪っぱを1つずつ繋いだ仲間。互いに助け合える関係でありたい。1年の終わりに無事に過ごせたことを共に感謝し、共に喜び合おう」と。「鎖の会」創設の思いを話され、この会を「鎖の会」と名付けられました。もし、この会を「高岡さんを偲ぶ会」という名前にしていたら、こんなに長くこの会は続かなかったように思います。改めて、鴻池先輩の偉大さ、凄さを実感しました。
2023/02/01 -
2023.01.01
安倍晋三2・世界の真ん中で咲き誇れ
「菅義偉 弔辞」を要約
七月の、八日でした。信じられない一報を耳にし、とにかく一命をとりとめてほしい。あなたにお目にかかりたい、同じ空間で、同じ空気を共にしたい。その一心で、現地に向かい、そして、あなたならではの、あたたかな、ほほえみに、最後の一瞬、接することができました。しかし、安倍総理…と、お呼びしますが、ご覧になれますか。ここ、武道館の周りには、花をささげよう、国葬儀に立ちあおうと、たくさんの人が集まってくれています。二十代、三十代の人たちが、少なくないようです。総理、あなたは、今日よりも、明日の方が良くなる日本を創りたい。若い人たちに希望を持たせたいという、強い信念を持ち、毎日、毎日、国民に語りかけておられた。そして、「日本よ、日本人よ、世界の真ん中で咲きほこれ」これが、あなたの口癖でした。次の時代を担う人々が、未来を明るく思い描いて、初めて、経済も成長するのだと。いま、あなたを惜しむ若い人たちがこんなにもたくさんいるということは、歩みをともにした者として、これ以上に嬉しいことはありません。
平成十二年、日本政府は、北朝鮮にコメを送ろうとしておりました。私は、当選まだ二回の議員でしたが、「草の根の国民に届くのならよいが、その保証がない限り、軍部を肥やすようなことはすべきでない」と言って、自民党総務会で、大反対の意見をぶちましたところ、これが、新聞に載りました。すると、記事を見たあなたは、「会いたい」と、電話をかけてくれました。「菅さんの言っていることは正しい。北朝鮮が拉致した日本人を取り戻すため、一緒に行動してくれれば嬉しい」と、そういうお話でした。信念と迫力に満ちた、あの時のあなたの言葉は、その後の私自身の、政治活動の糧となりました。その、まっすぐな目、信念を貫こうとする姿勢に打たれ、私は、直感しました。この人こそは、いつか総理になる人、ならねばならない人なのだと、確信をしたのであります。
安倍総理。日本国は、あなたという歴史上かけがえのないリーダーをいただいたからこそ、特定秘密保護法、一連の平和安全法制、改正組織犯罪処罰法など、難しかった法案を、すべて成立させることができました。どのひとつを欠いても、我が国の安全は、確固たるものにはならない。あなたの信念、そして決意に、私たちは、とこしえの感謝をささげるものであります。国難を突破し、強い日本を創る。そして、真の平和国家日本を希求し、日本を、あらゆる分野で世界に貢献できる国にする。そんな、覚悟と、決断の毎日が続く中にあっても、総理、あなたは、常に笑顔を絶やさなかった。私だけではなく、すべてのスタッフたちが、あの厳しい日々の中で、明るく、生き生きと働いていたことを思い起こします。何度でも申し上げます。安倍総理、あなたは、我が日本国にとっての、真のリーダーでした。総理、本当に、ありがとうございました。どうか安らかに、お休みください。
<令和4・9/27 前内閣総理大臣、友人代表 菅義偉>
日本は20世紀の終わりから、平成の大不況という20年以上続くデフレスパイラルに入りました。そして、東京オリンピックが決まり、やっと光が見えてきた2020年、コロナで経済のほとんどがストップしてしまいました。これを不運だと片付けてしまうのは簡単なことですが、見方を変えると「何かに気づけ」という先人からのメッセージでもあるような気がします。「迷ったときこそ、原点に戻れ」とよく言われていますが、私たち日本人が忘れかけているものの中に、未来のヒントが隠されているのではないでしょうか。私たち日本人の先人は、敗戦後、焼け野原の中から奇跡と言われるような経済復興を果たしました。憲法が「変わり、それまで信じてきた日本人に流れていた歴史や哲学をほとんど否定された中からのスタートにもかかわらずです。しかし、高度経済成長が終わった頃から、日本の方向性は変わってきました。復興を成し遂げた世代は次第に引退し、その土台の上に立って、ぬくぬくと育てられた次の世代はバブルの崩壊あたりから、完全に方向性を見失ってしまいました。私は政治家ではありません。安倍総理と住む世界も、戦う場所も違いました。しかし、日本の国と日本人を愛する気持ちは同じだと思います。私はこの素晴らしい国がいつまでも平和で、人々が幸福に暮らしていける国であってほしいと心から願います。「日本の素晴らしさ」「日本人の美しさ」を今こそ取り戻し、「世界の真ん中咲き誇れ」と日本にエールを送りたいと思います
2023/01/01 -
2022.12.01
明日を語る会
尼崎JCの後輩が選挙戦を戦いました。今回は尼崎JCが選挙に関わってきた歴史をコラムにしました。
