Column 社長コラム
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2023.12.01
織田信長〜桶狭間〜
歴史上で好きな人物はと聞かれたら「織田信長」「坂本龍馬」と即答できます。しかし、なぜ好きなのかと聞かれると、その理由を答えることはできません。彼らの伝記を読み、時代を切り開くような生き様に私自身が共鳴(共鳴は心から湧き出るもの)したのかもしれません。この2人には共通点があり、最期は謀反や暗殺によって生涯を閉じます。言うなれば、志半ばで亡くなってしまった点が残念でなりません。
織田信長が歴史の表舞台に出るのは、「桶狭間の戦い」だと思います。今川義元軍約25、000人に対し織田信長軍約3、000人。まともに正面からぶつかれば織田軍はボコボコにされます。しかし、勝ったのは織田信長。その勝因には現代でも通じる学びがあります。
その勝因を紐解くために、まずは織田信長と今川義元の戦力の差を見ていきましょう。
【戦力の差1】身分
織田信長の父、織田信秀は尾張の半分を支配していた織田大和守に使える「清洲三奉行」の中のひとり、織田信長は尾張の守護代の家柄でした。今川義元の今川家は、駿河国、遠江国の守護大名という家柄で、身分上は完全に今川義元の方が上です。
【戦力の差2】軍事力
桶狭間の戦いに際して、織田信長は3、000人程度の兵士しか動員できなかったのに対して今川義元は25、000人程度の兵を動員していました。兵の人数だけでも10倍近い差があります。本来ならこれだけの圧倒的な差があれば、信長に勝ち目はないと考えるのが妥当です。
【戦力の差3】経験値
それぞれの軍を率いる将としても、家督を継いで間が無い織田信長に対して今川義元はいくつもの戦いを経て、駿河・遠江・三河の国を着実におさめ、「東海一の弓取り」と言われ、文武両道に優れた人物でした。武田や北条と三国同盟を結ぶなど目覚ましい活躍を見せていて、弱体化した室町幕府を支え天下に号令できる人物であると注目されていたことからも、経験に大きな差があることがわかります。
戦力の差1〜3で書いたように、本来「桶狭間の戦い」は織田信長が勝てる戦いではありませんでした。織田信長の勝因は桶狭間という地の利を生かし、今川軍の数的優位を潰して、奇襲をかけたことでした。相手の優位なところを潰し、自分が優位なところだけで戦い、勝つ。
「桶狭間の戦い」を調べていくと、戦力の差1〜3を覆すために織田信長は、打てる手をいくつも打っていることに気づきました。その一つが『偽の手紙』です。今川方に寝返った武将の筆跡を真似て織田信長の動きを伝える手紙を書き、わざと今川義元に渡るようにしました。「寝返ったはずの武将が信長の動き知っているのはおかしい」と今川義元の疑心暗鬼を呼び起こし、寝返った武将を切腹させます。これにより裏切り者を抹殺。
「信長公記」には今川方の動きが明確に書かれており、これは、今川方に織田方の内通者がいたことに他なりません。
桶狭間の前夜、織田信長は家来を家に帰しました。これは今川方の内通者を警戒してのことです。一方で今川義元は桶狭間で打ち取られるまで、織田方の2つの砦を落とし、意気揚々と戦勝に沸いていました。そんな中、突然の豪雨が降り出し、桶狭間にて休息を取ります。かたや織田方はたった5人で城を飛び出し、熱田神宮へ走っていくのですが、いくつかの集団に分かれて出発します。熱田神宮に集まった人数は1、000人。織田方の作戦を今川方に悟られぬよう、実に緻密に考えられた動きです。今川義元の周りにいる5、000人の兵。その5、000人の兵を分散させるために、織田方300人の兵を突撃させます。信長は300人の兵を囮に今川義元の周囲を手薄にさせます。豪雨の中、今川軍に勝つことより「狙うは今川義元の首一つ」こちらに集中しました。「桶狭間の戦い」を紐解いていくと、「戦争で勝つ方法と、ビジネスで勝つ方法は似ている」と感じました。
織田信長は「桶狭間の戦い」を機に、戦国武将の中心人物となりました。自分の人生を変え、天下人への道を一直線に歩んでいきます。世に出る機会となった「桶狭間の戦い」ですが、織田信長から見れば人生最大のピンチでした。しかし、絶対に折れない気持ち、絶対に引かない気持ちを強く持ち続け、必死に戦略を練り、幾つも罠を仕掛け、考えに考え抜いて臨みました。結果、この戦いが織田信長の人生を変える戦いとなりました。どんなピンチも心の受け止め方によって結果が決まると考えている、私自身の考え方と共鳴した様に思います。「桶狭間の戦い」は小が大に勝つ、戦国時代で最も好きな戦いです。
さて、2023年も残りわずかとなりました。
本年も一年間、皆様には誠にお世話になりました。
来年もよろしくお願い申し上げます。良いお年をお迎えください。 -
2023.11.01
経営改革・小さな変化
最近、いろいろな場面で「小さな変化」を感じます。
YouTuber が稼げなくなったという話を聞いたことありませんか?
理由は芸能人がYouTubeの世界へ参入してきて競争が激化してきたこと。
広告が他の媒体へ移り、広告利用収入が減ったこと。
それに伴い、YouTubeの世界では最大手であったU U U Mが10億の赤字へと転落し、フリークアウトHDに買収されました。
日曜劇場『V I V A N T 』を観たことがありますか?
