Column 社長コラム
シニアクラブ総会挨拶
昨年12月の尼崎青年会議所現役・卒業例会での会長挨拶で、やたら緊張し真っ白になってしまい挨拶が一言も出てこない場面がありました。多くの後輩たちの前で、情けない姿を見せてしまい反省しきりです。あの後、医者に症状の相談をしたら「パニック障害の症状に似ていますね」との返答でした。「どんな時にでる症状ですか」と尋ねると、「生活習慣が大きく変化したり、大きな緊張やプレッシャーを感じた時に発症します」とのことでした。しかし、あの後、何度か他の団体で挨拶をする機会がありましたが、全く緊張感もせずスピーチがスラスラと出てきました。わかったことは、このシニアクラブの会長という役職は別格だということ。そして。この会長挨拶でしか、この症状はでないということです。この尼崎青年会議所シニアクラブ会長という役職は本当に重たいと身にしみて感じます。思えば歴代会長はこんな重責に耐えながら、素晴らしい挨拶をしていたのだと思うと、改めて頭の下がる思いです。故・竹瀬元紀歴代会長に言われた「挨拶は三ヶ月前からその日のために考えておけ。来るべき挨拶の日まで片時も忘れてはならん。挨拶は準備に尽きる」この言葉が胸に蘇りました。講演活動を生業にしているプロのセミナー家にスピーチの極意を尋ねると、「5分ぐらいのショートスピーチは原稿を作成して丸覚えします」とのこと。丸覚えの方法は20回原稿を見ながら声を出して読む、その後、10回原稿を見ずに声を出して話してみる、とのことです。今回は30回やってきましたよ(笑)還暦を迎えようとしている私が、まだこのような試練を与えていただいていることに、心から感謝したいと思います。そして、どんな場所でも、どんな状況でも、しっかりと挨拶ができ、皆さんから誇りに思っていただけるような会長になれるように精進したいと思います。
さて、コロナになり1年以上が過ぎようとしています。この1年間、いろんなことを考えました。この先、右へ行けばいいのか、左へ行けばいいのか?コロナは人生の大きな分岐点のような気がします。皆さんに質問したいのですが、大勢の人が右へ行こうとしています。皆さんは右、左、どちらの道を進みますか?右へ行く人が多いなら自分も右へ行くと言う人、もしくは、多くの人が右へ行くなら、自分はあえて左へ行くと言う人。それぞれの意見があると思います。残念ながらこの2つの答えは同じです。進む方向は違えど、選択の基準が自分以外の人で決めているからです。この答え以外に、もう一つ答えがあります。それは、自分以外の人が、どちらの道を選ぼうが、その方向へ行く人が大勢いたとしても、自分の基準で選ぶという答えです。自分の基準で選ぶことができる人は「自分の中に確固たる軸」があります。自分の中にある確固たる軸、それを「在り方」と言います。コロナ禍である今は混迷の時代だと言えますが、一寸先を読むことが難しい荒波の中で周りの人がどう進むかを頼りに人生を決めるのは危険だと思います。こんな時、何よりも頼りにしなければならないのは、自分の意思であり、自分自身の基準、つまり「在り方」だと思います。人は2種類に分類されます。「自分の人生に誇りを持って生きている人」もう一つは「自分の人生を満足できずに生きている人」です。この違いは自分の「在り方」を持っているか、いないかだと思います。「在り方」には色々な定義があります。「心の姿勢」「自分のルール」「自分との約束」「自分のスタンス」など。全ての定義に当てはまるのは、ここで曲げたら自分を嫌いになるということです。混同されがちですが、「生き方」と「在り方」は違います。「生き方」は人生の選択、「在り方」は選択の基準。とは言っても私自身、何となくの「在り方」はありますが、確固たるものまでは至っていません。だからよく迷いますし、確固たる「在り方」を身に付けたいと考えています。そして、そのために最も必要なものは「答え」ではなく、「問い」ではないかと思います。「在り方」は歩んできた人生によって、これから歩んでいく人生によって、違うように思います。「どんな自分になりたいのか」「どんな生き方をしたいのか」答えは全て自分の中にあります。コロナの混迷の時代だからこそ、揺るがない「在り方」が必要だと思います。
皆さんも自分自身に「どんな自分になりたいのか」「どんな生き方をしたいのか」問うてみることをお勧めします。きっと、揺るがない「在り方」を導きだせると思います。私がコロナ禍で一番、自問自答したのは「尼崎シニアクラブはどうあるべきか」「会長として自分はどうあるべきか」でした。
2021/03/01