先日、市長選挙・維新公認大原隼人くん、市議会補選選挙・自民公認の磯田雅司くんの二人のために「明日を語る会」を開催いたしました。まずは「明日を語る会」とはどんな会で、どのように発足したのか?その経緯を説明します。
我々世代から上の尼崎JCメンバーは入会当初から、先輩でもある自民党の鴻池祥肇先輩を応援していました。その理由は、敬愛する身近な先輩が「一緒に応援してほしい」と言われたからでした。当時は鴻池先輩とあまり話したこともありませんでしたが、応援することが当たり前でした。身近な先輩方が鴻池先輩を応援する理由は「お茶目で楽しい」「挨拶させたらピカイチ」「誰もが好きになる人柄」という人格は元より、日本JC会頭となり尼崎JCの名前を全国に広げ、私たちが日本の何処へ行っても尼崎JCメンバーだということで、敬意を払ってもらえました。また鴻池先輩と先輩を支えた先輩方が、この尼崎JCの伝統や根幹を作ったといっても過言ではありません。だから自民党一択、いや鴻池一択で応援しました。こうした理由から自民党の市会議員や県会議員を自然と応援していましたが、JCは特定の政治家を応援する団体ではありません。なので、選挙が近づくと「明日を語る会」と称して、直前理事長が会長となり尼崎JC出身候補者を応援していたのです。しかし、2018年末、尼崎JCのレジェンドである鴻池先輩が亡くなりました。さらに、公明党の中野議員や維新の若手市会議員が尼崎JCに入会し、今までの鴻池一択の流れや形が変わりつつあります。
その中で、今回、維新から大原隼人が市長選挙に立候補することになりました。当然、今まで自民党一択で応援していた者からすると違和感がありました。また、自民の市会議員、県会議員を応援する者からすると、「維新とは市会議員選挙・県会議員選挙でバチバチやるのに大原は応援したいけど…」このような感じとなりました。私自身も下境田副会長は津田先輩(自民)の懐刀、礒田副会長(自民)に至っては補選に出馬すると言い出しました。シニアクラブとしては今までの流れもあるが、大原も応援してあげたい、ということで、ねじれはあるが、「市長は大原・補選は礒田」ということで、両候補を堂々と応援しましょう。こんな呼びかけをしたいと「明日を語る会」を開催しました。
まず、大原候補のことを紹介します。大原候補と私は同じロータリークラブで毎週、顔を合わす関係です。真面目か不真面目かでいうと真面目。面白いか面白くないかでいうと、たいして面白くない。気遣いできるか、できないかでいうと、そんなにできない。良くない風に言いましたが、政治家の資質としては悪くありません。良いところは、挨拶は悪くない、割と爽やか、写真写りが良い、叩いても埃が出ないこと。そして、1番良いところは「運をもっている」。1つ目、同じ維新にライバル候補がいたが、公認をボタモチ的に勝ち取る。2つ目は、吉村大阪府知事の発言にもありましたように、大阪府知事、兵庫県知事が維新でその真ん中に位置していて、これから2025大阪万博、2027カジノIR場所まで約2キロと近く、地の利がある。3つ目、同じロータリーの富永が命がけで応援している。命がけで応援する者が出ると、風が吹くと言います。
次に、磯田候補の紹介をします。磯田候補と私の関係は私が理事長をした時の専務理事。また、私が理事長をやると決意した時、一番最初に相談したのが磯田候補。逆に磯田候補が理事長をやると決意した時、一番最初に相談を受けたのは私でした。その後、私がシニア会長をやることになった時、一番最初に声をかけ、色々とあると思うからバリケード役の副会長をやってほしいと声をかけました。そんな切っても切れない関係です。磯田候補の応援団の一人に「今回の選挙、どう思う」と質問したら、「60歳近くになり、周りのみんなは遊んでるのに尼崎のために立つという」「議員でもないのに、そこらへんの議員よりも、よっぽど尼崎のために動いてる」「金に困ってるわけじゃなく、職業でもなく、思いで政治家になろうとしてる」そんな答えが返ってきました。
最近、私は2人の演説をよく聞きます。その度に、2人は本当に素晴らしい男で、そこらの政治家よりも、よっぽど資質は上だと考えています。
今回の選挙は絶対に2人に勝ってほしい、そんな思いで見守っています。
選挙が終わった後、大原とは市長室で一緒にコーヒーを飲みたい。
礒田には「街灯の電球が消えているから直してくれ」と言いたいと願っています。
2022/12/01 -
2022.11.01
孫子の兵法
コロナを境に牛乳宅配業界を取り巻く経営環境が大きく変化しています。私どもデミックも厳しい経営が続いているのが実情です。問題点をあげると、円安によるガソリン価格を始めとする諸経費の高騰、慢性的な人手不足、雇用条件の変化によるルールとの戦い、コロナによる緩み、などが挙げられます。今まで何度も経営危機はありましたが、過去の危機は改善手段がはっきりしていました。しかし、今回の危機は問題が複合的にあり、1つ、2つの問題点を改善するだけでは難しく、今ある全てを変えるぐらいの気概がなければ経営改善は難しいと考えています。日本や世界を代表するような経営者は何を羅針盤に経営の舵取りをいているのか?疑問に思い調べてみると、多くの経営者が「孫子の兵法」を愛読書としている方が多いことがわかりました。国や時代を超えて様々な偉人の間で読まれていて、古くは武田信玄やナポレオン、現代では孫正義やスティーブ・ジョブスを始めとする、多くの経営者が「孫子の兵法」を熟読し、孫子マニアとなっています。私自身も、この厳しい経営難をなんとか乗り越えたいという一心から「孫子の兵法」を読んでみることにしました。
