Column 社長コラム
-
2025.02.01
運の良い人・悪い人 vol.2
先月のコラムで「運気を上げる方法」について色々と書きましたが、今月は簡単に始められる「人生を好転させる方法」をいくつか書かせていただきます。
まずは「言葉を変える」ことです。「素敵な言葉」「丁寧な言葉」「品のある言葉」など、人によって言葉の特徴はありますが「この言い方、素敵だな」と思える他人の言葉を意識してどんどん吸収すると良い人生になるようです。言葉というものは不思議なもので丁寧な言葉を使うと相手も丁寧な対応をしてくれたり、逆に、雑な言葉を使う人は雑に扱われがちだったりします。まさに人生は言葉でできているといえます。素敵な言葉を真似ることは、とても簡単で、すぐに始められる開運方法の1つだそうです。
もう1つの方法は「いつでも笑顔でいること」です。日々、笑顔で楽しそうに過ごしていると、自然と幸せになってくるものです。幸せの先に笑顔があるのではなく、先に笑顔でいると幸せが後から追いかけてくるようです。笑顔で生きる覚悟を持ってください。大袈裟に思われるかもしれませんが、人生は良いことばかりではありません。悪い時、苦しい時もあります。でも、そんな時ほど笑顔でいる覚悟。どんな転び方をしても、必ず笑顔で立ち上がる覚悟が必要です。また、急いで生きることが良いわけでもなく、堅く生きることが良いわけでもありません。ゆっくりでものんびりでも、堅くても冒険しても、その時、その時の人生を楽しむ覚悟がとても大事だと思います。
逆に、運気を下げてしまう行為も書いておきます。
「人への愚痴、悪口」「言い訳」。人に対しての愚痴、悪口、また言い訳ばかりしている人には、明るい未来も幸運もやってきません。言い訳から得るものは何もありません。できない理由、できない原因を愚痴ってもいいけれど、その後、問題をどうすれば良いのか?できない理由を解決したらできるようになるのか?と考えることが大切です。結局はできないから、その理由や原因を見つけているだけなのではありませんか。言い訳できなくなったら、できない自分を認めなくてはならなくなる。それが嫌だからできない理由と原因を一生懸命探して、言い訳をしている。自分に問題があって、自分が変わらなくてはならない時に、人は言い訳を考えます。できない理由と原因が口について出たら、自分が変わる時。自分の考え方、自分のやり方、自分の意見を変える時だと考えましょう。言い訳するなら、何をどう変えたら良いか考えてみるといいですね。「すぐにやっても、うまくいかなかった」これも言い訳。人生うまくいかないことが当たり前で変わるタイミングが来ているだけ。
また、完璧主義も良くないようです。長く生きていると完璧な人生にはならないことがよく分かってきます。不完全でいい、いい加減でいい。大切なのは甘え上手であることや愛嬌、親しみやすい生き方、明るい人間性で生きることです。ついつい助けたくなるような人には運がついてきます。同時に2つ、3つ、4つとやることは完璧主義にはできない、1つを完璧にやってから、次へ行こうとすると、結果1つもやりきれないことが多いように思います。
ほんの少し「言葉遣いを変える」「考え方を変える」「生き方を変える」「行動を変える」人生この「ほんの少し」で変わってきます。
「ほんの少し」とは楽な方へ進むことではありません。成功しない人の多くは、「ほんの少し」を楽な方向と勘違いし進んでしまいます。「楽」の先には幸せ、豊かさが無いのは当たり前です。
そして、成功にはリスクがつきものです。安心、安全な道はどこにもありません。リスクを取らない人は前へ進めない。人生の目標のために、リスクを楽しく、面白がって受け入れる人が、自分の夢や希望を叶えられる人であるように思います。
-
2025.01.01
運の良い人・悪い人 vol.1
多くの成功者に成功の要因を尋ねると、ほとんどの方は「運が良かった」と言います。自分の能力や努力ではなく、自分ではどうにもならない運の良さを1番の成功要因に掲げています。「運の良い人」と「運の悪い人」は何が違うのでしょうか?
