Column 社長コラム
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2020.12.01
本田健③
先月号の続きです。本田健氏の提言などを参考にして、コロナ禍にやるべきことを3つ決めて実行しました。先月号の①固定費・人件費を大幅削減して身軽になっておくに続いて、
②借りられるだけお金は借りておく
付き合いのある銀行に借り入れを申し込むと、ほぼ前向きに貸してくれました。日頃の何倍もの銀行と借り入れの話をすることで、銀行と話をする基本が身についたように思います。最初に「数字」、特に売り上げ、人件費、粗利益などの実績を報告します。次に現況と今後の事業計画、トピックス、他行の融資状況などを報告します。最後に「良いことも悪いことも報告する」のが原則ですが、「悪いことは先に、良いことは後に話す」ようにします。実は逆になりがちですが、最後に聞いた話の方が印象に残りやすいので、基本は悪い話を先に話すように心がけています。結果、どの銀行もコロナ支援という時期もあって好意的に貸付が決まり、気がつくと通常の借入額の2倍の借入額となっていました。返済期間も通常の五年から十年に伸ばし、三年間の元金返済猶予もあり、三年は借り入れをしなくても良い状況となりました。コロナ以前は常に借り入れを考えながら経営をしていましたが、資金の余裕ができると長期的に経営を考えることができ、同時に借り入れに対する考え方も変わりました。借り入れは悪でなるべく借りない、金利はなるべく安く、返済は短期にと思い込んでいました。しかし、今回の借り入れで私の中のリミッターが外れると同時に、パラダイムの変換も起き、金利が少々高くても返済期間は長く、借りられるだけ借りる資金繰りを学びました。キャッシュは会社の生命線ですが、必要以上にお金を貯めておくのは意味がありません。大事なお金だからこそ「貯める」のではなく「回す」ことが正解だと考えるようになりました。私はその資金を有形資産(不動産・海外投資・金融投資・新規事業・M&A資金)に分散投資をして運用したいと考えています。
③デジタル化へ大きく舵を切る
デジタル化を進めていくこと、それはどういうことなのかを考えてみました。自社の顧客管理ソフトをアップデートさせて効率を上げ、情報を活用する・自社の販売手法をデジタル化する・自社でECサイトやソフトを開発できるようになる・他社の要望に応じたソフトを開発する等、一言でデジタル化といっても多種多様な方向性があり、何から手をつければいいのか思い悩みました。結局は一歩ずつということで、社内にデジタルチームをつくり、プロからWebサイトやECサイトの作り方を教えてもらうことに。次に、自社ECサイトから商品を販売してみて、そのサイトを育てる。考えてみると、このデジタル化社会に、今からデジタル化をスタートして、デジタル企業のようになるのは、夢のまた夢のような話だと思います。では、どうしたらいいのか。自社でデジタル化を構築できないのなら、デジタル企業を買収、もしくはデジタル企業と手を組む、なども考えましたが、予算面・時間面で遠すぎるように思います。これでは先行しているデジタル企業には追いつけないのは必然です。他に良い方法はないのかを、あれこれ考えていると、嘘のような話ですが発展途上の海外デジタル企業への投資の話が舞い込んできました。その会社へ投資をしてリターンを得ると言うのは当たり前の話ですが、その会社が開発したソフトやアプリを自社で活用する・自社で必要なソフトの製作を依頼する・その企業の開発したソフトを日本企業向けに翻訳や微調整をして販売する等、考えています。また、未来は日本企業の依頼に応じたWebサイトやソフト開発の窓口となるなど、いろいろ構想が膨らみ考えているだけでワクワクしてきました。デジタル化をきっかけにデジタル企業になる。そんな目標があっても楽しいんじゃないのかと思います。
コロナ緊急事態宣言から半年以上が過ぎました。5月中旬、緊急事態宣言は解除されましたが、自粛活動は経済に大きな打撃を与えました。現在は政府の助成金・補助金、銀行のコロナ対策支援貸付により、多くの企業は資金も潤沢だと思います。日経平均株価もなぜか高いですが(十月十一日現在)、アメリカの大統領選挙が終わるとどうなるかわかりません。経済の実態はリーマンショック以上の大不況になると経済の専門家は口々に言います。私の生活も出張中心の生活から、リモートミーティング中心の生活となりました。この生活はいくらでも仕事ができ、時間的な効率・経費的な効率ひいては経営効率を著しく良くしました。もう元へは戻れません。「仕事は人生をかけてやる遊び」この言葉通り毎日夢中で遊んでおりますが、リモートとなり効率が上がり、ついついやりすぎてしまうので、少しゆっくりとしたペースにしなければと考えています。その理由は私の問題ではなく、私の周りにいるスタッフがもたないからです。社長のパワーやエネルギーは周りにいるスタッフとは比較にならないぐらい強いことが、今回のコロナを通してわかりました。何事もほどほどに、周りにいる人への気遣いを忘れず、楽しく遊びたいと思います。
2020/12/01 -
2020.11.01
本田健②
先月に引き続き、本田健氏の提言を書かせていただきます。世界が大きく変わる時に、全てを変える覚悟を決める必要があります。なぜなら、これからは感染症と経済(仕事とお金)という二つの問題が必ず付きまとうからです。コロナ禍で私たちができることはあまりないと思われがちですが、とにかく変わろうと思うことは誰でもできます。外食、コンサート、海外旅行、など普通だったことができなくなりました。それによって、今まで普通にやってきたことが通用しなくなります。今、全ての仕組みが変わろうとしています。過去に例を取るなら、日本の忌まわしい戦争時代と同じぐらいの超激動時代が、これから起こる可能性があります。今までの常識を全て捨てて考えるぐらいのことをしないと対応できません。決断とは「決める」に意識がいきがちですが、「断つ」が重要で、覚悟を決めること、即ち「断つ」ことを意識しましょう。断つこと、変わることが難しいと言っている人は変化にのまれます。今、何かをやらないと破綻は目に見えています。あたかも消滅していないように振舞っていますが、まさに今、多くの仕事が消滅しています。飲食店の2、3割は閉店し、今まで賑わっていた京都のおみやげ屋さんは、外国人客が来ないのが当たり前となります。大きな仕組みの変化を、この数ヶ月で実感すると思います。もう一つコロナは他人事ではありません。自分が感染したらどうする?仕事が半年できなかったらどうする?など、アリとキリギリスの話のようですが、今まだ大変じゃない時に、お金を借りたり、新しいビジネスを考えたりしておかなければなりません。「コロナは大丈夫、何とかなるから」と言っている人は、何とかならない時に困ります。どんなシナリオがきても大丈夫なように準備しておく必要があります。
