Column 社長コラム
-
2017.08.01
運を引き寄せる Vol.1
最近、若手経営者から「成功する秘訣」についてよく質問されます。自分が決して成功しているとは
思いませんが、27 歳の時に起業し、何の実力も経験もなかった私が、28 年の長きにわたり会社を潰さず
に経営できているのは、どう考えても「運が良かった」からとしか言いようがありません。自分自身運
が良い方だと思っていましたが、過去の出来事を振り返り検証してみると、起業してからだけではなく、
子供の頃からずっと運が良かったことに気づきました。
子供の頃、近所の神社のお祭りで町内会のくじ引きがありました。お祭りは年2回、嘘のようですが、
そのくじ引きで必ず当たりくじを引いていました。小学生の頃に通っていた算盤塾での昇級試験や、高
校時代、クラブ活動の剣道での昇段試験でも落ちたことがありません。思春期の頃はバイクに乗ったり、
車を改造して走り回ったり、不良グループと喧嘩になったりと、少々波乱万丈でした。仲間がよく警察
のお世話になっていたのに、私だけが運良く警察に捕まりませんでした。不良グループ数十人に囲まれ
絶体絶命の時も向こうのリーダーが顔見知りで事なきを得たこともありました。仲間からは私と行動を
共にすると、もしくは私に判断を仰ぐと間違いが起きないと言われていました。
20 歳の頃、大学を中退、東京へ家出し、社会人としての一歩を踏み出しました。「上へ行く」「東京へ
行けば何かが変わる」という何の根拠もない思いつきで東京へ行きました。「関西から来た。住み込みで
働かしてほしい」と会社を回りましたが、「親は知っているのか?」と、どこも雇ってもらえませんでし
た。夜も更け、途方に暮れて入った吉野家で、アルバイトの方が偶然2ヶ月前まで実家の近所に住んで
いた同世代の方でした。その方の助けで、その日の宿泊と吉野家を紹介していただき、吉野家の工場に
住み込みで働き始めることができました。お金を貯めて代田(だいた)というところで独り暮らしを始めるのです
が、そこがまあボロボロの3畳一間、風呂なし、共同トイレの部屋でした。
東京での一人暮らしは、それまで何一つ苦労していなかった人生を一変させました。安易に「上に行
く」という野心は崩れ去り、社会の厳しさ、世間の冷たさを身にしみるほど経験しました。その経験か
ら「信じて信じず」「自分しか信じない」など経営者としての人と関わるルールを身につけました。そし
て両親の愛情の深さを感じ、感謝の気持ちが芽生えたことを思い出します。わずか1年で挫折し関西に
帰りますが、経営者に必要な資質を改めて知ることのできた貴重な経験となったように思います。関西
に帰り、実家のアイスクリーム・牛乳の卸売りを手伝うことになりますが、その頃明治乳業と出会い、
大きく運命が変わっていきます。元気一杯、張り切って仕事をしているとの私の評判を聞きつけて、明
治乳業の兵庫支店長が私を訪ねてきました。「神戸の宅配牛乳販売店が廃業するので起業しませんか。」
と。当時の宅配牛乳業界は若手があまりいない状況でした。牛乳販売店のおじさんたちが口々に「この
業界はもう終わりだよ」と言っているのを耳にし、私は起業を決意しました。
そして、起業後も運の良い出来事が次々と起こります。不出来で何もない27 歳の私が今のデミックを
どう作っていくのかは、次号とさせていただきます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
7月号コラム「なりたい自分になる」は、2017 年5月末に執筆しておりました
小林麻央さん心よりお悔やみ申し上げます
2017/08/01 -
2017.07.01
なりたい自分になる
昨年9月より小林麻央さんはブログを書き始めました。「小林麻央です。今日から、ブロ
グを書くことにしました。家族はとても、驚いています。素晴らしい先生との出会いに心
を動かされました。その先生に言われたのです。『癌の陰に隠れないで』時間の経過ととも
に、癌患者というアイデンティティーが私の心や生活を大きく支配してしまっていたこと
に気がつきました。元気になったら元の自分や生活に戻れるのだからそれまでは、誰にも
知らせず、心配をかけず、見つからず、、、と思ってきました。乳がんであることが突然公
になり、環境はぐるぐる動き出しました。そこで、これまで以上に病気の陰に隠れようと
して心や生活をさらに小さく狭いものにしてしまいました。これは自分自身のせいです。
