Column 社長コラム
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2016.12.01
歩み
夏の男旅で息子たちと久しぶりにゆっくりと語り合いました。今回のテーマは「どんな人生を歩むのか?」長男21歳大学3回生、私の実家で生活費を与えられ一人暮らし、もちろん学費の支払いも私持ち。次男18歳カナダのハイスクール3年生、ホームステイしながら学校へ通う、もちろん全ての支払いは私持ち。二人とも俗に言う典型的なボンボンです。そんな息子たちに将来について何か考えていることがあるのかを聞いてみました。息子たちから「豊かに暮らしたい」「人生を謳歌したい」と過程のない結論が返ってきました。堅実な答えをイメージしていたので意外に思いましたが、息子たちの答えには何をして「豊かに暮らす」のかがありません。自分自身の20歳の頃を振り返ると、成功だけを夢見て東京に行きましたが、足がかりすら見つけることができずに逃げ帰ってきたことを思い出します。今考えると何の能力も実力もなく、たいした経験もない私が成功するわけがないことは当然でした。
私は息子たちに「豊かに暮らす」には、どのように人生を歩まなければならないかを話しました。
1つ目は「行動することの大切さ」です。目標設定をいくらしても、行動しなければ何も始まりません。行動するためには、目標設定ではなく、行動計画を立てることが大事です。目標設定ばかりしていて、いつまでたっても行動できない人がたくさんいます。「ああなりたい」「こんなことをしたい」「あれが欲しい」とばかり言っていても何も手に入りません。「そのためにどう動く」が行動計画です。
2つ目は「人生はノリが大事だ」ということです。人生を歩んでいるといろんな出来事に遭遇します。チャンスもあればピンチも有りますが、チャンスとピンチはいつも表裏一体のように思えてなりません。過去の出来事を思い出すと大抵がチャンスの中にピンチの要素もあるし、逆にピンチの中にもチャンスの要素がありました。出来事をチャンスと捉え「チャンスに飛びつく」こと。フットワークの軽さ、好奇心の強さ、リスクを承知で飛び込んでいける小さな勇気、その全ての総称を「ノリのよさ」と考えています。小さな成功体験の前には、小さなチャレンジがあり、その小さなチャレンジは「ノリのよさ」から生まれます。ノリの悪い人は人生の波にも乗っていけません。シンプルに考えると全ては「ノリのよさ」から始まるように思います。
3つ目は「決断のルール」です。息子たちも、私の20歳の頃もそうでしたが、何がやりたいかが決まっていませんでした。
たかだか20年の人生、そして大半を親に守られ生きてきた経験や知識の中で、やるべきことが決まっている人は、稀に自ら考えることのできる頭の良い人もいますが、大半は親に守ってもらえず、自分でしっかり生きなければならない環境、もしくは生まれながらに歩む道が決まっている環境で生まれてきたかです。「決断のルール」で大事なことは、あらかじめ未来を予測することです。知っておくこと、考えておくこと、いつも頭を動かして、こうなればどうする、ああなればどうすると、詰め将棋のように考えておくことが必要です。それでも、自分の決断の枠を超えている場合は信頼する人の言うとおりにすることが大事だと考えます。
最後に息子たちにこう伝えました。「他人に迷惑をかけぬこと。人の役に立てる人間になること。人を喜ばせることのできる人間になること。金や名誉などはそれについてくるにすぎない」。
2016/12/01 -
2016.11.01
2016 リオ
リオデジャネイロ オリンピックは南アメリカ大陸で初めての開催、さらに、開催地が冬の時期に行われる(平均気温22度の亜熱帯気候)夏季オリンピックとなりました。今回のオリンピックは開催前から競技場の工事の遅れ、水質汚染、治安の悪さなどの理由から開催が危ぶまれていましたが、極め付けはルセフ大統領停職による大統領不在で開幕。開催決定から7年、トップ不在は五輪に暗い影を落とし、南米初の栄誉が「不安材料ばかり世界中に知られてしまう」と残念がる声が聞こえてきました。