本田健氏の提言などを参考にして、コロナ禍にやるべきことを3つ決めて実行しました。
①固定費・人件費を大幅削減して身軽になっておく
②借りられるだけお金を借りておく
③デジタル化へ大きく舵を切る
①会議がリモートになったことで、必然的に全社員の旅費・交通費が削減でき、東京や海外の事務所を解約し固定費を下げました。人件費は削減ではなく、費用対効果を上げる手法をとりました。当社の店舗網は広域多店舗展開と全国に広がっているので、エリアの責任者の手腕が大きく経営に関わります。また余剰な人員がいるわけでもないので費用対効果を上げようとすると、エリア責任者と地域の社員・配達員の人間関係が改革の邪魔をするのが常でした。しかし、今回ばかりは変わらなければ、会社ごと消えて無くなるという危機感から、私が改革の中心になり、強い意志を持ち進めることになりました。まず、社員は役割分担を明確にしました。営業は営業だけ、配達は配達だけ、事務は店長職を兼ねていただき、今までの店長の仕事を無くしました。事務員以外の社員役割は営業か配達とし、それぞれの役割に対して営業数値をポイント制にして競い合い、社員のポイント順位を明確にしました。順位の低い社員には研修を課して、成長を促しました。人は変化を嫌いますが、社長である私自身が組織のど真ん中にしっかり腰を下ろし、社員と向き合いコミュニケーションをとると、当たり前ですが、コロナ禍にも関わらず業績は上向いてきました。牛乳宅配事業を始めとして、飲食店事業、整骨院・エステ事業、コンサルティング事業など数々の事業もリモートミーティングを実施しながら顕著に良くなってきました。過去を振り返り、東京、名古屋、九州、海外と飛び回っていた自分自身の仕事ぶりを、「いったい何をしていたのか」と反省中です。既存事業については、このままリモートミーティングをしっかりして、社員ひとり一人が成長すれば、たとえコロナ禍であろうとも、生き残れると確信しました。次の課題は次々控えている新規事業をどう成功させるかでした。こちらも同じように、プロジェクトリーダーを決めて、いつまでに何をどこまでやるか、予算はいくら、売り上げはいくら、それをいつまでにするかを考えて事業計画を作成しました。先ほど人は「変わること」が苦手だと書きましたが、もう一つ苦手なことが「考えること」です。普段から考える習慣がないと、考えること自体が苦手になります。何事も始める前に考え、優先順位決め、短期・中期・長期の仕事に置き換えて、自分ですぐできること(その日)・部下にさせること(2週間以内)・じっくり考えてやること(3カ月以内)に分けて取り組みます。始める前は考えて、考えて、考え抜く、いざ始めると早く、より早く、全力を持って早くを心がけ事業計画を進めていきます。いくつか新規事業が始まりますがそれはまた次の機会に書こうと思います。
②借りられるだけお金を借りておく③デジタル化に大きく舵を切る は次号とさせていただきます
2020/11/01 -
2020.10.01
本田健①
コロナ自粛生活により、私の日常も大きな変化をもたらすことになりました。移動のない、食事以外はどこへも行かない生活からか、毎夜夕食後に会社(社長室)へ行き、夜中まで仕事をすることが多くなりました。仕事と言っても、YouTubeや本からコロナ後の経済予測などの情報収集をしながら、あれこれ考える時間(主に自社のビジネスモデルの未来、すなわち自分自身の未来について向き合う習慣)のことです。そんな新しい習慣の中で、最も感銘する人物に出会いました。作家の本田健さんです。本田健氏は1965年8月2日神戸生まれ、自己啓発書作家・お金・幸せ・ライフワークがテーマ、代表作は「ユダヤ人大富豪の教え」です。
本田健氏のセルフイメージについての話にとても感銘したので紹介します。『セルフイメージを2ランクアップした自分になったつもりで生きることが大事。セルフイメージは成功したから良くなるというものではなくて、良いイメージを持った人が結果的に成功する。セルフイメージも無く偶然成功してしまうと、当然ながら一度手にした成功も簡単に手放してしまいます。自分を客観的に見つめて、そこから2ランクアップした自分とはどんな自分かを想像します。そこから今の自分の状態を考えてみます。例えば、自分が何か行動を起こす時、単なる仕事でやるのと、喜びや幸せを得られてやるのでは、行動のエネルギー値がぜんぜん違ってきます。絶えず最高の未来を感じて、自分がワクワクできているかどうか、そんな日常が、とても大事なことだと思います。私は日本人には良いセルフイメージを健全に持てている人は少ないように思います。こんな時期だからこそ、自分の正しいセルフイメージ、良いセルフイメージを持てるようになれたらいいと思います。「自分を褒めるべき時は褒めてもいいんだ」と変えてみてはどうでしょうか。結論は自分がどういうことをやっていきたいか?ってことですね。例えば、役職は平社員だけど係長のつもりで考えてみる。そうなると視点が自然と高くなります。飲食店を経営しているなら、お客さんが十人しか来てなくても、いつも百人来る意気込みでやる。そうなると、気持ち的には全然違うし、結果にも違いが出ると思います。パワフルに情熱的に気概を持ってやっていると現実が何年かで追いついてきます。絶えず最高の未来に、自分がワクワクできるかどうか、が大事なことだと思います。セルフイメージをランクアップして人生を変えるにはどうしたら良いのか。それには自分がどういう人物になりたいのかを考えてみます。そして、想定した人物になりきり、目の前のことをやっていくと現実が追いついてきます。その行為が私たちの器を作っています。器ができれば、それに現実という中身が入ってくる。今、自分に自信がなくても関係ないんです。自信がないからセルフイメージが高まらない、これは全然関係のないことだと思います。こういう生き方をしたいという自分の理想像をはっきりすることが最初のステップだと思います。もしかしたら月末の支払いができないことで、自分が良いセルフイメージを持てない人がいるとします。自分に対する疑いが出てきているはずです。だからこそ、最高の自分を信頼して欲しいのです。なぜかと言うと、私たちの今の問題を解決するには、2ランク上の自分じゃないと解決できないからなんです。今の問題と同じランクにいたら、今の問題を解決することはできません。私たちが2ランクアップしてエネルギー値だけでも大きくなったとしたら、その状態で今の問題を見た時に問題は簡単に解決できます。その問題よりも大きな人間になると、未来のエネルギーを先取りして、そのエネルギー値で現在を生きることができたら、どんな問題も恐れることはありません。』