このドラマは日本の制作費・通常1話につき3千万円に対して、1億円かけて制作しているようです。
ちなみに韓国ドラマの大作は1話につき1億円以上かけていて『V I V A N T 』と同じぐらいの予算だと思います。
また、韓国ドラマの大作には国の補助金が導入され、国を挙げてエンターテイメントを盛り上げ、国策として世界へ出て行ってます。
最近、流行りのNetflix は年間制作費2兆円とのことです。
話はそれましたが、日本もやっと韓国のように勝負する作品、勝負しない作品を制作段階から分けて、メリハリが大事だと悟りました。
2つの例にあるように、「小さな変化」を感じる時は、壁にぶち当たった時、変わらなくちゃいけない時、変化の理由を学んでいる時だと思います。
その先には必ずと言っていいほど「大きな波」が起こります。
「大きな波」によって、ライフスタイルが変化したり、時代の変化が伴います。
時代が変わるということは、そこにチャンスが生まれる、逆に時代に取り残されると衰退を余儀なくされます。
少しコロナを総括します。2020年、コロナ禍を乗り切るために3つのテーマを定めました。
①なるべくお金を借リる
②固定経費の削減
③IT化へ大きく舵をきる
3つのテーマ、特に①②を進めていくと会社の資金状況は新たな事業を展開できるほど潤沢になりました。
というのも、牛乳宅配事業はコロナ禍において、人と会ってはダメ、動いてはダメ、といった売上の維持もままならないような状況でした。
ならば、コロナ禍は近い将来必ずくるであろうビジネスモデルの変換へ向けての準備期間であると決め、いろいろな事業に取みました。
コロナ禍2021年10月〜2022年10月の1年間で、寿司屋をはじめ飲食店を5店舗、食パン専門店、スイーツ店、買取専門店2店舗など都合9店舗の新規事業をスタートさせました。
牛乳宅配でデリバリーをさせて頂いているお客様へ合わせて、寿司・弁当の宅配、訪問買い取り、などもできるイメー
ジをして実験しました。
現在2勝5敗2分と言ったところでしょうか。
どんな事業も簡単ではないことを思い知らされました。
2023年の後半は新規事業の中から採算の合わない事業を整理整頓して、黒字事業だけを残す
段取りをしています。
多くの失敗をしましたが、コロナ禍の前向きになれない時期に、多くのことにチャレンジできた経験は大きな財産となりました。
これで懲りたかと思いきや、2023年はいくつかの新規事業にチャレンジしています。
こちらは、なぜかどれも順調に推移しています。
不思議なものですね。
コロナ禍、たくさんのチャレンジをしましたが、中々当たりくじは出ませんでした。
失敗を検証すると、事業が時代に合っていない、人間関係の行き違い、雇用の獲得、販促方法など難しい問題が浮き彫
りになります。
逆に時代に合っている、人の雇用ができる、販促が上手くいく、この場合は当たりくじとなるように思います。
コロナ禍で多くのチャレンジをしたからこそ、学べたことです。
始めた当初は、全く赤字だった寿司屋が少し黒字となりました。
スタート時点では、料理人同士の喧嘩、雇用の難航、接客スタッフの教育時間の捻出が困難、私自身が飲食事業を経営した経験が少ない、など赤字の理由はたくさんありました。
しかし、オープンから1年後、試行錯誤し私自身も店へ足を運び、多くの時間を費やしても、なかなか変わらなかった状況に「小さな変化」が起こり始めました。
その変化の大きな要因は「人」でした。
その「人」との出会いにより、料理人が揃いだし安定してきました。
調理場の人が揃い出すと接客スタッフも揃いだし、接客のレベルも向上していったように思います。
コロナ禍での慣れない新規事業での大きな学びは「私がカリスマになってはならない」という事でした。
自分自身で全てを作り上げたという自負がある牛乳宅配事業では譲れなかったかもしれませんが、今回の慣れない寿司屋だからこその学びでした。 -
2023.10.01
経営改革〜チームづくり編〜
私は多くの経営者から過去いろいろな場面で「デミックは増富社長と幹部社員の未来の描き方に大きな違いがありますね」とよく言われてきました。他社の経営者からはそう映っているんだ、と深く気に留めていませんでした。しかし、今回、店舗改革に乗り出してわかったのは、社長と幹部社員、その先の店舗責任者との考え方に違いが大きければ大きいほど改革が困難になるということがわかりました。私が話す改革内容や目的の解釈にずれが生じた場合、改善のために指示を出しても表面上の作業しかできず、問題の本質を解決するための手段や優先順位がわからない、そんなことが多々起こります。ではなぜ、他社とは違い社長と幹部社員との考え方に差が生じるのか、考えてみました。すると、社員が成長できるような指導ができていなかったのではないか、また、私自身が社員とともに成長せずに自分だけが勝手に成長する行動をとってしまった、などいくつかの問題点が浮きあがりました。私の性分の問題だと思いますが、「自分で考える」「すぐに自分で動く」いつもこうです。幹部社員に相談する時は、たくさんのことをやり過ぎて、身動きが取れない状況になった時です。当然、幹部社員に仕事がまわってくる時には、やるべきことがあらかた決まっていて、私が指示するので、そこに幹部社員の考える余地が無い場合が多かったように思います。