試合結果は参加国206、参加人数11,000人以上、28競技306種目で競われ、メダル数はアメリカが金46、銀37、銅38で1位、2位イギリス、3位中国、4位ロシア、5位ドイツ、6位日本は、金12、銀8、銅21、7位フランス、8位韓国、9位イタリアとなりました。残念だったのはロシアが国ぐるみのドーピング発覚により、多数の選手が出場停止となり、大幅にメダル数を減らしたこと。そんな中、10名の難民による難民選手団が結成された特別措置は、オリンピック憲章に謳う精神に則った極めて時宜を得た英断であり、賄賂やドーピング問題に揺れるIOCにとっては「大金星」と言えるでしょう。
今回のオリンピックで私の心を揺らしたのは選手の流す涙でした。卓球・福原愛「私が足ばかり引っ張って…」との泣きながらの発言には、私も一緒に泣きました。レスリング・吉田沙保里「お父さんに叱られる」と金メダルを取れず泣き崩れている姿に、お母さんの一言「最後までちゃんとやりなさい」これまた泣きました。テニス・錦織圭の銅メダル、柔道日本の復活などまだまだ見所はたくさんありました。勝って泣き、負けて泣く。そこには嘘や偽りがない世界。一生懸命にやってきたからこそ見ているだけで感動し涙する。私にとってオリンピックは寝不足との戦いでもありました。
そんな最中、夜中に違うチャンネルで格差社会についての討論会をしていました。いかにして生活保護、母子手当をもらうか、が議論されていました。おかしいと思いませんか。昔は生活保護をもらうことは恥ずかしいことだったはずです。どうやったらもらわずに生活できるのかを考えました。努力した人、努力しない人。一緒なわけがない。格差があって当然。こんなことを言ったらすぐに揚げ足を取る人が一杯いるのでしょうね。「お前は食えるからいいけど、俺たちはどうするんだ」と。自由を要求するなら、それなりに責任や義務が求められます。自分の都合のいいところだけ要求し、そこには責任のかけらもない。こんな社会では、誰も努力しなくなります。問題を解決するには「上へ上がる」しかない。努力するしかない。なぜ、豊かな暮らしをしてやると思わないのでしょう。手を握ってみんなで一等賞でゴールしましょう、はやめましょうよ。そんなことばかり言って、日本はここまできたように思います。過去そうだったように、オリンピックで活躍した選手のように、みんなが正直に、一生懸命活躍できる社会になることを祈ります。
4年後、東京オリンピックが開催されます。世界が日本に注目しています。1964年、アジアで初めて開催された東京オリンピックは、第二次世界大戦での敗戦後、急速な発展を遂げた日本が、再び国際社会に復帰する、シンボル的な意味を持ちました。2020年、アジアを牽引していくリーダーとして、メダルの数もさることながら、開催国として「おもてなし」の姿勢や愛国精神を大事に、誇り高く準備にあたっていただきたいと思います。また、今回残念だった選手たちの活躍を祈ります。感動をありがとうございました。
2016/11/01 -
2016.10.01
天才
今月のコラムは昭和の宰相・田中角栄について書かれた石原慎太郎著『天才』を参考に書かせていただきました。元々、田中角栄のことを金権政治と批判して真っ向から弓を引いていた筆者が、なぜこの本を書くことになるのか。それはある方の一言「貴方は実は田中角栄という人物が好きなのではないですか」でした。 執筆するにあたり田中角栄についての書物を探しまくると、戦後の政治家の中で彼ほど多くの本が書かれている例は他にない。そしてそれらを、読めば読むほど彼ほど先見性に富んだ政治家は存在しなかったと痛感したそうです。
田中角栄は若くしてテレビというメディアを造成し、南北に長い日本の国土を機能的なものに仕立てた高速道路の整備や新幹線の延長整備、各県に1つずつという空港の整備。エネルギー資源の乏しいこの国の自活のために原子力推進を目指し、アメリカ傘下のメジャーに依存しない独自の資源外交など。彼の先見性に満ちた発想の正確性を今日の日本の在りようが歴史の現実として証しています。独自の発想で、まだ若い時代に40近い議員立法を成し遂げ、それがまだ法律として通用しているという実績を持つ政治家は他にいません。
