Column 社長コラム
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2022.04.01
未来を選択
二〇二二年は「終わりと始まり」がクロスする年になると考えています。
約二十年、ビジネス界では「デジタルがリアルを喰っていく」そんな絵面でしたが、二〇二二年はビジネス界以外でも「終わりと始まり」のクロスが起こっていくように思います。
より一層、「リアルビジネスモデル×デジタルビジネスモデル」へ移行、「会社で働く×自宅リモートで働く」へ移行、「リアル会議×リモート会議」へ移行、「動物性食料×植物性食料」へ移行、「自国優先主義×世界の共通ルール(SDGs・持続可能な開発目標)」へ移行など。
この変化の理由を考えてみると、このまま私たちが消費型社会を続けていくと「この地球が終わってしまう」という理由なのかもしれません。二〇二二年は「終わりと始まり」を意識しつつ、牛乳宅配ビジネスモデルから未来の牛乳宅配ビジネスモデルへの移行の準備をやり尽くすような一年にしたいと考えています。それに伴い、この数年間、取り組めていなかった人材雇用、並びに専門職の人材雇用にも取り組みたいと考えています。人材雇用の必要性は、最近一緒に仕事をするビジネスパートナーから「強烈な始まり」が感じられるからです。それに対応するためには平均点の人材より、ほとんど0点だけど、必要な部分だけ百点というメリハリの効いた人材が必要だと考えます。この数年は新卒雇用も行わず、現場の必要性に応じてアルバイトや中途社員を雇用していました。エリア、エリアで人材を雇用し、その全てを現場の管理者に任せていたのが実情でした。しかし、今年からは「強烈な始まり(事業の多角化)」が始まるので、長年勤めてくれている社員の仕事も確保しつつ、新しいビジネスに必要な新たな人材を私自身が中心となり雇用していければと考えています。
私はあまり未来を深く考えて行動してきませんでしたが、一般的に就職や転職を考える方々にとっては「仕事選びが人生選び」であり、人生の大きな分岐点となります。私には独立独歩の歩みの中で育んできた自分なりの決断のルールがありますが、就職者は歩んできた、少ない経験の中から選択をしなければなりません。私なりに「仕事の選び方」を、どのような基準で考え、どんな決断をすればいいのか、考えてみました。これは持論ですが「やりたい仕事」よりも「できる仕事」を選択するべきだと考えています。この考え方はスティーブ・ジョブズの「私は本当に好きなことしか続けられないと確信している。何が好きなのかを探しなさい。あなたの仕事も恋人も。」この言葉に反しますが、私の考え方は、「多くの他者が認めてくれるできることが大事」だと考えています。「やりたい」「やりたくない」「好きだ」「嫌いだ」という人間の願望は、環境や情報など外部の要因で出会う偶然なものだと考えています。何々したい、という願望は偶然から生まれるもの。だから、「やりたい」というのが、絶対的なことではなく、情報が内部化されて、自分の思いとすり替わっているのかもしれません。それに比べて「できる」は偶然じゃない!「できる」は必然だと思うのです!「やりたい」より「できる」を選択するべきだと考えます。私自身の今年の大きなテーマである人材雇用は、その役割に適した人とはどんな人なのか、どこにいるのか、などを考えながら雇用に取り組みたいと思います。
次に求める人材ですが、理想は独立採算制で利益を上げ続けることのできる人です。昔は就職先で人生が決まるという面が強くあったように思います。造船業界なら一生安泰だ、鉄鋼だったら大丈夫、金融なら極楽だ、などと言っていました。それが次に「勝ち組から危ない」に変わり、やれトヨタだ、ソニーだと言うようになり、時代の変化に伴い、業積の良い企業も変化してきました。働くことは大事なことだと思いますが、就職や転職は働くことの選択肢の一つに過ぎないと思います。今の時代に必要なことは、どこで働くよりも自分の価値をどう高めるかの方が重要課題だと思います。今から迎える未来はどんな大きな会社ですら、生き残れるとは限らないからです。企業に頼るよりも自分に頼る方が、はるかに信頼度が高いと思います。社会に出たらそこにあるのは自分の人生。自分の人生をより良いものにするためにどう生きたら良いのか。それを選ぶのは自分自身だと思うのです。
私たちの生きている社会は資本主義です。当たり前ですが、資本主義は競争社会で、競争で勝ち残るたった一人を決める戦いをしています。しかし、たった一人では幸せになれないのではないかとも考えます。資本主義の世の中にいる限り、根本原理は競争。ここは否定しようがありません。勝ち残った先で誰を幸せにする、幸せにできるのか、そんな思いが大事なことだと思います。目の前にある様々なことを選択し、未来を幸せな人生にしたいものですね。
2022/04/01 -
2022.03.01
運のない人と距離を置きなさい
私の大先輩である中村孝氏が本を出版されました。題名は『運のない人と距離を置きなさい。』というズバリな題名でした。この題名をつけた勇気にまずは拍手喝采ですが、本を読んでみると大和ハウス創業者である石橋信夫氏から教えていただいた言葉だと理解でき、題名にした訳もわかりました。本から引用すると、『ある時、石橋さんが「運のない人とは距離を置きなさいよ」と言われた。「運のない人と付き合いしなさんな」と言われるならわかるのだが「距離を置きなさいよ」という表現がひどく引っかかった。石橋氏がなぜそのような言葉を発したかと言うと「長いこと事業をしてると、まあ、お金にまつわるいろんなことがありすぎる」とのこと。また「運のない人とおると、ろくなことあれへん、幸運を持っていってしまいよる。運のある人同士が向き合うことが大事や。だから運のない人とはできるだけ距離を置いたほうがええ」決して縁を切ることまでしなくてよいが、付き合う人をよく見ながら、距離を測って付き合うとともに、これだと思った人には懐にぐんぐん入り込んでいくことの大切さを教わった。』とありました。