私は力強く人生を歩んだ女性でありたいから子供たちにとって強い母でありたいからブロ
グという手段で陰に隠れているそんな自分とお別れしようと決めました。こんな自分勝手
な情けない理由でごめんなさい。でも、一度きりの人生なので、なりたい自分になろうと
決意できたことはうれしいです。癌になってから1 年以上が経ち、いつものようには身体
が動かなくなった時元気いっぱいの娘や息子を前に途方に暮れる思いでした。子供に、『い
つも一緒にいられなくてごめんね。何にもしてあげられなくてごめんね。』と胸を痛めてる
ママがいたら、あなただけでなく、私も同じですと伝えたいです。今日は、読んで下さり
ありがとうございます。」
麻央さんは人気キャスター、人気絶頂の海老蔵さんと出会い結婚しました。子供にも恵
まれ、誰もが羨む、幸せを絵に描いたような人生でした。しかし、癌を宣告された瞬間よ
り人生は一転しました。死を意識したからこそ、生きることへの思いも強くなり、全ての
ことを深い愛情で受け止めることができるようになったのでしょう。日々のブログには、
覚悟を持って生きているからこそわかる角度で、物事を捉えている言葉が多々あります。
「上手なことではなくて楽しいことを見つけられる人になって欲しいです。そして楽しい
ことを上手なことのためには手放さないで欲しいです。」「私も、病気にならなければずっ
とそのレールで走っていたのかなと思うと、そのレールでは全く見えなかっただろう世界
を今感じていることに感謝しました。そして、どのレールにいても苦しさは絶対あるのが
生きてるってことなのかなと思います。去年の桜は、ひとりで見ましたが、今年は、今日
家族と一緒に見られました。あったかくて幸せで、桜もポカポカして見えました。でも去
年はひとりで寂しかったけれど、人生で一番美しい 心が震える桜でした。そんなふうに桜
を見たことがなかったんです。そんなことを思い出して、やっぱり人生 どんなときも素晴
らしいんだなと感じた今日でした。」
人生はどれだけ生きたかより、どんな風に生きたかが大切なのかもしれません。逆境は
その人に与えられた尊い試練のようなもの。逆境に鍛えられた人は強靭になります。しか
し、素直さを失うと逆境は卑屈を生み、順境はうぬぼれを生みます。素直さは人を強く正
しく聡明にします。昔から偉大な人の人生には逆境、試練がつきものです。一度きりの人
生だから輝きながら生きたい。限りある命を知ることが精一杯生きることにつながるよう
に思います。健やかに、健やかに、、、
参照
KOKORO. 小林麻央のオフィシャルブログ
https://ameblo.jp/maokobayashi0721/
2017/07/01 -
2017.06.01
神様と呼ばれた男
「絶対負けられないゴルフ」と冠し、元阪神タイガース・関本賢太郎氏(セッキー)と毎月ゴルフを楽しんでいます。セッキーは2015年度限りで現役を引退しました。その頃、阪神タイガース・矢野燿大コーチを介して付き合いが始まりました。当時のセッキーのゴルフの腕前はスコア100を切るのがやっと。それが、たった1年でメキメキ上達し、最近では80代前半で回るぐらいまで腕を上げました。元プロ野球選手という身体的なポテンシャルの高さはもちろんあると思いますが、毎月一緒に回っていると随所にアスリートとしての成長理論、それを裏付ける考え方に感心させられます。また、プロで生き抜くための本音の話は経営と相通ずることも多々ありました。
セッキーはプロ野球選手時代を振り返り、自己否定します。「高校時代はどんなピッチャーの球も打てた。それがプロに入ると、自分と同じかそれ以上のポテンシャルの高い選手がウヨウヨいた。正直打てるようになるとは思えなかった」と。ではどうして、阪神タイガースで19年という長きにわたりプレーできたのか?「大事なことは考えることと、考えたことを実践し試行錯誤すること。切れのある150キロ以上の直球はまず打てない。ならば、このピッチャーのどんな球なら打てるのか。130キロのスライダーなら打てる。打てる球を絞ったら相手ピッチャーのビデオ録画を観ながら研究した。時には練習より多くの時間を研究に時間を割いた。どういう時にこの球はくるのか。癖を見つけ、配球を読む。打てない球は振らず、山を張り、ひたすら打てる球を待つ。考えて、考えて打てる確率を上げていった。その繰り返しで19年が過ぎた。プロで長くやれる人は考えて努力できる人。高い身体能力だけでやっている人は、年齢とともに身体能力が落ちてきても若い時のイメージでスイングしまう。考えて努力しない人は短命。」そういえばゴルフのプレー中もいつもあれこれ考えています。プロ野球時代にそういう訓練をしているから、成長スピードが速いのだと思います。