田中角栄は1918年新潟県柏崎市に生まれ、1946年衆議院選出馬、落選しますが翌年再び出馬し29歳の若さで当選。1948年法務政務次官に就任、炭鉱国管疑獄により逮捕されるが、翌年、今の時代では考えられないことですが、獄中から立候補し再選を果たします。1957年戦後初の三十代の大臣として郵政大臣に39歳で就任。大蔵大臣、通商産業大臣と次々と閣僚のポストを手中に収め、1972年『日本列島改造論』を発表、54歳で内閣総理大臣となり日中国交正常化を実現。翌年には日ソ共同声明を発表。1974年金脈問題を追及され内閣総辞職に追い込まれます。1976年ロッキード事件が発覚し逮捕され自由民主党を離党するが、その年の総選挙ではトップ当選。その後1985年脳梗塞で倒れるまで闇将軍として政界に影響力を持つ。1990年政界引退。1993年死去。1995年最高裁で5億円収受(首相の犯罪)が認定される。
この本で、田中角栄の人間的な魅力に改めて触れたのが、聴く人を魅了する挨拶でした。私のお気に入りは大蔵大臣就任時の挨拶です。「私が田中角栄だ。私の学歴は諸君と大分違って小学校高等科卒業だ。諸君は日本中の秀才の代表であり、財政金融の専門家ぞろいだ。私は素人だがトゲの多い門松を沢山くぐってきて、いささか仕事のコツを知っている。これから一緒に仕事をするには互いによく知り合うことが大切だ。我と思わん者は誰でも大臣室にきて欲しい。なんでも言ってくれ。いちいち上司の許可を得る必要はない。出来ることはやる。出来ないことはやらない。しかし、すべての責任はこの俺が背負うから。以上だ。」
政治家の一番大事な仕事は、世の中を良くすることだと思います。その為には未来を見通す先見性こそが何より大切だと感じます。何を支援し、何を切り捨てるのかを責任をもって決めることが必要です。田中角栄が「天才」と言われる所以は、若くして政治の道を志したから、そしてその道を精一杯極めたからだと思います。
最後に私がメンタルヘルスの先生から聞いた天才(カリスマ)の特徴をお伝えします。
1.天才は必ず敵をつくる 2.内なる自分に語りかける 3.他人の反応に疎いが、自分がどうしたいかが強い
(参考文献:石原慎太郎著『天才』幻冬舎,2016)
2016年10月
2016/10/01 -
2016.09.01
シェアリング・エコノミー
近年、世界規模で世の中が激変していると感じます。日本が世界に誇っていた家電メーカーは台湾、韓国のメーカーにあっさりと負けました。長年世界第2位の経済大国だった日本は中国にその座を奪われました。しかし、今や中国でさえも、工場の拠点はベトナム、ミャンマー、カンボジアへ移り、その座をASEAN諸国に奪われようとしています。そして今、私が一番激変を感じているのは、シェアリング・エコノミー(共有型経済)です。WEBビジネスが、リアルビジネスを国境や規制の壁を軽々越えて侵食しています。「モノを所有」する時代から「モノを共有」する時代へ。「こうあるべき」という古い権威や秩序が「こうでもよい」という新しい発想へ、大きく傾きつつあります。
シェアリング・エコノミーとは個人が所有する遊休資産の貸し出しを仲介するサービスであり、貸主は遊休資産の活用により収入、借主は所有することなく利用できるというメリットがあります。2013年約150億ドルの市場規模が、2025年3,350億ドル規模に成長する見込みです。2008年にスタートした空き部屋を宿泊施設として貸し出すairbnb(エアビーアンドビー)、2010年にスタートした、車の空き座席をタクシー代わりに貸し出すUBER(ウーバ―)、2012年スタートの自家用車の空き時間をレンタカー代わりに貸し出すRELAYRIDERS(リレーライド)など多数のサービスが生まれています。私がなかでも一番面白いと思って見ているのは、UBERです。
UBERは日本には2014年に上陸、供給過剰のタクシー業界の抵抗が厳しく、現在は東京都でのタクシー、ハイヤー配車など一部サービスの提供にとどまっています。アメリカでは、トヨタと提携し、ドライバー向けに自動車リースを発表。自家用車を持たない個人でもドライバーとして働けることで、供給量を増やす狙いです。一方で、UBERは10万台ものメルセデスベンツ「Sクラス」を購入しました。Sクラスには、自動運転機能がついています。また、ピッツバーグ州に自動運転技術の研究施設を設置するなど、UBERは完全自動運転の実現する世界を見据えています。将来UBERは、交通手段だけでなく、モノやサービスの提供といった「物流手段」までも掌握するプラットフォームになりえます。