この本に書かれている中村氏の半生を見てみると、絶妙なタイミングで良き人と出会い、幸運な転職や転機が訪れてきたことがわかります。中村氏曰く「運が良かった」という表現で書かれていますが、私の人生のルールにある「運はプロセスによる」からすると、実直に一生懸命目標を持って頑張ってこられたからこそ良き運に恵まれたのだと推測します。中でも、奥様との出会いから結婚は、人生を大きく変える良縁だったのだと感じました。今の中村先輩の成功があるのは奥様のおかげだと言っても過言ではありません。しかし、この縁の根幹にあるものは中村先輩の人柄があってこそだと思います。まさに運のある人同士が向き合うことが大事なことなのだと感じました。しかし、この本を読み率直に感じるのは、よくもまあ昔のことを一言一句忘れずに覚えているなあと。すごい記憶力だと、まだまだ会社は大きくなると思いました(笑)。
中村氏の成功の要因はこの本の最後に書かれている「感謝の心と道徳心を忘れずに」の項目に書かれている通りだと思います。抜粋すると『二十五歳の時に事業を始めてから五十五年。長年の事業の経験を通じて思うことは、人間としての基本、そして商いの基本ができているか、できていないか、それによってその会社が勝ち組になって生き残るか、負け組になるかが決まってくるということだ。私は朝晩に「今日はありがとうございます」「今日も社員が怪我のないように」「今日も一日、家族が、世の中の方々が、どうか幸せでありますように」とお願いをしている。今の世の中で一番大事なことは道徳心だと思う。新入社員に「わしは嘘つく人間はいらんで。勉強せんでもいい。ただし、人の道を外すなよ」人とつながっていくのに一番大切な道は絆だ。人の悪口を言いたくなったら、自分に置き換えて「ああいう話をしたら、相手はどういう気持ちになるだろう」「自分がもしやられたら、どんな気持ちになるだろう」と考えながら、一つ一つ成長していかなければならない。人の道に感謝すること、そして、ありがとうと喜ぶ心が、一番大切なことだと思っている。私が社員に徹底していっていることがある。「悪い時こそすぐに飛んでいけ」という。クレームや事故などがあった時はその原因を突き止めて、人様に迷惑かけないように対処することが大事だ。誠心誠意迅速に対処し、火が大きくなる前にくすぶっている段階で火を消すことができた。後回しにすればするほど事態は大きくなるものだ』と書かれています。
この本を読んで私は「運命は偶然よりも必然である。運命は性格の中にあるという言葉は決して等閑(とうかん)に生まれたものではない」という芥川龍之介の言葉を思い出しました。「運命は偶然ではなく必然であり、その人の性格が決める」ということ。運命は偶然であらがえないものだと思われがちだが、そうではなく、性格が決める、つまり「人間の意志が運命を変えることもある」と言う意味。運命に流されて生きるのではなく、意志を持って自分の道を進むことが大切だと改めて気づかされたように思います。昨年来、世界はコロナ禍に覆われ、不自由な生活を強いられています。しかし、大きな変化を強いられている今こそビジネスを前へ進めていく上で大きなチャンスだと感じます。私も数々の逆境に直面してきましたが、それをバネにヒントにして前へ進むエネルギーに変えてきました。閉塞感が漂う今こそ、元気になってほしいという中村氏の願いがこの本には感じられました。
参考文献
中村孝 著『運のない人と距離を置きなさい。』二〇二一年、神戸新聞総合出版センター
2022/03/01 -
2022.01.01
二刀流
花巻東高校野球部には具体的な目標を一枚の用紙に書き込む「目標達成シート」というものがあります。正方形の枠を大きく9つに分け、その1マスをさらに9分割した用紙には、目標や、その目標を達成するために必要とされる要素が細かく記されています。用紙の中央に書かれた事柄が、その選手の大きな柱となる目標になります。メジャーリーガー大谷翔平は高校入学時の目標達成シートのど真ん中に「ドラフト1位8球団」と書いていました。プロ野球のドラフト会議で8球団から1位指名されることを目指しました。そのために必要な要素として、目標を囲むように「キレ」「コントロール」「体づくり」「メンタル」「人間性」「運」「変化球」「スピード百六十三キロ」といった八つの言葉を書き込みました。163キロを目指していけば160はいけるだろう、そんな理由でスピード160キロは163キロに書き換えました。花巻東高校・佐々木監督は大谷の思考の高さに驚かされたようです。
大谷の歩んできた道には、その時、その時に下した決断がありました。「花巻東高校入学」「プロ・日本ハム入団」「メジャー・エンジェルス入団」その中でもメジャー挑戦について面談した日本ハム・栗山監督は「翔平はお金の話を一度もしたことがなかった。彼にとっての価値観はそういうところにはないんですよね。翔平は誰もやったことがないことをやってみたいんだと思うんです。結果じゃなくて、それをまずやってみる。翔平はチャレンジしてみることが嬉しくてしょうがないという価値観を持っているんです」と言います。佐々木監督は「夢も大事だし、チャレンジも大事だけど、現実として一人の人間としての生活もあるという話を。怪我もあった。その中でボールの素材変わり、日本と比べてマウンドの固いアメリカでは体の負担が大きくなって肩肘を壊すリスクもある。メジャー挑戦の前年は特に成果が出なかったし、オフには右足首の手術もある。他にもいろいろリスクはあるし、あらゆるリスクを考えた時に、もう少しじっくりやってからアメリカへ行っても遅くはないんじゃないか。なんで今アメリカへ行かなくちゃいけないの」すると大谷は「まだうまくいってないこともたくさんある。だから行くことが大事なんです。成功するとか失敗するとか僕には関係ないんです。それをやってみることの方が大事なんです」そう言い切ったそうです。自信があるとか無いとか、活躍できるとかできないとか、大谷本人は考えていない。ただ行って挑戦してみたい。高いところへ自らの身を置きたい。そんな大谷の生き方を貫ける球団を選んだのだと思います。
