Column 社長コラム
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2024.11.01
大谷翔平50-50
2022年1月号のコラムに「二刀流」という題で大谷翔平選手のことを書きました。内容は花巻東高校・野球部入部時に作成した「目標達成シート」の内容や日本プロ野球・日本ハム〜メジャーリーグ・エンジェルスへとステップアップしていく決断の考え方などだったと思います。あれから約3年が経ち、大谷選手はさらに進化しています。その活躍は目を見張るものがあるという表現では物足りないくらい、メジャーリーグにあまり興味が無かった私すらも夢中にさせ、日々更新される、ホームランや盗塁、打率や打点などに釘付けにさせられています。多分、多くの日本人がそのような状況になっていると思われます。私が大谷選手を追いかけるようになったのは、昨年のエンジェルスからドジャースへ移籍した頃からでした。エンジェルスでホームラン王獲得から始まり、右肘の手術、10年契約1050億円でドジャースへ移籍、突然の結婚、水原通訳の賭博事件、など様々なことが起こったにも関わらず、今の活躍があります。打っても、投げても、走っても、超一流なのに、立ち振る舞いも賞賛されています。
今期は右肘の手術を受けた影響で、代名詞の二刀流の中断を余儀なくされましたが、「走れる本塁打王」への進化を遂げたシーズンとなりました。活躍の始まりは大谷選手のオフの一言でした。「今年は投げられないので盗塁を増やしたい」と球団スタッフに強い意志を伝えました。キャンプで重点的に取り組んだのが加速の向上です。最新機器で負荷をかけながら、短い距離をダッシュする練習を反復。地面への力の伝え方が改善し、トップスピードに入るまでの初速を向上させました。右足を小さく引き、左足を踏み出してから塁間を11歩と大きなスライドで走って減速せずにベースに滑り込む。盗塁の成功率は92・7%(失敗は4つ)と高く、結果的に前人未到の50本塁打50盗塁を超えました。
満塁弾で劇的に到達した「40-40」。これ以上のシナリオなんてないと思っていましたが「50-50」の偉業は、大谷選手の手によってよりドラマチックに達成されました。偉業まで2本塁打、1盗塁で迎えた試合。1回、右中間直撃の2塁打で出塁し3盗塁を決め50盗塁に到達。2回、右前打で出塁し、2盗塁を成功させ51盗塁とした。ここからの打棒が我々の想像を超えていました。6回、特大の49号2ランを打ち49-51と王手をかけ、7回、歴史を刻む2ランを放ち50-51を達成。14対3と大差のついた9回、51号3ラン右翼席上段までかっ飛ばし、51-51達成。100年以上の歴史を持つメジャーリーグで初の金字塔に総立ちの大観衆からMVPコールが降り注ぎました。
試合後、大谷選手は「これだけ打てたことはたぶん、人生でもないので自分が一番びっくりしている」と語りました。3打席連続でマークした本塁打、6打数6安打、10打点は球団最多記録となり、シーズン120打点は2005年の松井秀樹を抜いて日本選手で歴代トップを記録しました。今後、誰もこの記録を破ることができないと思います。大谷翔平以外は!
