Column 社長コラム
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2016.07.01
ボトムアップ
デミックでは創業以来、私の強烈なリーダーシップのもと「トップダウン経営」を用いてきましたが、3年程前から「ボトムアップ経営」に組織経営の手法が変化しました。私が意識的に変化させたというより、必然的な変化だったように思います。創業時、1店舗だった店が2店舗、3店舗と増え、4年前に現在の18店舗となりました。エリアも関西、関東、四国と広がり、気がつくとスタッフの数も300人を超えるような組織になっていました。「トップダウン経営」の最大のメリットは「意思決定が素早くできる」ですが、広域に広がった店舗網では、それぞれの店舗で取り巻く経営環境が違います。私の意思決定よりも、それぞれの店舗での経営判断が必要な場面も多々あります。しかし、「トップダウン経営」を長年続けていると、「現場社員が自分で考え、自分で行動する力を無くす」デメリットが発生します。事業計画も私が「これぐらいなら出来るでしょう」、現場は「出来るはずない」とこうなります。無理やり事業計画を達成させようとすると、販促費用が余分にかかるのが常でした。「トップダウン経営」の一番苦労した点は、私自身に時間的に、能力的にも非常に負担のかかる経営手法だったということです。いつかは「ボトムアップ経営」にシフトしたいと願っていました。
ではなぜ長年「ボトムアップ経営」にシフトできなかったのか。過去を振り返り思い当たったのは、創業期に起こったアルバイトの集金使い込み事件でした。集金したお金を自分の借金返済へ流用し、回していたことが発覚しました。あの時から使い込みされるのは会社に責任がある。使い込みができない仕組みを作る、人を信じない経営を主軸に置くような考え方になりました。しかし、それはスタッフを疑ってかかることを前提にしています。当たり前ですが、疑っている相手に権限を移譲する「ボトムアップ経営」は出来るわけもありませんでした。それを、変えてくれたのはある女性飲食店経営者でした。数店舗飲食店を経営している女性経営者に「お金の管理はどうしていますか?使い込みされたりしませんか?」と質問すると「そんなこと考えたことない」と潔い答えが返ってきました。小さい自分を見透かされたようで情けない気持ちに陥りました。この気づきを深く受け止めたところから、私の「ボトムアップ経営」が始まりました。まずは信じる、とことん信じる。次に任せる、とことん任せる。あとは褒めるだけです。
目の前にいるスタッフを信じ全てを任せてみると、それまでこだわっていたことが、なんてちっぽけなものだったのかがわかりました。そして、何より気持ちが楽になりました。「自分がやらなくちゃ」とよく思っていましたが、今は「どう思う?任すわ、やってみたら!」こんな風に発言も変わってきたように思います。私はこちらの方が向いているのかもしれません。そして、一番大きな「ボトムアップ経営」の効果を実感したのは賞与の支払い直後でした。私ではなく顧問、役員、エリア長、店長と、自分たちで決めた事業計画を達成した社員たちから「ありがとうございました」とお礼の電話がありました。私は信じて任せただけなのに。経営者は口ではお金を出してあげたいと言いますが、出しすぎて業績が悪くなると返してもらえないとか、これが習慣になったらどうしようとか、出さなくてもよい言い訳を考えてしまいます。経営に自分の都合を反映さえながら結局、任せきれないんですね。
老子の言葉に「大国を治るは、小鮮を烹(に)るが若(ごと)し」という言葉があります。大きな組織を束ねることは、小魚を煮ることと似ている。やたらと手を出さずにコトコトとじっくり煮るのがうまく煮るコツだと。自分で考え、自分で行動できるまでには時間がかかります。相手を信じて任せることのできる人は、自分を信じることができる人なのでしょうね。