二刀流に懐疑的であったアメリカの野球ファンも大谷翔平の二刀流での活躍を目の当たりにして、今や次の二刀流選手を待望するようになっています。大谷は全米野球ファンの夢と希望を叶えるベースボールヒーローとして扱われるようになりました。しかし、全米ファンを虜にしたのは、二刀流での活躍だけではなく、その立ち振る舞いにありました。オールスター戦の試合後、前日はホームランダービーにも出場しヘトヘト状態だったにもかかわらず、ファンから突然サインを求められると、バックをわざわざ地面に置いて丁寧にサインをした。ホームラン王争いの真っ最中、しかも、本塁打数が失速している頃、リトルリーグの少年たちに求められるまま、笑顔でサインをし続ける大谷には尊敬の念すら感じます。多くの一流メジャー選手からも賞賛の声が上がっています。「僕はショウヘイの大ファンだ。何て素晴らしい才能だ。僕も彼と同じぐらい速い球を投げることはできるけど、彼のように打つことはできない」「本当にアンバビーブルな存在だ。この100年間、真の意味での二刀流をやった選手はいなかった。最後にやったのはベーブ・ルースだけだ。ショウヘイは100マイルを投げ、本塁打でもリーグトップクラス。投げても打ってもオールスター級さ。しかも、人間としても超一流。僕は打たれたけど(笑)、彼の活躍は嬉しいんだよね。人として素晴らしい人間には、誰だって成功を願うだろ。ショウヘイに会ったことのある人たちなら誰もが、成功してほしいと思っているはずさ」「権威ある人だけでなく、そうじゃないにも敬意をもって接している。本当に尊敬する人物だ」
2021年、大谷は二刀流として一年間怪我なく終えられるよう肉体改造を行い、シーズンの最後まで熾烈なホームラン王争いを繰り広げ、投手としても九勝し、投打の大活躍を見せました。オールスターゲームでは従来のルールさえも変更させ、1番DH兼先発選手としてリアル二刀流を魅せてくれました。全米野球記者協会の代表30人によって選出されるアメリカンリーグMVP受賞は当然だと思います。
植木屋の職人さんから、「小さな植木鉢のイチョウも庭に植え育てたら大きく育つ」と聞きました。器を大きくして育てれば、それ相応の大きさになる。人材育成も相通ずることがあると思います。逆に「お前はあれができない、これができない」と否定ばかりして育ててしまうと、それなりにしか育たないように思います。今、自由や自主性を尊重する風潮があり、自らの考えのもと行動することは大切だと思います。でも、何もわからない時期には道を示してあげることも、ある程度必要だと思います。美しい盆栽を作るには、矯正した針金をどのタイミングで外すかが重要とのことです。人材育成も、どのタイミングで自由や自主性に任せていくかが大切なことだと思います。
私自身の歩みを振り返ると、27歳で起業し、まったく矯正されることなく独立独歩で歩んできました。その分失敗も多く、苦しい場面も多くありました。会社の数も今では16社と増え、ある意味十六刀流と言えるかもしれません。還暦を迎える今思うことは「人生これからが本番」、干支が一巡し、出生時に還る今こそ、さらなる高みを目指したいと思います。本年もジャンジャン、バリバリ頑張ります。今年もよろしくお願いします。
2022/01/01 -
2022.02.01
エイベックス
コロナは私に多くの変化をもたらしましたが、一番大きな変化はリフレッシュの仕方だと思います。コロナ前はストレスを感じたことがありませんでした。それは「遊びのように仕事をこなしていた」からではなく、ストレスを感じない仕事のやり方をしていたのだと、最近気が付きました。コロナ前は、東京、名古屋、博多、ソウルなどへ月の半分以上動く生活をしていました。これがストレスを生まない仕事法でした。動く生活は移動時間を含めての一人で自由に過ごす時間が多くあり、その時間を利用していろんなことを考えたり、コラムを執筆したり、勝手気ままに過ごすことができました。それが今は毎日Zoomで六つも七つも会議に参加して、時間から時間のスケジュールをこなしています。たまに行く東京出張が楽しくて仕方ないのは、日頃のスケジュールに遊びの時間がないからなのでしょうね。
コロナが終息する今年の目標は、スケジュールに余裕を持たせる、自分にしかできない仕事以外はしない、この二つを目標にしようと考えています。最近、動けない生活の中で新しいリフレッシュ法を見つけました。それがNetflix(ネットフリックス)とYouTubeを見ることでした。Netflixはまたの機会に書くとして、最近のお気に入りYouTuberはエイベックス松浦会長です。昔なら講演を聞きに行かないと聞けない話が今は簡単に聞けるようになりました。『起業のきっかけはアルバイトをしていた貸レコード屋の社長から「一緒に会社やらないか?」と誘われたから。最初に出店した場所は貸レコード屋が四店舗もある激戦区でした。なぜわざわざ激戦区に出店したのかは、そこに客がいるのがわかっていたからとのことでした。あとはその四店舗に勝つにはどうすればよいかを考えるだけ。松浦氏は同業者に勝つために、どう差別化を図るかを考えました。毎日のように喫茶店へ行きノートとペンに、新たな企画や販促法を考えては書き記して実践することを繰り返しました。やがて近隣にあった四店舗は全て無くなり、地域のナンバーワンになりました。それでも次に何をすればもっと大きくなれるかを考えました。地域密着の商売は売り上げが青天井で伸びていくことはない、ならば伸ばしていくには多店舗化するか、乱立していく貸レコード屋に何かを売るか、この二つのどちらかだと。多店舗化で大きくなった成功事例はTSUTAYAでした。松浦氏はもう一つの方法の他の貸レコード屋にものを販売する方を選びました。当時の貸レコード屋には音楽に詳しい人があまりいなかったので、輸入盤の仕入れを代行し、内容を解説するコメントを書いて貼ってあげると評判になり、ウチの店でもやってほしいと多数の依頼があった。毎月仕入れ代として数万円をもらって今で言うサブスクのようなものをやりました。ある程度の売り上げが見込めないと、やめられてしまうので、真剣にやりました。五十軒ぐらいの貸レコード屋からの依頼がきて感じたことは「これは商売になる。別会社を作ろう」。これがエイベックスの前身でした。