経営改革に一番必要な「チームづくり」を、どのように着手するかを考えても即効性のある手段が見つかりません。しかし、一点、有効な手段はあります。それは、私と共有する時間を増やす、という方法です。これが改革のキモだと感じています。「良いチームをつくる」そのためには、成長できる環境が必要不可欠です。人が成長し、チームを強くするために『社長道場』と称して幹部社員との共有する時間を増やし、未来ビジョンを共有し、事業計画をともに作成していきながら、社長と幹部社員が共に学ぶ時間を作ろうと考えています。元プロ野球監督である野村克也氏の言葉に「勝ちに不思議な勝ちあり 負けに不思議な負けなし」とあるように、ラッキーが続き勝たせてもらうことがあります。しかし、逆に負けには必ず確かな理由があります。まずは負ける原因を潰す。そして、勝つためには、短期・中期・長期の戦略、スケジュールを決めて、人それぞれに対する役割分担と目標設定を定める。収支表だけを見ていてもわからない、原理原則を知らなければならない。社長と社員ではダメ、人と人、仲間と仲間でなければならない。そのためには、共有の時間を作り、お互いを知る必要があります。戦略と戦術、改革について話し、店舗づくり、スタッフ育成、どうしたらお客様に喜ばれ、地域に貢献できるのか、考えてみます。原点に戻り、常に原理原則を見据え、社員と共に歩もうと思います。
「運命は変えられるか?」私の答えは「YES」です。
「心が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる」
この言葉は私の大好きな言葉です。この言葉には正しいプロセスを経て努力すれば、必ず幸運に恵まれる時がくるという私の考え方が言い尽くされています。運の強さとは、運そのものの強い、弱いだけではなく、運を引き出すために努力を続けたプロセスも含まれると思います。
「社員と共に努力する。努力して運を強くする。強くした運を重ねることによって運命も変わる」そう信じて改革を続けていきます。
2023/10/01 -
2023.09.01
経営改革〜謙虚編〜
「書経」にこんな言葉があります。「満は損を招き、謙は益を受く」驕り高ぶれば妥協を呼び、妥協を呼べば進歩も止まる。だが、謙虚な気持ちを忘れなければ大きな疑問が生まれ、さらに高みを目指して努力するようになります。つまり、謙虚であれば失敗や負けから多くを学び、成果を得られると言う意味です。社長には自分の考えが正しいとばかり思っているタイプがとても多いように感じます。社長としての信念は必要だが、周りの意見を聞く姿勢がなければ勘違いして謙虚さをなくしてしまうのがオチです。それが企業の成長を止めてしまいます。企業のトップこそ、自らが弱者であると言う認識を持つべきです。世のリーダーたちは、どれだけ「失敗」と言う事実に目を向けているのだろうか?「仕方ない、切り替えていこう」とやっているだけでは、人間としてもチームとしても成長していくはずがありません。苦しくとも、失敗や挫折と向き合って分析し、慎重さと繊細さを身に付けることが求められます。仮に良い結果が出た時も同じことです。調子に乗らず、いい気にならず、どれだけ謙虚にいられるかは、今後の成長を占う大切なポイントです。「謙虚」に「自信」を持つことで、人は必ず成長できます。
私がこの業界内でそれなりの規模になることができたのは、苦しい時、難しい場面で一緒に頑張ってくれたスタッフ、そして応援してくれた取引先がいてくれたからに他なりません。私自身を分析すると『すぐに調子に乗る』『続かない』といった側面があり、謙虚でいることは難しいと感じています。しかし、この改革においては初心を忘れず、謙虚であり続けようと思います。
最近、「みるくDEべんり」という事業を始めました。仕事の内容は、牛乳のお客様や地域のシニアの方々の「お困りごとの解決」と「人のお役に立つ」ことです。具体的には、草刈り、木の伐採から始まり、換気扇の清掃、エアコンクリーニングとその後のガスの補充や機材の取り替えまで行い、網戸や障子の張り替え、トイレの取り替えなど多種多様にわたります。私は、この事業の延長線上に地域貢献や社会貢献、さらに社会問題の解決が繋がっていると考えております。
この事業を始めたきっかけは、元社員2人が経営する『便利屋』をデミックと一緒にやっていこう、そんなスタートでした。最初は、地域を回っても、新聞折込にチラシを入れても、あまり反響がなく苦戦しました。そこで、私たち自身がお客様の立場に立ち、スタッフ同士で何度も議論を重ねて、チラシの内容を修正しました。最近の暑いこの時期の困りごとは何かと考え、チラシのテーマは「エアコンクリーニング」でいこうと決定。では、ライバルである大手ネット通販会社、大手家電量販店を相手に『いかに戦うのか』『我々にしかできないサービスは何か』を考えてチラシを完成させました。それが功を奏したのか、売り上げはグングン伸びてきました。
事業を行う中でスタッフの経験値も上がり、やれる事もどんどん増えて、自信のようなものが芽生えてきました。始めた頃は、お客様のところに行き「何かお困り事はないですか」と尋ねても「何もないわ」と一言で断られる有様でしたが、何度も何度も訪ねて行き、何気ない話をしているうちに「こんなことはできる?」と、注文に繋がる言葉が返ってくるようになりました。
私は「みるくDEべんり」こそデミックの最新の事業であり、原点回帰でもあると考えております。その秘密はデミックという社名にあります。