ある有名経営者の言葉に次のようなものがあります。「成功するポイントのほとんど運が占めると思う。努力というのはその中の1割ぐらい。ほとんどが運です。どのタイミングで誰と出会って、何を得るかが重要です。動くこと、人と出会うことが運を上げる始まりだと思う。そこから何かが始まっていくように思います。また、運を持っている人の近くにいると、自分も引き上げられる。運気は同じぐらいの人同士は共鳴するけど、出会った2人の運気に差がある場合は共鳴しないことが多いかな。運の悪い人たち同士集まるとドンドン落ちていく。この人、運がありそうだと思ったら、飛び込んでみるといい。自分も一緒に成長していくと思うから。総じて成功のためには運を掴むしかない。でも運が巡ってきた時に、実力を発揮できるだけの努力というプロセスが必要です。運だけでなくて実力がないと運は巡ってこないかな。」
そして、このように続きます。「自分にとって好まざるネガティブ現象が起こると運気が上がる前兆なので、ネガティブを前向きに受け入れることが重要ですね。もしくはそれを意図的に起こさないと運気は上がらない。成功していてステージを上げていく人達もわかって、やっているわけでは無くて、後になり“こうだったんだ”ということが理解できることが多い。スティーブ・ジョブスはその典型的な例で、アップルをクビになるんだけど、あの時のクビは人生が変わるポイントだったんだ。」
次は有名な占い師の言葉です。「占いという学問をどれだけ突き詰めても、人の未来を言い当てることはできない。できるとしたら、たった1%!じゃあ、99%は自分で決められる。そのことを運命という。つまり、自分で選択することができる。そのことを運命って言うんだよ。占い師のやることは、1%のきっかけを与えて、99%の人生を自分で決めるとことを伝えること」
私自身の人生を振り返ると幾度となくピンチがありました。その度にピンチと向き合い、乗り越えてきました。しかし、全てのピンチを乗り越えられるとは限りません。これだという明確な対処法もありませんが、運を掴みピンチを乗り越えるため、藁にもすがる想いの中で始めた習慣が3つあります。1番に「墓参り・先祖供養」。2番目は寝る前に「ありがとう」「感謝します」「私はついている」と唱える。3番目は神社仏閣へのお参り。人はピンチのど真ん中にいると心が弱り、孤独の中でネガティブな思いを巡らしてしまいます。そんな中で静かに見守ってくれた家族、同じ目的を共有する従業員(というより仲間)には大きな感謝の気持ちを抱くようになりました。感謝の気持ち「ありがとう」は5000回唱えると奇跡が起こるそうです。運気を上げるために朝の散歩の時に試しているのですが、いつも途中で数がわからなくなってしまいます。皆さん、是非試してみてください。
-
2024.12.01
アジアの時代
21世紀はアジアの時代と言われていました。最初の20年は中国の大きな変化はありましたが、それ以外のアジアの変化は特に感じませんでした。しかし、この数年ものすごい勢いでアジア諸国が発展しているように思います。例えばインドのGDPは2025年に日本を追い抜き5位、2026年にはドイツを抜いて世界第3位になると予測されています。また、タイ・バンコクでは市内で働くアルバイトの最低賃金が1500円と日本の時給よりも高い水準に制定されたと聞いています。また、30代の外資系のエリート(タイ人)は、年収1千万円を軽く超えると言われています。急激な年収アップのおかげか、1人40000円以上もする高級寿司店が連日満席となっているという話もあります。そしてアジア諸国のめざましい発展の中、インドやタイの経済成長に負けていない国がベトナムだと思います。
1998年、日本JC(日本青年会議所)の国際交流でベトナムに行きました。私たちのミッションはベトナムにJCを作ることでした。当時は社会主義が色濃く残っていて、ドイモイ政策で少し資本主義経済が芽吹いたように感じた頃でした。ベトナムの商業団体とミーティングをしましたが、当時は自由主義のJC定款が社会主義に引っかかり話が進みませんでしたが、あれから26年が経ち、その間にベトナムにJCが生まれました。政治は社会主義ですが、経済は自由主義へと大きく変化したように思います。
2019年、ベトナム人の友人がベトナム・ダナンで1室1500万円(ピンクブック・政府補償の優良物件)のマンションを購入しました。ベトナムは建設が始まる段階で手付金を払い、完成までの3年間に分割で1500万円を支払います。友人のマンションは2022年に完成しましたが、その時には価値が1・5倍になり、その後2年で4000万円に値上がりしました。今回、友人は4000万円を売却した資金でダナンに新たなマンションを買おうとしています。なぜダナンなのかというと、ホーチミンやハノイのマンションは既に1億円を超えていると言われているからです。私もダナンは大好きな街なのでマンションが欲しいと思い調査を始めました。