輸入盤の卸の会社に軸足を置くと、そこでも輸入盤卸会社同士の戦いがありました。そこでまたどうすれば勝てるかを考えました。あまり差別化できない輸入盤卸事業でしたが、ライバル社が真似できないことを探しました。たどり着いた企画がエイベックスでセレクトした曲をイタリアのレコード会社に権利を獲らせてセレクト盤を作ってもらうことでした。作成したCD一万枚は全て買うから、他の輸入レコード卸会社には売らないようにと交渉しました。企画は大当たりしてドンドン売れました。売れると儲かり資金ができました。次に考えたのは輸入盤のセレクトで良い曲をたくさん選んだ「スーパー・ユーロビート」を制作しました。ある時から輸入盤ではなく、自分たちの曲に入れ替えることを考えました。自分たちの権利を持った曲を販売するということはレコード会社になるということでした。当時のレコード会社はSONY、東芝、松下など大手家電メーカーの子会社だったので少し悩みました。周りの人から散々やめろと言われましたが、やってしまいました。その後、ジュリアナ東京ができブームにのりジュリアナのCDを作ったらバカ売れしました。その次は小室哲哉氏と出会いがあり、またまた小室氏のダンスミュージックはバカ売れし、TMネットワーク~TRFへと続いていきます。創業期はやることなすことがほぼ当たり順風満帆でした。その後上場し、得た上場益五十億円を詐欺で騙された時の話では「苦い経験あるんですね」の一言に「苦い経験ばかりだよー」と返答していました。また、小室哲哉氏がある日突然逮捕されて、六億五千万円の弁済を肩代わりして、刑務所行きを免れた話では、「小室さんのおかげでエイベックスが大きくなったのは間違いないし、五年も刑務所に入ったら才能ダメになるだろうな。俺にできることはそれしかない」と。』
今回の松浦氏のYouTubeは本当に勉強になりました。共感を覚えるポイント、自分に足りていないポイントなど大きな気付きとなりました。エイベックスの成功の軌跡で学んだことは、成功ではなく大成功するために必要なことでした。大成功するためには「時代の流れに乗れる業種を選ぶ」「同業者が真似できないぐらいの差別化を図る」「常に考える、自分しかできないこと以外は全て任せる」でした。コロナ禍でライブやコンサートができない状況、CDが売れなくなり低迷する中で、青山のエイベックス本社を売却、社長を退任し会長に就任したこと、YouTuberを自分自身で体験、体感していること、そんな状況の中で、松浦氏は次の時代をどう捉え、どんな手を打つのかを楽しみにしたいと思います。
2022/02/01 -
2021.12.01
渋沢栄一
今年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」では「日本実業の父・渋沢栄一」を取り上げました。このドラマを観るまでの渋沢栄一の印象は、三菱の岩崎弥太郎と海運業で対立したライバルという印象しかありませんでした。しかし、このドラマを機会に、あれこれ調べてみると、渋沢栄一は日本経済の礎を築き、約500に及ぶ企業の設立に関わり、多くの功績を残した人物であると理解ができました。『大阪へ行くために「JR」に乗り「日経新聞」をひらいた。社内吊り広告に「サッポロビール」の新製品の宣伝があった。帰りに買って帰るために「みずほ銀行」のATMに寄る。今年ももう少しで終わる、年末年始は「帝国ホテル」で過ごし、初詣は「明治神宮」に行くかな。その前に「聖路加病院」に入院している親父の見舞いにも行かなくちゃ。』ここに出てくる固有名詞のすべての設立に関わった人物が渋沢栄一です。他にも、三井住友銀行、日本製鉄、東京海上日動、東急電鉄、東京証券取引所、キリン、東京電力、一橋大学など、数えればきりがありません。また、2024年より新一万円紙幣の顔となる人物です。
1840年・武蔵野国榛沢郡血洗島村生まれ。江戸時代末期・ペリー来航などにより長く続いた封建制度が終わり、新たな時代の幕が上がろうとする変わり目に、渋沢栄一は青年期を過ごしました。家業は製藍業・養蚕業を親の代から営み、割と豊かでありました。青年期に剣術習得のため道場へ通いだし、同じ道場に通う同志達の影響で尊王攘夷思想へ傾倒していきます。倒幕計画を企てるが未遂で終わり、京都に逃げ、平岡円四郎の推挙により一橋慶喜に仕官することになります。倒幕から仕官へと人生は真逆の方向へ歩み出しました。仕官後は真面目に働いたことを認められ一橋家の「勘定組頭(財政管理)」に就任します。やがて一橋慶喜が15代将軍徳川慶喜に就任。パリ万国博覧会の幕府使節団に抜擢されヨーロッパに渡り、日本にはない水道設備、蒸気機関車、エレベーターなどの科学技術を目にして驚きます。さらに、多くの人々から集めた資金で事業を行い、利益を分け合う「資本主義」に大きな衝撃を受けることになります。後に多くの企業設立に携わるきっかけが、このヨーロッパ視察にありました。ヨーロッパ視察中に徳川慶喜は大政奉還を行います。帰国後、幕府から新政府に任を移し、その後に実業家の人生をスタートします。1931年~1991年・91歳で亡くなるまで約五百の企業設立に尽力することになりました。
渋沢栄一の経営指針の根幹には「論語」があり、「仁義道徳に基づかないと、会社はうまくいかない」「個人の富は国の富であるから、自分だけが儲かれば良いという考え方ではダメだ」このような思想の持ち主でした。だからこそ、幕末からわずか数年間に日本の資本主義の礎を築くことができのだと思います。渋沢栄一の業績を考えれば、渋沢財閥を作ることも可能だったはずなのに、その道を選びませんでした。また、三菱の岩崎弥太郎から、「二人が手を結べば、日本の実業界を思い通りに動かすことができる」と、誘われたときも、岩崎弥太郎の才覚には深い尊敬を抱きつつ、大きな富を独占しようという結論は自分の考えと真逆だと断ります。まさに「論語と算盤」の経営を貫いた人でした。渋沢栄一は『論語と算盤』という著書の中で、論語と算盤は、はなはだ遠くて近いものと表現しています。当時は政界や軍部と結んだ企業が利益を独り占めしている図式がありました。そのような時代に実業とは多くの人にモノが行き渡るようになり、多くに人々に幸せを感じられるようすることが目的である、というのが持論でした。渋沢栄一曰く、「それが完全ではない場合、国の富は形にならない。国の富をなす根源が何かと言えば、社会の基本的な道徳を算盤とした素性の富なのだと。そうでなければ、その富は完全に永続することはできない。ここにおいて「論語」と「算盤」というかけ離れたものを一致させることが、今日の急務だと自分は考えている」と。
コロナにより情報化革命は一段とスピードを上げて、新たな時代へと進んだように感じます。WITHコロナの時代の到来は、人々の生活習慣を大きく変化させ、それに伴い、多くの企業も変革を求められています。時代に合わないモノは滅び、時代に合わせて変化したモノは振興していきます。先の見えない時代にどう生きるか?渋沢栄一の生き方・考え方は迷った時や悩んだ時に立ち返りたい原点だと思います。私もこれを機に、論語を読み返してみようと思います。