2002年、弊社の前身である『増富商店』はCI(企業イメージ統合戦略)により『株式会社デミック』に社名が変わりました。Demic(デミック)の意味は、左記の頭文字から名付けて貰いました。
「Derivery of milk culture」・牛乳の文化を届ける
「Derivery of mind culture」・心の文化を届ける
「みるくDEべんり」事業は心を届ける部分だと思います。
「ミルクを核商品として、環境・健康・美容に役立つ情報と商品をダイレクトにお届けする・地域の心の文化貢献業」あれから20年が経ち、やっと「ミルクを届ける会社」と「心を届ける会社」の両輪が揃いました。縁あってこの事業に巡り合えたことは、運命だったのでしょう。この縁を大きく広げて「シニアのお困りごとの解決」「シニアのお役に立てる事業」へと羽ばたかせていきたいと思います。
2023/09/01 -
2023.08.01
経営改革-社長の器編-
若い頃、人の器の大きさについてよく考えることがありました。器の大きさを測るための物差しは人によって違いますが、私なりに考えた『器』とは、どれだけ多くの方に『影響』を及ぼすことができるのか、その『影響を及ぼす範囲』のことが器の大きさであると考えていました。では、多くの方に影響を与えるに具体的には何が必要か?「人望」「信頼」「度量」「貫禄」「威厳」といった人格的要素や「知識」と「理論」さらに「戦略」「戦術」といった経営面での素養にたけている事はもちろんのこと、表現力に優れ、的確な言葉を使えることも重要なポイントだと考えられます。
人間社会は基本的に言葉のやり取りで成り立っているため、コミュニケーションの質の向上や、相手への影響力の強化、スタッフからの信用及び信頼の獲得のためには、どうしても言葉が必要となってきます。
経営者である私に大きな器があれば、多くの社員を引っ張っていくリーダーシップ、社員の心をグリップする求心力、職場での社員の満足度向上、など様々な課題の解決に繋がると確信していますが、今のままでは難しいと感じています。なぜならば、私は様々な事業に携わっているため店舗にいる時間が確保できずに、スタッフとコミュニケーションが取りづらい状況だからです。器を形成するためには、どれだけ現場に時間を割けるかが重要なのです。
そのため、デミックの直面している経営課題(組織改革、業態変換)などの解決に向けて、私自身が先頭に立ち、各地の店舗へ訪問し「店舗改革を行う」と決めました。「現場は宝の山」この言葉通り、経営改善をするための多くのヒントは牛乳宅配店舗にありました。改革の第一歩は、スタッフへの感謝の気持ちを伝えることから始まりました。店舗訪問を行い改めて感じたのはスタッフの凄さ、雨の日も、風の日も、お客様のご自宅まで牛乳を届けてくれているスタッフへ感謝の念に堪えません。全ての改革は、この「感謝」無くして前へ進めないと思いました。次に、スタッフとのコミュニケーション量を増やしました。「趣味は何?」「休日は何してるの?」「奥さんや彼女はどんな人?」から始まり、「仕事のやりがいは?」「仕事の楽しいところと辛いところは?」「未来どうなりたいのか?」など、話を進めていきます。身の回りのことから、人生観まで、色々と話をしていくと、その人の性格や人となりが理解できてきます。もちろん、私自身のことも包み隠さず話します。良いチームを作るには、店舗で働くスタッフのことを知ることが必要不可欠だと思います。
各店舗では約10人〜25人の社員や配達スタッフが働いており、当然、店舗改革は店舗にいる人を中心に進めます。したがって課題解決のためという理由で、店舗にいるスタッフを蔑ろにし、新しいスタッフを迎え入れても上手くいかないように思います。だからこそ、時間をかけて目の前(店舗)にいる人との信頼と信用を築くところから一歩、一歩進めていきます。
スタッフとコミュニケーションを深めると色々な事に気づきます。気づく⇒考える⇒行動する⇒壁にぶつかる、また気づく。このようなサイクルで頭の中がずっと休む間も無く、考え続けています。また、自分自身に「デミックが生き残るためには?」「経営者としての目標は?」「社員をどこへ導くのか?」など自問自答を繰り返しています。ホント考えてばかりで疲弊してしまうこともありますが、『企業は社長の力量以上に伸びないし、社長の器より大きくなる事は無い』これが組織論の原則です。
したがって組織が強くなれるかどうかは社長の力量次第。ならば、社長と呼ばれる人間はどんな時も、自分をレベルアップさせ続ける義務があります。私自身も、より良い組織づくりや人材育成、指導方法などを自分自身に問い続け、本業以外にも多くの経営者との交流を通して、自分を磨いてきたつもりです。社員以上に自分を厳しく律し、「進歩しよう、向上しよう」と戦う姿勢を周囲にも見せる必要があると思います。
社長の器の要素を全て備えている人は皆無に近いです。私がなんとなく長く社長をやれているのは、欠点こそあれ、信用や信頼を得るために創意工夫を重ねて、社員や役員からの助けを借りることができたからだと思います。社長の器を図る様々な要素の中で、肝要なのは、信頼、そして周囲から寄せられる信用だと思います。
2023/08/01 -
2023.07.01
ツキを呼ぶ魔法の言葉・2
先々月のコラムで「ツキを呼ぶ魔法の言葉・1」をお届けしました。
そのコラムにコロナが終わろうとしている今、5度目の経営危機に陥っているかもしれないと書きました。