2016年7月
2016/07/01 -
2016.06.01
スティーブ・ジョブズ
アップル社の創業者、スティーブ・ジョブズ最後の言葉をフェイスブックで見つけました。死を目前にした成功者はこんなことを考えるのだと感慨深く読みました。皆様の生きかたの参考になれば幸いです。
「私はビジネスの世界で成功の頂点に君臨した。他の人の目には私の人生は成功の典型的な縮図に見えるだろう。しかし、仕事を除くと喜びの少ない人生だった。人生の終わりには、富など私の積み上げてきたものは、人生の単なる事実でしかない。病気でベッドに寝ていると、人生が走馬灯のように思い出される。私がずっとプライドを持っていたことや、富や名誉も迫る死を目前にして色あせていき、何の意味もなさなくなっている。この暗闇の中で生命維持装置のグリーンライトが点滅するのを見つめ機械的な音が聞こえてくる。神の域を感じる、死がだんだん近づいてくる…。今やっと理解したことがある。人生において十分にやっていけるだけの富を積み上げた後は、富とは関係のない他のことを追い求めたほうが良い。もっと大切な他のこと。それは人間関係や芸術や、または若い頃からの夢かもしれない。終わりを知らない富の追求は人を歪ませてしまう。私のようにね。神は誰しもの心の中に、富によってもたらされた幻想ではなく、愛を感じさせるための「感覚」というものを与えてくださった。私が勝ち得た富は死ぬ時に一緒に持っていけるものではない。私が持っていける物は、愛情に溢れた思い出だけだ。これこそが本当の豊かさであり、あなたとずっと一緒にいてくれる物、あなたの道を照らしてくれる物だ。愛とは何千マイルも超えて旅をする。人生に限界はない。行きたいところに行きなさい。望むところまで高峰を登りなさい。全てはあなたの心の中にある。全てはあなたの手の中にあるのだから。
物質的な物はなくなっても、また見つけられる。しかし、一つだけ無くなってしまっては再び見つけられない物がある。人生だよ。命だよ。手術室に入る時、その病人は、まだ読み終えていない本が一冊あったことに気付くんだ。『健康な人生を送る本』。あなたの人生がどのようなステージにあったとしても、誰もが人生の幕を閉じる日がやってくる。あなたの家族のために愛情を大切にしてください。あなたのパートナーのために、あなたの友人のために。そして、自分を丁寧に扱ってください。他の人を大切にしてください。」
ジョブズのように偉大な経営者でも死を目前にして、人生で大事なことは富の追求よりも愛だと。人生の終わりに残るものは集めたものではなく、与えたものなのだと考えさせられました。私自身のライフスタイルを見つめ直すと、楽しくて仕方のないビジネスを理由に、家族そっちのけにして、毎日愉快に全国を飛び回っているのが実情です。しかし、このような素晴らしい環境で人生を過ごせているのは、やはり家族の愛情や理解の賜物だと思えます。今、置かれている環境に感謝し、家族にもっと愛情を注ぐことを忘れずに生きていかなければ、人生は意味のないものになってしまうように思います。私たちは与えることにより与えられ、人に尽くすことにより生き続けることができる。ジョブズの死を目前にした言葉が大きな気づきとなりました。合掌
2016年6月
2016/06/01 -
2016.05.01
ホリエモン
ホリエモンこと堀江貴文氏(元ライブドアCEO)は、プロ野球買収やテレビ局買収で一世を風靡し一時は時代の寵児のごとくもてはやされました。しかし、粉飾決算問題で凋落し刑務所へ収監された経験もありました。ジェットコースターのような人生を経験した彼が、ある大学の卒業生への贈った言葉に感銘を受けたので紹介します。