2021/12/01 -
2021.11.01
東京オリンピック2020
東京オリンピック2020は7月23日~8月8日まで、205カ国・地域などから約11,000人の選手が参加し、33競技339種目が17日間にわたって開催されました。新型コロナウィルスの世界的な感染拡大で近代五輪史上初めて1年間延期され、大会期間中も緊急事態宣言下で、ほとんどの会場が無観客となった異例の大会となりました。日本勢は2004年大会を更新する金27個、2016リオデジャネイロを更新する計58個と史上最多のメダルを獲得しました。多くの見どころがありました。野球・侍ジャパン・五戦全勝、柔道・阿部兄妹同日V、水泳・池江璃花子 奇跡の「東京」、レスリング・川井姉妹で「金」、ゴルフ・稲見萌寧メダル初「銀」、体操・内村衝撃の落下、卓球・水谷、伊藤 中国破り「金」など多くの感動や衝撃を都度感じながらの観戦となりました。オリンピックでのアスリートのコメントも、今と昔では随分違ってきました。昔は、「ちょー、気持ちいい~」など、自己の喜びの表現が主流だったように思いますが、今は、「支えてくれた方への感謝」をコメントする方が多くなりました。また、オリンピック期間中は、日本という国を多くの場面で意識する機会となり、改めて、日本人であると言う自覚が蘇った期間でもありました。
今回の大会で個人的に一番心揺さぶられたのは、柔道・大野将平選手でした。1年間の延期が余儀なくされる中、前回大会からの5年間、金メダル連覇へのプレッシャーの中、多くの葛藤と我慢を強いられながら、金メダルを獲得しました。このプロセスに私の人生を重ねてしまい、勝手に自分ごとのように感動しました。彼のルーティンは、どの選手よりも早く会場入りし、真っ先に畳にあがります。仰向けになり天井を見つめ「今日1日、二度とこの景色を見ないように」と。大野選手は言います。「前回のリオデジャネイロオリンピックは24歳で怖いもの知らずで戦えましたが、チャンピオンになってからは、勝ち続けることの怖さを知りました。2連覇というのは過去の歴史でも3人の先輩方しか達成できていません。井上康生監督ですら2連覇の壁を乗り越えることができなかった。準決勝・決勝と延長になりました、今まで感じたことのない恐怖を感じ、ただただ怖かったです」。よくモチベーションを維持できましたね、という問いには「5年間でモチベーションの上がり下りは何度もありました。何のためにきつくてしんどい稽古やトレーニングをやっているのだろうか、という気持ちにもなりました。1年延期してなかったら、もう休めていたかもしれないとも考えました」。「何のために柔道やっているのかと自問自答もしました。若い頃は自分のために自分の内側から出てくるものに頼っていたのが、だんだん、内側のモチベーションだけで走れなくなってきて、いろんな要素をモチベーションにして自分のケツを叩きました。その一番は延期になっても大野は強い、当たり前に勝ってくる。この声を一番のモチベーションに変えました。この周囲の声に自分自身が乗っかってしまうと、自分は負けると理解していたので、この1年間自分が負ける姿を想像して稽古をしてきました。それが一番のストレスではあったんですが、だからこそ我慢できたように思います。」練習を休みたくなったことは、との問いには「朝起きて、今日休もうと思うこともあります。しかし、逆に休む勇気を持つことの方が難しかった。練習をやりすぎてしまう自分がいて、人に止められたら休むというのを、自分への合図にしていました。自分で休む合図を決めてしまったら、いくらでも妥協できますし、いくらでも休む理由なんか見つけてこれますので」。東京オリンピックから学んだことはと言う問いには、「一番は覚悟をするということ!自国開催で勝つということは普通のオリンピック以上に覚悟が必要だったと思います。私にとって覚悟とは準備を整えること。楽しむ場ではない、戦いの場だということを。大げさに言うと、生きるか死ぬかの殺し合いの場だということを胸に刻み戦いました」。大野選手の戦いを見て、心動いた人が多くいると思いますがとの問いには「生きていると辛く苦しい場面もあります。我々、アスリートの姿を見て奮い立って欲しい、これが、一番の願いです。スポーツは心動かせる存在であって欲しいです」個人的に大野選手の好きなところは、勝っても表情を崩さない理由が「相手に敬意を表す」という、日本人が大切にしてきたことを実践しているところです。
東京オリンピック1964大会では終戦から19年が経ち、戦争で焼け野原になった、この日本の復興を世界に示すことが「国」として意味があったのでしょう。あれから57年、わずか半世紀余りで私たちの国は、あの頃とは違う国になってしまったように思います。政治家も企業も、そして国民も「経済」ばかりを追い求めた結果、「富」という豊かさと引き換えに、「心」の豊かさを、どこかに置き忘れてきたように思います。結果、社会的な格差は広がり、自分さえよければ良いという風潮が蔓延しています。人々はこの国や社会のためにという「志」も「大義」も持てず、安全に生きることができる日本の今に感謝すらしないようになりました、相手の言葉を聞かず、自分の言いたいことだけを言う。不平不満だけを吐き、世の中を変えようという気概もない。これが「平和」の正体なのでしょうか。今、新型コロナ感染症によって国民は心も生活も疲れ果て、未来を見失いました。オリンピックでは観客も奪われ、歓声の聞こえない閉会式となりました。東日本大震災からの「復興五輪」として描いた夢や計画は幾度も変更され、次々と担当者が入れ替わり、我々は四分五裂し、東京2020は人々の思いから離れつつ、閉会式を迎えました。残念に思います。このことを、次世代を生きる者は、どのように記憶し、未来に繋いでくれるのでしょうか。
今回の大会では困難な状況にもかかわらず、アスリートたちは胸を張って堂々と歩んでくれました。すごく誇らしく思えると同時に、アスリートの栄光と挫折に寄り添えたことに感謝の気持ちでいっぱいです。
2021/11/01 -
2021.10.01
これでいいのだ!