「孫子の兵法」は、今から2500年前、春秋戦国時代に誕生した兵法書です。「孫子の兵法」の魅力は、ただの戦争論を述べているだけではなく、人間を心理的に深く分析し、精神や行動に対する鋭い洞察で、人間論にまで昇華させているところに魅力があります。私が感銘したポイントが3つありました。❶戦わないことを最優先 ❷奇策のススメ ❸今でも役立つ名言 順番に解説すると、❶では、戦いで重要なのは勝つことですが、孫子の「勝つこと」とは相手を完膚なきまでに打ちのめすことではなく、自軍の隊や兵士を消耗させないことを指します。戦いを最善とせず、被害や犠牲を最小限にとどめる、「戦わずして勝つ」ことの大切さを説いています。兵法書でありながら戦わないことを最優先させているところが、他の兵法書とは全く違う画期的なものとなっています。❷では、奇策とは、文字通り人の予想もしない作戦のことです。奇策といっても単なる思いつきではなく、相手を徹底的に観察・研究して、真意や行動を予測した上で行う予想外の戦略こそが奇策です。それを実行に移すためには、入念な事前準備や地の利の観察を必要とします。❸では、世界各国の戦国武将やカリスマ経営者が熟読し、そこから成功のヒントを引き出したと言われています。今に役立つ一節を幾つか紹介します。「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」相手の実力も自分の実力も知り尽くしていれば、百戦しても危険に陥ることはないという意味です。出たとこ勝負の考え方は危険、希望的観測は排除して、客観的データの収集に努め、その結果を冷静分析することが肝要であると説いています。「兵は国の大事なり」孫子にでてくる最初の言葉がこの言葉です。兵とは軍事や戦いを表し、国とは国家や国民を指します。国家存亡を左右し兼ねない大きなものであるからこそ、熟慮して行動しなくてはならないと説いています。「兵は詭道なり」戦いとは敵を騙すことである。強くても弱いふりをし、策があっても無いふりをする。相手が利を求めているときは誘い出し、混乱していると見れば敵陣を襲う。相手の備えが充実していれば避ける。相手が怒っていれば、さらに心を乱し、こちらを舐めているようなら、さらに油断させる。相手が団結しているようなら、仲違いさせる。相手の無防備のところを攻撃し、不意を突く。これらは勝つための体制づくりに必要で、計画が流出しないように注意すべきだと説いています。
「孫子の兵法」を読み自分なりにコロナ後の戦い方を考えてみました。❶配達・営業・事務の役割分担ごとに費用対効果を検証し適正に正す ❷人材雇用を進めるために採用担当の必要な能力を向上させる ❸コロナ禍で緩んだ体勢を正す ❶❷❸はともに対外的に何かをしたり、特別なことをする戦略ではなく、社内にある人材の改革です。コロナ禍、約3年間の一番大きな問題は「内なる敵」だと感じています。「内なる敵」すなわち「人材の緩み」を経営改善の柱としたいと思います。2022年度は「終わりで始まりの交錯する年」終わりゆくビジネスモデルと始まるビジネスモデルが交錯する年。牛乳宅配ビジネスモデルはこのままの形では、おそらく生き残ることは難しいと考えます。どのようなビジネスモデルに変化しても生き残れるように順応出来る人材改革が必須だと思います。今を生き残れなければ未来社会貢献も地域貢献も出来ません。今、大事なことは生き残ること。
2022/11/01 -
2022.10.01
韓流
コロナになり早2年半が過ぎ、私自身の生活習慣も大きく変わりました。一番大きな変化は毎晩、Netflixで韓流ドラマを観るようになったことです。最近のものから、数年前のものまで数多く鑑賞しました。なぜこんなに夢中になるのか、日本のドラマとは映像の美しさ、脚本の面白さ、俳優の演技力など全くクオリティが違うように感じます。あるテレビ局のアナウンサー曰く、日本のドラマ1話にかかる予算は2000万円~4000万円に対して、韓国は1話1億2000万円~1億4000万円と、1本あたり1億円も差があるそうです。そして、その1億円は政府の補助金で賄われているとのことです。ではなぜ韓国のエンタメ業界はこのような進化をしたのかを紐解いてみました。
エンタメ業界の進化は1997年韓国を襲ったアジア通貨危機が大きく関わっています。(アジア各国の通貨は米ドルと連動していた)特に円高となった日本から賃金水準の安い各国へ製造業のシフトが起こります。この間アジアは経済発展を続けましたが、1995年、米国はドル安政策をドル高政策へ急転換した結果、アジア通貨高となり、輸出は激減し経済成長の先行きが不安視されました。これを商機と見たヘッジファンドのタイバーツ空売りをきっかけに海外資本はタイから資本を引き上げバーツ通貨安に陥りました。同様の問題を抱えていたマレーシア、シンガポール、インドネシア、韓国にも通貨困難が広がり、この結果急激に高くなったドルに対し、各国の対外債務は急激に広がりました。特に影響の大きかった韓国はデフォルト寸前でたが、IMFの緊急融資を受け救済されました。