代打の神様と呼ばれていたセッキーは実はビビリだと思います。「代打として名前をコールされると、毎回恐怖心しかなくて、できれば行きたくないとずっと思っていた。雰囲気に呑まれぬように、ハッタリかましてお客さんを巻き込んで球場を味方にした。そもそも打てる気がしないのに無理やりマインドを固め、覚悟を決めて自分の狙い球に集中する。緊迫の場面で役に立つのは、自ら考え導き出したものの中にある『小さな記憶』。気づけばそれは大きな力となり、その力は球場にいるファンに感動を与えることができた。出番があるかないか、わからない状況でも準備を怠らない、それがプロ。」ここぞという時のパターも緊張感はありません。「4万人の大歓声の中、バッターボックスに向かう時の緊張に比べたら大したことはない」と言います。でも、よく外します(笑)。
セッキーと話をしていて思うことは、野球では投げる、打つ、走る、といった技術以外に大事なことがある。それは「感じる力・考える力・行動力」。感じる力が備わって人は考えるようになり、考える力が生まれて、はじめて行動に移すことができます。セッキーは、ひょっとしたら頭が良いのかもしれません。やはり、最後は「頭」なのかな。考えなければ何も生まれないし「大事」を手にすることはできません。世の中の指導者や経営者の多くは「大局を見よ」「木を見ず森を見よ」と言います。組織をまとめ上げるトップたるもの小さなことを気にし過ぎてはいけないし、組織全体を見渡して明確な方向性や将来のビジョンを示さなければならないと思います。ただそれでも、対極にある「小事が大事を生む」という発想は野球に限らず人生においても、常に持ち続けなければいけないと思います。失敗にこそ成長のヒントがある。冷めていたゴルフにも奮起するきっかけになりました。素晴らしい出会いに感謝!
2017/06/01 -
2017.05.01
沖縄のジャンヌダルク
沖縄のジャンヌダルクと呼ばれている我那覇真子さんの講演を聴く機会がありました。彼女は平成27年4月29日、沖縄県那覇市で「琉球新報・沖縄タイムスを正す県民・国民の会」を結成しました。刺激的な名称ですが、沖繩二紙の偏向報道によって歪められた言論空間を考えると、まだ表現は柔らかいと彼女は言います。「隣国中国と沖繩左翼が結びつき、我が国固有の領土である尖閣諸島に対し、自国領土であると主張し、領土主権を断固守り抜くと強弁している。中国は公船による領海侵犯を繰り返し、沖繩は琉球であって日本領土と認めない、独立運動を支援すると明言している。今の沖繩には中国による侵略の危機と、県民がその危機に目覚めない危機の2つの危機があります。地元ニ紙はこの2つの危機が進行するように煽っている」と彼女は主張しています。講演では二紙による選挙への言論統制による保守政治家への圧力、辺野古への基地移設反対運動など、まさに沖繩で行なわれている具体的な現状を、映像を観ながら説明していただきました。
講演後、謝辞を述べさせていただきました。「我那覇さんがどのような活動をしているのかを詳しく知るために『我那覇真子』で検索させていただきました。我那覇さんのことを沖繩で左翼活動家と戦う勇敢な女性と聞いていたので、小池百合子都知事のような方を想像していましたが、映し出された映像は若くて可愛らしい女の子だったことにまず驚きました。今回の講演を聴くまでは、正直沖繩に対して複雑な感情がありました。沖繩は日本の防衛の要であり、米軍基地が多く点在し、沖繩の人たちに大きな負担を強いているという日本人として感謝の念があります。しかし、辺野古への基地移設反対運動にみる、過剰な妨害活動や尖閣諸島を奪おうとしている中国への翁長知事の中国詣で。そして、そんな知事を支持する沖繩県民へは大きな違和感がありました。しかし、本日講演を聞いて納得できました。諸悪の根源は琉球新報・沖繩タイムスの偏った報道にあったのだと。ニ紙の紙面は反米運動を作り出し、反戦平和運動を装おう左翼共産活動を助けているのだと理解しました。また、我那覇さんの言動から信念を貫き戦う心を感じることができました。考えているだけ、言っているだけではダメで信念を持ち行動する心、すなわち、戦う心が必要なのだと。そして、そのためには正しい事実を知ることが重要だと思いました。沖繩の実情をみると、我那覇さんが愛国のヒロイン・ジャンヌダルクと祭り上げられたのは必然だったのかもしれません。止むに止まれず大和魂、見るに見かねて愛国の道。そのような思いで仕方なく沖縄の矛盾を正すために立ち上がり、歩みだされたのかもしれません。私はそんな我那覇さんを応援したい気持ちになりました。今後の活躍を期待しています。ありがとうございました。」