この本田健氏のセルフイメージについての話を聞いた時に、セルフイメージをランクアップして人生を変えた歴史上の人物が思い浮かびました。その人物は豊臣秀吉でした。1576年、秀吉は北陸軍団長の柴田勝家の与力として北陸の地にいました。柴田勝家と意見が合わず、織田信長に報告せずに北陸から帰ってきてしまいます。信長の怒りは相当なもので、一時は切腹までさせられそうになりました。しかし、多くの助命嘆願に救われ、中国攻めの指令を言い渡されます。1582年、信長が明智光秀の謀反により命を落とすと、秀吉は、光秀を撃つべきと、毛利と講和をまとめ、中国大返しで戻り、見事に光秀を討ち果たします。その後、清洲会議で織田家中の主導権を握ります。1583年、宿敵勝家を滅ぼし、1590年、天下統一を果たします。信長の死後わずか8年でした。信長の訃報を聞いた時に、秀吉は、信長の家臣から、自らが天下人になるというセルフイメージを先取りして天下人になります。セルフイメージをランクアップさせて、見事に人生を変えた見本だと思います。私たちもコロナを機に人生を変えることのできるセルフイメージを持ちたいですね。
2020/10/01 -
2020.09.01
コロナ③
この原稿を書いているのは8月初旬です。このところ都道県ごとにPR検査の実施件数を増やしていることもあり、コロナ感染者数も日に日に増えています。経済を優先すると感染者数が増え、自粛すると経済が持たないという、難しい選択を迫られています。8月3日の情報・世界全体のコロナ感染者数1,795万2,324人・亡くなった人68万6,877人。感染者の多い国①アメリカ465万7,625人②ブラジル270万7,877人③インド175万723人④ロシア84万9,277人⑤南アフリカ51万1,485人。亡くなった人が多い国①アメリカ15万4,793人②ブラジル9万3,563人③メキシコ4万7,472人④イギリス4万6,286人⑤インド3万7,364人。日本のコロナ感染者数38,687人・亡くなった人1,012人・入院治療を要する人10,783人・退院26,487人。感染者の多い都道府県・カッコ内は新たな感染者①東京13,713人(258)②大阪4,527人(81)③神奈川2,661人(48)④埼玉2,507人(49)⑤愛知2,271人(125)。感染しにくい暑い夏でも、これだけ多くの感染拡大が続いています。秋から冬に向けての第2波、第3波を考えると恐ろしくなります。特効薬はできるだけ家に居る、ただそれだけ。
海外のビジネスパートナーともリモートでミーティングが当たり前の日常となりました。海外のパートナーの情報を紹介しますと、アメリカ・シアトルの飲食店経営者は、休業要請でずっと店は休業しているが、2,700万円の補償金がすぐに出たとのことで、日本とは違いアメリカは決めたことは即実行されるとのことです。逆にメキシコシティの飲食店経営者は、自粛要請は出ていて、店の中での集客数が密にならない制限がかかり、ほぼ以前の30%の売上しかない。しかし、テイクアウト・デリバリーは盛況で40%売り上げています。ただ、合計してもコロナ以前の70%の売上しかあげられない実情なのに、政府の助成金・補助金は全くでないとのことです。また日本国内では、神戸を中心に焼肉・ステーキを経営している経営者は、10店舗あった店を半分閉店(主にインバウンドで中国人が利用していたステーキ店)し、焼肉5店舗に集中し自粛しながら営業しています。売上はコロナ以前の70%しかなく、助成金、補助金を利用しながら必死に生き残りを模索しておられます。
私の状況はコロナ自粛で東京・名古屋・博多への出張を取りやめ、社内の会議はもちろんのこと、仕事上のパートナーとのミーティングや商談も全てをリモートに変換しました。移動時間が無くなったことで、時間に余裕ができるようになりました。この余った時間を昼は、以前は中々コミュニケーションを取れなかった管理職と向き合い、アドバイスをする時間となりました(主に組織運営と育成の方法、人材の効率・効果マネージメント法)。夜はコロナ以後の未来予測や情報収集(自分の会社の強みや弱みを考えることで、未来必要な業務を組織に再編成し、必要ではない業務は組織から削除)することが、自分自身の未来と向き合う時間になったよう思います。この昼夜の仕事大変換が、会社が未来生き残るために必要な方向へと大きく舵をきることになり、私の働き方、すなわち会社全体の働き方を変えることになりました。大袈裟ですが私の人生、社員の人生をも変える機会になったように思います。社長がコロナに負けず、未来生き残るためを考えると、現状の仕事のあり方、組織、財務などあらゆることが気になってきます。果たしてこれでよいのか、どう改革すればよいのか、世界が大きく変わる時、全てが変わるお金・人生とどう向き合ったらいいのか、都市にこのまま住んでていいのか、全てをひっくり返して考えることが大事、才能を見つける・天職を生きる・幸運を生きる。考える社長のもとにいる管理職は大変ですね。
