正義中毒

『正義中毒~人は、なぜ他人を許せないのか?~』このタイトルの本を衝動買いしました。その理由は近年の世間の風潮に疑問があったからだと思います。最近だとソフトボールで金メダルを取った後藤選手が河村名古屋市長を表敬訪問中、河村市長が金メダルをがぶりと噛んだ事件がありました。このがぶり事件をメディアは連日に渡り、そこまでやらなくてもいいんじゃないかというぐらいに袋叩きにしました。それに同調するかのごとく、一般視聴者からテレビ局への批判が殺到し、SNSは炎上しました。確かに河村市長の行いはこのコロナ禍に於いて、配慮が無さすぎる行いですが、コロナ禍でなければ親近感を込めての行動とも言えます。少し遡ると世界の渡部の多目的トイレ不倫事件がありました。渡部さんは未だに復帰にも至っていません。渡部さんの行いも褒められたものではありませんが、それでも、そこまでやるかというぐらい世間のバッシングはひどいものでした。河村市長、渡部さんの行いは確かに悪いことですが、あまりに行き過ぎた「不謹慎狩り」「不倫叩き」のように感じたのは私だけでしょうか。

この本では、最近の風潮である「正義中毒」について詳しく書かれています。「我こそは正義」と確信した途端、人は「正義中毒」になる。「清純な優等生キャラで売れていた女性タレントが不倫していた」「飲食店のアルバイト店員が悪ふざけの動画をSNSに投稿した」「大手企業がCMで差別的な表現をした」これらの事例は、自分や自分の身近な人が直接不利益を受けたわけではなく、当事者と関係があるわけでもないのに、強い怒りや憎しみの感情が湧き、知りもしない相手に非常に攻撃的な言葉を浴びせ、完膚無きまでに叩きのめさずにいられなくなってしまうという、「許せない」が暴走してしまっている状態です。我々は誰しも、このような状態にいとも簡単に陥ってしまう性質を持っています。人の脳は、裏切り者や、社会のルールから外れた人といった、わかりやすい攻撃対象を見つけ、罰することに快感を覚えるようにできています。このような思考パターンがひとたび生じ、止められなくなる状態は恐ろしいことです。本来備わっているはずの冷静さ、自制心、思いやり、共感性などは消し飛んでしまい、普段のその人からは考えられないような、攻撃的な人格に変化ししまうからです。特に対象者が不倫スキャンダルのような「わかりやすい状態」を晒している場合、そして、いくら攻撃しても自分の立場が脅かされる心配がない状況などが重なれば、正義を振りかざす格好の機会となります。

しかし、現実社会においては、誰にでもしがらみがあり、社会的な立場があって、損得感情や忖度も働きます。こうした条件がブレーキとなり、リアルな人間関係の中では、「許せない」という感情を飲み込むことが望ましい態度とされています。平社員が社長に、営業担当がクライアントに腹を立てても、今後のことを考えれば、態度に出したり、まして罵ったりはしないでしょう。本音は作り笑顔の裏側に注意深く隠しているケースが大半というわけです。特に、自分の意見をはっきり言わない人が多い日本においては、その傾向が顕著です。この状況を「見える化」してしまったのがインターネット社会の出現、とりわけSNSの普及ではないでしょうか。当初インターネットの世界はアンダーグラウンド的なものでした。少なくとも、社会の多くの人がそこに参加しているとは言いがたく、あくまで現実社会とは並行的に存在する別の世界だというコンセンサスがありました。しかし、ツイッターやフェイスブックを始めとするSNSがここ十年ほどの間に急速に普及したことで、状況は一変しました。誰もが参加でき、発信できる場としての地位が確立されたことで、インターネットの世界が現実の世界と重なり合うようになったのです。今やインターネットでの情報発信は世論を動かす力まで持つようになりました。この情報発信がエスカレートし、複数の人から攻撃的なコメントが頻回に寄せられて、人格攻撃が含むようなやり取りが短時間に飛び交うこともあります。いわゆる「炎上」です。炎上が起こっているときには、多くのケースで匿名のアカウントが使われます。攻撃者はよほどの不法行為でも働かない限り、自らに直接危害が及ぶことはなく、事実上安全であることが多いようです。面倒なことになりそうになったら、アカウントを削除、あるいは放置してしまえば良いということなのでしょう。こうして人は、自らの意見に反する有名人に安心して罵りの言葉をかけ、炎上した一般人を見つけたら、そこに加勢し聞かれてもいないのに自説を自信満々に開陳してしまうことになりました。

長い人生にはかっこよく勝つことよりも、無様に負けたり、だらしなく恥をさらすことの方がはるかに多いように思います。そして、負けた経験や試練の中で味わう、「悲しみ・苦しみ・辛さ」の経験から人の心の痛みを理解ができるようになり、優しく温かい人になれるのだと思います。しかし、今の世の中で行われている過度な人格否定は、その人の人生そのものを奪ってしまうように思います。「優しきことは強きこと」という言葉があります。人を匿名でバッシングする人は強い人ではありません。本当の強い人は人の心の痛みがわかる人だと思います。強き人にしか優しき心は宿りません。みなさんに、あえて言わせてください。「優しい人間であってほしい、そのために強い人間になってほしい」私は強き人、優しき人でありたいと思います。

 

参考文献 中野 信子著『人は、なぜ他人を許せないのか?』 アスコム、2020年

 

 

2021/09/01