人生を歩んでいると様々な考え方(価値基準)を持った方に遭遇します。「人格なき有能者は犯罪者 能力なき人格者は偽善者」このような言葉がありますが、人格と能力は2つではじめて1つとなり、世の中に必要な価値あるものになります。価値基準には高低、美醜があり、それらをどう身に付けるか、どう解釈して現実に用いるかが大切で、それがそのまま、人生となります。元来、我が国の本当の強さは美徳の高さにあるはずです。経済力も軍事力もその結果に過ぎません。今の日本は世界に向けて日本らしく堂々と凛とした態度で考え方(価値基準)を示す必要があるかもしれません。国を愛することは家族を愛することと同じだと私は思います。
2017/05/01 -
2017.04.01
トランプ
ドナルド・トランプは米大統領選で無礼な発言を重ね、数多の集団を侮辱し、外交や統治について無知を晒したにもかかわらず当選しました。米国の中流層、労働者層で高じている、変化を求める強い渇望に結びついたのだと思います。1980年代以降のグローバル化による世の中の変化は、富裕層にはより富を築く反面、中流層、労働者層は取り残され暮らしは悪くなっていきました。トランプはその処方箋として「米国第一」という極端なナショナリズムを掲げました。中流層、労働者層の怒りや恨みにトランプのメッセージが突き刺さりました。トランプ米政権誕生で始まる2017年、世界は大きな岐路に立つように見えます。世の中はどう変わり日本はどう対処すべきなのか、改めて考える必要があります。
トランプは1946年ニューヨーク生まれ。ペンシルベニア大学卒業後、父親のフレッド・C・トランプとともにブルックリンのオフィスで働き、その後単身でマンハッタンの不動産業界に飛び込み、1983年には現在超高層ビルのアイコンとなっている五番街のトランプタワーを完成させた。ほどなくしてニューヨークの不動産業界の重鎮となり、彼の会社(トランプ・オーガニゼーション)は米国を代表する企業の一つになった。2014年資産報告書によると総資産92億ドル、負債額5億ドル、純資産額87億ドル。商業物件(ゴルフ場、リゾートホテル、ショッピングモールなど)や居住用物件を50以上所有。セスナ、ボーイング各1機、ヘリコプター3機を持ち世界を飛び回り、年収は3.6億ドルを超える。テレビ番組「アプレンティス」の主役を務め、同番組は14シーズンという記録破りの大ヒットとなった。2015年米国大統領選出馬表明、2016年共和党指名を受ける。
大統領就任早々、選挙での公約を果たすために大統領令を連発し世界中を巻き込みながら波紋を起こしています。中でもイスラム圏7ヶ国からの移民入国禁止令は大規模デモを巻き起こし、意図的に対立軸を明確にするかのごとく、全米、全世界を二分しています。ツイッターで呟きたいことを呟き、自分の意に沿わないメディアには取材の機会を与えず、自分に向かってくるものには誰であろうが噛み付く。それらの光景を見て、人格や器量には疑問を感じますが、自分を貫く姿勢や反骨精神には羨ましさすら感じてしまいます。今は、トランプをじっくり見てやろう、という心境です。僅差で勝利した彼は今、自分を支持した人々に対し、自分が発言した公約を実直に遂行しているだけだと感じます。
現代のSNS時代は、非寛容な時代と言えます。挑戦すれば揶揄され、失敗すれば叩かれる。このままでは、みんなが縮こまり、誰も挑戦しなくなってしまうように思えてなりません。日本人は真面目に考えすぎるようにも思います。過去、私自身も割と真面目な性格でした(笑)。その頃は人の失敗や嫌なところを許せなくて、細かい性格になってしまうことも多々あったような気がします。人間誰でも一度や二度の失敗はあります。SNS時代を生きる私たちに必要なことは、相手の失敗を許容できる寛容な精神だと思います。今求められるのは、「何かに夢中になって、バカになる力」「たとえ失敗をしても、這い上がる力」この二つの力だと思います。それを、説教くさくなく、ユーモアにメッセージできるような人間になりたいと思います。皆さんもどうですか、バカは強いですよ。