夜な夜なやっている情報収集で、なるほどと思える考え方と出会いました。『これからは多様な働き方をする人が増えて、収入はどれだけ人を感動させたかに比例する。成功する条件は人から応援されるような人柄があるかどうか。「人から応援される人柄」にどうすれば自分はなれるか?クラウドファンディングをやってる人が、あっと言う間に一千万円集まる人もいれば、十万円も集まらない人もいます。これは人柄によるところなんです。あの店を応援したい、あの店長の笑顔が見たい、すべて人柄。人から好かれると、一人一万円で千人集まると一千万円集まります。ということは、今までの生き方なんですよね。急に今日からガラッと変わる、人望って急にできるもんじゃありません。コロナは人生の中間決算のようなものなんです。2020年7月で一回決算してみればどうですか。資産は?負債は?健康は?人脈は?周りからどれだけ好かれてますか?どれだけ応援されてますか?数字のない棚卸しをしなければならない。それが後半戦のアフターコロナの時代につながっているのだと思います。このタイミングで自分に何が足りないのか?何を準備しとかなければならないのか?コロナによって、はっきりとわかる時…。コロナは万人のウェイクアップコールだ。しかし、この危機的な状況が全く気にならない人もいます。これは良し悪しだと思いますが、個人的に気にしない方が幸せだと思います。ただ、現実否定はいけません。なぜかというと、一国の大統領や会社の社長がこれをやると最悪です。「大丈夫、大丈夫」コロナは風邪だから、すぐに治るから?なんとかならない場合はすごく困ります。ブラジルの大統領は「大丈夫」と言ってたけど、ブラジルの国、全体が大丈夫じゃなくなった。』
「成功の条件は人から応援される人柄になる」「コロナは人生の中間決算だと思えば」「コロナは万人のウェイクアップ・コールだと考える」みなさん、私はこの言葉に大変感銘しました。このコロナを機に新たなスタートを切って素晴らしい人生を謳歌してみるのはいかかがですか。
2020/09/01 -
2023.08.01
コロナ②
このコラムを書いているのは6月中旬です。普段は物事をあまり深く考える事のない私ですが、今回のコロナだけは今までに起きたアクシデントとは様子が違うことを直感的にビンビンと感じています。そんな危機感から、コロナ後の経済がどうなるのかを毎夜、本や You Tubeで勉強することが日常となりました。多くの専門家の見解はリーマンショックよりも桁違いの大恐慌が起こるだろう。そして、生き残るための必須事項は「危機を把握」することだと。大恐慌は、①ローカル②グローバル③ファイナンスの順番で起き、最初のローカルは主に中小企業の飲食、宿泊、観光、小売、住宅、エンタメなどの業種がステイホーム、3密回避で大打撃を受けます。次の段階のグローバルはやや深刻で、グローバルに活躍する大企業である航空会社、対中対米への販売を主にしている自動車産業にも容赦なく襲いかかります。最後のファイナンスは耐え切れなくなった大企業が倒産し、次々に連鎖倒産を引き起こし金融危機まで引き起こす、と予測しています。
過去の危機の歴史としては「バブル崩壊」「阪神淡路大震災」「リーマンショク」「東日本大震災」など十年に一度以上のペースで起こっています。そんな過去の教訓から、生き残るための心得として重要なのは、①キャッシュ(現金)②リーダーシップだと。キャッシュで大事なことは、常に残高把握をしておくことだそうです。固定費、人件費を大幅削減して身軽になっておくこと。生き残ることを最優先にした生き残り優先順位経営が必要です。そして、アフターコロナで必要なリーダーシップは独断即決と朝令暮改。調整型経営者では厳しいと言われています。またいつも最悪を想定することができ、それに対する策をいくつも用意できていること。そして、同時に反転攻勢の意識を持っているリーダーでなければならないとのことです。コロナ後に勝つために、今やるべきことは会社のシステムから働き方まで、全てを見直すことです。基礎疾患を持っている人の重症化リスクが高いのと同じように、会社も基礎疾患があるとアクシデントを乗り越えることができません。このコロナを機に、事業、組織、財務など、全ての日本的経営から脱却する必要があります。雇用においても、新卒者を大量雇用して同じように全ての人を育てる経営では未来はありません。多様な未来を予測し、それに合わせた多種多様な人材育成を心掛けなければなりません。一番変わるべき点は全社あげてのデジタル化です。コロナ以前はデジタル化できたらいいね、でもよかったのかもしれませんが、コロナ後はデジタル化できていないとその企業の未来はありません。グローバル×デジタルがキーワードで、コロナ禍では人の移動に制限がありますが、物・サービスの移動はグローバルに動いていくことが重要で、グローバル×デジタルにフィットするマインドがないと淘汰されてしまうでしょう。未来も成長し続けることのできる企業は、今のところ、アメリカと中国にしかなく、日本にあるとしたらメルカリだけだそうです。十年に一度、必ずアクシデントはくると自覚し、復旧ではなく復興する気概で、マインドを見直さないといけません。
ある方から、「できる人とできない人の違い」という文章を贈られました。
『できない人は言葉で説得し できる人は行動で説得する
できない人は話したがり
できる人は聞きたがる
できない人はお金を求め
できる人は成長を求める
できない人は過去にこだわり
できる人は未来にこだわる
できない人は不可能と思い
できる人は可能に思う
できない人は他人のせいにして
できる人は自分のせいにする
できない人は一人で頑張り
できる人はみんなで頑張る
できる人もできない人も能力にほとんど差がない
ほんの少しの意識の差によって結果に差が生まれる』
この文章に書かれているように、できる人とできない人の差はほんの少しです。人生を揺るがすような大きな危機は定期的にやってきます。その危機をどのように受け止め、どのように行動するかで人生の明暗が分かれるといっても過言ではありません。今回のコロナは皆に危機をもたらしました。それならば前を向いて、前向きに受け止め、乗り越えていこうと思います。
もう一つ、「人生を充実させる6か条」
①目標②困難③努力④あきらめない⑤自発的⑥仲間
2番目に困難があります。困難から逃げるとつまらない人生ということです。
皆さん、頑張りましょうね
最後に、お客様のお役に立ちたい一心でマスクを中国から輸入しましたが、入荷が遅れ皆様に大変ご迷惑をおかけしました。心からお詫び申し上げます。
2020/08/01 -
2020.07.01
コロナ ①