コロナ禍が明けて、日本で家を買うために来日した友人夫婦と久しぶりに再会しました。出会った頃はベトナムの国内Facebookで日本の化粧品を販売していましたが、この8年間で不動産の大成功したことにより、発展途上の国では情報収集能力と資金があれば大成できると身をもって感じたそうです。
そんなアジアの大躍進の中、日本は失われた30年と言われ、給料も物価も上昇しない時間を過ごしました。アジアから、そして世界から取り残されている印象があります。では、日本はどうしたら良いのでしようか?そのヒントを掴むためには国内だけではなく、アジアにそして世界に目を向ける必要があると感じています。世界の経済を観察すると、日本の30年先がアメリカで、その20年先がヨーロッパ、日本の30年遅れが中国、韓国で、その20年遅れがタイ、ベトナム、その20年遅れがカンボジア、ミャンマーだとすると、ヨーロッパとミャンマーでは100年以上の開きがあります。まるでタイムスリップのような状況です。全ての産業が当てはまるわけではありませんが、企業の寿命をタイムスリップ軸で考えると、アメリカでビック3と呼ばれた自動車産業は30年後、日本の自動車産業に取って代わられました。もしかしたら次は韓国のヒュンダイや中国の上海汽車、などに取って代わられる日が来るかもしれません。日本の家電産業はまさにそのような状況です。日本で近年活躍している企業『ソフトバンク』『楽天』『セブンイレブン』はアメリカで30年前に一世風靡していた企業を真似しているものが多いように思います。また、その企業の経営者はそろってアメリカのMBAなどで勉強してきた人たちです。アメリカにあるものを日本に持ち込み、日本にあるものをアジアへ持っていく、このタイムスリップ軸に沿ってビジネスすることが成功の鍵ではないかと思う、今日この頃です。私はこのタイムスリップの軸に従い日本にあるものをアジアへ持っていくビジネスができればと思案中です。それが結果として、日本の未来の役に立ち、未来の日本人に貢献できれば幸せなことだと思います。
さて、2024年も残りわずかとなりました。
本年も一年間、皆様には誠にお世話になりました。
来年もよろしくお願い申し上げます。良いお年をお迎えください。 -
2024.11.01
大谷翔平50-50
2022年1月号のコラムに「二刀流」という題で大谷翔平選手のことを書きました。内容は花巻東高校・野球部入部時に作成した「目標達成シート」の内容や日本プロ野球・日本ハム〜メジャーリーグ・エンジェルスへとステップアップしていく決断の考え方などだったと思います。あれから約3年が経ち、大谷選手はさらに進化しています。その活躍は目を見張るものがあるという表現では物足りないくらい、メジャーリーグにあまり興味が無かった私すらも夢中にさせ、日々更新される、ホームランや盗塁、打率や打点などに釘付けにさせられています。多分、多くの日本人がそのような状況になっていると思われます。私が大谷選手を追いかけるようになったのは、昨年のエンジェルスからドジャースへ移籍した頃からでした。エンジェルスでホームラン王獲得から始まり、右肘の手術、10年契約1050億円でドジャースへ移籍、突然の結婚、水原通訳の賭博事件、など様々なことが起こったにも関わらず、今の活躍があります。打っても、投げても、走っても、超一流なのに、立ち振る舞いも賞賛されています。
今期は右肘の手術を受けた影響で、代名詞の二刀流の中断を余儀なくされましたが、「走れる本塁打王」への進化を遂げたシーズンとなりました。活躍の始まりは大谷選手のオフの一言でした。「今年は投げられないので盗塁を増やしたい」と球団スタッフに強い意志を伝えました。キャンプで重点的に取り組んだのが加速の向上です。最新機器で負荷をかけながら、短い距離をダッシュする練習を反復。地面への力の伝え方が改善し、トップスピードに入るまでの初速を向上させました。右足を小さく引き、左足を踏み出してから塁間を11歩と大きなスライドで走って減速せずにベースに滑り込む。盗塁の成功率は92・7%(失敗は4つ)と高く、結果的に前人未到の50本塁打50盗塁を超えました。
満塁弾で劇的に到達した「40-40」。これ以上のシナリオなんてないと思っていましたが「50-50」の偉業は、大谷選手の手によってよりドラマチックに達成されました。偉業まで2本塁打、1盗塁で迎えた試合。1回、右中間直撃の2塁打で出塁し3盗塁を決め50盗塁に到達。2回、右前打で出塁し、2盗塁を成功させ51盗塁とした。ここからの打棒が我々の想像を超えていました。6回、特大の49号2ランを打ち49-51と王手をかけ、7回、歴史を刻む2ランを放ち50-51を達成。14対3と大差のついた9回、51号3ラン右翼席上段までかっ飛ばし、51-51達成。100年以上の歴史を持つメジャーリーグで初の金字塔に総立ちの大観衆からMVPコールが降り注ぎました。
試合後、大谷選手は「これだけ打てたことはたぶん、人生でもないので自分が一番びっくりしている」と語りました。3打席連続でマークした本塁打、6打数6安打、10打点は球団最多記録となり、シーズン120打点は2005年の松井秀樹を抜いて日本選手で歴代トップを記録しました。今後、誰もこの記録を破ることができないと思います。大谷翔平以外は!