その後、IMFの厳しい監視下に置かれることになり、韓国政府は金融改革と財閥改革に取り組んだ結果、様々な問題の解決に寄与しました。金融改革においては、巨額の不良債権を抱えた銀行を中心に経営基盤の健全化と業界再編のための改革が行われました。その特徴としては、①大規模な再編による集約化 ②外資の出資比率の上昇 ③米国型のコーポレートガバナンスの採用が挙げられます。アジアの通貨基金発生後から2001年末までに、韓国政府は銀行の抱える不良債権の処理及び自己資本の拡充による体力の回復のために、GDP比30%上る155・3兆ウォンの公的資金を投入しました。このような巨額の財政出動ができたことに驚きます。また、基準をもうけ、その基準を満たしていない銀行は他行に合併されることになり、政府主導による迅速な整理・統廃合が大きく寄与し、銀行業界の集約化が進みました。銀行は3年間で33行から19行に減り、総合金融会社(ノンバンク)は30社から2社へ。大企業の財布代わりになっていた総合金融会社は容赦なく潰し、V字回復を果たしました。結果、経済は2極化し、1億総中流から格差社会が出来上がったと言われています。1998年に就任した金大中大統領は、財閥がアジア通貨基金の発生の主因とみなし、「ビック・ディール」と言われる構造改革が断行しました。財閥企業に対して①過剰債務の解消 ②過剰多角化の解消による選択と集中 ③コーポレートガバナンスの強化。この改革により財閥は車なら現代、電化製品はサムスンとLGといった具合に、財閥の多角化をやめさせて選択と集中させて、業種を絞らせました。結果、世界で通用する企業が出来上がりました。その後、2001年にはIMFからの借り入れを完済しました。
金大中大統領は「文化大統領宣言」を発し、韓国エンタメをコンテンツとして世界に輸出することで、経済を回していく国策をスタートさせます。同時にIT改革も始まり、高速インターネットなどが取り入れられ、スマホ所有率も世界一だと言われていています。日本へは「冬のソナタ」、中国へは「チャングムの誓い」、最近はNetflixから世界へ韓国コンテンツを輸出しています。そして、エンターテーメント界への支援は今現在も続いています。
私の観たNetflixの韓流を紹介しますと、ジャンルが幾つかありますが、大きく分けて、①歴史(王様)もの②財閥もの③北朝鮮もの④職業もの⑤復讐ものがあります。①歴史(王様)もので、オススメは「太陽を抱く月」「王になった男」「恋慕」「花郎」「ミスター・サンシャイン」「私の国」「ザ・キング:永遠の君主」②財閥ものでオススメは「SKYキャッスル」「キム秘書はいったい、なぜ?」「相続者たち」③北朝鮮もののオススメは「愛の不時着」、一択。④⑤職業ものと復讐ものは重なることが多いのですが、オススメは、「ヴィンチェンツォ」「補佐官」「被告人」「サバイバー:60日間の大統領」「無法弁護士~最高のパートナー~」「モンスター~その愛と復讐~」
夜な夜な、楽しく鑑賞していますが、難点は視力が落ちることです。何事もほどほどにしないとですね。
2022/10/01 -
2022.09.01
安倍晋三
『まだ夢を見ているようです。主人のおかげでいろいろなことを経験できた。すごく感謝しています。いつも私のことを守ってくれました。主人も政治家としてやり残したことはたくさんあったと思うが、本人なりの春夏秋冬を過ごして、最後の冬を迎えた。種をいっぱい撒いているので、それが芽吹くことでしょう。』安部元総理の葬儀にて昭恵さんが読んだ弔辞の一文です。残念でなりません。有難うございました。ご冥福をお祈りいたします。
最近のメディア報道では犯人と特定宗教団体の関係や政治家との関係、いかにその宗教団体が悪いか、などの報道が多く見受けられます。違和感のある報道に「そんなのどうだっていい」と感じているのは私だけでしょうか。
今回の事件は、日本の国のために命がけで働いてくれた安倍晋三を卑怯なやり方で殺した。日本にとってかけがえのない人を失った。そんな事件だと思います。
増上寺に献花に来た中学3年生の言葉「日本の政治に大変尽力された、少しでも近くに行き感謝の気持ちを示したい」が国民の気持ちを表しているように献花台には花を手向ける老若男女が後を絶たちません。一方で安倍さんへの罵倒をやめない勢力が日本を危うくすることを「国民が自覚する時」が来ています。前人未到の国選6連勝。政権を降りる時の”評価する71%”。若者から「安倍さーん」と慕われ、日本国民、そして、世界に愛されていた安倍さん。日本沈没をどうか黄泉の国から防いでください。
安倍元総理を調べているときYouTubeで思わず見入ったスピーチを掲載します。テーマ「大切なことは失敗から立ち上がること」(2022年3月28日近畿大学卒業式にて)