2020年1月、中国武漢から始まったコロナ感染症は、2月韓国、3月ヨーロッパ・アメリカ、4月日本、5月ブラジル・メキシコへと、感染者を世界中に広げ、日々多くの国で感染者数を増やし続けています。今はコロナがクローズアップされていますが、これまでの人類は多くの感染症と戦ってきた歴史があります。ここ50年に発症したウィルスはエボラ、サーズ、マーズ、エイズ、インフルエンザなど多数ありますが、WHOや各政府が承認したワクチンはまだありません。もう少し歴史を遡ると1918年に発症したスペイン風邪はその時の世界人口17億人のうち、5億人に感染し、5千万人が死亡しました。これは第一次世界大戦により兵士が全世界にウィルスを広げてしまったからだと言われています。発症から収まるまでに3年間を有し、3波に渡って襲ってきました。それ以前も、何百年も前からコレラ、チフス、ペストなどのウィルスと人類は戦い続けています。
4月初旬、日本は非常事態宣言が発せられました。飲食店やデパードなどほとんどの店が非常事態宣言により自粛休業となりました。これにより私自身の生活も一変しました。コロナ以前は関西に住みながら、東京、九州、名古屋、そして海外と月の半分以上を出張して会議、商談、懇親会などで忙しく動き、食事もほぼ外食、まさに家には寝るために帰るという生活を送っていました。約1ヶ月半の自粛生活は出張や毎晩の会食は中止となり、自宅で家族とともに食事をし、出張は取りやめて会議はリモート、商談もリモートで済ませました。まさに仕事のやり方が変わり、生活が変わり、人生を変えようとしています。コロナで大変な状況の中、申し訳ない話ですが、毎晩、家で家族と食事をし、何気ない家族との語らいに喜びを感じ、以前の忙しすぎる日常では考えられないギフトをいただいたように感じています。会社の運営は、移動を自粛、集まっての会議も自粛、社員や取引先との懇親会も自粛し、リモートのミーティング、会議、商談と変わりました。すると、それまでの移動の日々が嘘のように時間が余り、それにより考える時間を多く取れるようになりました。それまで当たり前だった仕事のやり方が、コロナにより気づき、もう元へ戻れない仕事のやり方となりました。新しく導入したリモート会議は、今までの会議より多くの社員とコミュニケーションが取れるようになり、一層社員の仕事ぶりを明確にしていまい、私も真剣に社員と向き合う仕事ぶりが必要となりました。多分業績は上がると思いますが、私にとって、社員とって、良いような悪いような話となりました。
私自身、コロナによって考え方や生活習慣、そして人生そのものが変わっていくことを感じていますが、日本中の多くの方々が、このコロナによって厳しい人生を生きなければならなくなったように思います。そんな方々に芸能界から激励のメッセージが届いていたのをテレビで観て心動かされたので紹介します。『今まで、当たり前のように身短にいた人が、突如いなくなってしまう。そういった経験をされた方は僕以外にもいると思います。今まで当たり前のようにあった世界が急に変わってしまう。今はそういう時代かもしれませんね。ただね、暗闇は暗ければ暗いほど、小さな光だって輝いて見える。今まで気づかなかった小さなこと。当たり前のようにあった日常が実はすごく大切なことだったんだね。自分にとってどれだけ素晴らしい人が周りにいたんだろう。素晴らしいことが周りにあったんだろう。とても考えさせられます。今までは気づかなかった小さな光、それを皆さんが信じて、それが大きな光となって照らしてくれるように、そして1日も早い夜明けが来るように、みんなで協力しあって頑張れればと思っています。神は耐えられない試練を人に与えない。僕はこの言葉をいつも信じて生きていきます。何かあるたびに強くなってきたから、これを乗り越えたときは皆さんもきっと強くなっているんだろう。音楽家として微力かもしれないですが、少しでも力になれれば。1日も早い夜明けが来るように頑張りましょう。皆さんの健康と安全を心より祈ってます。がんばろうね。~X・JAPAN YOSHIKI~』
コロナは長期化するでしょう。経済的な打撃は大きく計り知れません。私たちが、今考えるべきは「元に戻す」ではなく新たな価値観や概念を「一から作り直す」ことではないでしょうか。今までの時代は、右肩上がり、大きいこと、たくさん売ること、これらを良しとしてきました。品質も、もう十分です。デジタルカメラの画素数はまだ増やすのでしょうか。盛れるし、シワも消せる、もうお腹いっぱいです。昔、あるコンサルに言われたことがあります。「年商はどれくらい?従業員数は何人くらい?」それに答えると、「もっとやれるよ、もったいない、◯◯億くらいすぐいくよ」と。これから始まるWITHコロナの時代は、昭和の時代に活躍した社長の価値基準やステータスを覆して、新たな価値基準へと塗り替えていくように思います。私はこの新たな時代を前向きに千載一遇のチャンスと受け止めようと決めました。過去の思い込みに終止符を打ち、数が大きいことが偉い、立派、成功という思い込みを捨てることから始めていこうと考えます。「大富豪は大恐慌からおこる」
2020/07/01 -
2020.06.01
追悼・ノムさん 野村克也②
「勝ちに不思議な勝ちあり 負けに不思議な負けなし」
この言葉は野村克也氏の書籍に度々出てくる、私の最も感銘する言葉です。『勝因、敗因という言葉があるように、成功しても失敗しても、なんらかの原因があるものだ。しかし、長く勝負の世界に生きていると、ラッキーとしか言いようのない、勝利を拾えることがある。タイムリーエラー、走塁ミス、押し出し四球…など。相手のミスや自滅で勝ちが転がってくるものが、それに該当する。ところが、負けたときには明らかに理由が存在する。負けるべきして負けているのだ。準備は万全だったか?初歩的なミスはなかったか?など、チェックすべきことは山ほどある。「負けに不思議な負けなし」負けはアンラッキーだけで片付けていては、いつまでも勝つことはできない。私は負けたときはなぜ負けたのか、どんな問題があったのか、それを必死に考え勝利に転化することを心がけてきた、それが弱者の戦い方。勝って教えられることより、負けて教えられることの方が断然多いのである。』