「これまでレールの上をただ走ってきた人生は卒業と共に終えることになります。就職活動して、同じ会社に定年まで勤めて、その間家族を持って、家を建てて。皆さんはいわゆる普通の生活を送っていくと思っていたかもしれない。しかし、そんな未来はおそらくごく一部の人しか歩めないと思います。インターネット、スマートフォン、そういったものが社会の仕組みを大きく変えようとしているからです。皆さんが知らないうちに、世界中の凄い人、頭の良い人達は新しい技術を開発して勝手に世の中を変えています。まず、その事実に気づいてください。今までは会社の上司やマスメディアの言うことに従っていたら良かったですが、権威が当たり前では無い時代になります。
世界はインターネットが作り出したグローバル化によってどんどん変化しています。日本は戦後何十年も高度経済成長で世界第2位の経済大国になりました。僕より上の世代じゃないと、日本が貧しかったことは知らないと思います。しかし、日本が豊かな時代も終わりました。先日、札幌でタイ式マッサージを受けました。90分¥5,000でした。この前タイへ行ってマッサージを受けたら、90分チップ込みで¥2,500でした。日本とバンコクの代金はたった2倍の差しかありません。現状でこれです。バンコクの高額所得者は完全に日本のホワイトカラーの年収を超えています。そんな、富裕層の人達がゴロゴロいます。1人¥50,000の寿司屋が毎晩満席です。そして、そんな時代に突入している事実を踏まえ危機感を持っている人が日本の政財界にもいない。グローバル化とはそういうことです。
インフラの整っていない途上国でも、携帯電話の基地局ができ、中国製10,000円以下の携帯電話がバラまかれます。今まで、発展できなかった国の人達でもインターネットで世界最高峰の知に触れることができます。そんな世界中の人達がライバルとなる土俵の上に立って生きていかねばなりません。当たり前ですが、努力をしないと取り残されてしまう厳しい世界が待ち受けています。就職できて一生安泰だと思っている会社はおそらくどこかで潰れたり、吸収合併されたりすると思います。それを前提に生きてください。
これから日本はどうなるのでしょうか?年金はもらえるのでしょうか?いくら準備したって、50年後のことなんてわからない。10年前に歩きスマホしながらツイッターやLINEをやってる未来を想像できましたか。僕もできなかった。だから未来のことを考えることは意味がない。今を集中して生きる。今を楽しむ。長期計画なんて関係ない。これから生きていく上で大事なことは『未来を怖れず、過去に執着せず、今を生きろ』。」
運命は人の力や知恵ではどうにもならないこともあるように思います。どうにもならないものは潔く天に任せれば良いと心がけています。運を天に任せたらやるべきことを実直にただひたすら正しい道を歩くことが大事です。自分自身が納得し満足のできる人生を歩んでいくことが大事なことだとわかってきました。どうなるかわからない未来を考えるより、今を精一杯生きることが大切ですね。
2016年5月
2016/05/01 -
2016.04.01
リーダーシップ
ある会合で校長先生の悩みを聞きました。それは新任の先生の育成法でした。例えばイベントがあるとする。「昔だったら校長が何も言わなくても若手の先生たちから『イベントの練習しようや』と声が上がったものでした。しかし今は、そんな声が上がらない。それどころか下手をすると校長の私が『練習しよう』と声をかけている始末です。それでも動かない『笛吹けど踊らず』とこんな調子です。どうしたらリーダーシップを育成できるのでしょうか?」