過去の経験から、経営危機はほぼ「慢心」「過信」「自信過剰」の言葉通り、自らの中から発生することが多かったように思います。今回の経営危機に拍車をかけたのがコロナ禍の影響です。コロナ禍になってからの3年間を経営分析してみると、「動けない」「話せない」ことでコミュニケーションが不足し連帯感の喪失、行き違いや思い違いによってさまざまな問題に拍車がかかったと思います。現状の全ての問題をすぐに解決し、経営改善をするのは容易ではないと感じています。その理由は「やるべきことは沢山ある、しかし、店舗の誰とやるのかを決められない」「判断力はある、ただ判断する情報がない」このような状況の上に、ガソリン代、光熱費をはじめとする経費の高騰、メーカーの値上げなど、色々な問題を複合的に改善しないと良くならないからです。
もう一度、魔法の言葉を唱えながら経営改善(改革)を決意しました。ピンチが起これば「ありがとう」、良いことが起これば「感謝します」、常日頃から「ツイてる、ツイてる」と口ずさみながら改革に挑みました。改革の第一歩はお客様には心苦しいですが、値上げをさせていただくことから始めました。本当に申し訳なく思いますが、それをしないと改革の前に会社が終わってしまうからです。その上で店舗の現状を知ることから始めようと、長い間行けてなかった店舗への訪問をすることにしました。久しぶりに訪問した店舗は良いのか悪いのかわかりませんが、全く何も変わっておらず、昔のままでした。変わったのは老朽化した店舗建物と当時からの勤務してくれている配達スタッフが10歳以上も年をとっていたこと、さらに時代の潮流に伴う宅配牛乳のニーズの変化などから店舗のお客様件数が減っていたことでした。事務員と面談、店舗社員と面談、全ての配達スタッフと面談し、面談終了後みんなで懇親会を開催しました。スタッフと話して一番大きく胸に湧き上がった感情は、他の事業に力を割き10年以上も店舗を放ったらかしにしている間、ずっと配達をしてデミックを守ってくれていたスタッフへの感謝の気持ちでした。本当に「有り難い」の一言に尽きます。そして、一見、店舗もスタッフも変わっていないように見えたのですが、リーダー不在で放っておくと、そこで働くスタッフの都合よく仕事が変わっていることが面談を進めるにつれてわかってきました。これは、放ったらかしにしていた私の罪です。
デミックが大きく飛躍したのは、私が40歳から50歳の10年間でした。毎年、新卒を15人受け入れ、右も左も分からない社員と前年、前々年入社の成績優秀社員を育成者に育てて学生時代のクラブ活動のような営業組織で、毎年1店舗ずつ営業拡大していきました。たった200件で始めた牛乳屋は40,000件の顧客を持つまでに成長し、心の根底に「オレはできる」「オレはすごい」という勘違いがありました。これこそが「慢心」「過信」「自信過剰」という心の緩みでした。動く、動く、動く、誰よりも動く、誰よりも働く。正確な情報を得て即断即決。「いいチームを作る」をテーマに動きまくる。全国の店舗を回り問題がたくさん見えてきました。いつも「ありがとう」と口ずさみながらスタッフと面談を繰り返しています。文字通り「難が有る」時に「有り難う」不幸は重なるものです。でも、「ありがとう」ということで、その不幸の連鎖が断ち切られ、逆に幸運を呼び込むことができます。動き回ると、多くの社員を巻き込むことになります。多くの社員を引っ張り回すと、互いに同じ方向を見ることができるようになり、同じ想いを共有できることになります。何よりも店舗への訪問が楽しくなり、アイデアが湯水の如く湧き上がり、時間を共有する仲間と喋りまくります。変わりたくないスタッフが、こちらの本気に触れると、変わり始めます。本気を受け入れ始めます。動き回りどんどん改革していくと「一人でもやってやる」という自信が芽生えます。
かつて坂本龍一は「すごい根拠のない自信家でね、なんでもできると思ってたんですけどね。自信があるといつかそこ(目指す目標)にいけるんですよ」という言葉を残しました。『自信とは才能』私も60を過ぎ、まだこのような言葉に心動かされます。それも才能なのかもしれません。神様がこの時期に店舗を回るように仕向けてくれたのだと思います。「仕事は現場から」この言葉が心に染み入ります。たとえ小さなことに対しても「ツイてる、ツイてる」を口癖にすると、必ずツキはやってくるように感じます。なぜなら言葉は心を変え、習慣を変え、ツキを引き寄せるからです。
2023/07/01 -
2023.06.01
祝WBC世界一
WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)決勝の直前、侍ジャパンの大谷翔平選手が放った言葉です。「僕からは1個だけ。憧れるのをやめましょう。ファーストにゴールドシュミットがいたりとか、センターを見たらマイク・トラウトがいるし、外野にムーキー・ベッツがいたりとか。野球をやっていれば、誰しもが聞いたことのあるような選手たちがいると思うんですけど、今日一日だけは憧れてしまったら越えられないんで。僕らは今日、超えるために、トップになるために来たので。今日一日だけは、彼らへの憧れを捨てて、勝つことだけを考えていきましょう。さぁ、いこう!」この後の侍ジャパンの活躍はみなさんご存知の通りです。WBCで侍ジャパンが3大会ぶりに優勝しました。準決勝、決勝と、本当にシナリオライターがいるのではと思いたくなるほどドラマチックな展開で、侍ジャパンは歓喜の瞬間を迎えました。本当にすごかったですね。