2017年、大谷選手が日本ハムでプレーした最終年度の成績は、投手成績3勝2敗、打者成績は、打率・332、打点31、本塁打8、盗塁0、という成績でした。
周囲の大半の人たちは、もう少し実績を積みメジャーへ行ったほうがいいんじゃないかと意見しました。しかし、大谷選手は「まだ、上手くいってないこともたくさんある。だから行くことが大事なんです。成功するとか、失敗するとか僕には関係ないんです。それをやってみることのほうが大事なんです」と言い切ったそうです。自信の有無、活躍できるか否かを考えず、ただ挑戦してみたい、高みに自らの身を置きたいと考えていたようです。あれから7年が経ち、大谷選手の挑戦は身を結びメジャーでもNo.1の選手になりました。記録を達成するときも、想像以上の活躍で達成する。これには野球の神様が味方しているとしか思えません。きっと、日頃の野球に取り組む姿勢や周りにいる方々への感謝の気持ちが大事な時に予想を上回る原動力になるのだと思います。「運はプロセスにある」「運命は性格の中にある」という言葉がありますが、誰しもが応援したくなる人柄、性格には神様が宿るのかもしれませんね。
-
2024.10.01
社長道場ver.2
前回のコラムでは、社長道場と称して社員と共に「ビジネスモデルの変革」に取り組んでいる様子を書きました。この改革にあたり、クリアしなければならない課題がいくつもあります。例えば「エリア責任者の育成」「理念の再構築や共有」など。これらの課題をクリアすることで「牛乳を届ける会社から、お困りごとを解決できる会社になる」「お客様に必要とされる会社になる」「お客様の未来の幸せに貢献できる会社になる」へと変化し、「ビジネスモデルの変革」を最終目的とした大きな流れができます。
日本の広域に広がる弊社店舗を全て変えるためには「トップダウンからボトムアップ」「理念の再構築&共有」が必要となってきます。
「理念の再構築&共有」が必要なのは、エリア責任者(各地域ごとの店舗を統括する管理職)や店舗社員の共通基準を作るためです。
それぞれの店舗ごとに問題点や課題も違います。全てを社長である私だけで判断できないことは明白です。デミック一丸となり、「お客様に必要とされる会社になる」を理念とし、そのためにどう考えて、どう動くのか?何をすれば良いのか?を自分たちで考える力をつけられるように、エリア責任者である管理職を社長道場にて育成しています。
そして、管理職も店舗社員も配達スタッフも、皆、共通した理念の元、「正しい、正しくない」の判断をできるようになれれば理想だと考えています。
続いて「トップダウンからボトムアップ」が必要な理由です。結論から言うと、社員に失敗する機会を与えて成長を促すためです。発言者不明の名言に次のようなものがあります。
「努力して結果が出ると自信になる。努力せず結果が出ないと後悔が残る。努力して結果が出ないとしても経験が残る。努力して、その日を迎えたのなら、何も残らないことはない」企業の成長とは、社員の成長。それは失敗の積み重ねでもあります。
大企業が前年比110%とか120%に対し、ベンチャー企業では2~3倍成長が当たり前です。それは一体なぜでしょうか。一つは年商規模が小さいために、前年を超えやすいということ。もう一つは社員一人ひとりが誰よりもがむしゃらになって仕事に取り組んでいるということ。もちろん経済動向や競合他社などの、外部環境による影響はありますが、基本的には社員の成長がダイレクトに企業の成長に繋がっているからだと思います。そして、企業の成長を決めるのは経営者である私自身の器や資質だと思います。私自身が成長し器を広げることができなければ、器以上の会社になることはありません。つまり、経営者として、社員をいかに成長させるかという力が試されているように思います。
ベンチャーにありがちなワンマン経営、経営者自身が最前線に立ち、あれもこれもやってしまう。姑のように全てに口出しをしてしまう。規模が小さいうちはそれで良いかもしれませんが、30人、50人、100人と社員が増えて行った場合、自分一人で管理するには限界がきて、通用しなります。さらに、社長がいないと何もできない組織になるでしょう。そこで任せることが重要になってきます。初めは失敗も多く社長がやった方がよい場面が幾度もあると思いますが、経営者は忍耐力を持って任せる。目先の収益を追わない。