私が人生において初めてリーダーシップに触れたのはJCという団体での委員長の行動でした。年度当初、その委員長はチームの一員となった私の会社に挨拶に来られました。それまでの私はJCには気が向いたときに行くという中途半端な活動でした。きっと、行きやすい環境を作ってくれたのだと思います。やむなく欠席したときには必ず翌日、会議議事録のFAXを送っていただきました。そして、FAXには自筆で「次回参加してくださいね」と書かれていました。会議には30分以上前、一番最初に来て、私たちメンバーを元気な挨拶で迎えていただき、会議中に飲むお茶も全員分を買い揃えていました。会議ではそれぞれのメンバー全員に見合った役割を与え、進捗確認と必ずそれに対する評価も忘れませんでした。そんな委員長の気遣いあるリーダーシップに多くのメンバーが出席しました。そして、いつも会議終了後の懇親会にも全メンバーが参加して、楽しくて仕方がなかった記憶があります。そんな委員長との出会いにより、私も「こんな人間になりたい」とJCにのめり込むきっかけとなりました。JCでは多くのリーダーを見てきました。そこで感じたことはリーダーシップには「人を動かす能力」と「人が動きたくなる魅力」の2つがあるということでした。資質と人柄が大事であることは言うまでもありませんが、その中で最強のリーダーシップは「好きだから」だと、私は考えます。人から好かれるのと嫌われるのとでは大違いです。いくら立派なことを言っても嫌われていると、「何を細かいこと言っとるんや」と言われます。逆に、好かれていると理不尽なことを言っても「あの人に言われたら仕方ない」と許されます。「好きだから」という魅力がリーダーシップには大きく関係しているように思います。
マザー・テレサがノーベル平和賞をもらったときの記者会見での席で、一人の記者から質問されました。「世界平和を実現するために、私にできることはなんでしょうか?」すると、マザー・テレサは笑顔で答えました。「今日お家に帰ったら、家族を喜ばせてください」と。この言葉はまさに真理だと思います。リーダーは足もとより遠くを見がちになる。家族やスタッフ、自分の大切な人を見落とし、大きな世界に夢を馳せます。しかし、自分の大切にすべき人一人をも幸せにできずに、世界や日本という大きな集合体を幸せにしようとするのは、どう考えても無理があります。学校なら生徒たちのことを一番に考えている先生。仕事場なら目の前にいるスタッフのことを一番に気遣ってくれている上司。政治の世界なら誰よりも日本の国民のことを愛してくれている政治家。リーダーシップとは目の前の一人に「好きだから」と思われること。遠回りのように見えて、実はこれが一番早道だと思います。急ぐ必要はなし、足元を固めよう。器に応じた仕事が勝手に転がり込んでくるように思います。
2016/04/01 -
2016.03.01
成人式
20年前、阪神淡路大震災の難を妻のお腹で過ごした長男が成人式を迎えることができました。はなむけの言葉を探しましたが「ありがとう」この一言だけが思い浮かびました。長男の内向的な性格を変革するために、一緒に始めた朝の散歩や男旅を懐かしく感じます。成人として自覚と誇りを持って羽ばたいて欲しいと願います。今回のコラムは、私の誇れない成人式の頃を書きます。
成人式を迎えた頃、私は大学を中退して東京へ家出中でした。あの頃の私は学歴や外見だけでダメな奴と決め付ける大人が嫌いで、心のどこかで馬鹿にしていたように思います。でも、自分には何もない、それは自分が一番わかっていました。目標もなければ誰かに期待されることもない、友人と過ごす時間だけが唯一の救いで、勿論将来の希望もありません。尖って反抗していたのは傷つけられまいとしていたのかもしれません。そんな自分を変えたくて、いやそんな自分から逃避したくて、私は東京への家出を決意しました。東京へ行けば変われるんだと、何の根拠もないのにそう思い込んでいました。友人たちに見送られJR大阪駅から夜行列車に乗り、早朝上野駅に到着しました。今ではあり得ない何の計画性もない旅立ちでした。