Column 社長コラム
年男
今月は尼崎北ロータリークラブ年男スピーチで話した内容をコラムに書かせていただきます。
「新年明けましておめでとうございます。腰は低いが、頭(ず)が高い、増富でございます(笑)。本年もよろしく御願いいたします。年男スピーチということで、過去を振り返ってみました。2002年、名誉ある尼北ロータリークラブに入会させていただきました。今年で19年目となります。当時の私は、2001年度、尼崎青年会議所の理事長を務め卒業、2002年度は直前理事長という立場で青年会議所に関わっていました。青年会議所活動中に様々な場面で自分自身の力の無さを痛感することが多く、ただ優しいだけの男ではダメ、もっと強くなりたい、誰にも負けない力が欲しい、そんな思いで満ち溢れていました。そんな『絶対的な力』を得るための一番の近道は事業規模の拡大だと。事業規模拡大ができたら、社長としての器を広げることができるし、お金も稼ぐことができるようになります。『命懸けの事業拡大』こそが『絶対的な力』につながると信じ、これを四十代のテーマと定め、動こうと考えていました。そんな矢先に先輩方から誘われロータリークラブ入会となりました。皆さんは大きなテーマがあるなら入会しなければいいと思われると思いますが、青年会議所の先輩・後輩の関係性は自分の都合が通用するような生易しい関係性ではありません。色々と葛藤はありましたが、表向きには『喜んで入会させていただきます』と言って入会することになりました。しかし、ロータリーに入会はしましたが、『命懸けの事業拡大』というテーマがぶれることはありませんでした。
当時、兵庫に四店舗しかなかった店舗網を大阪・奈良などの関西、徳島・香川・高知・愛媛などの四国、四十代後半は群馬・栃木・茨城・千葉などの関東に店舗を広げるために走り回っていました。事業拡大中心の生活はロータリークラブへの出席もままならない状況でした。出席できない負い目の中、参加すると長老たちが決まって『どちらさんでしたっけ?』と温かくいじっていただきました。いつしかロータリーへの出席は私にとっての癒しの場であり、オアシスのような場となっていきました。入会からの18年はメンバーの寛容さに救われた日々であったように思います。今、思うことは『尼北ロータリークラブでよかった』心からこのように思います。
さて、年男スピーチですね。『論語』にある孔子の人生訓とも言える一節があります。『吾、十有五にして学問を志し、三十にして立つ(独立)、四十にして惑わず(迷いが消える)、五十にして天命を知る(人生の目的)、六十にして耳順う(人の話に耳をかたむける)、七十にして心欲する所に従えども、のりをこえず(人の道をはずれることなく自由に行動できる)』孔子の人生訓は多くの人たちの道しるべとなっていますが、私の人生には全く当てはまりませんでした。私の人生では、孔子の節目、節目の人生訓を理解しながらも、先にチャレンジしてしまう、先に動いてしまう、そんな人生だったように思います。五十代は本業の宅配牛乳事業だけにとどまらず、面白そうだとみるとすぐに新規事業に投資をし、幾つもの事業に失敗しました。しかし最近は、この多くの失敗を誇りに思えるようになりました。なぜかというと、この多くの失敗こそがチャレンジした証だからです。還暦である六十は、孔子の人生訓では耳順うとありますが、人の話に耳をかたむける前に、自分の好きなこと、やりたいことにチャレンジしていると思います。自分の性分を変えることは難しいですね。
還暦という言葉は、一般的には定年や終活的な意味合いの年齢だと思いますが、私自身はまだ自分の人生に全く納得できません。まだまだ、こんなもんじゃ終われないと思ってしまいます。私自身が思い描いていた人生の入口あたりをまだウロウロしていると考えているからだと思います。二十年近くも必死で頑張ってこの程度なんだと、今の現実を恥ずかしく思っています。四十歳の時に『絶対的な力』を得たくて、全力で全国を走り回っていましたが、数年前から人生のテーマが少しずつですが変わってきたように思います。今は『周りにいる人に力を与えられる存在になる』です。自分だけが幸せになるのではなく、周りにいる人(家族、社員、友人)とともに幸せになりたいと考えるようになりました。その方が楽しいですもんね。まだまだ、チャレンジしたいこと、勉強したいこと、行ってみたい場所、食べに行きたい店など、やりたいことが沢山あります。やりたいリストがどんどん増えています。これからはテーマを『命懸けの事業拡大』から『周りにいる人と共に幸せになる』に変えて、『辛いこと・苦しいこと』が少なく、『楽しいこと・嬉しいこと』が多い人生を歩めたらいいなぁー、とこっそり考えています。これからも寛容の心で見守っていただきますよう御願い致します。」
2021/02/01