任せないということは、社員の成長と会社の未来を奪うことになります。社員自身も自ら責任を持って、誰よりも失敗を経験することが必要です。
「任せて任せず」という言葉をパナソニック創業者・松下幸之助氏が残していますが、本当に深い意味が込められていると、実感できるようになりました。これからも社員みんなの成長を目指し、仕事を任せていきたいと思います。これまで以上に全身全霊をかけて社員育成に打ち込んでいきます。
-
2024.09.01
社長道場ver.1
社長道場と称して主要社員の育成を始めて約1年が経ちました。社長道場を始めたのはコロナの感染拡大に起因した業績悪化とビジネスモデルを変革するためでした。コロナは「人と会えない」「人が動けない」という2つの制限がありました。「人と会えない」ことで販促活動が一切できず、大きな売上減少となりました。「人が動けない」ことで日本各地の弊社店鋪と本部(兵庫県)の人間関係が希薄になり意思疎通が難しくなり、指示系統に不備が出ていました。コロナ以上に深刻だったのは牛乳宅配事業が他のビジネスモデル(Amazon、オイシックス、コープ、ヨシケイ、ワタミなど)に徐々に負けつつある状況だったことです。コロナ禍、他のビジネスモデルが大きく売上を伸ばしていく中、牛乳宅配のビジネスモデルは、それ程、売上を伸ばせず、ビジネスモデルの変革やDX化(デジタル技術を用いた企業風土の改革)が必須課題だと感じました。
そのために、まず、私は自社の店鋪訪問をして現状を知ることから始めました。1店舗ずつ全ての店舗に訪問して、各店舗にいる社員や業務委託、アルバイトと面談しました。面談内容は「なぜデミックで配達してくれているのか?」「何のために働いているのか?」など、それぞれ働く方々の背景を確認するためでした。すると、声の大きな人が牛耳っている店舗、高齢化している店舗、頑固な店長がいる店舗、コロナ禍でも頑張っていた店舗、いろいろな店舗がありました。店舗訪問で感じたのは、改革を進めていくには、相当な時間を要すること、その店で働くスタッフと共に進めないと容易ではないこと、などを強く感じました。関西、四国、関東、九州と広域に広がった27店舗を同時進行で改革するには、私だけの力では難しく、エリア管理者と目標を共有し、目標達成を一緒に目指すための理念の再構築が必要でした。それが社長道場の目的でした。
世は「働き方改革」「多様性の時代」と時代は大きく変わりつつあります。多くの企業では、長時間働きたくても働けない時代。また、多様性を過度に尊重する時代です。ただ、デミックでは、今の時代に逆行し、「ビジネスモデル変革」「理念共有」を私自身が長時間に渡った講義方式にて開催しています。負けつつある牛乳宅配ビジネスモデルを、どう変革すれば良いのか。新たなビジネスモデルへの組織変換には「トップダウンからボトムアップへ」も大きなテーマとなりました。それを解決するためには理念の共有が必要でした。「新規のお客様の獲得より既存のお客様の満足」「良い商品の開発」「サービスの開発」など経営課題はたくさんあります。私が掲げた共有理念は「お客様のお困りごとを解決できる会社になろう そして、お客様に必要とされる会社になろう」でした。月に一度はお客様宅へ訪問して、「何かお困りごとはありますか、何でも言ってください」「必ず解決します」と、お客様のコンシェルジュになるべく努力を始めました。
新たなビジネスモデルへのスタートはエアコン洗浄や取り替え、草刈りや木の剪定、外壁塗装などの便利屋作業でした。今後は高齢者の部屋の浴室清掃、見守りや買い物代行、介護タクシーなどの介護作業も企画中です。まだまだ、構想段階ですが、「気付き 気遣い 築きの元」を軸とした新たなお客様へのサービスを考えています。広域に広がっているため全ての店舗でできているかというとまだまだですが、着実に進めていきますので、よろしくお願いします。
-
2024.08.01
現役65周年挨拶
先日、尼崎青年会議所創立65周年記念に際して現役メンバー並びに来賓に向けての挨拶をさせていただきました。今回のコラムは、その時の挨拶の内容をご紹介します。
現役の諸君、創立65周年おめでとう!
