Column 社長コラム
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2024.05.01
異業種交流会<1>
先日、後輩からの依頼で尼崎青年会議所主催の異業種交流会に参加して、挨拶をさせていただきました。挨拶なのに「異業種交流(JC)とビジネス」というお題がありました。漠然としたお題に驚きましたが、参加者の中から何人かが尼崎青年会議所へ入会してもらえることを願いながら話をしました。『JCへ入会したくない理由があるとしたら、私が思い浮かぶのは「時間」「お金」「人」この3つだと思います。
「時間」とは「時間が無いから」という理由。私はそういう方こそ入会した方が良いと思います。「忙しい」と言っている人で本当に忙しい人に、私は会ったことがありません。仕事は忙しい人に集まるものであり、仕事のできる人は短い時間でも人より多くの仕事をこなします。つまり時間は作るもので、忙しい人こそ時間の作り方が上手だと思います。「すぐにできること」「考えたらできること」「誰かにお願いしないとできないこと」などの優先順位を決めて、できることからやっていくスケジュール管理ができているように思います。
「お金」とは「お金がかかるから」という理由。ビジネスにおいてリスクはつきもの。リスク無くして成功はあり得ないと思います。そして1番のリスクはお金です。お金に慣れる、お金を使うなど、私は尼崎青年会議所でお金の使い方を学びました。これは自論なので、全ての人に当てはまるとは思いませんが、お金はどれだけ貯めるかよりも、どれだけ使うかの方が大事だと思います。使えるだけ使う、使える人には、使った分の仕事が入ってくると思います。あくまで経験値なので真似しないでくださいね。
「人」とは「人との付き合いが煩わしいから」という理由。それこそ、人との付き合いは時間もお金もかかります。ただ、たった一度の出会いで運命が変わる場合もありますし、人生の彩りは、その人の周りにどんな人がいるかで決まるように思います。時間、お金を使い、人と全力で付き合っていくと仕事がガンガンきて、成功に導かれるように思います。
私自身、大きな成功をしているとは思っていませんが、「じゃあ、成功の仕方を教えてください」と言われそうですね。とはいえ、皆さんの会社の状況をあれこれ聞いて、「あーしろ、こーしろ」と手法だけ教えても真似できないことが多いと思います。なぜならば企業も国も人も生きていく過程でステージと使命のようなものがあると考えているからです。私と異なるステージにいる人では、できることが違います。
ステージとは何か?私の人生で振り返ってみましょう。私が尼崎青年会議所に入会したのは28歳でした。当時の月商は60万円程度、今をあの頃の売上と比べたら500倍近くになりました。業種も牛乳販売店だけではなく、いろいろなことを手掛けています。当たり前ですが、私のステージはあの頃と比べたら比較にならない程、大きく跳ね上がっています。ステージは出会いや経験により少しずつ上がっていきます。特に、苦難を経験し、それを乗り越えた時には、大きく跳ね上がります。ステージが上にいる人から下の人を見ると、下のことが手に取るように分かりますが、下から上を見あげても理解できないことが多いようです。例えば、高校球児(上)と小学生の野球少年(下)。高校球児から小学生の野球少年を見ると、どこに才能があり、どこが悪いのかが手に取るように分かりますが、逆に小学生の野球少年が高校球児のプレーを見ても、何がよくて何が悪いのかは理解できないように思います。
何となくですが、ステージというものを理解してもらえたでしょうか。これまで生きてきた経験から、ステージを上げる生き方、上がらない生き方があるのも気がつきました。青年会議所はステージを上げる訓練ができるところです。
この続きは次回に書かせていただきます。
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2024.04.01
若手経営者
2022年の終わり辺りから、物の値段がドンドン上昇しています。30年間続いたデフレは終焉し、新たにインフレの時代が到来しました。デフレの始まりを振り返るとソ連邦が解体され、ベルリンの壁が壊され、東西のドイツが統一され、冷戦が終わったことをきっかけに、グローバル化が始まりました。それに伴い、世界中の工場は中国へ移り、中国の安い人件費とロシアの安い燃料で商品が作られるようになり、人件費のせどりが始まりました。中国に移った工場のおかげで、ものづくり立国だった日本は、30年もの間デフレに苦しみ、失われた30年を迎えました。2022年ロシアのウクライナ侵攻を機にロシア、中国とのグローバル化の蓋が閉ざされたように感じます。少しずつ、中国へ移った工場は平和で人件費の安い(円安の影響)日本へと戻りつつあります。多分、デフレ時代の企業経営と新たに始まったインフレ時代の企業経営は全く違う手法となり、過去の経営が意味をなさない、新たな時代の幕開けとなりました。
私と付き合いがある若手経営者は、大半が東南アジア在住となりました。なぜ海外に住むのかを聞くと「日本は税金が高く、金利が安い国だから」など、東南アジアの国々と日本の違いを理由に挙げていました。一例をあげると、ベトナムやカンボジアは銀行金利が5%以上。コロナ前に定期預金に入れていたお金が為替も相まって1.5倍近くになったそうです。1,000万円預けていたら、1,500万円です。「そのお金で遊んでいます」とのこと。
でも、1番大きな理由はアジアの国々は大きく成長していて、日本の30年、40年前の状況と似ているので、投資するにも予測しやすいからだそうです。
若手経営者との食事会では有益な情報を得られました。少しご紹介します。昔、私は彼らからビットコインが7万円の時に買うように勧められました。私は、「そんなコインが上がるわけない。汗水垂らして働け」と叱ったようです。そして、そのビットコインは今、600万円を超えています。あの時に買っていたら…トホホ!