私自身、2014~2018年まで数々の事業に投資をし、失敗を繰り返しました。過去の失敗事業として、食医食料理教室、焼鳥屋、ONE PIECE&バカラ、ブックカフェ、イタリアンレストラン、コスプレスタジオ、アイドルステージ、芸能プロダクション、洋菓子店、キャラクターカフェ、版権ビジネス、介護事業、など数えればきりがありません。当時の私は、その事業の勝ち負けよりも、やってみたいビジネスをやる、そんな事業欲に取り憑かれていました。私を含め多くの経営者は「いかに勝つか」の答えを導くために、勝つために戦略を積み上げていきます。どちらかというと、攻撃型の人が経営者になる事が多いように思います。しかし、何度も何度も失敗して、その失敗の経験から掴んだ答えは勝つ事も重要だが、負けない事の方がもっと重要だと思うようになりました。負けない経営を突き詰めていくと、負けには負ける理由が明確にあることがわかりました。まさに「負けに不思議な負けなし」という言葉通りだと思います。企業経営には社長の人となりや性格、人格、人間性などが色濃く反映されます。成功する事業、失敗する事業、何が違うのか?社長の能力、時代の流れ、今の自分のポジションはどこにいるのか?など、すべて社長次第と言っても過言ではありません。
2020年、これから始まろうとしているコロナ大恐慌では、まさに経営者の真価が問われるように思います。多くの経営者から、「どう乗り越えるのか?」を聞かれます。私はいつも「あきらめること」と答えます。「あきらめること」というのは、コロナに対して、「無理です」「勝てません」と白旗を上げることではなく、自分のできること、できないことをしっかり自覚する。今、目の前の敵であるコロナ環境下で、できることを考え、向かっていくことだと思います。仕事や人生、この世のあらゆることに通じる話ですが「すべてに勝つ」必要はないし、そんなことができる人はいません。頑張ってきたけど、ここは捨てようという「あきらめ」、すなわち取捨選択が勝ちや成功につながっていくように思います。「すべてを守ると、すべてを失う」この言葉通り、何を捨てるのかを決めて、すぐに捨てる勇気が必要だと思います。
コロナについては、来月号で詳しく書こうと考えていますが、すぐにやろうと思っていることを書かせていただきます。①ちょっとだけでも成長する、毎日が同じではダメ、毎日少しずつでいいから工夫や勉強をする②少しでもいいから右肩上がりのトレンドにする、必要なもの以外はすべてを捨て身軽になる③数字はウソをつかない、数字を用い、今自分がいる場所を把握する④いつまでに、どこに行くのか(目標)を決定し、今できることを一つずつやる(計画)⑤一番得意なことで、勝てそうな戦いをする、できそうなことを全力でやる。
緊張感のある毎日が続きますが、皆様健康を最優先に、収束を目指して、負けずにがんばりましょう。
2020/06/01 -
2020.05.01
追悼・ノムさん 野村克也①
私の人生に大きな影響を与えたプロ野球選手を挙げるとすると、一番に野村克也氏が挙げられます。面識はありませんが、彼の著書の大ファンでした。著書には野球の技術論だけではなく、野球という勝負の世界で生きてきたからこそわかる人生訓が満載されています。人として生きていく術、経営者の指針になるようなことなど、わかりやすく、たくさん書かれていています。何度も読み返し、人生や仕事を考える上で、参考にした事が度々ありました。野村克也氏の文章からは、当たり前ですが、数多くの本を読み、いつも「勝つために」を考えていることが、窺い知れます。奥様の野村沙知代さんに先に旅立たれ、寂しそうな姿をテレビで拝見し、陰ながら頑張って生きて欲しいと応援していました。しかし、願い叶わず亡くなられました。心からお悔やみ申し上げます。
野村克也氏は1935年生まれ・京都府立峰山高校卒・1954年テスト生として南海ホークス入団・入団3年目レギュラー入り・4年目本塁打王・1965年捕手として世界初の三冠王・MVP5度、首位打者1度、本塁打王9度、打点王7度、ベストナイン19度、ゴールデングラブ賞1度・数々の偉業を成し遂げ不動の正捕手として南海の黄金時代を築いた・1970選手権監督に就任・1973年パリーグ優勝・1989年野球殿堂入り・1980年45歳で現役引退する日まで「生涯一捕手」を貫く・通算成績本塁打数657本・打点1988点(何れも王選手の次で歴代2位)・選手として3017試合出場(歴代2位)・監督として3204試合出場(歴代3位)・現役生活27年・著書多数(プロ野球界ではNO.1)・野球界では数少ない文化人枠の人。
私のバイブルである『小事が大事を生む』という本を紹介します。この本には小事や細事を感じる力がいかに大事であるかが、明確に書かれています。『感じる力、すなわち感性というものは、人間が生きていくうえで大切な要素の一つだ。感性がなければ視野が狭くなる。些細なことには気づくことはないだろうし、結果的に物事の本質を見失う可能性がある。感性の乏しい人間、それすなわち鈍感な人間。「小事が大事を生む」という考え方を備え、わずかな変化も見逃さずに、すぐに対応できる選手というのは必ず成長する。長嶋茂雄や王貞治、あるいは落合博満や松井秀喜はその最たる選手たちだと思う。彼らに共通して言えることは、同じ失敗を繰り返さない、または失敗を繰り返さないようにするための感性を持ち、卓越した修正能力を持っていた。同じ失敗を何度も繰り返す選手、つまりは「鈍感」な選手は、どこまでいっても二流止まり。そう断言しても言い過ぎではない。だから私は思うのだ。「人間の最大の悪は鈍感である」感じる力を身につけることは、決して難しいことではない。理想を持って、その理想にいかに近づこうとするか。そのための意識付けと努力ができるかどうか。それだけの話である。野球では、投げる、打つ、走るといった技術以外で大事なものがある。それは、「感性」「思考(頭脳)」「行動力」だ。普段の生活も、常に連動するその三つの要素があって成り立っている。「感じる力」が備わってはじめて、人は考える。「考える力」が生まれて鍛えられると、人は脳から指令を受けて「行動」に移る。当たり前のことかもしれないが、人はそれを繰り返す。逆に感じることができなければ、考える力は生まれてこない。イメージあるいは、夢や希望を抱くことができない。考える力がなければ、当然ながら感じる力も生まれない。感性が乏しい、要するに鈍感になってしまう。