私が尼崎青年会議所に入会した時は30周年の時でした。あれから早35年!当時は人格も品格も経済人としても未熟な男でした。それが、まさか、このような周年の晴れ舞台で挨拶ができる男になれるとは夢にも思いませんでした。尼崎青年会議所へ入会して良かった、仲間と共に成長できて良かった、と心から尼崎青年会議所との出会いに感謝をしているところであります。
30周年で入会して12年もの間、尼崎青年会議所に没頭しました。理事長を経験させていただき卒業。そして、5年前からシニアクラブの会長を務めています。5年前の60周年でもこの場で挨拶をしました。その時に話した内容は2つ「尼崎の誇れるものは人」「鴻池祥肇先輩会頭取り」の話をしました。実はこの2つの話には、「規律と礼儀を重んじ、先輩を敬う」「気付き、気遣いを大切にする」という尼崎の伝統とも言うべき精神が深く関わっています。この伝統が人を育て、会頭職を手繰り寄せました。
当時、井奥会頭の元、鴻池は副会頭として日本JCに出向していました。直前会頭は麻生太郎副総裁でした。井奥会頭、鴻池副会頭は麻生直前会頭に「次の会頭は大阪に決まっているから、会頭への爪を伸ばさぬように」と釘を刺されていました。そんな状況からどうやって会頭になれたのかは、5年前、挨拶の中で詳しいことは鴻池と共に会頭取りに動いたレジェンド、竹瀬元紀に聞いてくださいと言いましたが、その竹瀬元紀も周年の半年後、亡くなりました。ここで最後のレジェンドである森本清に聞いてくださいと言って、森本清まで失くしたら困るので私が話します。
当時の日本JCは、かなりの頻度で東京JC会館にて会議を行っていました。会議が終わると井奥会頭は飲みに行くわけにもいかず、一人でホテルの部屋で過ごされていることが多かったようです。そこへ竹瀬元紀が連絡をします。
「尼崎の竹瀬元紀です。鴻池から申しつかりました。飲み物やタバコなどは足りてますか?」
これを会議の度にやったようです。時にタバコを買って行き談笑する、時にビールを買って行き一緒に飲む、それを繰り返しているうちに、井奥会頭は尼崎青年会議所を好きになっていきました。井奥会頭はある日突然、麻生太郎の言いつけを守らず、鴻池を会頭に指名します。まさに、「規律や礼儀を重んじ、先輩を敬う」「気付き、気遣いを大切にする」という伝統の精神が会頭の心を動かします。尼崎は鴻池、竹瀬のおかげで会頭取りを達成して高みへと導かれました。ありがたいことです。
日本はバブル崩壊後、失われた35年という時代を過ごしました。その間、本屋はことごとくアマゾンに潰されました。タクシーはやがてUberに変わっていくでしょう。ひょっとしたら、自動運転となりAIやロボットが人間の代わりに働くようになるかもしれません。職業は「永遠に続く時代から寿命のある時代へ」変化しました。今後、益々変化の波は大きくなっていくでしょう。変化は、時代の流れの中で「変わるモノ」と「変わらないモノ」があります。今、大事なことは、未来永劫「変えてはならないモノ」を選択しておくことではないでしようか。この65周年を機に「規律と礼儀を重んじ、先輩を敬う」「気付き、気遣いを大切にする」この最も大切な伝統を現役に申し伝える、良き機会にしたいと考えています。
最後に、皆様にお願いがあります。現役はこれから数年、勢いがあり楽しみな人材が数多くいるようです。歴代の息子たちもいます。しかし、まだまだ若いので至らないところも多々あるように思います。厳しい叱咤激励、またご指導、ご鞭撻をお願いして、挨拶と返させていただきます。ありがとうございました。
-
2024.07.01
異業種交流会〈3〉
異業種交流会2では、私が尼崎青年会議所主催の異業種交流会(JC)に参加した経験から『人を動かす力』について筆を執らせていただきました。今回は「動く練習・出ていく練習」について書きたいと思います。
「動く練習・出ていく練習」とは言葉の通り、様々な場に赴き、人と会うことです。
「フットワークが軽い」という言葉がありますが、フットワークの軽さは中々鍛えることができない潜在能力(ポテンシャル)だと思います。しかし、JCに没頭し、毎日のようにJCで会議や事業に出掛けているうちに、自然と動く練習、出ていく練習ができました。