激変する世の中で活躍するために必要な資質とは何かを考えていたら、イチロー選手のインタビュー記事が目にとまりました。「自分が全く予想しなかった球がきた時に、どう対応するか、それが大事。試合で打ちたい球はこない。好きな球を待っていたのでは終わってしまいます」。イチロー選手は毎日違うピッチャーに相対し実績を残しています。もちろん相手もプロのピッチャー、イチロー選手を研究しています。にもかかわらず、毎年高い水準で結果を残しています。「夢や目標を達成するには1つしか方法がない。今、自分にできること。頑張ればできそうなこと。小さなことを積み重ねることが、とんでもないところへ行くただひとつの道だと思う」。相手の変化に順応するポイントは、危機意識を高く持ち、目標に向かって小さな自信を積み重ねることなのでしょうね。
2016年9月
2016/09/01 -
2016.08.01
あらかじめ
毎年デミックでは10~15名の新卒社員を採用してきました。しかし、今年から新卒採用をやめる決断をしました。やめた理由は、大手企業が採用数を増やした影響で中小企業の新卒採用が厳しくなったこともありますが、それ以上に大きな理由は、一緒に事業をすることになった、東大卒で大学生のカリスマR君(25歳)の「上位1%の優秀な学生は、就職活動はせず自分で起業しますよ。」という一言でした。
デミックは過去12年にわたり企業説明会を開催し、多くの社員が面接やイベントに関わってきました。社長である私も新卒採用の先頭に立ち、3月・4月は毎週のように関西・関東・四国の、どこかの企業説明会場にて社長スピーチをやり、本社での最終社長面接も40名近くおこなってきました。社長である私の一番の大切な仕事が新卒採用だったように思います。これは、ひとえに優秀な新卒社員を採用したかったからです。しかし、牛乳宅配ビジネスの主たる仕事は飛び込み営業ということもあり、多くの新卒社員は未来への夢・希望を思い描くことができずに辞めていきました。社員が辞めるというのは、社長にとってはとても寂しいことです。「社員が未来に向けてやりがいのあるビジネスモデルがやりたい」と切に願うようになりました。それが、最近の私のビジネススタイル「一緒にやって楽しい人とやりがいのある事業を全国に拡げる」の最初の動機だったかもしれません。ビジネススタイルが変わると自ずと、求める人材層も変わり「優秀な新卒」から「事業を任せることのできる社長」へと変化していきました。
今年の初め冒頭のカリスマR君と出会い、「起業を目指す大学生支援サイト」を立ち上げることになりました。起業を目指す大学生たちと話しをしていると、それまでの価値観は一変しました。彼らの価値観や考え方は社会人を10年経験したからといって、そこまで到達できるとは思えない域に達していました。新卒社員を採用し、育てていくことは決して否定しませんが、新たな出会いにより新たな事業が数々立ち上がっていく環境においては新卒育成は効率が悪く手間のかかる作業であることも否めません。そして、社長である私自身も新たな出会いや気づきにより社員の成長スピードを上回るスピードで成長させていただいたように思います。結果、新卒採用をやめ、社長をできる人材を求めるようになっていきました。最近、デミックの新卒社員たちの中から、新規事業への配属が次々と続いています。それなりに困難はあると思いますが、やりがいを持ってやってくれていると自負しています。
あらゆる選択肢の中から成功する確率の最も高いものを選ぶためには「予」を大切にしなければなりません。予感、予想、予測、予防、予期・・・の「予」です。あらかじめ感じ、あらかじめ想像し、あらかじめ学び、あらかじめ測り、あらかじめ覚悟する。常に「あらかじめ」を大切にし、念頭に置いていれば自ずと正しい道をたどることができるように思います。私の経験によると一流は例外なく感じる力を持っています。感じる力とは修正能力のことで、感じるとは少しの変化や移ろいに気づくことです。生きることは変化の連続です。その変化をいかに捉え、対応していくかが紙一重のところで明暗を分ける要因となります。変わりゆく今を生き抜くために必要なものは、良質な人脈、そして、そこから得られる良質な情報こそが重要だと感じます。
2016年8月
2016/08/01 -
2016.07.01
ボトムアップ