私自身は、小さなことが気になるがゆえに、「感じる力」が養われていった。その時々の状況を見て、その場の空気を感じ、「感性」は磨かれていった。野球においては一球一球の積み重ねが確かな成果を生む。小さなことにこだわったから、大きなものを手にできたと思っている。つまりは「小事」「細事」が「大事」を生んだ。私の人生は、まさにそこが原点だと思う。世の中の多くの指導者や会社の経営者、すなわちリーダーの多くは「大局を見よ」、「木を見ず森を見よ」と言う。それが成功するための秘訣、あるいはリーダーとしての理念だという。組織をまとめ上げるトップたるもの、小さなことを気にしすぎてはいけない。リーダーである以上は、組織全体を見渡して明確な方向性や将来のビジョンを示し続けなければいけない。無論、その通りだと私も思う。ただそれでも、成功の中にあるプロセスという観点から考えれば、そこで生じる「小事」「細事」を疎かにしてはいけない。』
ここに抜粋した文章は、特に私が共感したところです。経営者は色々なタイプの人がいるので、「小事が大事を生む」という考え方に賛同できないという方もいるでしょう。しかし、仕事や人生で成長したいという考えを持っている方は賛同出来る方も多いのではと思います。振り返ると、過去に色々なコミュニティーに属し、多くの方々と接する機会がありました。そのときは色々なタイプの人がいるのだと、その程度に思っていましたが、最近はこの違いが人生の明暗を分けるほどの大切なことだと認識が変わりました。小事や細事にこだわっているからこそ理解できる考えの「深さ」「細かさ」、また、決断し行動するときの「スピード」「大胆さ」などが違っていたように感じます。これからも「小事が大事を生む」考え方を真ん中に置いて、自分自身の生き方、会社の成長、組織のあり方などと向き合っていきたいと考えています。
参考文献
野村 克也著『「小事」が大事を生む』扶桑社, 2015年
2020/05/01
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2020.04.01
矢野 燿大3・予祝
阪神タイガース・矢野監督は昨年「予祝」をチーム改革に取り入れました。「予祝」とは、先に喜び、先に祝うことで、その現実を引き寄せる、日本人が昔からやっていた夢実現法で す。各地に伝わる「夏祭り」は秋に実る稲が豊作だと決めて、楽しみ、喜ぶことで、豊作を 実現する習慣でした。昨年、矢野監督は笑顔で選手に声をかけ、全身で喜び(矢野ガッツ) を表現し、チーム指揮官こそが夢を叶えるためにワクワク楽しむことが必要だと「予祝」を 実践しました。しかし、結果的には何とか A クラス入りを果たせた苦しいシーズンになりました。
2019 年沖縄キャンプインで矢野監督は予祝を実践、「2019 年阪神タイガース優勝しまし た。ありがとうございます」という挨拶から始まりました。しかし途中、首位巨人に 10 ゲ ーム以上の差をつけられた時は、選手に「優勝した・予祝」と声をかけることに、ためらい を感じたそうです。その時に選手達に観せたのが『宗一郎くん』という文字動画でした。
宗一郎くんは小児がんで 8 歳で光の世界に帰りました。最後の3ヶ月は病院ではなく自 宅で過ごしました。ご両親は元気になって欲しくて、いろんな機械を購入して試したそうで す。でも、今から思えばもっともっと一緒に楽しんであげればよかった。日に日にやせ衰え、 痛みに苦しむ息子を看病することはとても辛かった。居てくれるだけでいい、生きていてく れるだけでありがたい、辛い痛みの中でもできるだけ、私たちに笑顔を見せようとしていた 子でした。「お母さん、ごめんね」「もっと元気だったらお母さん、お父さんも疲れないのに ね」「お母さん、僕もっと生きたいよ」病状が相当悪くなった日、病院に連れて行く車中で・・ あまり意識が定かでない宗一郎はこう言うんです。「信じ合って、助け合って、分かりあっ て生きていくんだよ」「苦しい時や悲しい時ほど、笑うんだよ」「自分を責めることが一番い けないんだよ」などと強い口調で私たちに言うんです。病院での最後の時・・たんが絡んで 声にならない声で・・最後の一声が・・「ありがとう」それまでは全身の痛みで抱くことが できなかったので、最後は力一杯母親に抱かれながら静かに息を引き取りました・・。 「みんなと一緒に学校へいきたいな」「お父さん、お母さんと美味しいラーメン食べたいな」 「お外で遊びたいな」「髪の毛生えてきてほしいな」「元気になりたいな」「早くお父さん、 お母さんを安心させてあげたいな」「まだ死にたくないな」「大人になりたいな」これらは限 られた時間を生きている小児がんの子供たちのしたいこと。いつかどうしても叶えたいと 思っている夢だそうです。僕たちが何気なく過ごす 1 日は、昨日亡くなった誰かが、どうし ても生きたかったかけがえのない一日。過去は英語で past 、未来は英語で future、現在= 今は英語で present・プレゼントと言います。生まれてきたということ、生きているという こと、今神様からの素晴らしい贈り物を抱きしめてみてください。あなたはあなたが思って いる以上に素晴らしい・・・。
動画を観終わった後、矢野監督は「俺たちは子供の頃からの夢だったプロ野球の世界で野 球ができている それだけでも幸せなこと もっともっと野球を楽しもう もっともっと 生きていることを喜ぼう」と。この後、終盤の快進撃が始まりました。
一昔前のプロ野球界では⻭を見せたら殴られる、苦しいから結果が出る、恐怖で選手を動 かす、こういった風潮が当たり前でした。しかし、矢野監督はこの風潮に真っ向から異を唱 え「夢を語り、手本を見せる、選手は尊敬と憧れで一番動く、その場合は選手が勝手に育つ ようになる」そうです。矢野監督に今年のスローガン「itʼs 笑タイム・オレがやる」につい て聞くと「子供達に夢を尋ねると、自分の夢を何個も、子供によっては何十個も言うんです。 スーパーマーケットのレジ打ちのおばちゃん。工事現場で旗振ってるおっちゃん。人から偉 いと思われること、人から立派だと思われることだけが夢ではない。大人の表情を見て夢は 決まる。僕らが疲れた姿を見せることはよくない。大人の表情は子供の夢につながる」「優 勝を何年も続けて、その先に何があるのか。野球界に魅力がもっと必要、ただ勝つだけの試 合を観せてそれでいいんかな。今年のスローガンはただ勝つだけの阪神タイガースではな い。itʼs 笑タイム、一番喜んでやろう、一番楽しんでやろう、楽しんで勝ってやろう、そし て、その先には、子供たちがやる野球を、楽しむ、喜ぶ野球に変えたい、子共たちを笑顔に す る 。」 そ ん な メ ッ セ ー ジ を 込 め た と の こ と で し た 。「 優 勝 は 当 た り 前 。 優 勝 す る に は 1 4 0 試 合のうち 80 勝しなければならない、しかし我々の目標は負ける 60 敗でいかに感動させる かにこだわる」。