私は毎月初めに神社・仏閣にお参りすることを習慣としています。この習慣は経営の厳しかった頃、藁をもすがる気持ちで神頼みに行ったことが始まりでした。近年は神頼みというより、感謝の気持ちを持って、お礼参りに行くことが多かったのですが、最近は長引くコロナの影響から自分自身や家族・社員・友人の健康や会社の業績など、知らず識らず自分ごとを神頼みしていました。ある日、いつものようにお参りしていると、お父さんに抱っこされた3歳ぐらいの女の子が横に来てつぶやきました。「世界中の人がコロナから救われますように」と。私は頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けました。自分のことばかり祈っていた自分の小ささを恥じ入りました。
その後です、私がコロナにかかったのは…。少し経緯を説明しますと、社員の運転手とお墓参りに行きました。運転手は10日程前から体調が悪く、倦怠感と下痢の症状がありました。「コロナじゃない?大丈夫?」と尋ねると「熱もないので大丈夫です」と。その日はほぼ一日中、運転手が運転する車の助手席で過ごしました。次の日から5日ほど倦怠感と下痢の症状がでましたが、すぐ症状は無くなりました。まさかコロナだとは思いませんでした。お墓参りから2週間ほど経った頃、ある社員が抗体検査をしたいというので、ついでに、私と運転手も検査すると、2人共陽性。こりゃヤバイと、次の日に近所の病院に事情を話してPCR検査を受けました。そこで、運転手陰性、私は陽性でした。それからが大変でした。濃厚接触者と認められPCR検査を受けられるのは前日と前々日の2日間に会った人だけ(社員3人・家族の家内と娘の5人)とのことでした。それ以外はPCR検査を受けられないので、この2週間に会った方々に事情説明し抗体検査を受けてもらい、全員陰性でした。濃厚接触者五人は病院でのPCR検査を受けた結果、家内、娘は陰性、社員1人陽性でした。社員は高熱でずっと寝込んで、本当にかわいそうでした。ただもっと辛かったのが、娘が濃厚接触者ということで学校へ行けない状況になり、辛い思いをさせてしまったことです。
その後2週間の自宅療養はすごく時間があり、癒されるようなYouTubeをたくさん観ました。その中に、私を救ってくれたYouTubeがあったので紹介します。それは赤塚不二夫さんの葬儀の時にタモリさんが述べた、お別れの言葉でした。『赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのために騙されたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたことがあります。しかし、あなたから後悔の言葉や、相手を恨む言葉を聞いたことがありません。あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折見せる、あの底抜けに無邪気な笑顔は、はるか年下の弟のようでもありました。あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい意味の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を絶ちはなたれて、その時、その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは、見事にひとことで言い表しています。すなわち「これでいいのだ」と』。
コロナ禍、順風満帆の人はあまりいないかもしれません。会社の業績や行動の制限からくるストレスなど、苦しんでいる人がいっぱいいるように思います。このYouTubeを観て、私が救われた点は、コロナ感染拡大を人のせいにして非難したり、コロナウイルスを憎んでみたり、行政のルールのせいにしたり、何かのせいにしてしまいがちですが、全てを受け入れようと決めたことです。誰かのせいや、何かのせいにしても、何の解決にもならないし、明るい未来はやってこないように思います。自分がこの苦難を「これでいいのだ」と受け入れ、明るい気持ちで前に向かっていけば必ず幸せになれるような気がします。自宅療養の間、有り余る時間があり、もう一つ気づきがありました。それは、「頑張らない時間」の大切さです。以前は、仕事とプライベートの境目がありませんでした。「仕事が遊び、人生の全てを賭けてやる遊びが仕事」こんな風に生きていました。そもそも遊びだと思って仕事をしているので、朝から晩まで仕事していても全く疲れることはありませんでした。しかし、たっぷり睡眠をとると頭が回るようになり、それまで、ずっと考え続けていたことが整理整頓できました。「頑張らない時間」はとても大切です。頑張りすぎている人はゆっくり休むことをお勧めします。
2021/10/01 -
2021.09.01
正義中毒
正義中毒~人は、なぜ他人を許せないのか?~』このタイトルの本を衝動買いしました。その理由は近年の世間の風潮に疑問があったからだと思います。最近だとソフトボールで金メダルを取った後藤選手が河村名古屋市長を表敬訪問中、河村市長が金メダルをがぶりと噛んだ事件がありました。このがぶり事件をメディアは連日に渡り、そこまでやらなくてもいいんじゃないかというぐらいに袋叩きにしました。それに同調するかのごとく、一般視聴者からテレビ局への批判が殺到し、SNSは炎上しました。確かに河村市長の行いはこのコロナ禍に於いて、配慮が無さすぎる行いですが、コロナ禍でなければ親近感を込めての行動とも言えます。少し遡ると世界の渡部の多目的トイレ不倫事件がありました。渡部さんは未だに復帰にも至っていません。渡部さんの行いも褒められたものではありませんが、それでも、そこまでやるかというぐらい世間のバッシングはひどいものでした。河村市長、渡部さんの行いは確かに悪いことですが、あまりに行き過ぎた「不謹慎狩り」「不倫叩き」のように感じたのは私だけでしょうか。
この本では、最近の風潮である「正義中毒」について詳しく書かれています。「我こそは正義」と確信した途端、人は「正義中毒」になる。「清純な優等生キャラで売れていた女性タレントが不倫していた」「飲食店のアルバイト店員が悪ふざけの動画をSNSに投稿した」「大手企業がCMで差別的な表現をした」これらの事例は、自分や自分の身近な人が直接不利益を受けたわけではなく、当事者と関係があるわけでもないのに、強い怒りや憎しみの感情が湧き、知りもしない相手に非常に攻撃的な言葉を浴びせ、完膚無きまでに叩きのめさずにいられなくなってしまうという、「許せない」が暴走してしまっている状態です。我々は誰しも、このような状態にいとも簡単に陥ってしまう性質を持っています。人の脳は、裏切り者や、社会のルールから外れた人といった、わかりやすい攻撃対象を見つけ、罰することに快感を覚えるようにできています。このような思考パターンがひとたび生じ、止められなくなる状態は恐ろしいことです。本来備わっているはずの冷静さ、自制心、思いやり、共感性などは消し飛んでしまい、普段のその人からは考えられないような、攻撃的な人格に変化ししまうからです。特に対象者が不倫スキャンダルのような「わかりやすい状態」を晒している場合、そして、いくら攻撃しても自分の立場が脅かされる心配がない状況などが重なれば、正義を振りかざす格好の機会となります。