デミックでは創業以来、私の強烈なリーダーシップのもと「トップダウン経営」を用いてきましたが、3年程前から「ボトムアップ経営」に組織経営の手法が変化しました。私が意識的に変化させたというより、必然的な変化だったように思います。創業時、1店舗だった店が2店舗、3店舗と増え、4年前に現在の18店舗となりました。エリアも関西、関東、四国と広がり、気がつくとスタッフの数も300人を超えるような組織になっていました。「トップダウン経営」の最大のメリットは「意思決定が素早くできる」ですが、広域に広がった店舗網では、それぞれの店舗で取り巻く経営環境が違います。私の意思決定よりも、それぞれの店舗での経営判断が必要な場面も多々あります。しかし、「トップダウン経営」を長年続けていると、「現場社員が自分で考え、自分で行動する力を無くす」デメリットが発生します。事業計画も私が「これぐらいなら出来るでしょう」、現場は「出来るはずない」とこうなります。無理やり事業計画を達成させようとすると、販促費用が余分にかかるのが常でした。「トップダウン経営」の一番苦労した点は、私自身に時間的に、能力的にも非常に負担のかかる経営手法だったということです。いつかは「ボトムアップ経営」にシフトしたいと願っていました。
ではなぜ長年「ボトムアップ経営」にシフトできなかったのか。過去を振り返り思い当たったのは、創業期に起こったアルバイトの集金使い込み事件でした。集金したお金を自分の借金返済へ流用し、回していたことが発覚しました。あの時から使い込みされるのは会社に責任がある。使い込みができない仕組みを作る、人を信じない経営を主軸に置くような考え方になりました。しかし、それはスタッフを疑ってかかることを前提にしています。当たり前ですが、疑っている相手に権限を移譲する「ボトムアップ経営」は出来るわけもありませんでした。それを、変えてくれたのはある女性飲食店経営者でした。数店舗飲食店を経営している女性経営者に「お金の管理はどうしていますか?使い込みされたりしませんか?」と質問すると「そんなこと考えたことない」と潔い答えが返ってきました。小さい自分を見透かされたようで情けない気持ちに陥りました。この気づきを深く受け止めたところから、私の「ボトムアップ経営」が始まりました。まずは信じる、とことん信じる。次に任せる、とことん任せる。あとは褒めるだけです。
目の前にいるスタッフを信じ全てを任せてみると、それまでこだわっていたことが、なんてちっぽけなものだったのかがわかりました。そして、何より気持ちが楽になりました。「自分がやらなくちゃ」とよく思っていましたが、今は「どう思う?任すわ、やってみたら!」こんな風に発言も変わってきたように思います。私はこちらの方が向いているのかもしれません。そして、一番大きな「ボトムアップ経営」の効果を実感したのは賞与の支払い直後でした。私ではなく顧問、役員、エリア長、店長と、自分たちで決めた事業計画を達成した社員たちから「ありがとうございました」とお礼の電話がありました。私は信じて任せただけなのに。経営者は口ではお金を出してあげたいと言いますが、出しすぎて業績が悪くなると返してもらえないとか、これが習慣になったらどうしようとか、出さなくてもよい言い訳を考えてしまいます。経営に自分の都合を反映さえながら結局、任せきれないんですね。
老子の言葉に「大国を治るは、小鮮を烹(に)るが若(ごと)し」という言葉があります。大きな組織を束ねることは、小魚を煮ることと似ている。やたらと手を出さずにコトコトとじっくり煮るのがうまく煮るコツだと。自分で考え、自分で行動できるまでには時間がかかります。相手を信じて任せることのできる人は、自分を信じることができる人なのでしょうね。
2016年7月
2016/07/01 -
2016.06.01
スティーブ・ジョブズ
アップル社の創業者、スティーブ・ジョブズ最後の言葉をフェイスブックで見つけました。死を目前にした成功者はこんなことを考えるのだと感慨深く読みました。皆様の生きかたの参考になれば幸いです。
