Column 社長コラム
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2021.02.01
年男
今月は尼崎北ロータリークラブ年男スピーチで話した内容をコラムに書かせていただきます。
「新年明けましておめでとうございます。腰は低いが、頭(ず)が高い、増富でございます(笑)。本年もよろしく御願いいたします。年男スピーチということで、過去を振り返ってみました。2002年、名誉ある尼北ロータリークラブに入会させていただきました。今年で19年目となります。当時の私は、2001年度、尼崎青年会議所の理事長を務め卒業、2002年度は直前理事長という立場で青年会議所に関わっていました。青年会議所活動中に様々な場面で自分自身の力の無さを痛感することが多く、ただ優しいだけの男ではダメ、もっと強くなりたい、誰にも負けない力が欲しい、そんな思いで満ち溢れていました。そんな『絶対的な力』を得るための一番の近道は事業規模の拡大だと。事業規模拡大ができたら、社長としての器を広げることができるし、お金も稼ぐことができるようになります。『命懸けの事業拡大』こそが『絶対的な力』につながると信じ、これを四十代のテーマと定め、動こうと考えていました。そんな矢先に先輩方から誘われロータリークラブ入会となりました。皆さんは大きなテーマがあるなら入会しなければいいと思われると思いますが、青年会議所の先輩・後輩の関係性は自分の都合が通用するような生易しい関係性ではありません。色々と葛藤はありましたが、表向きには『喜んで入会させていただきます』と言って入会することになりました。しかし、ロータリーに入会はしましたが、『命懸けの事業拡大』というテーマがぶれることはありませんでした。
当時、兵庫に四店舗しかなかった店舗網を大阪・奈良などの関西、徳島・香川・高知・愛媛などの四国、四十代後半は群馬・栃木・茨城・千葉などの関東に店舗を広げるために走り回っていました。事業拡大中心の生活はロータリークラブへの出席もままならない状況でした。出席できない負い目の中、参加すると長老たちが決まって『どちらさんでしたっけ?』と温かくいじっていただきました。いつしかロータリーへの出席は私にとっての癒しの場であり、オアシスのような場となっていきました。入会からの18年はメンバーの寛容さに救われた日々であったように思います。今、思うことは『尼北ロータリークラブでよかった』心からこのように思います。
さて、年男スピーチですね。『論語』にある孔子の人生訓とも言える一節があります。『吾、十有五にして学問を志し、三十にして立つ(独立)、四十にして惑わず(迷いが消える)、五十にして天命を知る(人生の目的)、六十にして耳順う(人の話に耳をかたむける)、七十にして心欲する所に従えども、のりをこえず(人の道をはずれることなく自由に行動できる)』孔子の人生訓は多くの人たちの道しるべとなっていますが、私の人生には全く当てはまりませんでした。私の人生では、孔子の節目、節目の人生訓を理解しながらも、先にチャレンジしてしまう、先に動いてしまう、そんな人生だったように思います。五十代は本業の宅配牛乳事業だけにとどまらず、面白そうだとみるとすぐに新規事業に投資をし、幾つもの事業に失敗しました。しかし最近は、この多くの失敗を誇りに思えるようになりました。なぜかというと、この多くの失敗こそがチャレンジした証だからです。還暦である六十は、孔子の人生訓では耳順うとありますが、人の話に耳をかたむける前に、自分の好きなこと、やりたいことにチャレンジしていると思います。自分の性分を変えることは難しいですね。
還暦という言葉は、一般的には定年や終活的な意味合いの年齢だと思いますが、私自身はまだ自分の人生に全く納得できません。まだまだ、こんなもんじゃ終われないと思ってしまいます。私自身が思い描いていた人生の入口あたりをまだウロウロしていると考えているからだと思います。二十年近くも必死で頑張ってこの程度なんだと、今の現実を恥ずかしく思っています。四十歳の時に『絶対的な力』を得たくて、全力で全国を走り回っていましたが、数年前から人生のテーマが少しずつですが変わってきたように思います。今は『周りにいる人に力を与えられる存在になる』です。自分だけが幸せになるのではなく、周りにいる人(家族、社員、友人)とともに幸せになりたいと考えるようになりました。その方が楽しいですもんね。まだまだ、チャレンジしたいこと、勉強したいこと、行ってみたい場所、食べに行きたい店など、やりたいことが沢山あります。やりたいリストがどんどん増えています。これからはテーマを『命懸けの事業拡大』から『周りにいる人と共に幸せになる』に変えて、『辛いこと・苦しいこと』が少なく、『楽しいこと・嬉しいこと』が多い人生を歩めたらいいなぁー、とこっそり考えています。これからも寛容の心で見守っていただきますよう御願い致します。」
2021/02/01 -
2021.01.01
半沢直樹②
