Column 社長コラム
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2022.01.01
二刀流
花巻東高校野球部には具体的な目標を一枚の用紙に書き込む「目標達成シート」というものがあります。正方形の枠を大きく9つに分け、その1マスをさらに9分割した用紙には、目標や、その目標を達成するために必要とされる要素が細かく記されています。用紙の中央に書かれた事柄が、その選手の大きな柱となる目標になります。メジャーリーガー大谷翔平は高校入学時の目標達成シートのど真ん中に「ドラフト1位8球団」と書いていました。プロ野球のドラフト会議で8球団から1位指名されることを目指しました。そのために必要な要素として、目標を囲むように「キレ」「コントロール」「体づくり」「メンタル」「人間性」「運」「変化球」「スピード百六十三キロ」といった八つの言葉を書き込みました。163キロを目指していけば160はいけるだろう、そんな理由でスピード160キロは163キロに書き換えました。花巻東高校・佐々木監督は大谷の思考の高さに驚かされたようです。
大谷の歩んできた道には、その時、その時に下した決断がありました。「花巻東高校入学」「プロ・日本ハム入団」「メジャー・エンジェルス入団」その中でもメジャー挑戦について面談した日本ハム・栗山監督は「翔平はお金の話を一度もしたことがなかった。彼にとっての価値観はそういうところにはないんですよね。翔平は誰もやったことがないことをやってみたいんだと思うんです。結果じゃなくて、それをまずやってみる。翔平はチャレンジしてみることが嬉しくてしょうがないという価値観を持っているんです」と言います。佐々木監督は「夢も大事だし、チャレンジも大事だけど、現実として一人の人間としての生活もあるという話を。怪我もあった。その中でボールの素材変わり、日本と比べてマウンドの固いアメリカでは体の負担が大きくなって肩肘を壊すリスクもある。メジャー挑戦の前年は特に成果が出なかったし、オフには右足首の手術もある。他にもいろいろリスクはあるし、あらゆるリスクを考えた時に、もう少しじっくりやってからアメリカへ行っても遅くはないんじゃないか。なんで今アメリカへ行かなくちゃいけないの」すると大谷は「まだうまくいってないこともたくさんある。だから行くことが大事なんです。成功するとか失敗するとか僕には関係ないんです。それをやってみることの方が大事なんです」そう言い切ったそうです。自信があるとか無いとか、活躍できるとかできないとか、大谷本人は考えていない。ただ行って挑戦してみたい。高いところへ自らの身を置きたい。そんな大谷の生き方を貫ける球団を選んだのだと思います。
二刀流に懐疑的であったアメリカの野球ファンも大谷翔平の二刀流での活躍を目の当たりにして、今や次の二刀流選手を待望するようになっています。大谷は全米野球ファンの夢と希望を叶えるベースボールヒーローとして扱われるようになりました。しかし、全米ファンを虜にしたのは、二刀流での活躍だけではなく、その立ち振る舞いにありました。オールスター戦の試合後、前日はホームランダービーにも出場しヘトヘト状態だったにもかかわらず、ファンから突然サインを求められると、バックをわざわざ地面に置いて丁寧にサインをした。ホームラン王争いの真っ最中、しかも、本塁打数が失速している頃、リトルリーグの少年たちに求められるまま、笑顔でサインをし続ける大谷には尊敬の念すら感じます。多くの一流メジャー選手からも賞賛の声が上がっています。「僕はショウヘイの大ファンだ。何て素晴らしい才能だ。僕も彼と同じぐらい速い球を投げることはできるけど、彼のように打つことはできない」「本当にアンバビーブルな存在だ。この100年間、真の意味での二刀流をやった選手はいなかった。最後にやったのはベーブ・ルースだけだ。ショウヘイは100マイルを投げ、本塁打でもリーグトップクラス。投げても打ってもオールスター級さ。しかも、人間としても超一流。僕は打たれたけど(笑)、彼の活躍は嬉しいんだよね。人として素晴らしい人間には、誰だって成功を願うだろ。ショウヘイに会ったことのある人たちなら誰もが、成功してほしいと思っているはずさ」「権威ある人だけでなく、そうじゃないにも敬意をもって接している。本当に尊敬する人物だ」
2021年、大谷は二刀流として一年間怪我なく終えられるよう肉体改造を行い、シーズンの最後まで熾烈なホームラン王争いを繰り広げ、投手としても九勝し、投打の大活躍を見せました。オールスターゲームでは従来のルールさえも変更させ、1番DH兼先発選手としてリアル二刀流を魅せてくれました。全米野球記者協会の代表30人によって選出されるアメリカンリーグMVP受賞は当然だと思います。
植木屋の職人さんから、「小さな植木鉢のイチョウも庭に植え育てたら大きく育つ」と聞きました。器を大きくして育てれば、それ相応の大きさになる。人材育成も相通ずることがあると思います。逆に「お前はあれができない、これができない」と否定ばかりして育ててしまうと、それなりにしか育たないように思います。今、自由や自主性を尊重する風潮があり、自らの考えのもと行動することは大切だと思います。でも、何もわからない時期には道を示してあげることも、ある程度必要だと思います。美しい盆栽を作るには、矯正した針金をどのタイミングで外すかが重要とのことです。人材育成も、どのタイミングで自由や自主性に任せていくかが大切なことだと思います。
私自身の歩みを振り返ると、27歳で起業し、まったく矯正されることなく独立独歩で歩んできました。その分失敗も多く、苦しい場面も多くありました。会社の数も今では16社と増え、ある意味十六刀流と言えるかもしれません。還暦を迎える今思うことは「人生これからが本番」、干支が一巡し、出生時に還る今こそ、さらなる高みを目指したいと思います。本年もジャンジャン、バリバリ頑張ります。今年もよろしくお願いします。
