Column / 社長コラム 社長コラム

2024.11.01

大谷翔平50-50

 2022年1月号のコラムに「二刀流」という題で大谷翔平選手のことを書きました。内容は花巻東高校・野球部入部時に作成した「目標達成シート」の内容や日本プロ野球・日本ハム〜メジャーリーグ・エンジェルスへとステップアップしていく決断の考え方などだったと思います。あれから約3年が経ち、大谷選手はさらに進化しています。その活躍は目を見張るものがあるという表現では物足りないくらい、メジャーリーグにあまり興味が無かった私すらも夢中にさせ、日々更新される、ホームランや盗塁、打率や打点などに釘付けにさせられています。多分、多くの日本人がそのような状況になっていると思われます。私が大谷選手を追いかけるようになったのは、昨年のエンジェルスからドジャースへ移籍した頃からでした。エンジェルスでホームラン王獲得から始まり、右肘の手術、10年契約1050億円でドジャースへ移籍、突然の結婚、水原通訳の賭博事件、など様々なことが起こったにも関わらず、今の活躍があります。打っても、投げても、走っても、超一流なのに、立ち振る舞いも賞賛されています。
 今期は右肘の手術を受けた影響で、代名詞の二刀流の中断を余儀なくされましたが、「走れる本塁打王」への進化を遂げたシーズンとなりました。活躍の始まりは大谷選手のオフの一言でした。「今年は投げられないので盗塁を増やしたい」と球団スタッフに強い意志を伝えました。キャンプで重点的に取り組んだのが加速の向上です。最新機器で負荷をかけながら、短い距離をダッシュする練習を反復。地面への力の伝え方が改善し、トップスピードに入るまでの初速を向上させました。右足を小さく引き、左足を踏み出してから塁間を11歩と大きなスライドで走って減速せずにベースに滑り込む。盗塁の成功率は92・7%(失敗は4つ)と高く、結果的に前人未到の50本塁打50盗塁を超えました。
 満塁弾で劇的に到達した「40-40」。これ以上のシナリオなんてないと思っていましたが「50-50」の偉業は、大谷選手の手によってよりドラマチックに達成されました。偉業まで2本塁打、1盗塁で迎えた試合。1回、右中間直撃の2塁打で出塁し3盗塁を決め50盗塁に到達。2回、右前打で出塁し、2盗塁を成功させ51盗塁とした。ここからの打棒が我々の想像を超えていました。6回、特大の49号2ランを打ち49-51と王手をかけ、7回、歴史を刻む2ランを放ち50-51を達成。14対3と大差のついた9回、51号3ラン右翼席上段までかっ飛ばし、51-51達成。100年以上の歴史を持つメジャーリーグで初の金字塔に総立ちの大観衆からMVPコールが降り注ぎました。
 試合後、大谷選手は「これだけ打てたことはたぶん、人生でもないので自分が一番びっくりしている」と語りました。3打席連続でマークした本塁打、6打数6安打、10打点は球団最多記録となり、シーズン120打点は2005年の松井秀樹を抜いて日本選手で歴代トップを記録しました。今後、誰もこの記録を破ることができないと思います。大谷翔平以外は!
 2017年、大谷選手が日本ハムでプレーした最終年度の成績は、投手成績3勝2敗、打者成績は、打率・332、打点31、本塁打8、盗塁0、という成績でした。
周囲の大半の人たちは、もう少し実績を積みメジャーへ行ったほうがいいんじゃないかと意見しました。しかし、大谷選手は「まだ、上手くいってないこともたくさんある。だから行くことが大事なんです。成功するとか、失敗するとか僕には関係ないんです。それをやってみることのほうが大事なんです」と言い切ったそうです。自信の有無、活躍できるか否かを考えず、ただ挑戦してみたい、高みに自らの身を置きたいと考えていたようです。あれから7年が経ち、大谷選手の挑戦は身を結びメジャーでもNo.1の選手になりました。記録を達成するときも、想像以上の活躍で達成する。これには野球の神様が味方しているとしか思えません。きっと、日頃の野球に取り組む姿勢や周りにいる方々への感謝の気持ちが大事な時に予想を上回る原動力になるのだと思います。「運はプロセスにある」「運命は性格の中にある」という言葉がありますが、誰しもが応援したくなる人柄、性格には神様が宿るのかもしれませんね。