彼らの特徴は、あまり働いているように見えないのですが、フットワークが軽く、日本国内はもとより海外でも簡単に動きます。彼らを見ていると、フットワークとは、努力しても急に高められるものではない、その人の持つポテンシャルのように感じます。
身軽に動けるから大きな組織を作らなくても、政治、税金、金利、仮想通貨、不動産、などで人脈を築き、利益に繋がる情報が集められます。フットワークの軽さ、つまり行動力は人に情報をもたらし、持つ者と、持たざる者の仕事の出来栄えに差を生じさせるということです。
フットワークを軽くして動きつつ、仕事だけに染まるのではなく、食べる、遊ぶ、楽しむ、といった「リフレッシュ」も気軽に楽しむ。フットワークの軽さは日々の仕事により良い結果をもたらし、プライベートも充実させる好循環を生み出します。
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2024.03.01
Bangkok-バンコク-
2024年1月、タイ・バンコクへ行ってきました。目的は2つ。1つ目はバンコク在住の経営者との面談です。友人である若手経営者とバンコク在住の経営者とゴルフや食事をして交流を深めました。2つ目は私がリフレッシュするためです。普段、バンコクへ行く時は、家族、友人、社員など、一緒に行く人に喜んでもらうことが目的ですが、今回は、若手経営者数人と現地で合流した以外は1人で過ごしました。
というのも、昨年、多忙な一年を過ごした影響で12月に体調を崩し静養することになったからです。その間、ベッドで「自分の人生これでいいのか」と自問自答していると、これからの人生は「こう生きたい」という指針のようなものが芽生えました。
大きく3つあります。
■1つ目「幸せの根幹は健康である」
今までの私は、あまり身体を気遣わずに生きてきました。健康な時は平気でしたが、病気になると「身体は労わってあげないダメだ」と思うようになり、朝、1時間弱のウォーキングを行っています。その結果、身体の調子がすこぶる良くなっています。身体って正直ですね。
■2つ目「頑張らない」
私(経営者)は日常の仕事や与えられた役割を、ついつい無意識に頑張ってしまいます。今までなら、現状の仕事に加えて、優先順位の高い仕事が入ってきた場合、どちらも睡眠時間を削って頑張っていました。しかし、「頑張らない」「無理しない」と決めてからは、期限までに難しいと感じたら、「ごめんなさい」と、あっさり謝り、許してもらうようにしました。
■3つ目「楽しいこと、やりたいことだけをやって生きる」
難しそうなテーマですが、必要だったのは、周りの人に自分の生き方をわかってもらう「努力」これだけでした!月に数度リフレッシュすると決めて、海外で1人の時間を過ごす。私の仕事は大半が人と会って話すことに費やされるため、自分1人で過ごす時間はこの上なく幸せです。私にしかできない仕事以外は誰かにやってもらいます。
考えてみると、私にしかできない仕事は「考えること」「動くこと」。具体的には「未来ビジョンを考える」「ビジネスモデルを考える」「事業計画をたてる」「組織を改革する」「有益な情報を収集する」です。
1人の時間に、これらを整理整頓できます。でも、なるべく考えないようにしています。リフレッシュにならないから(笑)。
今回のバンコクでは「のんびり」をテーマに1人の時間を過ごしました。寝たいだけ寝る。プールでジュースを飲みながらボーっとする。サウナで汗をかく。食べたい昼ごはんを考えて、飲食店までの移動手段を決める(行きはタクシー、帰りは地下鉄)。ホテルのボーイにカタコトの英語で行き先を伝えて、タクシードライバーと金額の交渉までしてもらい出発。店ではタイ語しか伝わらないのでメニューを指差しながらオーダーする。ゆっくり食事をする(クセの強いスープだった)。帰りは地下鉄に乗るためにGoogleマップで最寄駅を探し、路線を確認。切符の買い方がわからなかったがGoogleを利用して切符を購入できた。最寄駅に帰ってきたら、すこし寄り道。途中で買ったジュースを片手にぶらぶら。目の前にあった足マッサージ屋さんに立ち寄り、ホテルへ帰って昼寝。どうですか、みなさん、いいでしょう!