「私はビジネスの世界で成功の頂点に君臨した。他の人の目には私の人生は成功の典型的な縮図に見えるだろう。しかし、仕事を除くと喜びの少ない人生だった。人生の終わりには、富など私の積み上げてきたものは、人生の単なる事実でしかない。病気でベッドに寝ていると、人生が走馬灯のように思い出される。私がずっとプライドを持っていたことや、富や名誉も迫る死を目前にして色あせていき、何の意味もなさなくなっている。この暗闇の中で生命維持装置のグリーンライトが点滅するのを見つめ機械的な音が聞こえてくる。神の域を感じる、死がだんだん近づいてくる…。今やっと理解したことがある。人生において十分にやっていけるだけの富を積み上げた後は、富とは関係のない他のことを追い求めたほうが良い。もっと大切な他のこと。それは人間関係や芸術や、または若い頃からの夢かもしれない。終わりを知らない富の追求は人を歪ませてしまう。私のようにね。神は誰しもの心の中に、富によってもたらされた幻想ではなく、愛を感じさせるための「感覚」というものを与えてくださった。私が勝ち得た富は死ぬ時に一緒に持っていけるものではない。私が持っていける物は、愛情に溢れた思い出だけだ。これこそが本当の豊かさであり、あなたとずっと一緒にいてくれる物、あなたの道を照らしてくれる物だ。愛とは何千マイルも超えて旅をする。人生に限界はない。行きたいところに行きなさい。望むところまで高峰を登りなさい。全てはあなたの心の中にある。全てはあなたの手の中にあるのだから。
物質的な物はなくなっても、また見つけられる。しかし、一つだけ無くなってしまっては再び見つけられない物がある。人生だよ。命だよ。手術室に入る時、その病人は、まだ読み終えていない本が一冊あったことに気付くんだ。『健康な人生を送る本』。あなたの人生がどのようなステージにあったとしても、誰もが人生の幕を閉じる日がやってくる。あなたの家族のために愛情を大切にしてください。あなたのパートナーのために、あなたの友人のために。そして、自分を丁寧に扱ってください。他の人を大切にしてください。」
ジョブズのように偉大な経営者でも死を目前にして、人生で大事なことは富の追求よりも愛だと。人生の終わりに残るものは集めたものではなく、与えたものなのだと考えさせられました。私自身のライフスタイルを見つめ直すと、楽しくて仕方のないビジネスを理由に、家族そっちのけにして、毎日愉快に全国を飛び回っているのが実情です。しかし、このような素晴らしい環境で人生を過ごせているのは、やはり家族の愛情や理解の賜物だと思えます。今、置かれている環境に感謝し、家族にもっと愛情を注ぐことを忘れずに生きていかなければ、人生は意味のないものになってしまうように思います。私たちは与えることにより与えられ、人に尽くすことにより生き続けることができる。ジョブズの死を目前にした言葉が大きな気づきとなりました。合掌
2016年6月
2016/06/01 -
2016.05.01
ホリエモン
ホリエモンこと堀江貴文氏(元ライブドアCEO)は、プロ野球買収やテレビ局買収で一世を風靡し一時は時代の寵児のごとくもてはやされました。しかし、粉飾決算問題で凋落し刑務所へ収監された経験もありました。ジェットコースターのような人生を経験した彼が、ある大学の卒業生への贈った言葉に感銘を受けたので紹介します。
「これまでレールの上をただ走ってきた人生は卒業と共に終えることになります。就職活動して、同じ会社に定年まで勤めて、その間家族を持って、家を建てて。皆さんはいわゆる普通の生活を送っていくと思っていたかもしれない。しかし、そんな未来はおそらくごく一部の人しか歩めないと思います。インターネット、スマートフォン、そういったものが社会の仕組みを大きく変えようとしているからです。皆さんが知らないうちに、世界中の凄い人、頭の良い人達は新しい技術を開発して勝手に世の中を変えています。まず、その事実に気づいてください。今までは会社の上司やマスメディアの言うことに従っていたら良かったですが、権威が当たり前では無い時代になります。
世界はインターネットが作り出したグローバル化によってどんどん変化しています。日本は戦後何十年も高度経済成長で世界第2位の経済大国になりました。僕より上の世代じゃないと、日本が貧しかったことは知らないと思います。しかし、日本が豊かな時代も終わりました。先日、札幌でタイ式マッサージを受けました。90分¥5,000でした。この前タイへ行ってマッサージを受けたら、90分チップ込みで¥2,500でした。日本とバンコクの代金はたった2倍の差しかありません。現状でこれです。バンコクの高額所得者は完全に日本のホワイトカラーの年収を超えています。そんな、富裕層の人達がゴロゴロいます。1人¥50,000の寿司屋が毎晩満席です。そして、そんな時代に突入している事実を踏まえ危機感を持っている人が日本の政財界にもいない。グローバル化とはそういうことです。