今大会WBC世界一の優勝立役者はMVPも手中に収めた大谷翔平ですね。「大谷翔平の大会」として今後も長く記憶されていくに違いありません。「打って」は東京ドームの看板直撃弾で観客の度肝を抜き、「走って」は相手守備陣の隙を突くセーフティバントやヘルメットを飛ばしての激走二塁打で魅せてくれました。そして、「投げて」は、時速100マイル以上の豪速球と大きく横滑りするスライダーで相手打者を制しました。「打って」「走って」「投げて」たった7試合で野球小僧・大谷翔平のすべてを凝縮したようなプレーを見せてくれました。その活躍には野球を愛する者なら誰しも喝采を送るに違いありません。国籍、肌の色、人種を越えて世界中のファンを魅了しました。
私の主観で、世界一への軌跡を初期段階から振り返って、世界一に大きく貢献した選手を選ぶとしたら、大谷翔平以外にダルビッシュ、ヌートバー、吉田正尚、村上宗隆などを挙げたいと思います。ダルビッシュは宮崎合宿の初期段階から集合し、ダルビッシュ塾を開校して若手選手に的確なアドバイスをしてくれました。このダルビッシュの動きがチームを一丸とさせたように感じます。ヌートバーは切り込み隊長的なキャラクターで活躍し、試合の序盤を勢いづけました。準決勝のメキシコ戦では絶体絶命のピンチを救ったのは吉田正尚の同点3ランでした。7試合で13打点と大活躍でした。そして、最後の最後で不振に喘いでいた村上宗隆がさよならヒットを放って世界一を決めました。ここに挙げた選手たちが1人でも欠けていたら日本の世界一は無かったように思います。本当によくやってくれました。感動で心震えました。
ここまでは選手たちの話を書きましたが、今WBCでの世界一への土台を築いたのは、栗山監督だと思います。優勝後の胴上げで、マイアミの夜空に10度舞いました。背番号89の栗山監督を押し上げたのは、監督自らが東奔西走して集めてきた30人の頼もしき戦士たちでした。「選手たちが本当に嬉しそうな顔をしていた。それが嬉しかった」優勝インタビューでこう語ったように、栗山監督の野球は常に選手が主役で試合が動いていきます。世界一までの7試合で栗山監督が采配を振るったのは、送りバントのサインが1回、エンドランのサインが2回ほどで、ほとんど指示を出していません。栗山監督がしたことは、どこでどう信頼して人を使うかを決断すること、でした。先発メンバーを決め、打順を決め、投手陣の系統をメインに、後は試合終盤の代打や代走、守備固めでの選手交代を決断してきました。選手を作戦で動かす采配や、奇策もありませんでした。これほど選手を信頼して勝負を委ねられる監督は他にはいないかもしれません。その信頼こそが、侍ジャパンを世界一へと導く土台となったのです。「選手を信用しても信頼はしない」これはほとんどの監督が選手に持つ心得です。栗山監督の恩師でもある元ヤクルト監督の野村克也さんもよく語っていました。日本ハム時代、特に2021年シーズンを最後に退任する直前の栗山監督も、これに近い選手観を持っていたのかもしれません。しかし、WBCではほとんど選手を信頼して、それを元に選手を起用した。背景にあるのは、自らが作り上げたチームへの自信のように思えました。
今回のWBCは総評すると、決勝まで勝ち進み優勝したのは日本でしたが、勝者は野球界そのものだと思います。日本のプロスポーツといえば野球でしたが、近年サッカー、バスケット、ラグビーなどプロスポーツの台頭で野球人気も陰りをみせていたので、今回のWBCは今後の野球界を大いに盛り上げるきっかけになるように思います。
2023/06/01 -
2023.05.01
ツキを呼ぶ魔法の言葉・1
私は平成元年、27歳の時に牛乳宅配事業を起業しました。この34年間で、大きな経営危機が3度ありました。しかし、3度目の経営危機を最後に経営危機が無くなったように思います。
その理由は『ツキを呼ぶ魔法の言葉』という小冊子に出会ったからだと確信しています。
この小冊子は著者である五日市剛氏がイスラエルで出会ったお婆さんに教わった「言葉の大切さ」について書かれています。
お婆さん「心の持ち方って大事よ。だけど、もっと大事なのはね、言葉の使い方なの。どんな言葉を口にするかで、あなたの目の前の状況が変わってくれるし、あなたの心も変わってくるの。ほんとうよ」ピンチの時には「ありがとう」、良いことがあったら「感謝します」、いつも前向きに「ツイてる、ツイてる」、「言葉を変えると運命が変わる」と。最初は私も、そんな簡単に運命が変わるなんて、嘘のような話だと思いました。
しかし、タイミングよく4度の絶体絶命的な経営危機がきたので、実践してみることにしました。
その経営危機は、取引メーカーの多額リベートの削減要請でした。何もせずに、リベート削減を受け入れると万事休すです。恐る恐る「ツキを呼ぶ魔法の言葉」を使い、経営改善をやってみることにしました。まず私自身が、「よっしゃ、きたー、ありがとう」と、この経営危機をチャンスとして受け止めました。次に、2人の幹部社員に『ツキを呼ぶ魔法の言葉』の説明に加え、前向きに経営改善をするための戦略を伝え、私を含めて3人で役割を決めて挑みました。