『第一次安倍政権は1年で幕を閉じた。経験不足、選挙での大敗、政権は行き詰まり、持病が悪化、辞任を余儀なくされました。政権を投げ出し日本中から厳しく批判されました。私の責任です。私の政治家としての誇りや自信は砕け散った。安倍晋三は終わった。みんなそう思ったはずです。~略~自民党総裁選挙に勝利し、総裁に復帰しました。なぜ不可能と言われた総理への再登板が可能となったか。それは決して私が特別優れた人間だったからではありません。残念ながら、特別強かったからでもありません。ただ一点、決して諦めなかったからであります。~略~諦めないことが大事です。そして、できるという自信がとても大切だと思います。第一次政権は短すぎると批判されました。でも第二次政権以降、長く続いて憲政史上最長になりました。先も行ったように私が特別優れていたわけではありません。私よりも優れた仲間がたくさんいたからであります。そういう仲間たちと一緒にチームとして同じ方向を向かって進むことができたからなのです。そして、その仲間の多くは第一次安倍政権で同じように失敗と挫折をし、悔しい思いをし、唇を噛んだことが生かされたのだと思います。皆さんも、長い人生失敗はつきものです。人によっては何回も何回も何回も失敗するかもしれません。でも大切なことは、そこから立ち上がることです。そして、失敗から学べればもっと素晴らしいと思います。』
安倍元総理の功績は、内政おいて「経済政策」「安全保障」「憲法改正」の3つ。また、内政以上に素晴らしかったのは外交です。多くの国々の首脳と直接会い信頼を築きながらも、守るべき一線は譲らず、日本のプレゼンスを飛躍的に高めました。今回の事件で多くの国々の方からの安倍元総理に対する弔意はそれを裏付けており、日本人として誇らしい気持ちになりました。戦後の日本が生んだ最も優れた政治家だと思います。「命を狙われて初めて政治家と言える、それが政治をやっている証」という言葉の通り、素晴らしい政治家は常に命がけだといえます。主義主張の違いは当然だと思いますが、それを前提に民主主義があるのだと思います。
しかし、今回の犯人の供述内容は、どうも政治信条とは関係のない逆恨のようなものでした。「全然政治と関係ない、なんやねん、これ」「安部元総理は、命をかけて政治をやってくれていた。それなのに最後は政治と関係のない死は無念だと思うし、納得できない」私の率直な意見です。
世界は今、大きな変革の下、歩むべき王道を迷い、見失い、進むべき羅針盤を必要としています。今この時に安部元総理を失ってしまったことは日本という国家にとって痛恨の極みです。安部元総理のまかれた種を芽吹かせるのが、残された我々の責務ではないでしょうか。
2022/09/01 -
2022.08.01
新郎の父・兵吉
先日、私の友人(兵吉)の息子(翔大)が結婚しました。その結婚式で来賓としてのスピーチを依頼されたのですが、私は翔大の恩師でもなければ、上司でもない、ゆえに話す内容が見つかりません。兵吉に「あなたのことを話すよ」と断りを入れ、兵吉を中心にしてみると、スラスラと原稿が仕上がりました。
ここに、そのダイジェスト版を掲載しますので、皆様には式場にご来賓した気分でご覧ください(笑)
『翔大さん、ちや子さん、結婚おめでとうございます。私は翔大の上司でもなければ、恩師でもなく、翔大の父親である兵吉の友人という関係です。まず、自己紹介を兼ねて兵吉パパを紹介し、大いに笑っていただいき、お祝いの言葉を述べたいと思います。2001年、JC(青年会議所)という地域貢献団体で私と兵吉は衝撃的な出会いをしました。城崎にあるホテルのロビーで兵吉と豊岡JCの理事長が怒鳴りあいの喧嘩をしていたのです。周りには多くの若いメンバーやセクレタリー(鞄持ち)が、居合わせたので、私は「そんなところで喧嘩してたらカッコ悪いやろ。やるなら表出て見えない場所でやれ」と叱りました。最悪の出会いでした。翌年、JCの兵庫ブロック長から「兵吉、知ってるでしょ。保険屋をしてるんだけど有能なんで会ってほしい」と言われ、私は最初の出会いを思い出し、嫌だなあと思いながらも、兵吉と会うことにしました。しかし、兵吉の保険の話を聞くと、印象が一変しました。今までに出会った保険屋さんと知識や提案力など大きく違うと感じ、衝撃を覚えました。すぐに150台ぐらいあった軽トラックの契約を全て兵吉に変えました。あれから20年、兵吉の教えである「創業者が強くあるための経営手法」が根幹にあったからこそ、私はそれなりに強い経営者をやってこられたのだと思います。
