Column / 社長コラム 社長コラム

2019.02.01

鴻池よしただ

私が尊敬してやまない鴻池よしただ先輩がご逝去されました。胸の中に大きな穴がぽっかりと空いたような気持ちです。鴻池先輩との出会いは私が尼崎青年会議所(JC)へ入会した時でした。最初は雲の上、そのまた上の憧れの存在でした。1980年に日本青年会議所会頭、その後衆議院議員~参議院議員へ。防災担当大臣、内閣官房副長官などを歴任し政界で活躍されました。
鴻池先輩が亡くなった数日後に開催された鎖の会(忘年会)で、鴻池先輩と50年の付き合いの竹瀬元紀先輩の締めの挨拶が感動的でした。「彼(鴻池)と私は50年の付き合いです。彼は28歳で尼崎JCに入会してきました。名前は鴻池、経歴は早稲田大学弁論部、それだけでも注目される存在でしたが、それ以上に彼のスピーチは素晴らしかった。私は本気で彼と友達になりたいと思いました。そんな感情に駆られたのは後にも先にも彼だけです。30歳過ぎた頃、彼の父親(勝治氏)が亡くなりました。彼は私だけを呼び『親父に会うてくれ』と言いました。葬儀後、彼は『会頭になる』と私に宣言しました。その夜、私たちは2人で兄弟の盃を交わし、私は彼を応援することを誓いました。私は彼に惚れました。惚れてしまったんです。私は彼を担ぐことを生涯の使命として、今日まで生きてきました。大阪JCを敵に回しての会頭選挙では多くの先輩方が反対され、圧力をかけられました。しかし、彼はブレなかった。微塵もブレなかったんです。だから、担ぐ我々もブレなかった。彼は念願の会頭となり尼崎JCを日本一へと導いてくれました。 JC卒業後、彼は自分の心の赴くまま政治家を志します。しかし、彼には何もありません。いや、彼にはJCしかなかったんです。一緒に会頭選挙を戦った尼崎JCメンバーを中心に、兵庫ブロックJCメンバーにもご支援していただきました。そして、勝ったり負けたりしながら、今の地位に落ち着きました。全国どこへ行っても鴻池を輩出した尼崎JC、誰もが一目置いてくれました。ありがたいことです。彼がいたから尼崎JCがあり、尼崎JCシニアクラブがあるんです。鴻池を亡くし私たちの尼崎JCは大きな柱を失いました。悲しい、本当に悲しい。しかし、彼が居なくなったとしても、彼が居た尼崎JCは未来永劫負けたらあかんのです。“尼崎は負けてはならん”そんな気持ちを忘れないで欲しいと思います」
鴻池先輩は常々尼崎JCシニアクラブは日本で3本の指に入る素晴らしいシニアクラブだと言われていました。「他のシニアクラブを見てみろ、派閥ができて2つに割れたり、参加者の少なさから解散したり、尼崎のように活発に活動しているシニアクラブは珍しい。尼崎には同好会がある。シニアメンバーが集い旅行へ行ったり、ゴルフや釣りをして、大いに楽しんどる。また、誇れるのは『現役あってこそのOB』『OBの一番の仕事は現役支援』という合言葉のもと資金援助や現役の拡大をシニアが手伝ったりと、他では聞いたことないわ。」と絶賛されていました。こんなに素晴らしいシニアクラブが出来上がったのは、やはり鴻池先輩という大きな柱を中心に歴代シニア会長が礼儀や規律を重んじ、しっかりした行動指針を示してきた賜物だと感じます。この良き伝統は簡単に築けるものではありません。逆に壊すのは簡単で、意識的に残すのだという気概がなければ簡単に壊れてしまいます。
「リーダーたるもの強さが必要です。しかし、強さを裏打ちする優しさも大切です。そしてこの、強さと優しさを裏打ちするものが正しさだと思います」「生きているということは誰かに借りを作るということ。生きてゆくということはその借りを返していくこと」「伝えたいこと 守りたいことがある」鴻池先輩の言葉にしびれ、胸に刻み、人生の行動指針となりました。周りがどう動こうが、自分の行く道は自分で決める。リーダーとして一番大切な条件「一人でもやる」という覚悟をいつも見せていただきました。最後まで「義理・人情・やせ我慢」を貫き通した、男として尊敬する生き様でした。ありがとうございました。心よりご冥福をお祈りいたします。

2019/02/01