人間は1億円の宝くじが 100 万回連続で当たる確率で生まれてくる。生まれてきただけで も奇跡。人は人生を楽しむために生まれてきた。人生はお祭りだ!いつも矢野監督との楽しい会話で活力をもらっているように思います。今年の阪神タイガースは期待大だと思います。
参考資料 宗一郎くんのメッセージ URL:https://youtu.be/dzICgnz8xKs
2020/04/01 -
2020.03.01
矢野燿大2・チャレンジ
阪神タイガース・矢野燿大監督の後援会を立ち上げ4年が経ちました。設立当初、どんな後援会を作ればいいのか、どんな活動をすれば盛り上げることができるのか、そんなことを よく考えていました。行き着いた答えは、個人会員として応援していただける会員は有難い ことですが、生涯、矢野燿大の支えとなる法人会員も集めたい、その法人会員と矢野監督と の繋がりを深めたい、と考えました。忙しい中、矢野監督には毎月 1 度日程をいただき後援 会主催で法人会員との懇親会を開催しました。ファンとして遠くで見ていた時は良かった けど、実際に身近で話をしたり交流をすると、その人の、人となりの問題で応援する気持ち がなくなったという話はよくある話です。しかし、矢野監督の場合はどんなにその日が試合 後で疲れていようが、参加人数が多かろうが、いつも笑顔で接するサービス精神、経営者目 線での話が盛り上がる等、参加した皆さんがより一層ファンになってくれます。プロ野球選 手〜監督と華やかな世界で活躍してきたのに、偉そうなところや非常識なところが微塵も 見当りません。身近でお付き合いをさせていただき、いつも見習わないといけないなと、感心させられます。
この 4 年の軌跡を振り返ると、2016 年金本監督の元、バッテリーコーチ就任、2018 年 2 軍監督就任・優勝、2019 年 1 軍監督就任・最下位から A クラスへ。2 軍監督の頃から進化 が始まり、今も尚、進化し続けているように感じます。元々、監督には教師になりたい、と いう夢がありました。2 軍監督という役割は、元来の勉強好き・指導好きという性格と適合 しました。その上、元々考えていた「超積極的」野球理論を試す絶好の機会となり、毎日が 楽しくて仕方なかったようです。結果、その年にタイガースは 2 軍優勝を果たすことがで きました。監督の喜ぶ姿を見て、応援する私たちもとても嬉しかったことを覚えています。 監督との会話で、いつも感心させられるのは、選手を指導する熱心さや情熱です。さすがだ な、と思えたことをいくつか紹介させていただきます。
まず「伝える力」です。いつも選手たちにどう伝えるかを考え、言葉を大事にしています。 プロになるような選手たちは、当たり前ですがプロに入るまでは一流の道を歩んできてい ます。その一流にあれこれ技術的な指導をしても心の扉は開きません。選手たちの心の扉を 開く合言葉があると監督は言います。「言葉は大事」「夢は叶う」「比べるのは昨日の自分」 矢野監督が「言葉は」というと選手が「大事」、「夢は」というと「叶う」、「比べるのは」と いうと「昨日の自分」。毎日毎日、この合言葉を監督と選手が繰り返していると、選手たち は心を開き、前向きに言葉を受け入れ、真摯に自分と向き合うようになるといいます。これ こそが成⻑の第一歩です
次に「超積極的」です。監督は少年野球のコーチをしている時に、初球を見送る子供によ く声をかける言葉がありました。「監督に怒られない野球をやって楽しいか?どんな球打ち たい?」と尋ねます。少年は「ヒット打ちたい」と答えます。監督は「ヒットでええんか?」 というと、少年は「ホームラン打ちたい」と。監督は「そうやろ、それやったら初球から思 いっきり振ってホームラン打ってこよう」とアドバイスします。2 軍監督時代、選手に「27球で試合が終わってもいいから、初球から積極的に打っていこう」と声を掛けました。監督 は「データ的にも初球がヒットになる確率は一番高い。初球から振ろうと思うと打席に立つ 前にあれこれ考え、準備をしてバッターボックスに立つ。何気なく打席に立たない」と言い ます。盗塁についても、「サインが出なくても、積極的に走っていい、むしろ監督がノーサ インで勝てる野球が理想」と言い切ります。2 軍監督時代、初球凡打、盗塁失敗を一切咎め なかった、しかし、チャレンジしなかった選手にはチャレンジの大切さを説きます。その結 果、選手はのびのびと野球ができるようになり、結果として、盗塁日本一記録を更新して優 勝を手にします。監督は言います。「増富さん、盗塁日本一の記録を更新しましたけど、盗 塁失敗も一番多かったんですよ。でも、その失敗数こそ誇りに思っています。なぜかと言う と、失敗数こそがチャレンジの数なんです。選手たちが、それだけ多くチャレンジしたこと。 あの時は盗塁が苦手な選手もチャレンジしていましたし、盗塁しようと思うと、あれこれ準 備し成功するために考えるんです。考えること、準備すること、これこそが、プロとして一 番大事なことだと思うんですよね」
矢野監督とのお付き合いを通して、私自身も社⻑としてやるべきことが芽生えてきまし た。社⻑として社員を今までのイメージで決めつけていないか?社員にチャレンジできる 環境を作っているのか?チャレンジして失敗しても咎めない、チャレンジの重要性を説く。 社員に何をするのか、どんな方法でと、やり方ばかり言っていることを反省し、仕事にどん な心で向き合うのか、心のあり方こそが大事なことだと、改めて一から始めたいと考えてい ます。自分自身もそれなりにやってはいるけど、何となく過ごしている自分がいるような気 がします。「何気なく過ごさない」「もっと全力で楽しんで生きる」。これを今年のテーマに してやっていこうと思います。
2020/03/01