結婚する二人のことを知るために、食事会を開き、話を聞きました。私の席の前に翔大と、ちや子さんを座らせて、質問していると、離れた席に座っていた兵吉が「ちや子ぉー、先輩が話を聞いてるんだから、ちゃんと喋れー!」と怒鳴りました。息子の嫁に対して、怒鳴るなんてありえない、と驚きましたが、怒鳴られたちや子さんは、特段気にする様子もなく「はーい」と返事をしていました。その姿を見て、ちや子さんは兵吉とも上手くやっていけると思いました。二人は関西大学に互いに進学したことで出会いました。出会いの印象はと尋ねると、翔大は「ビビッときた」、ちや子さんは「この人とは仲良くできない」だったそうです。その出会いから6年が経ち無事結婚するわけですが、よく他愛もないことで喧嘩をするみたいです。結婚生活の先輩である私から、夫婦円満の秘訣を教えときます。お父さん、お母さんでは教えられないから(笑)。夫婦は互いに感謝することが大事です。私は1年365日毎日外食で、毎晩、家に帰るのが夜中の1時、2時です。そんな私に、家内はいつも笑って接してくれます。私は家内に対し、常に「ありがたい」と思って、家内の要望には何があろうと一番早く応えるようにしています。日頃から、スピーディに要望に答えていたら、少々のことは目を瞑ってくれます。翔大はちや子さんの要望に素早く答える、ちや子さんは多少のことは目を瞑る、これが大事だと思います。
実は、私はなぜ翔大が兵吉の会社を継ぎたいたいのか、疑問に思いました。子供の頃から、パワハラされてきたのに、なぜ?という問いに「父は保険代理店の傍ら、得意先の希望で顧問をしています。顧問先の社長との会話って、立場的に丁寧な言葉での会話をするのが普通だと思うんですが、飛び交う言葉は、『何言ってんだよー』『お前馬鹿なの』『言うこと聞けないなら辞めるよー』だったんです」そんな強き兵吉パパに近づくため、会社を継ぎたいと思ったとのことです。
結びに、この場にお越しの皆さんにお願いがあります。翔大はどんな苦労にも試練にも負けることはありません。それは、兵吉の元で生まれ、育ったことがどんな苦労よりも試練よりも大変なことだったからです。しかし、兵吉がいつまでも元気で守ってくれることはありません。大病もしているし、明日死ぬかもしれん(笑)。翔太の未来は、ここにお越しの皆様の応援にかかっています。今後、益々のご指導と応援をお願いして、お祝いの言葉とします。おめでとうございます。』
2022/08/01 -
2022.07.01
ネクストミーツ/地球を終わらせない
私の友人が会長を務めるネクストミーツという企業を紹介させていただきます。企業理念は「地球を終わらせない」、このメッセージ性の強い企業理念を全面に押し出しているので、一見、環境団体のように思われがちですが、利益より使命を優先して仕事をしているのがこの企業の特徴です。以前のコラムで、2022年は「終わりの始まりの年」で、終わるものと始まるもののクロスする年だと書いたことがありますが、ネクストミーツは動物性食料から植物性食料へ変化していく中で輝きだした代表的な企業です。
ネクストミーツ白井会長に、この会社の存在意義を聞いてみました。『地球環境のための食事、地球環境のためのビジネス「サスティナビリティファースト」を大事にしていて、いわゆる利益追求、利益ファーストではなくて、まず地球環境のことを考えて、その上で物事を遂行していくことを一番大事にしています。あと、地球環境に配慮した新しい食材を普通に食卓に置いてもらうそのための「行動」これを「NEXTスタンダード」と言い、ライフスタイルの方向を変えるために必要なことを「NEXTカルチャー」と言い、新たに文化を創っていきたいと考えています。地球の気候変動問題が非常に深刻な状況なのに、まだまだ楽観視している人が多いと思います。また、私たちの子供たちが大人になるにつれて現実を知ると地球環境の未来にすごく絶望してしまうようにも思います。そういう世の中であってはならないと思い、私たちが今すぐ何かをやるべきだとずっと思っていました。それで行き着いたのが代替肉でした。畜産の中でも特に工場式の大量生産の畜産がありますが、それをまずは置き換えていくことが、我々の初動となり、大きな原動力でした。世の中はどんどん、そういう方向に我々がやらなくても向かっていくと思うのですが、我々のようにメッセンジャーとして先頭を走るプレーヤーが必要だと思い、「地球を終わらせない」というメッセージを全面に掲げて食品メーカーをやっていく決意をしました。そして、スピードを上げてここまでやってきました。マーケット自体はこういったSDGsであったり、サステナビリティという文脈で新しい文化を取り入れて、新しい食材を取り入れる必要があると思いますが、まだまだ変化が遅いという印象をもっています。その理由は「地球を終わらせない」という思いを受け入れてくれる方がまだまだ少ないからだと思います。だからこそ、我々が頑張るしかないのですが、徐々にサスティナブルな方向へ変わってもらえるように努力します。』
また、やりがいはと尋ねると『まずこの仕事をやっている最大の喜びは、自分自身も子供を持つ親の立場から、子供たちのため、そして子供たちが生きる未来のために、私達は何かをしなければと、ずっと考えていました。今やっているネクストミーツの仕事は、代替肉を製造して販売する、そして、何よりもお客様に受け入れてもらうことが、未来につながっている自負があります。それだけでも仕事をしている喜びが大きいです。お金だったり権力だったり名誉だったり、そういったものよりも何より嬉しいと感じています。』