しかし、現実社会においては、誰にでもしがらみがあり、社会的な立場があって、損得感情や忖度も働きます。こうした条件がブレーキとなり、リアルな人間関係の中では、「許せない」という感情を飲み込むことが望ましい態度とされています。平社員が社長に、営業担当がクライアントに腹を立てても、今後のことを考えれば、態度に出したり、まして罵ったりはしないでしょう。本音は作り笑顔の裏側に注意深く隠しているケースが大半というわけです。特に、自分の意見をはっきり言わない人が多い日本においては、その傾向が顕著です。この状況を「見える化」してしまったのがインターネット社会の出現、とりわけSNSの普及ではないでしょうか。当初インターネットの世界はアンダーグラウンド的なものでした。少なくとも、社会の多くの人がそこに参加しているとは言いがたく、あくまで現実社会とは並行的に存在する別の世界だというコンセンサスがありました。しかし、ツイッターやフェイスブックを始めとするSNSがここ十年ほどの間に急速に普及したことで、状況は一変しました。誰もが参加でき、発信できる場としての地位が確立されたことで、インターネットの世界が現実の世界と重なり合うようになったのです。今やインターネットでの情報発信は世論を動かす力まで持つようになりました。この情報発信がエスカレートし、複数の人から攻撃的なコメントが頻回に寄せられて、人格攻撃が含むようなやり取りが短時間に飛び交うこともあります。いわゆる「炎上」です。炎上が起こっているときには、多くのケースで匿名のアカウントが使われます。攻撃者はよほどの不法行為でも働かない限り、自らに直接危害が及ぶことはなく、事実上安全であることが多いようです。面倒なことになりそうになったら、アカウントを削除、あるいは放置してしまえば良いということなのでしょう。こうして人は、自らの意見に反する有名人に安心して罵りの言葉をかけ、炎上した一般人を見つけたら、そこに加勢し聞かれてもいないのに自説を自信満々に開陳してしまうことになりました。
長い人生にはかっこよく勝つことよりも、無様に負けたり、だらしなく恥をさらすことの方がはるかに多いように思います。そして、負けた経験や試練の中で味わう、「悲しみ・苦しみ・辛さ」の経験から人の心の痛みを理解ができるようになり、優しく温かい人になれるのだと思います。しかし、今の世の中で行われている過度な人格否定は、その人の人生そのものを奪ってしまうように思います。「優しきことは強きこと」という言葉があります。人を匿名でバッシングする人は強い人ではありません。本当の強い人は人の心の痛みがわかる人だと思います。強き人にしか優しき心は宿りません。みなさんに、あえて言わせてください。「優しい人間であってほしい、そのために強い人間になってほしい」私は強き人、優しき人でありたいと思います。
参考文献 中野 信子著『人は、なぜ他人を許せないのか?』 アスコム、2020年
2021/09/01 -
2021.08.01
空母いぶき
先輩の勧めで『空母いぶき』という映画を観ました。フィクションではありますが、リアルな日本の実情が理解でき、おもしろく観ることができました。映画では架空の敵国設定でしたが、原作の漫画では中国が敵国だったので一層のリアル感がありました。
漫画『空母いぶき』での物語は尖閣諸島に三人の中国人が避難上陸するところから始まります。自衛隊が身柄の確保をしようとしたが応じず、中国国旗を掲げたため、強引に身柄を確保します。中国より救助目的に空母遼寧が発進、遼寧から戦闘機を発進させ、日本の巡視船に威嚇射撃をしてきます。日本は三人の身柄引き渡しを打診し、中国へ引き渡します。米国は積極的な介入はせずとの方針で、中国政府もそれを確認。威嚇射撃に屈した幕引きは、日本の負け戦と言われ、この問題を機に「ペガソス計画」が急ピッチで進み、「空母いぶき」が就役します。日本と中国の両政府はそれぞれの根拠を掲げて尖閣諸島の領有権を主張、日本側が「国連に提訴する」と言っても、中国側は動じる気配もありません。またアメリカは、中国を相手に事を構えるのを良しとせず、静観。日本に残された選択肢は、自己防衛能力を強化すること。その具体策が、「空母いぶき」でした。中国軍の侵略に対し、いぶきを中心とした陸・海・空の自衛隊が戦います…。
この姿を見ると、日本を守るために空母は必要だという意見にも納得できるし、その一方で空母を作ったことで中国を刺激しているという意見にも耳を傾けたくなります。空母は本当に必要なのか、考えながら読み進めると、この作品を最も楽しめるように思います。
漫画『空母いぶき』は、かわぐちかいじ作、恵谷修監修で、『ビッグコミック』(小学館)にて2014年24号から2019年24号まで連載されました。本作の魅力のひとつとして、リアリティの高さが挙げられています。2016年に雑誌『正論』で、衆議院議員の小野寺五典、元海将伊藤俊幸、軍事ジャーナリストの潮匡人が、この作品をテーマに対談を行いました。小野寺氏が初めて防衛大臣を務めたのは、2012年から2014年のこと。当時も中国による威嚇行為や侵犯行為が頻繁にありました。そんな時期も相まって「あまりにリアルで驚いた」「私たちが経験した緊張感を共有している」と述べています。また、伊藤氏も「現場をよく知っている」と作者に感心していて、特に船内での会話などは「自衛隊に協力者がいるのでは」と感じたそうです。中には現実ではあり得ない展開もありますが、「安全保障環境の厳しさや防衛問題を知るきっかけとして、多くの人に読んでもらいたい」と、プロのお墨付きを得ている作品です。