2017/04/01 -
2017.03.01
卒業
私の人生に深く影響を与えた青年会議所(JC)は40歳で卒業を迎える制度があります。
私は28歳で入会し、40歳で卒業するまで12年間にわたり活動しました。「明るい豊かな社会を築く」という崇高な目的を掲げ、多くの同世代の仲間と活動した12年間にはたくさんの学びがありました。中でも私を大きく変えてくれた学びは、尼崎青年会議所独自かもしれませんが、礼儀や規律を重んじる所作(伝統)でした。
2016年度も、青年会議所を卒業しOB会(シニアクラブ)に多くの後輩たちが入会してきました。そんな卒業生に向け、はなむけの言葉を贈る機会がありました。「今年は市政100周年ということで、多くの時間を地域への奉仕活動に励んできたことと思います。卒業したらこれまでJC活動で費やした時間をどう使おうかと思案していると思います。子どものPTA、町内会、ロータリークラブなど選択肢は色々とありますが、対外的な活動はせずに少しゆっくりしたい、家族との時間を大切にしたい、仕事を頑張りたいなどと考えている人も多いと思います。私自身卒業から15年が経ち、全国にいる仲間の卒業後を見て言えることがあります。卒業時、ほとんどの人は少しゆっくりしたい、仕事に専念したいと言いますが、ゆっくりして大きく何かが変わることも、仕事に専念すると言っていた人で仕事で飛躍できた人もほとんどいません。逆に卒業を機に、起こり得る全ての機会を積極的に受け入れて活動の範囲を広げている人が、仕事や人生に良い影響を与え、飛躍的に成長しているように思います。40歳からが本番、卒業しても人生は続きます。50代、60代という後の人生を豊かに充実させるためには、男の人生で最も大切な40代をどう過ごすかが、明暗を分けていきます。少しゆっくりしたいと思う気持ちは理解できますが、何のために休憩するのか、いつから動くのかを考えてください。また、仕事に専念したいという人はいつまでに売り上げをいくらにするのか、利益をいくらにするか、などの計画を立てることが重要です。ゆっくりするも良し、仕事をするも良し、でもその前に考えて欲しいのが、自分自身の人生計画です。自分は何を目指すのか、どんな人生を歩むのか、「考える・計画を立てる・行動する」ことが人生を豊かにする唯一の方法です。
最後に私が起業した折に母親から言われた言葉をはなむけの言葉とします。『人には2つのタイプがある。休んでから働く人と、働いてから休む人。お前は働いてから休みなさい。』」
学問には本学(もとがく)と末学(まつがく)があります。末学は算段(そろばん)を学ぶ学問。本学は礼儀や人としての道を学ぶ学問。江戸時代、戦のない時代に、それでも武士が尊敬されていたのは、農民や商人の子供たちに寺子屋で本学の根幹である武士道を教えていたからだと言います。たとえ商売といえども判断や決断には、その人の人となりが顕著に出ます。商売の道を学ぶ前に、人としての道を学ばなければうまくいかないことが多々有ります。そんなことから本末転倒という熟語ができたと言われています。
東京へ海外へと走り回っている私の人生は今がまさに旬。世間的には出会う方々から経営者として褒めていただくこともありますが、「義理・人情・やせ我慢」「道徳・礼儀・規律」など経営をする上で最も大切な全てを青年会議所の先輩から教えていただいたように思います。男としての生き様を教えていただいた先輩がいらっしゃるから、どんなに忙しくても青年会議所の会合だけは参加しているのだと思います。生涯どんなに忙しくても、どんなに偉くなっても、この青年会議所という団体には最優先で参加させていただければと考えています。
2017/03/01 -
2017.02.01
USJ
昨年の10月頃、東京で始めたエンターテイメントビジネスの経営不振をどう立て直せば良いかを考えていました。
経営のヒントになる本を本屋へ探しに行った時、「USJ」「V字回復」「マーケティング」という自分が探し求めていたキーワードが目に飛び込んできました。この本『USJを劇的に変えた、たった1つの考え方』森岡毅著がきっかけとなりUSJの事を深く調べる事になりました。
USJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)は、ゲストの期待と想像をはるかに上回る興奮と感動のライドやショーのアトラクションによって、「ジョーズ」「ジュラシック・パーク」などハリウッド映画の世界を余すところなく体験できるパークとして2001年3月31日にオープンしました。2016年度上期(4月~9月)の入場者が昨年同期比7%増の約700万人となり過去最高を記録しました。東京ディズニーランドとディズニーシーは微減となり明暗が分かれました。このような快進撃の理由はある男がUSJにやって来たことから始まります。USJは初年度の来場客数1,102万人と世界で最も早く1,000万人超えを実現しましたが、不祥事などにより翌年から業績が悪化、翌年02年度には764万人まで激減、04年には事実上の経営破綻に陥りました。米国ユニバーサル社からグレン・ガンベル氏が招聘され社長に就任し、リファイナンス・コスト構造の見直すことにより経営を立て直しました。しかし、来場客数は一向に上向きません。そこで次の一手を打ちます。それが、マーケティングのプロである男・森岡毅氏の招聘でした。
森岡毅氏の本からマーケティングを勉強して一番強く感じた事は、いかに私がやっているエンターテイメントビジネスが自分本位で、販売する側の視点で商いをしていたかという点でした。店舗があるのは良い場所のはず、このキャラクターはお客さんを呼べるはず、この空間なら喜んで来てくれるはず、このぐらいの値段をもらわないと合わない、などの「販売者視点」を「消費者(お客様)視点」に変えなければなりません。次に感じたのは「どう戦うか」の前に「どこで戦うか」。ターゲット層を明確に見極めなければならないこと、ターゲット層をどこに絞るのか、その層にどんな販売戦略をするかが大事だということです。最後に、どこに問題があるのか。どうすればその問題解決ができるのか。マネジメントの視点やクリエイティブの思考などはとりあえず横に置き、消費者視点でひたすら考え抜き、問題解決案をいくつも用意し、成功確率の高いと思われる案から「トライ&エラー」を繰り返すことが大事だということ。
マーケティングを勉強する機会を得たことは、きっと私の人生において未来必要なスキルだと考えます。しかし、それ以上に大切な気づきは人生を変えるには「動き出す」ことだと感じました。東京でのエンターテイメントビジネスのつまずきが、私の人生の大きな気づきを与えてくれました。人生を変えるのは簡単です。現状に縛られず、一歩を踏み出せば良い。たったそれだけのことなのに、ほとんどの人は行動を起こせない。古い常識に縛られ、変化することは危険で、現状を維持することが安定につながると信じ込んでいる。そうした人々を目にするたびに、何度も歯がゆい思いをしてきた。古い価値観を捨て、動き出すことの大切さと楽しさを伝えたくて、少しでも多くの方の動き出すきっかけになることを願います。
(参考文献:森岡毅著『USJを劇的に変えた、たった1つの考え方 成功を引き寄せるマーケティング入門』角川書店,2016)
2017/02/01 -
2017.01.01
JAPANESE is beautiful
昨年からASEAN諸国へ行く機会が増え、多くの外国人たちと積極的に仕事を絡めた付き合いが始まりました。付き合いが深まると、決まって「日本人は美しい、そして日本という国は素晴らしい」と褒めていただきます。「何が美しく、何が素晴らしいのか」を尋ねるとまず言われるのが、東日本大震災においての日本人の行動です。生死の境にいても、略奪もなく暴動も起こらない。世界中のどんな天変地異の報道を観ていても支援物資が到着すれば避難民が押し寄せて物資を奪い合い、壮絶な争いが起こる。しかし、日本人は行列を作り奪い合わない、それどころか、自分たちはもう十分だから他の人に届けて欲しいと言う。大混乱の中にあっても、他人への心配りを忘れず、規律正しく振舞う姿、その秩序ある行動の規範となる倫理観が美しい。その次に言われるのは、日本は先の大戦で敗戦し、焼け野原にされ全てを失ったにも関わらず、占領国に支配されることなく、努力を惜しまず勤勉によく働き経済大国となったことが素晴らしい。また日本を経済大国に押し上げた日本の工業製品の品質は世界一だと、日本企業の名前が次々と挙げられます。もしかしたら、日本人より日本のことを知っているように思います。日本人はもっと、日本の価値を知る必要があると感じます。