白井会長の話を聞き、企業の使命はいろいろあると思いますが、「利益と御返しのバランス」がすごく大事だと思いました。また、人生の素晴らしいテーマを学べたように思いました。いまだ試練が続く世界情勢にもかかわらず、支持を伸ばし、成長を維持しているネクストミーツの企業姿勢には、悠久の時を経ても決して色褪せない、普遍の哲学が貫かれているように思います。1年先の利益ではなく、100年先に生きる人々のことを大切にする思いが感じられます。それは現代社会が失いかけ、今、見直され始めている価値があるような気がします。
白井会長は2020年の始まりの頃まで、中国・深センにて年に100回ものビジネスツアーを行う会社を経営していました。それが、コロナになりビジネスツアーができなくなりました。それをきっかけに代替え肉事業に全てをシフトすることになりました。最初はその決断に「大丈夫なのかな?」と心配していましたが、2021年末頃にはネクストミーツがメディアにて大きく取り上げられ、米国ナスダックにてSPAC上場を果たし、時価総額が480億円もの値段がつきました。ご自身もこの現実に困惑されていましたが、人生は何が起こるかわかりませんね。人は白井会長のことを運がいいと言うかもしれません。しかし、代替え肉事業をコツコツとやってきたこと、未来の子供達のために地球環境のことを真剣に考えてきたこと、コロナを機に全てをこの事業に賭けたこと、これらが相まって大きな波がきました。私の人生のルールに「運はプロセスによるところが大きい」という言葉がありますが、その言葉を思い起こしました。今後も変わらぬ白井ちゃんでいてくださいね。
2022/07/01 -
2022.06.01
チャレンジ
二〇二二年四月一日、株式会社デミックが阪急百貨店うめだ本店十三階に「すし淡鮃(たんぺい)」をオープンさせていただきました。すし淡鮃は食の宝庫『御食国』の一つである淡路島産の海産物の『素材の旨み』を堪能できるグルメスポットになっています。当社は三十年以上前、神戸市にて二百軒の宅配から始まり、その後、全国拡大し四万軒に拡大しました。その過程は同業種同士の戦い「牛乳屋VS牛乳屋」でしたが、最近では数多くの宅配ビジネスモデルが台頭し、それらのほぼ全ての企業が牛乳を取り扱っています。現在、戦いは「牛乳屋VS他ビジネスモデル」へと変化しました。そして、コロナ禍の宅配需要を追い風に「牛乳宅配以外」のビジネスモデルは軒並み上昇に転じています。
牛乳宅配業者に向かい風が吹く中、長年イメージしていたものの、実行できていなかったビジネスモデル変換へ着手することを決意しました。やりたいビジネスモデルは生鮮3品のデリバリー、夕食材料やミールキット、弁当や飲食店の出前など、今あるビジネスモデルのミックスしたような業態を考えています。その魚の第一歩が今回の「すし淡鮃」です。今後は宅配すし業態、すし弁当業態、回転すし業態なども視野に入れながら、どの業態が自分の目指す宅配業態に向いているのかを考えながら挑戦したいと考えます。
コロナが終息するであろう今年のテーマは「チャレンジ」。
今年は「趣味チャレンジ」「特技を楽しむ」をキャッチフレーズに、幾つもの飲食店やスイーツ店の出店を計画しています。今回オープンした「すし淡鮃」は、まだ一つ目の事業ですが、多くの経営課題に直面しています。その中でも重要な課題が二つあると考えています。
1.「職人とは?」…料理人の特質は、技術を探求し、自信を持ち、金銭や時間的制約などのために自分の意思を曲げたり、妥協を嫌い、納得のいく仕事だけをする傾向にあるように思います。職人たちを束ねて、共有した目標を掲げ、目標達成のために、役割分担を決め、役割の進捗確認と発信をやり続けなければ目標は達成できないと思います。
2.「チームづくりは空気づくり」…まずは、社員や料理人たちを面談しました。過去の職歴や背景にあるもの(家族構成、趣味、特技など)、考え方を確認し、私からは、それぞれの社員にわかりやすく会社と個人が納得出来る近未来の接点(希望)や少し先の未来ビジョンを説明しました。面談で感じたことは、良いチームを作るには「自由に意見を言える空気づくり」+「仕事を楽しむ遊び心」が最重要だと感じました。
「努力は実を結ぶ」と言う言葉がありますが、長い人生の中で、「努力は実を結ばないこともある」と、しばしば思うことがありました。頑張っても、努力しても結果が出ず、それでも諦めずに一生懸命に努力していたら、そのタイミングでは実を結ばなくても、ある時期に急に実を結び「努力は実を結ぶ」ことを実感できたりします。言ってみれば、実を結ぶことができるのは、自分自身の心のあり方によるところが大きいと思います。「心」×「行動」」「結果」「どんな心で」×「何をするか」」「最高の未来」生きていればブレることもあれば、ズレることもあります。でも、実は何の問題もありません。それが生きるということだから。大事なことは、ブレた時に戻る場所がわかっているかどうかだと思うのです。ブレた時の戻る場所、それが「生きる目的」だと思います。未来をどうしたいか考えること、この店がどうなったら最高かを考えること、みんなで考えたいと思います。経営の神様と言われた松下幸之助さんの言葉に「目に見えないところをきれいにすると、見えるところが光りだす」があります。目に見えないところとは気持ちのことだと思います。
