Column / 社長コラム 社長コラム

2024.02.01

天下人

織田信長「鳴かぬなら 殺してしまえホトトギス」
豊臣秀吉「鳴かぬなら 鳴かせてみせようホトトギス」
徳川家康「鳴かぬなら 鳴くまで待とうホトトギス」
こちらは有名な天下人3人のことを詠んだ句だと言われています。よくそれぞれの性格を言い表しているように思います。信長は過去の権威や慣習を潰し、新たな道筋をつくりました。その過程で多くの反抗があり、多くの犠牲を強いられました。秀吉は信長家臣団の重鎮でした。その秀吉が謀反人・明智光秀を倒し、内部抗争を勝ち抜き、終盤はほぼ戦争をすることなく、相手を懐柔し、天下統一へと導きました。豊臣政権の5大老の筆頭だった家康は秀吉の死後、時間をかけて豊臣派を潰し、徳川派を増やし、中から豊臣政権を食い潰し、徳川幕府を樹立した後に豊臣家を滅ぼします。
-天下人年表-
■織田信長
1534年 信長誕生
1551年18歳家督を継ぐ・大うつけ
1559年尾張一国統一・信友、信行打ち取る(ここまで相当な苦労があった・26歳)
1560年桶狭間の戦い(27歳)
1568年足利義昭奉じ、上洛(35歳)
1582年本能寺の変(49歳)
■豊臣秀吉
1537年秀吉誕生
1554年織田信長に士官(17歳)
1582年備中高松城の戦い(46歳)
1582年本能寺の変(46歳)
1583年賤ヶ岳の戦い、柴田勝家を滅ぼす(47歳)
1585年関白宣下(49歳)
1598年伏見城にて死去(62歳)
■徳川家康
1542年家康誕生
1560年桶狭間の戦い(18歳)
1562年信長と同盟(20歳)
1582年本能寺の変(40歳)
1586年秀吉と臣従関係(44歳)
1598年秀吉死去(56歳)
1600年関ヶ原の戦い(58歳)
1603年征夷大将軍(61歳)
1616年家康死去(75歳)
年表はいくつかの参考資料をもとに作成しましたが、資料により少し誤差がありますのでご容赦ください。
信長と秀吉の年齢差は3歳、秀吉と家康の年齢差は6歳です。生涯年表を紐解くと、この3人の人生がうまく絡み合っているのがわかります。まず、桶狭間の戦いで信長の人生賭けての大博打で今川義元を破ります。それにより、家康は人質生活から逃れることになります。その後、信長は本能寺の変で死去しますが、信長の後継者争いを経て3年後秀吉が関白となり実質天下を手中にします。家康は本能寺の変の後、今川、武田の領地を手に入れ、秀吉に次ぐ大大名となります。秀吉の死後、2年後関ヶ原の戦いにて石田三成を破り、5年後征夷大将軍となり徳川幕府を開きます。最終的に天下は家康に落ち着きますが、秀吉よりも家康の年齢差が6歳なのに、秀吉が亡くなった後19年も長生きします。
長寿は何物にも変え難い強い運を運んでくれる様に思います。また、特筆すべき点は信長の死後3年で関白になった秀吉。秀吉の死後2年で関ヶ原を勝利し天下を手中に収め、5年で征夷大将軍となり、徳川幕府を樹立した家康。学びとしては、天下人の死が大きく運命を変えるポイントとなっている事。そのポイントでなりふり構わず動き、天下を手中に収めたという点ではないでしょうか?人生の勝負所がいつなのか、見極めたいですね。