2017年、大谷選手が日本ハムでプレーした最終年度の成績は、投手成績3勝2敗、打者成績は、打率・332、打点31、本塁打8、盗塁0、という成績でした。
周囲の大半の人たちは、もう少し実績を積みメジャーへ行ったほうがいいんじゃないかと意見しました。しかし、大谷選手は「まだ、上手くいってないこともたくさんある。だから行くことが大事なんです。成功するとか、失敗するとか僕には関係ないんです。それをやってみることのほうが大事なんです」と言い切ったそうです。自信の有無、活躍できるか否かを考えず、ただ挑戦してみたい、高みに自らの身を置きたいと考えていたようです。あれから7年が経ち、大谷選手の挑戦は身を結びメジャーでもNo.1の選手になりました。記録を達成するときも、想像以上の活躍で達成する。これには野球の神様が味方しているとしか思えません。きっと、日頃の野球に取り組む姿勢や周りにいる方々への感謝の気持ちが大事な時に予想を上回る原動力になるのだと思います。「運はプロセスにある」「運命は性格の中にある」という言葉がありますが、誰しもが応援したくなる人柄、性格には神様が宿るのかもしれませんね。
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2024.10.01
社長道場ver.2
前回のコラムでは、社長道場と称して社員と共に「ビジネスモデルの変革」に取り組んでいる様子を書きました。この改革にあたり、クリアしなければならない課題がいくつもあります。例えば「エリア責任者の育成」「理念の再構築や共有」など。これらの課題をクリアすることで「牛乳を届ける会社から、お困りごとを解決できる会社になる」「お客様に必要とされる会社になる」「お客様の未来の幸せに貢献できる会社になる」へと変化し、「ビジネスモデルの変革」を最終目的とした大きな流れができます。
日本の広域に広がる弊社店舗を全て変えるためには「トップダウンからボトムアップ」「理念の再構築&共有」が必要となってきます。
「理念の再構築&共有」が必要なのは、エリア責任者(各地域ごとの店舗を統括する管理職)や店舗社員の共通基準を作るためです。
それぞれの店舗ごとに問題点や課題も違います。全てを社長である私だけで判断できないことは明白です。デミック一丸となり、「お客様に必要とされる会社になる」を理念とし、そのためにどう考えて、どう動くのか?何をすれば良いのか?を自分たちで考える力をつけられるように、エリア責任者である管理職を社長道場にて育成しています。
そして、管理職も店舗社員も配達スタッフも、皆、共通した理念の元、「正しい、正しくない」の判断をできるようになれれば理想だと考えています。
続いて「トップダウンからボトムアップ」が必要な理由です。結論から言うと、社員に失敗する機会を与えて成長を促すためです。発言者不明の名言に次のようなものがあります。
「努力して結果が出ると自信になる。努力せず結果が出ないと後悔が残る。努力して結果が出ないとしても経験が残る。努力して、その日を迎えたのなら、何も残らないことはない」企業の成長とは、社員の成長。それは失敗の積み重ねでもあります。
大企業が前年比110%とか120%に対し、ベンチャー企業では2~3倍成長が当たり前です。それは一体なぜでしょうか。一つは年商規模が小さいために、前年を超えやすいということ。もう一つは社員一人ひとりが誰よりもがむしゃらになって仕事に取り組んでいるということ。もちろん経済動向や競合他社などの、外部環境による影響はありますが、基本的には社員の成長がダイレクトに企業の成長に繋がっているからだと思います。そして、企業の成長を決めるのは経営者である私自身の器や資質だと思います。私自身が成長し器を広げることができなければ、器以上の会社になることはありません。つまり、経営者として、社員をいかに成長させるかという力が試されているように思います。
ベンチャーにありがちなワンマン経営、経営者自身が最前線に立ち、あれもこれもやってしまう。姑のように全てに口出しをしてしまう。規模が小さいうちはそれで良いかもしれませんが、30人、50人、100人と社員が増えて行った場合、自分一人で管理するには限界がきて、通用しなります。さらに、社長がいないと何もできない組織になるでしょう。そこで任せることが重要になってきます。初めは失敗も多く社長がやった方がよい場面が幾度もあると思いますが、経営者は忍耐力を持って任せる。目先の収益を追わない。