2022/06/01 -
2022.05.01
カッコいい
こんなアンケートの結果があります。90歳以上の老人に聞いた質問です。「90年の人生を振り返り、後悔していることは何ですか?」 この質問に対して、90%以上の人が同じ答えでした。それは・・・、「もっと冒険しておけばよかった」 あの世には、お金も家も持っていけません。だから、財産を失うことは、不幸なことではないんです。では、この世の最大の不幸は何でしょう?それは・・・、死ぬ前に後悔することです。死ぬ前に後悔することこそが、最大の不幸です。では、9割もの人が死ぬ前に、もっと思いっ切り生きればよかったと後悔するような社会になっているのは何故でしょう。それは人からの比較から「他人の目」を気にしすぎたり、お金や勝ち負けの結果に縛られすぎて、一番大切な「生き方」を置いてきぼりにしてしまったからだと思うのです。「生き方」とは、生きる「目的」と、そこから生まれる「美学」だと思います。人は誰でも人生は一度きりと頭でわかっています。しかし、本当に心の深いところで、それを理解できているのかというと、ほとんどの人が、それほど切羽詰まった思いで人生を送っていません。私自身もコロナ前までは人生に終わりがあることを真剣に考えたことはありませんでした。コロナ感染拡大の恐怖、未来への不安の中で、終わりある人生を悔いなく生きるにはすればいいのか。コロナは今後の生き方を自問自答するきっかけとなりました。死ぬ直前に「あー、楽しかった。思い残すことは何もない」と言って死ねるような人生を送れたら最高だと思います。
コロナにより、私が所属する尼崎JCシニアクラブは2年間ほぼ活動ができない状況が続きました。現役達の活動もメンバー同士の交流ができないことによるコミュニケーション不足から一体感が無くなり、相次ぐ退会や新規会員拡大が進まない状況が深刻な問題となっています。現役の衰退はシニアの衰退へと繋がっていきます。コロナ初期、現役支援と称して現役メンバーの経営する飲食店へ食事に行ったり、私の会社のメンテナンス工事や改装工事などを現役メンバーの会社へ依頼したりしましたが、数多くいるメンバーの支援には程遠いのが実情でした。逆に、現役メンバーの頑張っている姿からそれぞれの「カッコイイ」を感じることができました。飲食店へ訪問した時、「みんな同じ条件なので頑張るしかありません」に「カッコイイ」、メンテナンス工事を依頼した時、「仕事ありません。死に物狂いでやります、仕事ください」に「カッコイイ」、改装工事を依頼した時、「コロナで取引業者の相次ぐ倒産で資金繰りが大変です。キャッシュフローを回すために、一晩中、仕事してます」に「カッコイイ」。彼らには経営の苦難に直面しながらも、それぞれの「カッコイイ」がありました。彼らと触れ合い思ったことは『「私も負けられん」もっと、チャレンジして後輩たちの手本となれるような「生き方」をしよう、先輩として「カッコイイ」背中を見せたい』と強く思いました。「役職は人を育てる」という言葉がありますが、会長という役割を受け、コロナに遭遇したからこそ、私自身の役割を考える機会を得て、自分自身の成長に繋がっていると思います。
コロナが世界中の人達の仕事や生き方を大きく変えるきっかけになりました。コロナによってダメになった業種もあれば、逆に大きく業績を伸ばした業種もあります。業種の問題だけでは無くコロナ時代に合った仕事のやり方への変換も余儀なくされ、働き方の大きな変換にもなりました。コロナ時代を生きる上で、大事なことは、心からトキメク「目的」を持つことだと思うのです。何のために生きるのか、目的がないから美学がない、美学がないから自分の中にあるはずの行動基準もない、故に安易に周りに流されてしまい、人生から生きがい、やりがいが消えてしまうのです。それは美しいか、それは楽しいか、それはかっこいいか、コロナが起こったからこそ、そんなことが大事だと思えるようになりました。コロナは私自身の内にある「生き方」や「美学」を思い出させてくれるきっかけとなりました。ただ生きるだけでは、人として立派な生き方とは言えないのでは、、、。人格に高低があるように生き方には美醜があります。重要なのは美しく生きること。美学を持って生きて初めて自身が楽しさを感じ、周りの人からカッコイイと思われ、世の中の役に立てる人になれるのではないかと思います。損得と勝ち負けばかりを目的にしていくと、人生から「面白さ」と「カッコよさ」が消えてしまいます。複雑化し、不安定で先の見えない未来、このような混迷の時代は「この先どうなるんだろう」と考えるよりも、「こうなる、こうする」と、決めつけてやりたいことをやり尽くし、目の前にあることを一生懸命に生きることが大事な事だと思います。「カッコイイ」とは超積極的にチャレンジする姿と、そのチャレンジを楽しんでいる姿、その姿が魅せる面白さだと思います「もっとかっこよく生きたい」「もっと楽しく生きたい」「日本をもっと面白くしたい」今、大事なことは目指すこと。天を見上げて生きること。理想を描いたほうが、絶対人生は面白くなると思います。
参照「昨日の自分に負けない美学」
2022/05/01