もし仕事を増やしたい方がいた場合、私は「動く練習・出ていく練習」をお勧めします。
例えば、ある日プロアスリートの所属するマネージメント会社の社長からこんな相談がありました。
「仕事が減っています。どうしたら増えますか?」
こういうときに私は「日々の生活習慣」を質問します。
ちなみに、そのときにわかった生活習慣は次のようなものでした。
【マネージメント会社の社長の生活習慣】
同じ時間に起床→会社へ出勤→仕事→同じ時間に帰宅→自宅で家族と共に食事
これを毎日、繰り返していることでした。私は「週末ぐらい、家から出て行き、誰かと食事したり、話をしたりする必要があると思いますよ」とアドバイスしました。家族と過ごすことが悪いのではなく、週末も家で過ごしているようでは仕事が増えるわけが有りませんからね。
JCをやっていると多くの出会いがあります。どんな人と出会うか。出会いは、その後の人生を大きく変えていきます。まさに「出会いは人生を変える」という言葉通り、人生の問題を解決してくれたり、人生に喜びを与えてくれたり、人生に彩りを与えてくれます。今までの経験から出会いの法則を言いますと、ステージが大きく違う場合は、出会ってもお付き合いには至りません。逆に近いステージの人とは付き合いが始まっていきます。私は「リトルフレンズはビッグフレンズの友達 リトルチャンスはビッグチャンスの友達 リトルドリームはビッグドリームの友達」だと考えています。リトルをたくさん集めるとビッグにたどり着きます。まさに、出会いは人生を変えます。
最後に私にとってJCでの1番大きな学びは、「ギブの精神」を知ったことです。
私たちは子供の頃からテイクしか学びません。取ることばかりです。勉強して、良い学校へ入って、良いところへ就職して、良い給料をたくさんもらい、良い年金をもらう。私も最近わかったことですが、企業経営で成功するにはテイクが必要ですが、大成功するにはギブが必要だと思います。取るのではなく与える。世の中の人に必要とされる。世の中のタメになることをする。その企業の存在が地域貢献、社会貢献に繋がっていると自ずと大きな企業になれるように思います。日本は宗教心があまりないので、わからないと思いますが、欧米では物心ついた頃から毎週日曜日は教会に通い、ギブを勉強する機会があります。成功に最も必要なギブを学べるのがJCです。
-
2024.06.01
異業種交流会<2>
異業種交流会<1>では、私が尼崎青年会議所主催の異業種交流会(JC)に参加した経験から『JCとは(人生の)ステージ』を上げる訓練ができるところ。この言葉で終わりました。今回は具体的に何が訓練できるのかを書きたいと思います。
まず私が1番大きいと思える訓練は「人を動かす力」です。事業が大きくなるかどうかは、この「人を動かす力」が大きく左右します。JCには委員会があり、その年の理事長の作成した事業計画をもとに委員会が構成されていて、与えられた課題を実行していきます。その委員会運営で人の動かし方を学べます。
【参考までに委員会の課題例です!】
・青少年について
・会員拡大について
・総務についてetc…
「人を動かす力」とは主に「人を動かす力」と「人が動きたくなる魅力」この2つがあります。
「人を動かす力」とは、準備する力、役割を決める力、課題を与える力、ビジョンを考える力と伝える力など、主に相手の力量や将来性を見抜き活躍の場を与えることに該当します。
「人が動きたくなる魅力」とは、気遣いする力、楽しい雰囲気を作る力、コミュニケーションを取り関係性を深める力、正しさをはかる力、など相手を思いやり安心を感じられる場を与えることに該当します。
年齢の上の人・下の人、男性・女性、会社規模が大きい人・小さい人、など色々な人がいる委員会を委員長として、チームをまとめて、引っ張り、課題を実行していくことが「人を動かす力」大きな訓練になります。
私が委員会で体験した「人を動かす力」の良い例を一つご紹介します。