経営幹部2人は「ありがとう」「感謝します」「ツイてる、ツイてる」と、事あるごとに唱えながら全店舗をまわり、獅子奮迅の活躍をしてくれました。その結果、リベート削減を受け入れても、V字で経営は改善していくのですが、同時に大きな痛みも伴いました。痛みの内容は、組織改革、仕事内容の改革、情報誌の廃止、店舗の集約などで、経営改善を進めていく過程で生じました。配達員の仕事項目が増えたり、不必要だと判断した部署を廃止したり、店舗を合併させたりと、効率が上がり、多くの経費が削減されましたが、広告費激減により取引していた業者との取引が停止したり、配達人件費の効率アップにより人件費が削減したり、予測はしていましたが多くの社員が不安に思い退社希望が続出し、寂しい思いをしました。
結局、この当時の経営改善が功を奏して(リベート削減額より、経費削減額が多くなり)大きく経営が好転してきたのです。それ以降も小さいピンチが何度もありましたが、危機らしい危機にはなりませんでした。本当に不思議です。
今回、紹介した4度目の経営危機は事なきを得ましたが、『ツキを呼ぶ魔法の言葉』に出会う前の1度目〜3度目に起きた経営危機は、眠れぬ日々もあるぐらい、とても辛く苦しいものでした。
■1度目【起業初期の試練】人が全員辞める→自己改革
■2度目【阪神淡路大震災の影響】配達先がゼロになる→アクシデントの受け止め方
■3度目【新規事業の失敗】マーケティングの甘さ
この3つでした。今思えば、その時期、その時期に経験すべき試練を経験させていただき有り難かったですし、経営を見直すチャンスだったとも言えます。
『ツキを呼ぶ魔法の言葉』を用いた経営改善を試してみて、最初は「心より、言葉が大切」というところがなかなか理解できませんでしたが、よく考えてみたら、私たちの心は意外と不安定で、言葉の影響を受けやすいものです。汚い言葉、マイナスな言葉を使うのをやめ、ニコッと笑ってプラスの言葉を口にすれば、自分の言葉も、相手の心も心地良い状態で安定し、自分の置かれた状況がどんなにピンチでも、必ず好転していくような気がします。
コロナが始まり3年が経ちました。当社デミックも社員と会うこともできず、店舗にも行けない状況の中、みんなの意識が統一できず、5番目の経営危機に陥っているように思います。久しぶりに『ツキを呼ぶ魔法の言葉』を用いた経営改善を行おうと考えています。次号、もしくはもう少し先になるかもしれませんが、パート2を書こうと思いますので、楽しみにしていてくださいね!
2023/05/01 -
2023.04.01
現役新年例会2023
今回のコラムは2023年1月に行われた、尼崎JC(尼崎青年会議所)現役新年例会での挨拶を抜粋してお届けします。尼崎JCは他のLOM(国家青年会議所の中に属する各地青年会議所)と違い、どこへ行っても「尼崎さん」と敬ってもらえます。なぜ敬ってくれるのか?それは尼崎JCのレジェンドである鴻池祥肇先輩が日本JCの会頭に成られたからです。それも、ただ会頭になったからではなくて、圧倒的に不利な状況からLOM一丸で日本一を取り、伝説になるような素晴らしい会頭をされたからなのです。そして、鴻池先輩を支えた先輩方の立ち振る舞いが素晴らしかったから、全国のLOMから敬われるようになったのです。今でも尼崎JCに色濃く残っている「規律や礼儀を重んじ、先輩を敬う伝統」、これこそが尼崎J C 道であり、全国のLOMから尊敬される所以なのです。
鴻池先輩がどんな経緯で会頭になったのか?鴻池先輩の前の前の会頭が「麻生太郎」、その次の会頭が「井奥貞雄」、鴻池先輩は井奥会頭の副会頭をされました。その時に、麻生直前会頭から「井奥の次は大阪と決まってるから爪を伸ばすな」と釘を刺されましたが、「鴻池を日本JCの会頭にする」という想いは、鴻池先輩も鴻池先輩を支える先輩方も微塵もぶれませんでした。しかし、尼崎JCの長老方は「スポンサーLOMである大阪J C に刃向かうなんて、もってのほか」と大反対でした。
この困難を乗り越えるための作戦を考え、実行したのが竹瀬元紀先輩だったとのことです。日本JCの役員たちは東京や各地で会議をしていますが、会頭は会議が終わると立場
上遊びに行くわけにいかず、一人でホテルにいることが多いらしいのです。鴻池副会頭に必ず帯同していた竹瀬先輩が会頭の部屋に電話をいれて「尼崎の竹瀬です。鴻池に申しつかりました。飲み物は足りていますか?タバコは切らしていませんか?他、何かご用はあれば申し付けください」そう言って、いつも連絡を入れました。その時に、何かあれば部屋まで届ける。これを、どこへ行っても、どんな状況でも必ず続けました。結局、井奥会頭は尼崎JCの気遣いや心遣いに心動かされて、鴻池先輩を次の会頭に使命することになりました。
会頭になられてからは、どんな場所でも、どんな環境でも、すばらしい挨拶をされ、聞いている方々を魅了しました。当時、鴻池会頭を最も支えたのは森本清先輩(当時は秘書)でした。鴻池先輩は「森本はどんな広い会場で挨拶していても、まっすぐにこちらを見ていてくれた。何か問題がある時も、目でそれを察知して解決してくれた。
森本ほど立ち姿が美しい者はいなかった」このように仰っていました。会頭になる以前から続く「規律や礼儀を重んじ・先輩を敬う」この伝統が鴻池先輩も、鴻池先輩を支えた方々も一貫していたので、全国のLOMから敬われるようになったのです。
私はシニアクラブの会長として、目標が2つあります。1つ目は、毎年誕生する現役理事長のやりたいことをシニアとして思いっきり支援する。今年は55人スタート、人数の減っ
た現役の人数を元の姿に戻してもらいたい。こんな願いがあるので拡大で何か必要なことがあれば言ってください。現役とシニアは一対です。現役が衰退すれば、シニアも衰退していきます。100人以上のLOMに戻すべき努力をお願いします。