2020年はコロナ感染症の影響で人々のライフスタイルを大きく変える1年となりました。2020日経トレンディのヒット商品を見ると、コロナで制限された生活を豊かにするヒット商品がいくつも登場しました。上位商品は1.鬼滅の刃 2.マスク消費 3.どうぶつの森 4.Zoom 5.檸檬堂など。上位にランクインしている商品は、ほぼコロナによる生活の変化がヒットの要因になっています。私もコロナにより、コロナ以前と大きく習慣が変わりました。1番の変化はテレビ、パソコン、携帯電話の使用が以前より格段に増えました。仕事は朝から一日中、パソコンとテレビをつなぎZoomでミーティング。過去は本からの情報収集が多かったのですが、今はiPadやiPhoneでYouTubeを観て情報収集することが多くなりました。また、ステイホーム(私の場合はステイ社長室ですが)により、テレビドラマやNetflixから韓流ドラマ、ハリウッド映画などを観る機会も増えました。私自身の2020ナンバーワンヒットはテレビドラマ「半沢直樹」でした。
ドラマ「半沢直樹」は、TBSテレビのドル箱枠「日曜劇場」から生まれた数あるヒット作の中でも、突出したコンテンツです。2013年放送の前作は、最終回40%越えの視聴率を叩き出し、社会現象にまで発展しました。平成歴代1位のドラマとも称されています。前作に引き続き大ヒットとなり、世帯平均視聴率は全話を通して22%を上回り、最終回で32.7%を記録しました。2013度版の最終回の42.2%を超えることはできませんでしたが、平成以降のドラマで30%を超えるのは、2013年度版以来の快挙となりました。ドラマの舞台は大手銀行。巨大な組織の中、登場人物のぶつかり合い、言い換えれば人間が”生きている様”や”生きている力”を描いているドラマです。多少大げさに感じるぶつかり合いも、このドラマの魅力だと思います。主人公・半沢直樹という男は味方にしたらこんなに心強い男はいないと思います。また、頭でっかちな理論だけじゃなくて、ちゃんと足も使って行動するところもよいですし、正論だけでなく、時にはギリギリアウトな線にも行きつつ、ダメだったらきちんと責任を取る、そんなところが半沢の気持ちよさだと思います。また、不屈の闘争心で悪役ライバルをやっつけていく爽快感がたまりません。絶対やりぬく男、絶対負けない男、それが半沢直樹です。
昨年はコロナの影響で、仕事を始めとする多くの場面でやらない決断、動かない決断を数多くすることになり、閉塞感漂う1年となりました。しかし、私はコロナの影響をあまり受けることなく、コロナによって変わるべき点、変わってはならない点を判断した上で、コロナ後を見据えて行動することができたように思います。それは、1995年に起こった阪神淡路大震災の経験によるところが大きかったように思います。大震災は、お客さんの家を揺らし、崩し、私の仕事の全てを奪いました。どれぐらいの間仕事ができないのか、どれぐらいのお客さんが戻って来ていただけるのかなど、先のことを考えると、真っ暗になり、途方にくれたことを鮮明に覚えています。大震災から約1週間、救援物資の配達以来の仕事がきました。その数、40000個/毎日、それまでの配達客数が3000軒でした。途方に暮れていた私の心を奮い立たせました。10倍以上の配達量ということは、単純に計算しても配達車両も10倍、配達員も10倍必要です。自宅待機の社員に連絡したり、知人に配達依頼の連絡したり、車両調達に走り回ったり、大忙しとなりました。救援物資の配達先は、自宅が全壊して住むことのできない方々が避難している小学校の体育館、地域の公民館などが主な配達先でした。急遽揃えた車両、急遽集めた配達員の配達作業はアクシデントの連続でした。車両が故障したり、急遽配達員が仕事に来なかったりと。中でも一番きつかったのは避難場所での心の荒んだ被災者との争いでした。3000人が避難している小学校に着くと、3000個の牛乳を事務所まで持って行くまでに奪い合いになり、いつも揉めていた記憶があります。わずか2ヶ月の救援物資の配達でしたが、大きな利益をもたらしました。その利益を元に比較的に震災被害の少なかった神戸市北区で営業を再開しました。そこでも、店舗に住み込みながら陣頭指揮をとり、営業人員の大量雇用に奔走し、新規客の配達員を雇用し、救援物資の利益の全てを注ぎ込み、お客さんの獲得に全てをかけました。おかげで、その年の暮れには、元どおりの3000軒のお客さんができ上がりました。
阪神淡路大震災は私に「絶対に負けない心」を授けていただきました。苦しいことがあると、いつも「あの時やりきったじゃないか」「あの時諦めなかったじゃないか」と、あの時を思い出します。誰もよくやったと言ってくれなくても、やりきった自分を自分が信じられるようになるんです。誰も褒めてくれなくても、自分で自分のことを誇れるようになるんです。震災の経験は私の人生の宝物となり人生の格言ができました。「幸せは不幸せのふりしてやってくる」半沢直樹はあの時のことを思い出させる熱量あるテレビドラマでした。まだまだ、コロナ感染症の余波は続きますが、みなさん頑張りましょうね。
2021/01/01