ある年度の始まりに、委員長が会社へ挨拶に来てくれました。「君の力が必要だ。委員会を明るく盛りあげてほしい」このように言われて、その気になりました。委員会へ出かけて行くと、机の上にお茶と資料が用意してありました。聞くと30分以上も前に委員長は来ていて、準備をしたとのこと。会議では、その人に応じた役割分担が決まり、やるべき課題が与えられました。会議終了後、委員会メンバーみんなで食事を一緒にして、2次会はカラオケで盛り上がりました。その時間がすごく楽しかったことを覚えています。また、私が委員会を用事で欠席すると、翌日には会議の議事録がFAXされました。このように先輩方の「人を動かす力」を受けて、その年度は率先して動くことになりました。
続きはまた次回。
-
2024.05.01
異業種交流会<1>
先日、後輩からの依頼で尼崎青年会議所主催の異業種交流会に参加して、挨拶をさせていただきました。挨拶なのに「異業種交流(JC)とビジネス」というお題がありました。漠然としたお題に驚きましたが、参加者の中から何人かが尼崎青年会議所へ入会してもらえることを願いながら話をしました。『JCへ入会したくない理由があるとしたら、私が思い浮かぶのは「時間」「お金」「人」この3つだと思います。
「時間」とは「時間が無いから」という理由。私はそういう方こそ入会した方が良いと思います。「忙しい」と言っている人で本当に忙しい人に、私は会ったことがありません。仕事は忙しい人に集まるものであり、仕事のできる人は短い時間でも人より多くの仕事をこなします。つまり時間は作るもので、忙しい人こそ時間の作り方が上手だと思います。「すぐにできること」「考えたらできること」「誰かにお願いしないとできないこと」などの優先順位を決めて、できることからやっていくスケジュール管理ができているように思います。
「お金」とは「お金がかかるから」という理由。ビジネスにおいてリスクはつきもの。リスク無くして成功はあり得ないと思います。そして1番のリスクはお金です。お金に慣れる、お金を使うなど、私は尼崎青年会議所でお金の使い方を学びました。これは自論なので、全ての人に当てはまるとは思いませんが、お金はどれだけ貯めるかよりも、どれだけ使うかの方が大事だと思います。使えるだけ使う、使える人には、使った分の仕事が入ってくると思います。あくまで経験値なので真似しないでくださいね。
「人」とは「人との付き合いが煩わしいから」という理由。それこそ、人との付き合いは時間もお金もかかります。ただ、たった一度の出会いで運命が変わる場合もありますし、人生の彩りは、その人の周りにどんな人がいるかで決まるように思います。時間、お金を使い、人と全力で付き合っていくと仕事がガンガンきて、成功に導かれるように思います。
私自身、大きな成功をしているとは思っていませんが、「じゃあ、成功の仕方を教えてください」と言われそうですね。とはいえ、皆さんの会社の状況をあれこれ聞いて、「あーしろ、こーしろ」と手法だけ教えても真似できないことが多いと思います。なぜならば企業も国も人も生きていく過程でステージと使命のようなものがあると考えているからです。私と異なるステージにいる人では、できることが違います。
ステージとは何か?私の人生で振り返ってみましょう。私が尼崎青年会議所に入会したのは28歳でした。当時の月商は60万円程度、今をあの頃の売上と比べたら500倍近くになりました。業種も牛乳販売店だけではなく、いろいろなことを手掛けています。当たり前ですが、私のステージはあの頃と比べたら比較にならない程、大きく跳ね上がっています。ステージは出会いや経験により少しずつ上がっていきます。特に、苦難を経験し、それを乗り越えた時には、大きく跳ね上がります。ステージが上にいる人から下の人を見ると、下のことが手に取るように分かりますが、下から上を見あげても理解できないことが多いようです。例えば、高校球児(上)と小学生の野球少年(下)。高校球児から小学生の野球少年を見ると、どこに才能があり、どこが悪いのかが手に取るように分かりますが、逆に小学生の野球少年が高校球児のプレーを見ても、何がよくて何が悪いのかは理解できないように思います。
何となくですが、ステージというものを理解してもらえたでしょうか。これまで生きてきた経験から、ステージを上げる生き方、上がらない生き方があるのも気がつきました。青年会議所はステージを上げる訓練ができるところです。
この続きは次回に書かせていただきます。