海外に行くようになり、外国人から見た日本や日本人の価値に気づかされた反面、日本は東南アジアの国々から信頼されていない、先の大戦を反省せず嫌われていると子どもの頃教えられた記憶がよみがえります。そこで ASEAN諸国について調べてみると、2014年外務省が東南アジア7カ国(インドネシア・マレーシア・ミャンマー・フィリピン・シンガポール・タイ・ベトナム)の一般市民を対象に「どの国を信頼しますか?」というアンケートを実施していました。日本は7カ国中5カ国から最も信頼できる国と支持され、1位ではなかったフィリピン・シンガポールでも僅差でアメリカの次となりました。子どもの頃、よく親に言われた「人に迷惑をかけるな、恥ずべきことはするな」という日本の恥を重んじる文化がこのような結果に表れているのかもしれません。
5年前、50歳を機にやらなければならないという生き方をやめ、やりたいことだけやる生き方に変えました。新たに出会う方々が新たな運命を運んできてくれます。導かれているような出会いには「海外」「エンターテイメント」というキーワードが多く含まれていて、ビジネスに人生に、このキーワードが絡み合って運命を彩り始めたように感じます。人生に旬というものがあるとするならば、私の人生は今がまさに旬。昔ならダメダメと軌道修正してやりたいことを半分に減らしていましたが、今は「どきどき、わくわく、楽しいし、まあええか」このような心境です。海外で日本人の価値に気づき、ますますこれが正しい道だと確信しています。日本人は世界の中で、傾向として内向きになりがちです。しかし、一歩日本から出れば、語らなければ理解されないことが多いと思います。主張することが苦手な日本人ですが、「これこそが日本人」という気概を持って美しい立ち振る舞いを忘れることなく、自分が大切だと思うこと、守りたいと願っていることは声に出して言えるようなJAPANESEになりたいと思います。
今年からは更にギアチェンジし、力強くスピードアップして海外へ出ていきます。時折、このコラムで海外での出来事も書きますので楽しみにしていてください。
本年もよろしくお願いします。
2017/01/01 -
2016.12.01
歩み
夏の男旅で息子たちと久しぶりにゆっくりと語り合いました。今回のテーマは「どんな人生を歩むのか?」長男21歳大学3回生、私の実家で生活費を与えられ一人暮らし、もちろん学費の支払いも私持ち。次男18歳カナダのハイスクール3年生、ホームステイしながら学校へ通う、もちろん全ての支払いは私持ち。二人とも俗に言う典型的なボンボンです。そんな息子たちに将来について何か考えていることがあるのかを聞いてみました。息子たちから「豊かに暮らしたい」「人生を謳歌したい」と過程のない結論が返ってきました。堅実な答えをイメージしていたので意外に思いましたが、息子たちの答えには何をして「豊かに暮らす」のかがありません。自分自身の20歳の頃を振り返ると、成功だけを夢見て東京に行きましたが、足がかりすら見つけることができずに逃げ帰ってきたことを思い出します。今考えると何の能力も実力もなく、たいした経験もない私が成功するわけがないことは当然でした。
私は息子たちに「豊かに暮らす」には、どのように人生を歩まなければならないかを話しました。
1つ目は「行動することの大切さ」です。目標設定をいくらしても、行動しなければ何も始まりません。行動するためには、目標設定ではなく、行動計画を立てることが大事です。目標設定ばかりしていて、いつまでたっても行動できない人がたくさんいます。「ああなりたい」「こんなことをしたい」「あれが欲しい」とばかり言っていても何も手に入りません。「そのためにどう動く」が行動計画です。
2つ目は「人生はノリが大事だ」ということです。人生を歩んでいるといろんな出来事に遭遇します。チャンスもあればピンチも有りますが、チャンスとピンチはいつも表裏一体のように思えてなりません。過去の出来事を思い出すと大抵がチャンスの中にピンチの要素もあるし、逆にピンチの中にもチャンスの要素がありました。出来事をチャンスと捉え「チャンスに飛びつく」こと。フットワークの軽さ、好奇心の強さ、リスクを承知で飛び込んでいける小さな勇気、その全ての総称を「ノリのよさ」と考えています。小さな成功体験の前には、小さなチャレンジがあり、その小さなチャレンジは「ノリのよさ」から生まれます。ノリの悪い人は人生の波にも乗っていけません。シンプルに考えると全ては「ノリのよさ」から始まるように思います。
3つ目は「決断のルール」です。息子たちも、私の20歳の頃もそうでしたが、何がやりたいかが決まっていませんでした。