任せないということは、社員の成長と会社の未来を奪うことになります。社員自身も自ら責任を持って、誰よりも失敗を経験することが必要です。
「任せて任せず」という言葉をパナソニック創業者・松下幸之助氏が残していますが、本当に深い意味が込められていると、実感できるようになりました。これからも社員みんなの成長を目指し、仕事を任せていきたいと思います。これまで以上に全身全霊をかけて社員育成に打ち込んでいきます。
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2024.09.01
社長道場ver.1
社長道場と称して主要社員の育成を始めて約1年が経ちました。社長道場を始めたのはコロナの感染拡大に起因した業績悪化とビジネスモデルを変革するためでした。コロナは「人と会えない」「人が動けない」という2つの制限がありました。「人と会えない」ことで販促活動が一切できず、大きな売上減少となりました。「人が動けない」ことで日本各地の弊社店鋪と本部(兵庫県)の人間関係が希薄になり意思疎通が難しくなり、指示系統に不備が出ていました。コロナ以上に深刻だったのは牛乳宅配事業が他のビジネスモデル(Amazon、オイシックス、コープ、ヨシケイ、ワタミなど)に徐々に負けつつある状況だったことです。コロナ禍、他のビジネスモデルが大きく売上を伸ばしていく中、牛乳宅配のビジネスモデルは、それ程、売上を伸ばせず、ビジネスモデルの変革やDX化(デジタル技術を用いた企業風土の改革)が必須課題だと感じました。
そのために、まず、私は自社の店鋪訪問をして現状を知ることから始めました。1店舗ずつ全ての店舗に訪問して、各店舗にいる社員や業務委託、アルバイトと面談しました。面談内容は「なぜデミックで配達してくれているのか?」「何のために働いているのか?」など、それぞれ働く方々の背景を確認するためでした。すると、声の大きな人が牛耳っている店舗、高齢化している店舗、頑固な店長がいる店舗、コロナ禍でも頑張っていた店舗、いろいろな店舗がありました。店舗訪問で感じたのは、改革を進めていくには、相当な時間を要すること、その店で働くスタッフと共に進めないと容易ではないこと、などを強く感じました。関西、四国、関東、九州と広域に広がった27店舗を同時進行で改革するには、私だけの力では難しく、エリア管理者と目標を共有し、目標達成を一緒に目指すための理念の再構築が必要でした。それが社長道場の目的でした。
世は「働き方改革」「多様性の時代」と時代は大きく変わりつつあります。多くの企業では、長時間働きたくても働けない時代。また、多様性を過度に尊重する時代です。ただ、デミックでは、今の時代に逆行し、「ビジネスモデル変革」「理念共有」を私自身が長時間に渡った講義方式にて開催しています。負けつつある牛乳宅配ビジネスモデルを、どう変革すれば良いのか。新たなビジネスモデルへの組織変換には「トップダウンからボトムアップへ」も大きなテーマとなりました。それを解決するためには理念の共有が必要でした。「新規のお客様の獲得より既存のお客様の満足」「良い商品の開発」「サービスの開発」など経営課題はたくさんあります。私が掲げた共有理念は「お客様のお困りごとを解決できる会社になろう そして、お客様に必要とされる会社になろう」でした。月に一度はお客様宅へ訪問して、「何かお困りごとはありますか、何でも言ってください」「必ず解決します」と、お客様のコンシェルジュになるべく努力を始めました。
新たなビジネスモデルへのスタートはエアコン洗浄や取り替え、草刈りや木の剪定、外壁塗装などの便利屋作業でした。今後は高齢者の部屋の浴室清掃、見守りや買い物代行、介護タクシーなどの介護作業も企画中です。まだまだ、構想段階ですが、「気付き 気遣い 築きの元」を軸とした新たなお客様へのサービスを考えています。広域に広がっているため全ての店舗でできているかというとまだまだですが、着実に進めていきますので、よろしくお願いします。
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2024.08.01
現役65周年挨拶
先日、尼崎青年会議所創立65周年記念に際して現役メンバー並びに来賓に向けての挨拶をさせていただきました。今回のコラムは、その時の挨拶の内容をご紹介します。
現役の諸君、創立65周年おめでとう!