考える、動く、話す、食べる、遊ぶ、楽しむ。毎日、楽しく遊んで、情報を得て稼ぐ…。
「やりたいこと、楽しいことしかやらない」は、意外と正解かもしれません。いや、絶対に正解だと思います。
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2024.02.01
天下人
織田信長「鳴かぬなら 殺してしまえホトトギス」
豊臣秀吉「鳴かぬなら 鳴かせてみせようホトトギス」
徳川家康「鳴かぬなら 鳴くまで待とうホトトギス」
こちらは有名な天下人3人のことを詠んだ句だと言われています。よくそれぞれの性格を言い表しているように思います。信長は過去の権威や慣習を潰し、新たな道筋をつくりました。その過程で多くの反抗があり、多くの犠牲を強いられました。秀吉は信長家臣団の重鎮でした。その秀吉が謀反人・明智光秀を倒し、内部抗争を勝ち抜き、終盤はほぼ戦争をすることなく、相手を懐柔し、天下統一へと導きました。豊臣政権の5大老の筆頭だった家康は秀吉の死後、時間をかけて豊臣派を潰し、徳川派を増やし、中から豊臣政権を食い潰し、徳川幕府を樹立した後に豊臣家を滅ぼします。
-天下人年表-
■織田信長
1534年 信長誕生
1551年18歳家督を継ぐ・大うつけ
1559年尾張一国統一・信友、信行打ち取る(ここまで相当な苦労があった・26歳)
1560年桶狭間の戦い(27歳)
1568年足利義昭奉じ、上洛(35歳)
1582年本能寺の変(49歳)
■豊臣秀吉
1537年秀吉誕生
1554年織田信長に士官(17歳)
1582年備中高松城の戦い(46歳)
1582年本能寺の変(46歳)
1583年賤ヶ岳の戦い、柴田勝家を滅ぼす(47歳)
1585年関白宣下(49歳)
1598年伏見城にて死去(62歳)
■徳川家康
1542年家康誕生
1560年桶狭間の戦い(18歳)
1562年信長と同盟(20歳)
1582年本能寺の変(40歳)
1586年秀吉と臣従関係(44歳)
1598年秀吉死去(56歳)
1600年関ヶ原の戦い(58歳)
1603年征夷大将軍(61歳)
1616年家康死去(75歳)
年表はいくつかの参考資料をもとに作成しましたが、資料により少し誤差がありますのでご容赦ください。
信長と秀吉の年齢差は3歳、秀吉と家康の年齢差は6歳です。生涯年表を紐解くと、この3人の人生がうまく絡み合っているのがわかります。まず、桶狭間の戦いで信長の人生賭けての大博打で今川義元を破ります。それにより、家康は人質生活から逃れることになります。その後、信長は本能寺の変で死去しますが、信長の後継者争いを経て3年後秀吉が関白となり実質天下を手中にします。家康は本能寺の変の後、今川、武田の領地を手に入れ、秀吉に次ぐ大大名となります。秀吉の死後、2年後関ヶ原の戦いにて石田三成を破り、5年後征夷大将軍となり徳川幕府を開きます。最終的に天下は家康に落ち着きますが、秀吉よりも家康の年齢差が6歳なのに、秀吉が亡くなった後19年も長生きします。
長寿は何物にも変え難い強い運を運んでくれる様に思います。また、特筆すべき点は信長の死後3年で関白になった秀吉。秀吉の死後2年で関ヶ原を勝利し天下を手中に収め、5年で征夷大将軍となり、徳川幕府を樹立した家康。学びとしては、天下人の死が大きく運命を変えるポイントとなっている事。そのポイントでなりふり構わず動き、天下を手中に収めたという点ではないでしょうか?人生の勝負所がいつなのか、見極めたいですね。
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2024.01.01
謹賀新年
明けましておめでとうございます
昨年中は格別のご愛顧を賜り厚く御礼申し上げます。
皆さまの健康にお役に立てますよう
一層のサービス向上を重ねて参りますので
どうぞよろしくお願い申し上げます。
今年もよろしくお願い申し上げます。。