不思議とあの頃のことはよく覚えています。まず、当時流行っていたテレビドラマ「俺たちの旅」の舞台だった、吉祥寺の井之頭公園を散策。その後、住み込みで働ける先を探し何件かを訪問しましたが「関西から来た」と言うと全て断られました。途方に暮れて吉野家で牛丼を食べながら、「どこで寝ようか」と考えていました。ここで奇跡が起こります。何と吉野家のアルバイトスタッフが、偶然2ヶ月前まで阪急塚口駅(私の住んでいた武庫之荘の隣駅)に住んでいたことが発覚。「偶然ですね、泊まりにきますか」と。好意に甘えて家に行くとお母さんに「ちゃんと親に言ってきたの?」と心配されます。家出してきたとは言えませんでした。翌朝、朝食までごちそうになり、吉野家本社へ面接に行きました。これがご縁で吉野家の工場で住み込みで働くことになりました。家に帰ってこない息子が東京にいて、吉野家の人事課からの「息子さんが東京で住み込みで働きたいと言っていますが大丈夫ですか」との電話に、母親は二つ返事で「よろしくお願いします」と対応、ご立派です。吉野家に住み込みで働きながら資金を貯め吉祥寺へ転居。3畳一間で風呂なし、共同トイレ。寝転がっていても全てが手に届く狭い部屋。今では絶対にできない経験です。そんな環境の中で将来について、「どう生きる」「何がしたい」などいつも考えていました。独りで暮らし一番感じたのは、世間の冷たさ厳しさと両親の愛情の深さでした。それまで両親の元でぬくぬくと暮らしていた人生がどれだけ有難かったか。親への感謝の気持ちが芽生えました。生きていくためには自分で考えて、自分で動かなければなりません。人生を変えるのはそう簡単じゃないと実感した家出生活となりました。
あれから34年。あの頃の自分にアドバイスするなら「置かれた場所で咲きなさい」。置かれた場所に不平・不満を持つのではなく、どんな場所に置かれても花を咲かせる心を持ち続ける。人生は決して順風満帆ではない。苦労や試練は人を強くし、深みを与える。境遇は選ぶことができないが、生き方は選ぶことができる。今というかけがえのない時間を精一杯生きなさい。時間の使い方が命の使い方。こんな言葉をかけてあげたいと思います。
2016/03/01 -
2016.02.01
留学
一昨年の夏、次男がカナダへ留学しました。留学するまでは公立高校へ通っている特徴のない普通の子どもでした。朝起きて学校で授業を受けて、サッカーの練習をして帰って来る。休みの日は昼近くまで寝て、ダラダラと1日を過ごし、たまに中学の頃からの友達たちと遊びに行く。そんな次男の日常を見ていて「これでいいのだろうか?」と感じていました。ある日、私に反抗的な態度をとった次男を叱ったことがありました。「誰のおかげで三度の食事ができ、誰のおかげで学校へ通えるのかを、考えたことがあるのか。嫌ならこの家から今すぐ出て行け」と。次男は少し泣いていました。その日以降、次男のために何ができるかを考えるようになりました。今のまま並みの高校へ通い、並みのサッカー部で練習し、並みの友人と遊び、並みに親に反抗し、並みの生き方をしていると、並みの人生しか生きることができない。どのような人生を歩ませればいいのか、何か得意なことはないのか、どうすれば自分の未来を考えるようになるのか。私の結論は「考えなければ生きていけない環境」を与えること、それが海外留学でした。
息子をカナダへ留学させている友人に協力してもらい、一昨年のゴールデンウィークを利用して次男をカナダへ連れて行き、2、3日現地にいる友人の息子に預けました。数人の留学生たちと綺麗な街の散策をしたり、食事をしたり、船に乗りホエールウオッチングなどをして楽しく過ごしていました。私も兄である長男の人生と次男の人生を比較しながら、どう生きるか、どう生きたいかをアドバイスしました。しかし、私の言葉が心に響いている様子ではありません。カナダ留学はしたくないという決断になるのだろう、と思っていました。旅の終わりに「カナダドルがあれば出しなさい。留学生たちにあげるから」と言うと、次男から「また、来るかもしれない」と意外な答えが返ってきました。あとでなぜ留学する気になったのかを尋ねると、「お兄ちゃんには負けたくない」と答えました。私は妹と2人兄妹で上にも下にも男兄弟がいないのでわかりませんでしたが、男兄弟はライバルなのだと改めて感じた旅となりました。