私が尼崎青年会議所に入会した時は30周年の時でした。あれから早35年!当時は人格も品格も経済人としても未熟な男でした。それが、まさか、このような周年の晴れ舞台で挨拶ができる男になれるとは夢にも思いませんでした。尼崎青年会議所へ入会して良かった、仲間と共に成長できて良かった、と心から尼崎青年会議所との出会いに感謝をしているところであります。
30周年で入会して12年もの間、尼崎青年会議所に没頭しました。理事長を経験させていただき卒業。そして、5年前からシニアクラブの会長を務めています。5年前の60周年でもこの場で挨拶をしました。その時に話した内容は2つ「尼崎の誇れるものは人」「鴻池祥肇先輩会頭取り」の話をしました。実はこの2つの話には、「規律と礼儀を重んじ、先輩を敬う」「気付き、気遣いを大切にする」という尼崎の伝統とも言うべき精神が深く関わっています。この伝統が人を育て、会頭職を手繰り寄せました。
当時、井奥会頭の元、鴻池は副会頭として日本JCに出向していました。直前会頭は麻生太郎副総裁でした。井奥会頭、鴻池副会頭は麻生直前会頭に「次の会頭は大阪に決まっているから、会頭への爪を伸ばさぬように」と釘を刺されていました。そんな状況からどうやって会頭になれたのかは、5年前、挨拶の中で詳しいことは鴻池と共に会頭取りに動いたレジェンド、竹瀬元紀に聞いてくださいと言いましたが、その竹瀬元紀も周年の半年後、亡くなりました。ここで最後のレジェンドである森本清に聞いてくださいと言って、森本清まで失くしたら困るので私が話します。
当時の日本JCは、かなりの頻度で東京JC会館にて会議を行っていました。会議が終わると井奥会頭は飲みに行くわけにもいかず、一人でホテルの部屋で過ごされていることが多かったようです。そこへ竹瀬元紀が連絡をします。
「尼崎の竹瀬元紀です。鴻池から申しつかりました。飲み物やタバコなどは足りてますか?」
これを会議の度にやったようです。時にタバコを買って行き談笑する、時にビールを買って行き一緒に飲む、それを繰り返しているうちに、井奥会頭は尼崎青年会議所を好きになっていきました。井奥会頭はある日突然、麻生太郎の言いつけを守らず、鴻池を会頭に指名します。まさに、「規律や礼儀を重んじ、先輩を敬う」「気付き、気遣いを大切にする」という伝統の精神が会頭の心を動かします。尼崎は鴻池、竹瀬のおかげで会頭取りを達成して高みへと導かれました。ありがたいことです。
日本はバブル崩壊後、失われた35年という時代を過ごしました。その間、本屋はことごとくアマゾンに潰されました。タクシーはやがてUberに変わっていくでしょう。ひょっとしたら、自動運転となりAIやロボットが人間の代わりに働くようになるかもしれません。職業は「永遠に続く時代から寿命のある時代へ」変化しました。今後、益々変化の波は大きくなっていくでしょう。変化は、時代の流れの中で「変わるモノ」と「変わらないモノ」があります。今、大事なことは、未来永劫「変えてはならないモノ」を選択しておくことではないでしようか。この65周年を機に「規律と礼儀を重んじ、先輩を敬う」「気付き、気遣いを大切にする」この最も大切な伝統を現役に申し伝える、良き機会にしたいと考えています。
最後に、皆様にお願いがあります。現役はこれから数年、勢いがあり楽しみな人材が数多くいるようです。歴代の息子たちもいます。しかし、まだまだ若いので至らないところも多々あるように思います。厳しい叱咤激励、またご指導、ご鞭撻をお願いして、挨拶と返させていただきます。ありがとうございました。
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2024.07.01
異業種交流会〈3〉
異業種交流会2では、私が尼崎青年会議所主催の異業種交流会(JC)に参加した経験から『人を動かす力』について筆を執らせていただきました。今回は「動く練習・出ていく練習」について書きたいと思います。
「動く練習・出ていく練習」とは言葉の通り、様々な場に赴き、人と会うことです。
「フットワークが軽い」という言葉がありますが、フットワークの軽さは中々鍛えることができない潜在能力(ポテンシャル)だと思います。しかし、JCに没頭し、毎日のようにJCで会議や事業に出掛けているうちに、自然と動く練習、出ていく練習ができました。
もし仕事を増やしたい方がいた場合、私は「動く練習・出ていく練習」をお勧めします。
例えば、ある日プロアスリートの所属するマネージメント会社の社長からこんな相談がありました。
「仕事が減っています。どうしたら増えますか?」
こういうときに私は「日々の生活習慣」を質問します。
ちなみに、そのときにわかった生活習慣は次のようなものでした。
【マネージメント会社の社長の生活習慣】
同じ時間に起床→会社へ出勤→仕事→同じ時間に帰宅→自宅で家族と共に食事
これを毎日、繰り返していることでした。私は「週末ぐらい、家から出て行き、誰かと食事したり、話をしたりする必要があると思いますよ」とアドバイスしました。家族と過ごすことが悪いのではなく、週末も家で過ごしているようでは仕事が増えるわけが有りませんからね。
