Column / 社長コラム 社長コラム

2018.11.01

西郷隆盛

2018年NHK大河ドラマの主人公は西郷隆盛です。幕末期の英雄・西郷を通して時代の変化に対応する考え方や人生の浮き沈みする経験の中での心のあり方、生き様などが、今の時代と重な り、今を生きる私自身の参考になったので書かせていただきました。日本史上の大きな転機と なる幕末維新は、たった25年の間に起こった出来事でした。事の始まりは黒船来航。幕府は開 国を要求してきたアメリカ大統領の将軍宛国書を諸大名に提示し意見を求めます。この時点で 約260年続く徳川幕府の力の低下が伺えますが、これを契機に外様大名が国政の舞台へ登場し始 めます。この先駆けになったのが薩摩藩主・島津斉彬。その側近として歴史の表舞台に登場し たのが西郷隆盛でした。

西郷は薩摩藩の貧しい下級武士の家に育ちますが、困った人を見ると放っておけず、自分の 給金も弁当も与えてしまう始末。西郷家はますます貧乏になり、家族は呆れ返るが、西郷は空 腹を笑い飛ばすような男だったようです。通常なら表舞台に立てる存在ではない西郷が、なぜ 斉彬に見出されたのか。若き日の西郷の仕事は、地方での年貢の徴収でした。新たな地方赴任 先で年貢の額を賄賂により塩梅している古い役人の存在がありました。西郷は怒って、新藩主 となった斉彬に古い役人の汚職ぶりを意見書として送りました。この出来事により斉彬が西郷 を見出すきっかけとなり、「今は藩政より国政への参画だ」との斉彬の思いから、斉彬の手足 となり江戸・京を奔走し、活躍することとになりました。斉彬との出会い、師弟関係へと進展 していく2人を共鳴させたのは正義感であり、この正義感により西郷は世に出たと言っても過 言ではありません。

その後まもなくして西郷を見出した斉彬は急死します。それにより、西郷の取り巻く環境も 一変、幕府から追われる身となります。新藩主・島津久光は斉彬派を城から駆逐していました。 窮した西郷は入水自殺をしますが、助けられ遠島されました。この遠島先・奄美大島では島民 の貧困を知り、愛に目覚めます。1度は藩へ帰されますが、再び久光の怒りを買い、2度目の 遠島となります。2度目の沖永良部島では死をも覚悟した絶望の淵で読んだ書物から「藩主や 藩士のために藩民がいるわけではない。藩民のために藩主や藩士が存在する。民を愛し、その ために仕事をするのが役人の役目だ」と毎夜のように天を仰ぎ、耳を傾け、自身の命の使い方 を考えました。そして、有名な思想「敬天愛人」が生まれました。

「西郷よ、民のためにもう一度立ち上がれ、命が尽きるまで働け」との多くの支持者の声で、 西郷は失意の遠島から華々しく京の政局の中心に戻ります。そこからわずか4年余りで、700年 に及ぶ「武士の世」を終わらせました。「禁門の変」で長州を撃退し、勝海舟や坂本龍馬ら盟 友と出会い、「薩長同盟」で長州と手を結び、「大政奉還」「王政復古の大号令」を成し遂げ、 「江戸城無血開城」へと歴史を動かしていきます。「天は私を選んだ。だから、天は味方して くれる。だから、金も要らなければ、命もいらぬ。私が期待に応えなければ、天は私を見放す だろう」晩年の頑固でかたくなな思いや行動は遠島時に培った心のあり方であり、天との対峙 によるものが大きかったように思います。坂本龍馬は西郷のことを「小さく叩けば小さく響く。 大きく叩けば大きく響く。もし馬鹿なら大馬鹿。もし利口ならお大利口」と言いました。

私たちは何かを行動に移そうとした時、「何がしたいのか」を自分自身に問います。しかし、 西郷は「何がしたいか」ではなく「何のために」を自分自身に問いただしたのだと思います。 西郷は民を愛し、故郷を愛し、国を愛し、すべての民が幸せに暮らしてこそ日本国は強くなる と信じていました。素顔は脇が甘く、愚直でうかつ。西郷に出会ったものは皆、彼のことを好 きになり、愛嬌溢れる男の周りにはいつも「笑いと愛」が満ちていました。行動のベースが愛 に基づいていて、まさに天が味方するリーダーだと思います。

西郷の最期は、新政府に不満を持つ士族を率いて西南戦争を引き起こし、その戦いに敗れ自 決します。明治天皇はそのことを知ると「殺せと命じた覚えはない」と激怒したといいます。

明治天皇は、日頃は温厚で時には君主としての行き様を厳しく指導する西郷に対し、特別な信 頼感を抱きその死を悼みました。時の流れや時代の変化は往々にして必要なリーダーの資質を 変えてしまいます。もしかすると、西郷はそのことを承知していて、維新を成し遂げ、そして 自ら幕を引いた、そんな男なのかもしれません。
2018/11/01