あれから1年半が過ぎました。次男の日常は一変、生きていくために考えなければならない環境となりました。辞書を片手に英語の授業を聞く、帰ってきて課題をする、食事を作ってくれるホストファミリーと一緒に食事をしてお礼を言う。何ひとつ不自由のない生活から、すべて自分で考え、自分で行動する環境へ。当たり前ですが、顔つきがしっかりとしてきました。与えられたお金で生活すると、お金に対する感覚もしっかりしてきたように思います。この選択がきっと運命を変える選択になるでしょう。
あなたの運命は今の習慣でつくられる。今のあなたの習慣を見つめると、未来のあなたが見える。「いつか習慣を変えようと思っている」「いつか誰かがきっかけを与えてくれるはず…」「いつか」はいつまでもこない。自ら運命をつくっていくには、今決めるしかない。まずは、小さい習慣から、少しの間だけでも始めてみよう。
2016/02/01 -
2016.01.01
夢の途中
10年程前に読んだ本『夢に日付を!夢をかなえる手帳術』(ワタミ創設者 渡邉美樹著)が生き方を変えるきっかけとなりました。その本には渡邉氏が実践してきた、手帳を活用した夢の叶え方が書かれていました。夢の実現に必要な項目を考える、何をいつまでにすべきなのかを知る、その項目を手帳の中の日付に記入する、夢を行動化し、なし遂げた項目を赤ペンで塗りつぶす。その頃の私は渡邉氏と似ていて、真面目にコツコツと努力することが立派な経営者への道だと考え、スケジュールを日々こなしていました。この日は毎月発行される経営書を読み知識を高める、この時間はセミナーへ行き未来必要な経営のノウハウを学ぶ、この時間は交流会に行き人脈を増やすなど。しかし、何も変わらない、あまり大きな成果も出ない日々が続いていました。そしてある日、嫌々スケジュールをこなしている自分に気づき、これ以上渡邉氏のような生き方はできない、そんな思いから生き方を変えました。
大きく変えたキーワードは「努力」から「楽しむ」でした。無理して頑張らない、努力はしない、考えるのではなく感じる、夢の実現に必要かどうかより自分が楽しいかどうかを重要視して行動しました。読まなければならない本は読まない。読みたいと思える本を読む。セミナーには行かない。出会いは天に任せる。すると、大きな変化が起こり始めました。楽しく付き合える多くの経営者と出会い、やがて彼らが仲間と呼べる存在に変化し、互いに高めあう関係になりました。新たなビジネスが始まり、仲間が新たな仲間を連れてきてくれるようになりました。広がる世界観、広がる行動範囲、仕事が遊び、遊びが仕事、人生をかけてやる遊びが仕事。楽しくて、楽しくて、最高の環境で生きていることを実感できるようになりました。「成功したから楽しいのではなく、楽しいから成功する」こんな境地に至りました。
運が良かったのか、偶然なのかはわかりませんが、この数年で出会い力が高まってきたように感じます。素晴らしい方々との出会いは必然に思えてなりません。出会いは早すぎず、遅すぎず、絶妙のタイミングでやってきますが、その時、自分自身に力がなかったり、出会う方と大きくステージが違ったりすると、残念ながらそれはご縁とはなりません。同じステージにいるからこそ共鳴し、響き合える関係を築くことができるのだと思います。どうすれば出会い力を高め、幸せな人生を過ごすことができるのか?私の持論は、自分自身の考え方や生き方が大事。一つ目は目の前にあることを誠実に一生懸命に取り組む。目の前にあることを一生懸命にできないのに、幸運が飛び越えてやってくることは、まずありません。二つ目は自分の周りにいる人を大切にし喜んでもらう。周りを蔑ろにして、新たに人を入れ替えても良い人と出会える訳もありません。