JCをやっていると多くの出会いがあります。どんな人と出会うか。出会いは、その後の人生を大きく変えていきます。まさに「出会いは人生を変える」という言葉通り、人生の問題を解決してくれたり、人生に喜びを与えてくれたり、人生に彩りを与えてくれます。今までの経験から出会いの法則を言いますと、ステージが大きく違う場合は、出会ってもお付き合いには至りません。逆に近いステージの人とは付き合いが始まっていきます。私は「リトルフレンズはビッグフレンズの友達 リトルチャンスはビッグチャンスの友達 リトルドリームはビッグドリームの友達」だと考えています。リトルをたくさん集めるとビッグにたどり着きます。まさに、出会いは人生を変えます。
最後に私にとってJCでの1番大きな学びは、「ギブの精神」を知ったことです。
私たちは子供の頃からテイクしか学びません。取ることばかりです。勉強して、良い学校へ入って、良いところへ就職して、良い給料をたくさんもらい、良い年金をもらう。私も最近わかったことですが、企業経営で成功するにはテイクが必要ですが、大成功するにはギブが必要だと思います。取るのではなく与える。世の中の人に必要とされる。世の中のタメになることをする。その企業の存在が地域貢献、社会貢献に繋がっていると自ずと大きな企業になれるように思います。日本は宗教心があまりないので、わからないと思いますが、欧米では物心ついた頃から毎週日曜日は教会に通い、ギブを勉強する機会があります。成功に最も必要なギブを学べるのがJCです。
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2024.06.01
異業種交流会<2>
異業種交流会<1>では、私が尼崎青年会議所主催の異業種交流会(JC)に参加した経験から『JCとは(人生の)ステージ』を上げる訓練ができるところ。この言葉で終わりました。今回は具体的に何が訓練できるのかを書きたいと思います。
まず私が1番大きいと思える訓練は「人を動かす力」です。事業が大きくなるかどうかは、この「人を動かす力」が大きく左右します。JCには委員会があり、その年の理事長の作成した事業計画をもとに委員会が構成されていて、与えられた課題を実行していきます。その委員会運営で人の動かし方を学べます。
【参考までに委員会の課題例です!】
・青少年について
・会員拡大について
・総務についてetc…
「人を動かす力」とは主に「人を動かす力」と「人が動きたくなる魅力」この2つがあります。
「人を動かす力」とは、準備する力、役割を決める力、課題を与える力、ビジョンを考える力と伝える力など、主に相手の力量や将来性を見抜き活躍の場を与えることに該当します。
「人が動きたくなる魅力」とは、気遣いする力、楽しい雰囲気を作る力、コミュニケーションを取り関係性を深める力、正しさをはかる力、など相手を思いやり安心を感じられる場を与えることに該当します。
年齢の上の人・下の人、男性・女性、会社規模が大きい人・小さい人、など色々な人がいる委員会を委員長として、チームをまとめて、引っ張り、課題を実行していくことが「人を動かす力」大きな訓練になります。
私が委員会で体験した「人を動かす力」の良い例を一つご紹介します。
ある年度の始まりに、委員長が会社へ挨拶に来てくれました。「君の力が必要だ。委員会を明るく盛りあげてほしい」このように言われて、その気になりました。委員会へ出かけて行くと、机の上にお茶と資料が用意してありました。聞くと30分以上も前に委員長は来ていて、準備をしたとのこと。会議では、その人に応じた役割分担が決まり、やるべき課題が与えられました。会議終了後、委員会メンバーみんなで食事を一緒にして、2次会はカラオケで盛り上がりました。その時間がすごく楽しかったことを覚えています。また、私が委員会を用事で欠席すると、翌日には会議の議事録がFAXされました。このように先輩方の「人を動かす力」を受けて、その年度は率先して動くことになりました。
続きはまた次回。
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2024.05.01
異業種交流会<1>
先日、後輩からの依頼で尼崎青年会議所主催の異業種交流会に参加して、挨拶をさせていただきました。挨拶なのに「異業種交流(JC)とビジネス」というお題がありました。漠然としたお題に驚きましたが、参加者の中から何人かが尼崎青年会議所へ入会してもらえることを願いながら話をしました。『JCへ入会したくない理由があるとしたら、私が思い浮かぶのは「時間」「お金」「人」この3つだと思います。
「時間」とは「時間が無いから」という理由。私はそういう方こそ入会した方が良いと思います。「忙しい」と言っている人で本当に忙しい人に、私は会ったことがありません。仕事は忙しい人に集まるものであり、仕事のできる人は短い時間でも人より多くの仕事をこなします。つまり時間は作るもので、忙しい人こそ時間の作り方が上手だと思います。「すぐにできること」「考えたらできること」「誰かにお願いしないとできないこと」などの優先順位を決めて、できることからやっていくスケジュール管理ができているように思います。