インフラの整っていない途上国でも、携帯電話の基地局ができ、中国製10,000円以下の携帯電話がバラまかれます。今まで、発展できなかった国の人達でもインターネットで世界最高峰の知に触れることができます。そんな世界中の人達がライバルとなる土俵の上に立って生きていかねばなりません。当たり前ですが、努力をしないと取り残されてしまう厳しい世界が待ち受けています。就職できて一生安泰だと思っている会社はおそらくどこかで潰れたり、吸収合併されたりすると思います。それを前提に生きてください。
これから日本はどうなるのでしょうか?年金はもらえるのでしょうか?いくら準備したって、50年後のことなんてわからない。10年前に歩きスマホしながらツイッターやLINEをやってる未来を想像できましたか。僕もできなかった。だから未来のことを考えることは意味がない。今を集中して生きる。今を楽しむ。長期計画なんて関係ない。これから生きていく上で大事なことは『未来を怖れず、過去に執着せず、今を生きろ』。」
運命は人の力や知恵ではどうにもならないこともあるように思います。どうにもならないものは潔く天に任せれば良いと心がけています。運を天に任せたらやるべきことを実直にただひたすら正しい道を歩くことが大事です。自分自身が納得し満足のできる人生を歩んでいくことが大事なことだとわかってきました。どうなるかわからない未来を考えるより、今を精一杯生きることが大切ですね。
2016年5月
2016/05/01 -
2016.04.01
リーダーシップ
ある会合で校長先生の悩みを聞きました。それは新任の先生の育成法でした。例えばイベントがあるとする。「昔だったら校長が何も言わなくても若手の先生たちから『イベントの練習しようや』と声が上がったものでした。しかし今は、そんな声が上がらない。それどころか下手をすると校長の私が『練習しよう』と声をかけている始末です。それでも動かない『笛吹けど踊らず』とこんな調子です。どうしたらリーダーシップを育成できるのでしょうか?」
私が人生において初めてリーダーシップに触れたのはJCという団体での委員長の行動でした。年度当初、その委員長はチームの一員となった私の会社に挨拶に来られました。それまでの私はJCには気が向いたときに行くという中途半端な活動でした。きっと、行きやすい環境を作ってくれたのだと思います。やむなく欠席したときには必ず翌日、会議議事録のFAXを送っていただきました。そして、FAXには自筆で「次回参加してくださいね」と書かれていました。会議には30分以上前、一番最初に来て、私たちメンバーを元気な挨拶で迎えていただき、会議中に飲むお茶も全員分を買い揃えていました。会議ではそれぞれのメンバー全員に見合った役割を与え、進捗確認と必ずそれに対する評価も忘れませんでした。そんな委員長の気遣いあるリーダーシップに多くのメンバーが出席しました。そして、いつも会議終了後の懇親会にも全メンバーが参加して、楽しくて仕方がなかった記憶があります。そんな委員長との出会いにより、私も「こんな人間になりたい」とJCにのめり込むきっかけとなりました。JCでは多くのリーダーを見てきました。そこで感じたことはリーダーシップには「人を動かす能力」と「人が動きたくなる魅力」の2つがあるということでした。資質と人柄が大事であることは言うまでもありませんが、その中で最強のリーダーシップは「好きだから」だと、私は考えます。人から好かれるのと嫌われるのとでは大違いです。いくら立派なことを言っても嫌われていると、「何を細かいこと言っとるんや」と言われます。逆に、好かれていると理不尽なことを言っても「あの人に言われたら仕方ない」と許されます。「好きだから」という魅力がリーダーシップには大きく関係しているように思います。