年収1億円以上の人へ成功の秘訣は何?とアンケートを取ると、①心身ともに健康であること②正直であること③自分の仕事を愛すること だそうです。
私はまだまだ夢の途中、これからが本番です。本年もよろしくお願いいたします。
2016/01/01 -
2015.12.01
やっちゃえ日産
「2種類の人間がいる。やりたいことをやっちゃう人と、やらない人。やりたいことやってきたこの人生。おかげで痛い目にもあってきた。散々恥もかいてきた。誰かの言うことを素直に聞いてりゃ、今よりずっと楽だったかもしれない。でもね、これだけは言える。やりたいことやっちゃう人生のほうが、間違いなく面白い。俺はこれからも、やっちゃうよ。あんたはどうする?」これは日産のテレビCMで矢沢永吉さんが、これまでの人生を振り返って生き方を伝えてくれている言葉です。「挑戦」と「成功」という言葉が脳裏に浮かびました。
考えてみると私も随分挑戦し失敗と挫折を味わいました。20代には自身の器不足から社員がいっぺんに辞めてしまい、死に物狂いで働くはめになりました。30代では阪神淡路大震災により神戸エリアは壊滅、全てがゼロとなりました。40代では新規事業が自身の事業計画の甘さゆえ、ことごとく失敗に終わりました。しかし、失敗や挫折を繰り返しても「上へ行く」という燃える想いは消えませんでした。それどころか、どうしてこんな結果になったのか?どうやったら改善できるのか?と自問自答しながら考え、悩み抜いて、失敗しても挫折しない答えを導き出せました。50代になった最近も経営を揺るがすような取引先の制度改革がありましたが、まったく大丈夫でした。そのうえ、そのおかげで経営を見直し、強い経営ができるようになりました。答えは、意外と簡単で心の受け止め方を変えただけなのです。起こるアクシデントに対して、全てを感謝し受け止め、楽しく改善する。日頃から前向きな言葉を口にして、ありがとう。感謝。うれしい。元気。楽しい。ツイてる。アクシデントを良き出来事のごとく受け取る。受け止め方が変わると結果も変わるようになりました。
私の友人にリース会社最大手の創業社長の息子がいます。友人はリース会社と関わらずに生きています。不思議に思い聞いたことがあります。「なぜ、リース会社と関係なく生きるのか?」友人は子供の頃から「リース会社は継がせないから、自分の好きな人生を生きなさい」と育てられたそうです。「なぜ、継がせたくないのかな?」と質問すると友人は「父親は自分が一から会社を興して楽しかったから、息子にもそうさせたいと思ったんじゃないかな」とのこと。その言葉通り友人は自分で介護系ビジネスを立ち上げました。起業まもなくの頃、笑い話のようですが、父親の経営するリース会社にコピー機のリースを申請したら断られたことがあったようです。父親に言えば訳無いことなのに自分の素性を隠して、アクシデントをバネにして努力したようです。一度だけ経営危機があり、父親に助力をお願いしたことがありました。「経営状況が悪いので、資金を貸して欲しい」。父親は「そんな経験はなかなかできるものじゃないから、経験のために潰したらどうだ」「潰せ、潰せ」と。息子の気持ちを知ってか、知らずか、息子の状況を楽しんでいました。でも最近その真意が理解できたようです。「仕事は楽しく。仕事が遊び、遊びが仕事。楽しんでいる人には、いくら努力してもかなわない。」と。
私も友人を見習い、もっともっと、やっちゃいます。やっちゃえ デミック!!