2022/01/01 -
2022.02.01
エイベックス
コロナは私に多くの変化をもたらしましたが、一番大きな変化はリフレッシュの仕方だと思います。コロナ前はストレスを感じたことがありませんでした。それは「遊びのように仕事をこなしていた」からではなく、ストレスを感じない仕事のやり方をしていたのだと、最近気が付きました。コロナ前は、東京、名古屋、博多、ソウルなどへ月の半分以上動く生活をしていました。これがストレスを生まない仕事法でした。動く生活は移動時間を含めての一人で自由に過ごす時間が多くあり、その時間を利用していろんなことを考えたり、コラムを執筆したり、勝手気ままに過ごすことができました。それが今は毎日Zoomで六つも七つも会議に参加して、時間から時間のスケジュールをこなしています。たまに行く東京出張が楽しくて仕方ないのは、日頃のスケジュールに遊びの時間がないからなのでしょうね。
コロナが終息する今年の目標は、スケジュールに余裕を持たせる、自分にしかできない仕事以外はしない、この二つを目標にしようと考えています。最近、動けない生活の中で新しいリフレッシュ法を見つけました。それがNetflix(ネットフリックス)とYouTubeを見ることでした。Netflixはまたの機会に書くとして、最近のお気に入りYouTuberはエイベックス松浦会長です。昔なら講演を聞きに行かないと聞けない話が今は簡単に聞けるようになりました。『起業のきっかけはアルバイトをしていた貸レコード屋の社長から「一緒に会社やらないか?」と誘われたから。最初に出店した場所は貸レコード屋が四店舗もある激戦区でした。なぜわざわざ激戦区に出店したのかは、そこに客がいるのがわかっていたからとのことでした。あとはその四店舗に勝つにはどうすればよいかを考えるだけ。松浦氏は同業者に勝つために、どう差別化を図るかを考えました。毎日のように喫茶店へ行きノートとペンに、新たな企画や販促法を考えては書き記して実践することを繰り返しました。やがて近隣にあった四店舗は全て無くなり、地域のナンバーワンになりました。それでも次に何をすればもっと大きくなれるかを考えました。地域密着の商売は売り上げが青天井で伸びていくことはない、ならば伸ばしていくには多店舗化するか、乱立していく貸レコード屋に何かを売るか、この二つのどちらかだと。多店舗化で大きくなった成功事例はTSUTAYAでした。松浦氏はもう一つの方法の他の貸レコード屋にものを販売する方を選びました。当時の貸レコード屋には音楽に詳しい人があまりいなかったので、輸入盤の仕入れを代行し、内容を解説するコメントを書いて貼ってあげると評判になり、ウチの店でもやってほしいと多数の依頼があった。毎月仕入れ代として数万円をもらって今で言うサブスクのようなものをやりました。ある程度の売り上げが見込めないと、やめられてしまうので、真剣にやりました。五十軒ぐらいの貸レコード屋からの依頼がきて感じたことは「これは商売になる。別会社を作ろう」。これがエイベックスの前身でした。
輸入盤の卸の会社に軸足を置くと、そこでも輸入盤卸会社同士の戦いがありました。そこでまたどうすれば勝てるかを考えました。あまり差別化できない輸入盤卸事業でしたが、ライバル社が真似できないことを探しました。たどり着いた企画がエイベックスでセレクトした曲をイタリアのレコード会社に権利を獲らせてセレクト盤を作ってもらうことでした。作成したCD一万枚は全て買うから、他の輸入レコード卸会社には売らないようにと交渉しました。企画は大当たりしてドンドン売れました。売れると儲かり資金ができました。次に考えたのは輸入盤のセレクトで良い曲をたくさん選んだ「スーパー・ユーロビート」を制作しました。ある時から輸入盤ではなく、自分たちの曲に入れ替えることを考えました。自分たちの権利を持った曲を販売するということはレコード会社になるということでした。当時のレコード会社はSONY、東芝、松下など大手家電メーカーの子会社だったので少し悩みました。周りの人から散々やめろと言われましたが、やってしまいました。その後、ジュリアナ東京ができブームにのりジュリアナのCDを作ったらバカ売れしました。その次は小室哲哉氏と出会いがあり、またまた小室氏のダンスミュージックはバカ売れし、TMネットワーク~TRFへと続いていきます。創業期はやることなすことがほぼ当たり順風満帆でした。その後上場し、得た上場益五十億円を詐欺で騙された時の話では「苦い経験あるんですね」の一言に「苦い経験ばかりだよー」と返答していました。また、小室哲哉氏がある日突然逮捕されて、六億五千万円の弁済を肩代わりして、刑務所行きを免れた話では、「小室さんのおかげでエイベックスが大きくなったのは間違いないし、五年も刑務所に入ったら才能ダメになるだろうな。俺にできることはそれしかない」と。』
今回の松浦氏のYouTubeは本当に勉強になりました。共感を覚えるポイント、自分に足りていないポイントなど大きな気付きとなりました。エイベックスの成功の軌跡で学んだことは、成功ではなく大成功するために必要なことでした。大成功するためには「時代の流れに乗れる業種を選ぶ」「同業者が真似できないぐらいの差別化を図る」「常に考える、自分しかできないこと以外は全て任せる」でした。コロナ禍でライブやコンサートができない状況、CDが売れなくなり低迷する中で、青山のエイベックス本社を売却、社長を退任し会長に就任したこと、YouTuberを自分自身で体験、体感していること、そんな状況の中で、松浦氏は次の時代をどう捉え、どんな手を打つのかを楽しみにしたいと思います。
2022/02/01