マザー・テレサがノーベル平和賞をもらったときの記者会見での席で、一人の記者から質問されました。「世界平和を実現するために、私にできることはなんでしょうか?」すると、マザー・テレサは笑顔で答えました。「今日お家に帰ったら、家族を喜ばせてください」と。この言葉はまさに真理だと思います。リーダーは足もとより遠くを見がちになる。家族やスタッフ、自分の大切な人を見落とし、大きな世界に夢を馳せます。しかし、自分の大切にすべき人一人をも幸せにできずに、世界や日本という大きな集合体を幸せにしようとするのは、どう考えても無理があります。学校なら生徒たちのことを一番に考えている先生。仕事場なら目の前にいるスタッフのことを一番に気遣ってくれている上司。政治の世界なら誰よりも日本の国民のことを愛してくれている政治家。リーダーシップとは目の前の一人に「好きだから」と思われること。遠回りのように見えて、実はこれが一番早道だと思います。急ぐ必要はなし、足元を固めよう。器に応じた仕事が勝手に転がり込んでくるように思います。
2016/04/01 -
2016.03.01
成人式
20年前、阪神淡路大震災の難を妻のお腹で過ごした長男が成人式を迎えることができました。はなむけの言葉を探しましたが「ありがとう」この一言だけが思い浮かびました。長男の内向的な性格を変革するために、一緒に始めた朝の散歩や男旅を懐かしく感じます。成人として自覚と誇りを持って羽ばたいて欲しいと願います。今回のコラムは、私の誇れない成人式の頃を書きます。
成人式を迎えた頃、私は大学を中退して東京へ家出中でした。あの頃の私は学歴や外見だけでダメな奴と決め付ける大人が嫌いで、心のどこかで馬鹿にしていたように思います。でも、自分には何もない、それは自分が一番わかっていました。目標もなければ誰かに期待されることもない、友人と過ごす時間だけが唯一の救いで、勿論将来の希望もありません。尖って反抗していたのは傷つけられまいとしていたのかもしれません。そんな自分を変えたくて、いやそんな自分から逃避したくて、私は東京への家出を決意しました。東京へ行けば変われるんだと、何の根拠もないのにそう思い込んでいました。友人たちに見送られJR大阪駅から夜行列車に乗り、早朝上野駅に到着しました。今ではあり得ない何の計画性もない旅立ちでした。不思議とあの頃のことはよく覚えています。まず、当時流行っていたテレビドラマ「俺たちの旅」の舞台だった、吉祥寺の井之頭公園を散策。その後、住み込みで働ける先を探し何件かを訪問しましたが「関西から来た」と言うと全て断られました。途方に暮れて吉野家で牛丼を食べながら、「どこで寝ようか」と考えていました。ここで奇跡が起こります。何と吉野家のアルバイトスタッフが、偶然2ヶ月前まで阪急塚口駅(私の住んでいた武庫之荘の隣駅)に住んでいたことが発覚。「偶然ですね、泊まりにきますか」と。好意に甘えて家に行くとお母さんに「ちゃんと親に言ってきたの?」と心配されます。家出してきたとは言えませんでした。翌朝、朝食までごちそうになり、吉野家本社へ面接に行きました。これがご縁で吉野家の工場で住み込みで働くことになりました。家に帰ってこない息子が東京にいて、吉野家の人事課からの「息子さんが東京で住み込みで働きたいと言っていますが大丈夫ですか」との電話に、母親は二つ返事で「よろしくお願いします」と対応、ご立派です。吉野家に住み込みで働きながら資金を貯め吉祥寺へ転居。3畳一間で風呂なし、共同トイレ。寝転がっていても全てが手に届く狭い部屋。今では絶対にできない経験です。そんな環境の中で将来について、「どう生きる」「何がしたい」などいつも考えていました。独りで暮らし一番感じたのは、世間の冷たさ厳しさと両親の愛情の深さでした。それまで両親の元でぬくぬくと暮らしていた人生がどれだけ有難かったか。親への感謝の気持ちが芽生えました。生きていくためには自分で考えて、自分で動かなければなりません。人生を変えるのはそう簡単じゃないと実感した家出生活となりました。
あれから34年。あの頃の自分にアドバイスするなら「置かれた場所で咲きなさい」。置かれた場所に不平・不満を持つのではなく、どんな場所に置かれても花を咲かせる心を持ち続ける。人生は決して順風満帆ではない。苦労や試練は人を強くし、深みを与える。境遇は選ぶことができないが、生き方は選ぶことができる。今というかけがえのない時間を精一杯生きなさい。時間の使い方が命の使い方。こんな言葉をかけてあげたいと思います。
2016/03/01