「お金」とは「お金がかかるから」という理由。ビジネスにおいてリスクはつきもの。リスク無くして成功はあり得ないと思います。そして1番のリスクはお金です。お金に慣れる、お金を使うなど、私は尼崎青年会議所でお金の使い方を学びました。これは自論なので、全ての人に当てはまるとは思いませんが、お金はどれだけ貯めるかよりも、どれだけ使うかの方が大事だと思います。使えるだけ使う、使える人には、使った分の仕事が入ってくると思います。あくまで経験値なので真似しないでくださいね。
「人」とは「人との付き合いが煩わしいから」という理由。それこそ、人との付き合いは時間もお金もかかります。ただ、たった一度の出会いで運命が変わる場合もありますし、人生の彩りは、その人の周りにどんな人がいるかで決まるように思います。時間、お金を使い、人と全力で付き合っていくと仕事がガンガンきて、成功に導かれるように思います。
私自身、大きな成功をしているとは思っていませんが、「じゃあ、成功の仕方を教えてください」と言われそうですね。とはいえ、皆さんの会社の状況をあれこれ聞いて、「あーしろ、こーしろ」と手法だけ教えても真似できないことが多いと思います。なぜならば企業も国も人も生きていく過程でステージと使命のようなものがあると考えているからです。私と異なるステージにいる人では、できることが違います。
ステージとは何か?私の人生で振り返ってみましょう。私が尼崎青年会議所に入会したのは28歳でした。当時の月商は60万円程度、今をあの頃の売上と比べたら500倍近くになりました。業種も牛乳販売店だけではなく、いろいろなことを手掛けています。当たり前ですが、私のステージはあの頃と比べたら比較にならない程、大きく跳ね上がっています。ステージは出会いや経験により少しずつ上がっていきます。特に、苦難を経験し、それを乗り越えた時には、大きく跳ね上がります。ステージが上にいる人から下の人を見ると、下のことが手に取るように分かりますが、下から上を見あげても理解できないことが多いようです。例えば、高校球児(上)と小学生の野球少年(下)。高校球児から小学生の野球少年を見ると、どこに才能があり、どこが悪いのかが手に取るように分かりますが、逆に小学生の野球少年が高校球児のプレーを見ても、何がよくて何が悪いのかは理解できないように思います。
何となくですが、ステージというものを理解してもらえたでしょうか。これまで生きてきた経験から、ステージを上げる生き方、上がらない生き方があるのも気がつきました。青年会議所はステージを上げる訓練ができるところです。
この続きは次回に書かせていただきます。
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2024.04.01
若手経営者
2022年の終わり辺りから、物の値段がドンドン上昇しています。30年間続いたデフレは終焉し、新たにインフレの時代が到来しました。デフレの始まりを振り返るとソ連邦が解体され、ベルリンの壁が壊され、東西のドイツが統一され、冷戦が終わったことをきっかけに、グローバル化が始まりました。それに伴い、世界中の工場は中国へ移り、中国の安い人件費とロシアの安い燃料で商品が作られるようになり、人件費のせどりが始まりました。中国に移った工場のおかげで、ものづくり立国だった日本は、30年もの間デフレに苦しみ、失われた30年を迎えました。2022年ロシアのウクライナ侵攻を機にロシア、中国とのグローバル化の蓋が閉ざされたように感じます。少しずつ、中国へ移った工場は平和で人件費の安い(円安の影響)日本へと戻りつつあります。多分、デフレ時代の企業経営と新たに始まったインフレ時代の企業経営は全く違う手法となり、過去の経営が意味をなさない、新たな時代の幕開けとなりました。
私と付き合いがある若手経営者は、大半が東南アジア在住となりました。なぜ海外に住むのかを聞くと「日本は税金が高く、金利が安い国だから」など、東南アジアの国々と日本の違いを理由に挙げていました。一例をあげると、ベトナムやカンボジアは銀行金利が5%以上。コロナ前に定期預金に入れていたお金が為替も相まって1.5倍近くになったそうです。1,000万円預けていたら、1,500万円です。「そのお金で遊んでいます」とのこと。
でも、1番大きな理由はアジアの国々は大きく成長していて、日本の30年、40年前の状況と似ているので、投資するにも予測しやすいからだそうです。
若手経営者との食事会では有益な情報を得られました。少しご紹介します。昔、私は彼らからビットコインが7万円の時に買うように勧められました。私は、「そんなコインが上がるわけない。汗水垂らして働け」と叱ったようです。そして、そのビットコインは今、600万円を超えています。あの時に買っていたら…トホホ!