2つ目は、尼崎シニアクラブを日本一にすることです。近隣のJCに目をやると、シニアクラブがおとなしいLOMも多くあります。しかし、全国に目を向けると毎月懇親会を開
催し、100名以上のメンバーがシニアクラブに集い大いに楽しんでいるLOMもあります。尼崎はゴルフや旅行の同好会があったり、レジェンド会と称してお祝い会があったり、集まりやすい環境があります。しかし、日本一かと言われたら、上には上が…。もっと多くのメンバーに参加していただき、もっと活気のあるものにしたいと考えています。目指せ日本一のシニアクラブ。
2023/04/01 -
2023.03.01
神の子メッシ
平成の時代から続く慢性的な不況に追い打ちをかけるようにやってきたコロナ・・・。国民全体が「我慢」を強いられ、やり場のない「不安」を抱えてきました。そうした日々から解放され、感動をもたらす不思議な力がスポーツにはあると感じています。私のそれは、睡眠不足と多くの感動を与えてくれた、昨年のFIFAワールドカップ2 0 2 2 でした。ドイツ、スペイン相手に逆転勝ちをしてグループリーグ首位通過した日本の活躍に、日本サッカーと世界との差は僅差だと感じました。
日本の躍進も良かったのですが、もっと感動したのが「神の子メッシ」がキャプテンとして率いるアルゼンチンチームの優勝です。メッシはその圧倒的な技術は衰えることなく、チームを勝利に導いていきました。ただ、私は今大会のメッシに、以前とは異なる印象を受けました。
以前のメッシは、独力でスーパーゴールを決めることができる圧倒的な技術に加て、その瞬発力で相手を破壊してきたプレイヤーでした。
しかしながら、加齢には抗えず、最近では瞬発力や加速力などの身体能力に陰りが見えはじめたように感じます。その代わりに、周りの選手を活かし、一緒に得点をあげ、守備をするプレースタイルに変わり、それが良かったのかもしれません。攻撃だけでは無く、守備にあんなに走るメッシを見たことがなく、それだけで熱いものがこみ上げてきました。
幾多の試合の中でも一番大きな感動を与えてくれたのは、決勝戦アルゼンチンVSフランスです。前半21分ディ・マリアが倒されてPKを獲得。メッシが冷静にPKを決めました。先制で波に乗ったアルゼンチンはメッシを起点としたカウンターから、ツータッチでディ・マリアがゴール、2点目をあげます。前半戦を終え2対0、アルゼンチンはフランスを相手にゲームを支配します。ゲームが動くのは、後半35分からでした。フランスはPKを獲得すると、エムバぺが決めて、2対1。その1分後にエムバペの追加点をあげて2対2。一気に形勢はフランスへ傾きますが、GKのスーパーセーブでしのぎ切り、勝負は延長戦へ。ここでもメッシが魅せます。延長戦後半3分に味方のシュートのこぼれ球を右足で押し込む形でゴール。
この得点で勝ち越したアルゼンチンに、またもや、エムバペが立ちはだかります。エムベパのシュートがアルゼンチン選手の肘に当たったとしてPKを獲得。エムバペが決めて、試合は3対3で終了。その後のPK戦を制しアルゼンチンが勝利します。突き放しても追いつかれる。それも一度ならず、二度までも。観る者すべての魂を揺さぶるファイナル。掛け値なしの名勝負を制したのは、執念でフランスを上回ったアルゼンチンでした。アルゼンチン3度目の世界制覇。
「神の子メッシ」は1987年生まれ、35才、アルゼンチン生まれ。身長170cm、ドリブル、パス、シュートなどのオフェンス能力がずば抜けて高く、世界中のどんなディフェンダーも無力化させます。アルゼンチン代表、バルセロナで主に活躍しました。4才の頃サッカーを始め、8 才の頃、地元ユースチームに所属し、6年間で500ゴール。当時から天才の片鱗を見せつけます。しかし、メッシは10才の頃、成長ホルモンを投与しないと正常に発育できない病気であることがわかり、家族は治療費の捻出に苦しめられました。
その後、リーベル・プレートの入団試験を受けるも不合格になり治療費も相まってメッシのサッカー人生は絶たれたかに思われました。そんな時に、FCバルセロナと繋がりの深い、ホセ・マリア・ミンゲージャと出会います。
この出会いがメッシの人生を大きく変えていくことになります。
今回のコラムを執筆するにあたり、メッシのことをあれこれ調べていると、
メッシがすべてのアルゼンチン国民からどれだけ慕われているかがわかりました。準決勝クロアチア戦3対0で勝利した後、インタビュアーのソフィアさんが、この試合で最高の活躍をしたメッシに投げかけた言葉で締めくくらせていただきます。
「これからワールド杯の決勝がやってきますが、一つだけ言わせて欲しいのです。あなたは結果というものを超えたところで、アルゼンチン国民の一人ひとりの心に入り込みました。誰もあなたを忘れることはできません。本当なんです」「あなたのユニフォームを持っていない子供なんていません。そのユニフォームがオリジナルであれ、偽物であれ、手作りであれ、想像のものであれ・・・。あなたは皆の人生の中に刻まれた存在です。私にとってはその事実の方がワールド杯優勝よりも大切なんです」「あなたはこんなに多くの人々に、こんなに大きな幸せを感じさせてくれました。感謝しています。このことを心に留めておいてくれたら嬉しいです。あなたはもうすでにワールド杯優勝よりも大切なものを私たちに与えてくれたからです。キャプテン、ありがとうございます」
2023/03/01