「戦争をしてはいけない」というのはその通りです。しかしそれだけでは何も問題は解決しません。今、考えなければならないのは「戦争をしない」ためには具体的にどうすればよいのか、ということです。日本が戦力=軍隊を持たないことが「戦争をしない」ことになるのでしょうか。日本が戦争を放棄しても、戦争は決して日本を放棄しないのです。日本という国が「抵抗しない」のであれば、戦争にならないかもしれませんが、結果それで済むはずがありません。それが「平和」であるはずもなく、むしろ「奴隷の平和」であり、相手の国の「言いなりになるしかない平和」です。「抵抗する」は国際法の言葉で言えば「自衛権を行使する」この自衛権は世界のどの国にも認められています。「戦争をしない」ためには、日本は戦争をしないというだけではなく、相手の国に「戦争をさせない」ことが重要です。つまり、相手の国が日本に戦争を仕掛けようとしても、それを思い留まらせるだけの「力」を持つことが必要です。「戦争をしない」ためには、いざとなれば「抵抗できる」だけの「力」、「戦争をさせない」ための「力」が必要です。
これまで戦死者が出なかったのは、他国から日本への侵略行為がなかったからです。日米安保と自衛隊の活動とが相まって抑止力が働いた結果、平和が維持されました。決して憲法九条という条文があったから戦死者が出なかったのではありません。一方、自衛隊が軍隊になれば「自衛隊員の戦死する危険性」が出ると言われますが、そもそも国民の安全や社会の秩序を守る仕事には、自衛隊に限らず、警察官や消防士であっても常に危険が伴います。
戦争への覚悟を持つ、戦争を阻止する覚悟。自国は自国で守る。日本の国防は否応なく新たな時代に入っています。何が正しく、何が正しくないのか、そのために何をすべきなのか。どんなに言い訳をしても、どんなに誰かのせいにしても、結局いつかは自分でやるしかありません。自分と向き合うことでしか、未来は開けません。どんなにごまかそうとしても、上手くいかない悩みは、「考えて動いてみる」ことでしか、問題は解決しないのです。依存するとは自由を失うことです。厳しい環境が考える力を与えてくれます。自分と向き合うことで初めてあり方は強くなる。自己肯定感という言葉が最近流行っています。自尊心、自己評価という言葉も類義語です。困難に対しての向き合い方が自己肯定感の高低を決めます。「今の自分を好きになろう」「自分をもっと認めよう」それができれば最初から問題は起こらないはずです。今回『空母いぶき』を通して、自分なりに国家感を考える機会となりました。自分の国、すなわち日本のことは自分のこと。私たち、ひとり一人が考えるべきことであるとの結論に至りました。
参考文献 かわぐちかいじ作、恵谷修監修『空母いぶき』小学館,2015年
2021/08/01 -
2021.07.01
夢に日付を
(株)明治からの紹介でワタミの弁当を販売するになりました。ワタミさんとの商談の時、十年以上前にワタミ創業者の渡邉美樹氏著書『夢に日付を!』(2005年,あさ出版)を読み、生き方を変えたことを思い出しました。その頃の私は、『夢に日付を!』を参考に、真面目にコツコツと努力することが立派な経営者への道だと考え、スケジュールを日々こなす毎日を送っていました。この日は毎月発行される経営書を読み知識を高める、この時間はセミナーへ行き未来必要な経営のノウハウを学ぶ、この時間は交流会に行き人脈を増やすなど。しかし、何も変わらない、あまり大きな成果も出ない日々が続いていました。そしてある日、いやいやスケジュールをこなしている自分に気づきました。スケジュールに夢実現の期日を書き、毎日それに向かって努力をする生き方は容易ではなく、生き方を変える決心をしました。大きく変えたキーワードは「努力」から「楽しむ」でした。無理して頑張らない。努力はしない。考えて行動するのではなく感じて行動する。夢の実現に必要かどうかより、自分が楽しいかどうかを重要視する。読まなければならない本は読まず、読みたいと思える本だけを読む。セミナーや交流会には行かず出会いは天に任せる。このように選択の基準を変えることにより、大きな変化が起こり始めました。楽しく付き合える多くの経営者と出会い、やがて彼らが仲間と呼べるような存在になり、新たなビジネスが始まり、仲間が新たな仲間を連れてくるようになりました。行動範囲が広がり、仕事の世界観が広がり「仕事が遊び、遊びが仕事、人生をかけてやる遊びが仕事」。「努力」から「楽しむ」へ、選択の基準を変えることで、楽しくて仕方がない日々を実感できました。
それから十年が経ち、あれだけ楽しかった新規事業への思いも、夢を見ることはできても、ほとんど存続できず、成功には至りませんでした。事業資金が底をつくと、仲間だと思っていた者たちも、散り散りばらばらになりました。最近は仕事への思いも自分が楽しいだけではダメ、「利己」より「利他」が大事だと思うようになりました。新規事業を立ち上げる思いも、自分が楽しいと思えるかより、どれだけ社員がやりがいを持てるのか、そして、その地域の人や、その地域にどう貢献できるのかが最も重要なことなのだと気づきました。そんな在り方の変化の中、もう一度『夢に日付を!』読み返すことにしました。すると過去、渡邉氏のように努力する生き方はできないと思っていた自分が、嘘のように本の内容がすっと心に染み込みました。年齢を重ね、在り方(選択の基準)が変化したのかもしれません。この本を改めて読み、事業が上手くいかない理由が理解できました。夢を実現するために最も足りていないことは、「もっと深く夢をイメージすること」だと気づきました。現に最初に起業した牛乳宅配事業に対する思いは、未だ燃え続けています。周りを見渡すと、私が使っている机も、パソコンも、外には外に目をやると自動車や飛行機も、誰かがイメージしたものです。この世に誰もイメージしなかったものは存在しません。もう一つ、足りていなかったことは「夢を持ち続けること」「夢をあきらめないこと」だと思います。そして、そのために必要なことは「夢に本気になる」ことだと、改めて心に落とすことができました。
私の起業の動機は「金持ちになりたい」でした。今は自分のことより、社員と共に幸せになる、お客さんに喜んでもらう、などの思いが強くなってきました。社員やお客さんのことを真っ先に思えるようになったのも、元をたどれば「金持ちになりたい」という夢を持ったから起こったことです。夢も成長し変化するのですね。自分の欲で始めた事業であっても目標に向かって突き進めるならそれでよし、人生の目的は、「夢の実現よりも夢に向かうプロセスの中で人間性を高めること」なのかもしれません。人はつい、学歴・業績・お金をどれくらい持っているか、などを他人と比較してしまいます。そもそも、人は生まれた環境も、持っている才能も違うのに、「ヨーイどん」で同じ競争ができるわけはありません。一生懸命頑張っても、なかなか社会から評価を得られないこともあります。だからと言って自信をなくす必要はありません。あくまでそれは人生の途中経過です。自分の人生で大事なのは、自分の成長であって、他の人と比べることに、何の意味もありません。人生は他人との競争ではなく、あくまでも、自分自身とのレース。着実に歩いていけば夢は成長していきます。比べるのは「昨日の自分」。
2021/07/01