彼らの特徴は、あまり働いているように見えないのですが、フットワークが軽く、日本国内はもとより海外でも簡単に動きます。彼らを見ていると、フットワークとは、努力しても急に高められるものではない、その人の持つポテンシャルのように感じます。
身軽に動けるから大きな組織を作らなくても、政治、税金、金利、仮想通貨、不動産、などで人脈を築き、利益に繋がる情報が集められます。フットワークの軽さ、つまり行動力は人に情報をもたらし、持つ者と、持たざる者の仕事の出来栄えに差を生じさせるということです。
フットワークを軽くして動きつつ、仕事だけに染まるのではなく、食べる、遊ぶ、楽しむ、といった「リフレッシュ」も気軽に楽しむ。フットワークの軽さは日々の仕事により良い結果をもたらし、プライベートも充実させる好循環を生み出します。
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2024.03.01
Bangkok-バンコク-
2024年1月、タイ・バンコクへ行ってきました。目的は2つ。1つ目はバンコク在住の経営者との面談です。友人である若手経営者とバンコク在住の経営者とゴルフや食事をして交流を深めました。2つ目は私がリフレッシュするためです。普段、バンコクへ行く時は、家族、友人、社員など、一緒に行く人に喜んでもらうことが目的ですが、今回は、若手経営者数人と現地で合流した以外は1人で過ごしました。
というのも、昨年、多忙な一年を過ごした影響で12月に体調を崩し静養することになったからです。その間、ベッドで「自分の人生これでいいのか」と自問自答していると、これからの人生は「こう生きたい」という指針のようなものが芽生えました。
大きく3つあります。
■1つ目「幸せの根幹は健康である」
今までの私は、あまり身体を気遣わずに生きてきました。健康な時は平気でしたが、病気になると「身体は労わってあげないダメだ」と思うようになり、朝、1時間弱のウォーキングを行っています。その結果、身体の調子がすこぶる良くなっています。身体って正直ですね。
■2つ目「頑張らない」
私(経営者)は日常の仕事や与えられた役割を、ついつい無意識に頑張ってしまいます。今までなら、現状の仕事に加えて、優先順位の高い仕事が入ってきた場合、どちらも睡眠時間を削って頑張っていました。しかし、「頑張らない」「無理しない」と決めてからは、期限までに難しいと感じたら、「ごめんなさい」と、あっさり謝り、許してもらうようにしました。
■3つ目「楽しいこと、やりたいことだけをやって生きる」
難しそうなテーマですが、必要だったのは、周りの人に自分の生き方をわかってもらう「努力」これだけでした!月に数度リフレッシュすると決めて、海外で1人の時間を過ごす。私の仕事は大半が人と会って話すことに費やされるため、自分1人で過ごす時間はこの上なく幸せです。私にしかできない仕事以外は誰かにやってもらいます。
考えてみると、私にしかできない仕事は「考えること」「動くこと」。具体的には「未来ビジョンを考える」「ビジネスモデルを考える」「事業計画をたてる」「組織を改革する」「有益な情報を収集する」です。
1人の時間に、これらを整理整頓できます。でも、なるべく考えないようにしています。リフレッシュにならないから(笑)。
今回のバンコクでは「のんびり」をテーマに1人の時間を過ごしました。寝たいだけ寝る。プールでジュースを飲みながらボーっとする。サウナで汗をかく。食べたい昼ごはんを考えて、飲食店までの移動手段を決める(行きはタクシー、帰りは地下鉄)。ホテルのボーイにカタコトの英語で行き先を伝えて、タクシードライバーと金額の交渉までしてもらい出発。店ではタイ語しか伝わらないのでメニューを指差しながらオーダーする。ゆっくり食事をする(クセの強いスープだった)。帰りは地下鉄に乗るためにGoogleマップで最寄駅を探し、路線を確認。切符の買い方がわからなかったがGoogleを利用して切符を購入できた。最寄駅に帰ってきたら、すこし寄り道。途中で買ったジュースを片手にぶらぶら。目の前にあった足マッサージ屋さんに立ち寄り、ホテルへ帰って昼寝。どうですか、みなさん、いいでしょう!