たかだか20年の人生、そして大半を親に守られ生きてきた経験や知識の中で、やるべきことが決まっている人は、稀に自ら考えることのできる頭の良い人もいますが、大半は親に守ってもらえず、自分でしっかり生きなければならない環境、もしくは生まれながらに歩む道が決まっている環境で生まれてきたかです。「決断のルール」で大事なことは、あらかじめ未来を予測することです。知っておくこと、考えておくこと、いつも頭を動かして、こうなればどうする、ああなればどうすると、詰め将棋のように考えておくことが必要です。それでも、自分の決断の枠を超えている場合は信頼する人の言うとおりにすることが大事だと考えます。
最後に息子たちにこう伝えました。「他人に迷惑をかけぬこと。人の役に立てる人間になること。人を喜ばせることのできる人間になること。金や名誉などはそれについてくるにすぎない」。
2016/12/01 -
2016.11.01
2016 リオ
リオデジャネイロ オリンピックは南アメリカ大陸で初めての開催、さらに、開催地が冬の時期に行われる(平均気温22度の亜熱帯気候)夏季オリンピックとなりました。今回のオリンピックは開催前から競技場の工事の遅れ、水質汚染、治安の悪さなどの理由から開催が危ぶまれていましたが、極め付けはルセフ大統領停職による大統領不在で開幕。開催決定から7年、トップ不在は五輪に暗い影を落とし、南米初の栄誉が「不安材料ばかり世界中に知られてしまう」と残念がる声が聞こえてきました。
試合結果は参加国206、参加人数11,000人以上、28競技306種目で競われ、メダル数はアメリカが金46、銀37、銅38で1位、2位イギリス、3位中国、4位ロシア、5位ドイツ、6位日本は、金12、銀8、銅21、7位フランス、8位韓国、9位イタリアとなりました。残念だったのはロシアが国ぐるみのドーピング発覚により、多数の選手が出場停止となり、大幅にメダル数を減らしたこと。そんな中、10名の難民による難民選手団が結成された特別措置は、オリンピック憲章に謳う精神に則った極めて時宜を得た英断であり、賄賂やドーピング問題に揺れるIOCにとっては「大金星」と言えるでしょう。
今回のオリンピックで私の心を揺らしたのは選手の流す涙でした。卓球・福原愛「私が足ばかり引っ張って…」との泣きながらの発言には、私も一緒に泣きました。レスリング・吉田沙保里「お父さんに叱られる」と金メダルを取れず泣き崩れている姿に、お母さんの一言「最後までちゃんとやりなさい」これまた泣きました。テニス・錦織圭の銅メダル、柔道日本の復活などまだまだ見所はたくさんありました。勝って泣き、負けて泣く。そこには嘘や偽りがない世界。一生懸命にやってきたからこそ見ているだけで感動し涙する。私にとってオリンピックは寝不足との戦いでもありました。
そんな最中、夜中に違うチャンネルで格差社会についての討論会をしていました。いかにして生活保護、母子手当をもらうか、が議論されていました。おかしいと思いませんか。昔は生活保護をもらうことは恥ずかしいことだったはずです。どうやったらもらわずに生活できるのかを考えました。努力した人、努力しない人。一緒なわけがない。格差があって当然。こんなことを言ったらすぐに揚げ足を取る人が一杯いるのでしょうね。「お前は食えるからいいけど、俺たちはどうするんだ」と。自由を要求するなら、それなりに責任や義務が求められます。自分の都合のいいところだけ要求し、そこには責任のかけらもない。こんな社会では、誰も努力しなくなります。問題を解決するには「上へ上がる」しかない。努力するしかない。なぜ、豊かな暮らしをしてやると思わないのでしょう。手を握ってみんなで一等賞でゴールしましょう、はやめましょうよ。そんなことばかり言って、日本はここまできたように思います。過去そうだったように、オリンピックで活躍した選手のように、みんなが正直に、一生懸命活躍できる社会になることを祈ります。
4年後、東京オリンピックが開催されます。世界が日本に注目しています。1964年、アジアで初めて開催された東京オリンピックは、第二次世界大戦での敗戦後、急速な発展を遂げた日本が、再び国際社会に復帰する、シンボル的な意味を持ちました。2020年、アジアを牽引していくリーダーとして、メダルの数もさることながら、開催国として「おもてなし」の姿勢や愛国精神を大事に、誇り高く準備にあたっていただきたいと思います。また、今回残念だった選手たちの活躍を祈ります。感動をありがとうございました。
2016/11/01