新郎の父・兵吉

先日、私の友人(兵吉)の息子(翔大)が結婚しました。その結婚式で来賓としてのスピーチを依頼されたのですが、私は翔大の恩師でもなければ、上司でもない、ゆえに話す内容が見つかりません。兵吉に「あなたのことを話すよ」と断りを入れ、兵吉を中心にしてみると、スラスラと原稿が仕上がりました。

ここに、そのダイジェスト版を掲載しますので、皆様には式場にご来賓した気分でご覧ください(笑)

『翔大さん、ちや子さん、結婚おめでとうございます。私は翔大の上司でもなければ、恩師でもなく、翔大の父親である兵吉の友人という関係です。まず、自己紹介を兼ねて兵吉パパを紹介し、大いに笑っていただいき、お祝いの言葉を述べたいと思います。2001年、JC(青年会議所)という地域貢献団体で私と兵吉は衝撃的な出会いをしました。城崎にあるホテルのロビーで兵吉と豊岡JCの理事長が怒鳴りあいの喧嘩をしていたのです。周りには多くの若いメンバーやセクレタリー(鞄持ち)が、居合わせたので、私は「そんなところで喧嘩してたらカッコ悪いやろ。やるなら表出て見えない場所でやれ」と叱りました。最悪の出会いでした。翌年、JCの兵庫ブロック長から「兵吉、知ってるでしょ。保険屋をしてるんだけど有能なんで会ってほしい」と言われ、私は最初の出会いを思い出し、嫌だなあと思いながらも、兵吉と会うことにしました。しかし、兵吉の保険の話を聞くと、印象が一変しました。今までに出会った保険屋さんと知識や提案力など大きく違うと感じ、衝撃を覚えました。すぐに150台ぐらいあった軽トラックの契約を全て兵吉に変えました。あれから20年、兵吉の教えである「創業者が強くあるための経営手法」が根幹にあったからこそ、私はそれなりに強い経営者をやってこられたのだと思います。

結婚する二人のことを知るために、食事会を開き、話を聞きました。私の席の前に翔大と、ちや子さんを座らせて、質問していると、離れた席に座っていた兵吉が「ちや子ぉー、先輩が話を聞いてるんだから、ちゃんと喋れー!」と怒鳴りました。息子の嫁に対して、怒鳴るなんてありえない、と驚きましたが、怒鳴られたちや子さんは、特段気にする様子もなく「はーい」と返事をしていました。その姿を見て、ちや子さんは兵吉とも上手くやっていけると思いました。二人は関西大学に互いに進学したことで出会いました。出会いの印象はと尋ねると、翔大は「ビビッときた」、ちや子さんは「この人とは仲良くできない」だったそうです。その出会いから6年が経ち無事結婚するわけですが、よく他愛もないことで喧嘩をするみたいです。結婚生活の先輩である私から、夫婦円満の秘訣を教えときます。お父さん、お母さんでは教えられないから(笑)。夫婦は互いに感謝することが大事です。私は1年365日毎日外食で、毎晩、家に帰るのが夜中の1時、2時です。そんな私に、家内はいつも笑って接してくれます。私は家内に対し、常に「ありがたい」と思って、家内の要望には何があろうと一番早く応えるようにしています。日頃から、スピーディに要望に答えていたら、少々のことは目を瞑ってくれます。翔大はちや子さんの要望に素早く答える、ちや子さんは多少のことは目を瞑る、これが大事だと思います。

実は、私はなぜ翔大が兵吉の会社を継ぎたいたいのか、疑問に思いました。子供の頃から、パワハラされてきたのに、なぜ?という問いに「父は保険代理店の傍ら、得意先の希望で顧問をしています。顧問先の社長との会話って、立場的に丁寧な言葉での会話をするのが普通だと思うんですが、飛び交う言葉は、『何言ってんだよー』『お前馬鹿なの』『言うこと聞けないなら辞めるよー』だったんです」そんな強き兵吉パパに近づくため、会社を継ぎたいと思ったとのことです。

結びに、この場にお越しの皆さんにお願いがあります。翔大はどんな苦労にも試練にも負けることはありません。それは、兵吉の元で生まれ、育ったことがどんな苦労よりも試練よりも大変なことだったからです。しかし、兵吉がいつまでも元気で守ってくれることはありません。大病もしているし、明日死ぬかもしれん(笑)。翔太の未来は、ここにお越しの皆様の応援にかかっています。今後、益々のご指導と応援をお願いして、お祝いの言葉とします。おめでとうございます。』

2022/08/01