考える、動く、話す、食べる、遊ぶ、楽しむ。毎日、楽しく遊んで、情報を得て稼ぐ…。
「やりたいこと、楽しいことしかやらない」は、意外と正解かもしれません。いや、絶対に正解だと思います。
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2024.02.01
天下人
織田信長「鳴かぬなら 殺してしまえホトトギス」
豊臣秀吉「鳴かぬなら 鳴かせてみせようホトトギス」
徳川家康「鳴かぬなら 鳴くまで待とうホトトギス」
こちらは有名な天下人3人のことを詠んだ句だと言われています。よくそれぞれの性格を言い表しているように思います。信長は過去の権威や慣習を潰し、新たな道筋をつくりました。その過程で多くの反抗があり、多くの犠牲を強いられました。秀吉は信長家臣団の重鎮でした。その秀吉が謀反人・明智光秀を倒し、内部抗争を勝ち抜き、終盤はほぼ戦争をすることなく、相手を懐柔し、天下統一へと導きました。豊臣政権の5大老の筆頭だった家康は秀吉の死後、時間をかけて豊臣派を潰し、徳川派を増やし、中から豊臣政権を食い潰し、徳川幕府を樹立した後に豊臣家を滅ぼします。
-天下人年表-
■織田信長
1534年 信長誕生
1551年18歳家督を継ぐ・大うつけ
1559年尾張一国統一・信友、信行打ち取る(ここまで相当な苦労があった・26歳)
1560年桶狭間の戦い(27歳)
1568年足利義昭奉じ、上洛(35歳)
1582年本能寺の変(49歳)
■豊臣秀吉
1537年秀吉誕生
1554年織田信長に士官(17歳)
1582年備中高松城の戦い(46歳)
1582年本能寺の変(46歳)
1583年賤ヶ岳の戦い、柴田勝家を滅ぼす(47歳)
1585年関白宣下(49歳)
1598年伏見城にて死去(62歳)
■徳川家康
1542年家康誕生
1560年桶狭間の戦い(18歳)
1562年信長と同盟(20歳)
1582年本能寺の変(40歳)
1586年秀吉と臣従関係(44歳)
1598年秀吉死去(56歳)
1600年関ヶ原の戦い(58歳)
1603年征夷大将軍(61歳)
1616年家康死去(75歳)
年表はいくつかの参考資料をもとに作成しましたが、資料により少し誤差がありますのでご容赦ください。
信長と秀吉の年齢差は3歳、秀吉と家康の年齢差は6歳です。生涯年表を紐解くと、この3人の人生がうまく絡み合っているのがわかります。まず、桶狭間の戦いで信長の人生賭けての大博打で今川義元を破ります。それにより、家康は人質生活から逃れることになります。その後、信長は本能寺の変で死去しますが、信長の後継者争いを経て3年後秀吉が関白となり実質天下を手中にします。家康は本能寺の変の後、今川、武田の領地を手に入れ、秀吉に次ぐ大大名となります。秀吉の死後、2年後関ヶ原の戦いにて石田三成を破り、5年後征夷大将軍となり徳川幕府を開きます。最終的に天下は家康に落ち着きますが、秀吉よりも家康の年齢差が6歳なのに、秀吉が亡くなった後19年も長生きします。
長寿は何物にも変え難い強い運を運んでくれる様に思います。また、特筆すべき点は信長の死後3年で関白になった秀吉。秀吉の死後2年で関ヶ原を勝利し天下を手中に収め、5年で征夷大将軍となり、徳川幕府を樹立した家康。学びとしては、天下人の死が大きく運命を変えるポイントとなっている事。そのポイントでなりふり構わず動き、天下を手中に収めたという点ではないでしょうか?人生の勝負所がいつなのか、見極めたいですね。