2015/12/01 -
2015.11.01
情報化
年々、時の過ぎゆくスピードが早く感じるようになってきました。あまりに忙しい日常に疑問を感じ、1日のスケジュールを確認してみました。すると、過去まったく使わなかったことに随分時間を使っていることに気付きました。それは携帯電話を触っている時間でした。携帯電話と言っても電話をかけている時間ではなく、Facebookで経営者仲間から発信される情報の受信、LINEで個人的なコミュニケーションや、グループでくくった部署ごとの情報の受発信と共有に要する時間です。SNSを始めたきっかけは仕事でした。最初はこんなに便利なものは無いと大絶賛でしたが、いつの頃からか頼んだ訳でもない大量に飛び込んでくる情報に、興味を持ち個人的に共鳴できる人の情報を選んで読むようになりました。私にとってSNSは情報を便利に早く収集できる反面、不必要な情報も無駄に見てしまうこともあり、効率が良いのか、悪いのか、どちらか甲乙つけ難いというのが今の状況です。過去電話で話をしたり、文章に書いたりしていたコミュニケーションや情報収集が、今は全てが携帯電話の画面の中にあります。こういう社会を情報化社会と言うのかもしれませんね。
SNSとはソーシャル・ネットワーク・サービスの略。その名の通り社会的な繋がりを作り出せるサービスで、SNSに登録し、誰かと繋がり、日記を書いたり、誰かの日記にコメントをつけたりすることで、情報交換や会話を楽しむことが出来ます。つまり、SNSに登録することで、知らない人や知っていたけれど交流がなかった人とコミュニケーションを楽しむことができます。このSNSの出現により、大きく世の中が変わったと感じています。それを、強く感じたのはアラブの春でした。SNSにより反政府デモが起こり、政府すら倒してしまう民衆の結束力の一助となりました。また、身近なところでいうと商談前から、その商談相手の情報を知ることができます。
情報化社会は人と人との関わりが薄くなり、人と簡単に繋がることができますが、逆に簡単に切ることができる社会だと思います。だからこそ、誰と繋がるかが大事なことだと思います。何を信じるのか、何を信じないのか、それを決める決断は結局誰が発信しているのかだと思います。結局は人なんですね。人と人との誠実な関わりによって人生は彩られます。「その人がどんな人であるのかを知るには、その人の周りにどんな人がいるかでわかる」。最近、この言葉の意味も理解できるようになりました。人との縁、時代との縁。縁あってこの時代に生まれました。何のために、何を残すために、そのためにどう時間を使うのか。人生は長いようで限られています。思うことがあれば、立ち止まって考えてみる。やりたいことがあれば、まずはやってみる。「今」その時を、付き合いたいと思う人と付き合う。付き合いたいと思えない人とは付き合わない。情報化社会はうそ、ごまかしがきかない社会。誠が如実に一気に拡散する社会。本物がより一層活躍する世の中であり、力を発揮する世の中だと考えます。情報化社会で活躍できる本物でありたいと思います。
2015/11/01 -
2015.10.01
若さの秘訣
テレビでおばあちゃんが20年以上かけて作り上げたお花畑が紹介されました。北海道帯広の十勝平野に広がる紫竹ガーデンです。紫竹昭代さんは56歳の時、4歳年上の夫を亡くしました。その後数年、失意の日々を送っていましたが、泣き暮らしていては天国の夫も安心できないと一念発起し、18,000坪の農地を購入、観光農地「紫竹ガーデン」をオープンさせました。63歳から一本、一本愛情込めて植えられた木々や花々は大きく育ちました。それから20年以上が経った今では、日本国内だけでなく、台湾、シンガポール、韓国、香港などアジア各地から大勢観光客が訪れる北海道の一大観光名所となりました。御年88歳なった昭代おばあちゃんに健康の秘訣を聞くと、よく食べて、よく寝る、そして、わがままを言うことだそうです。
最近の「脳の研究」でわかったそうですが、「脳細胞は、死ぬまで増え続ける」とのこと。そして、「新しいことを体験する」と、脳は最も刺激されて、ググッと活性化していくのだそうです。逆に、「毎日毎日同じこと(それ自体が良い悪いではない)」を「面白くないなあ」とか「面倒くさいなあ」などと思いながら、過ごしていると大変です。同窓会で昔の友達に会った時に、「あんた、どうしたの?」と言われてしまうぐらい老けてしまいます。しかし、それは、その人の責任ではなく、環境の責任だというわけです。「老けていく」「脳が死んでいく」その最大の要因は、「変化」がなく、「感動(喜怒哀楽)」がない環境を、自分が作ってしまっているから、脳がどんどん老化してしまうのですね。そういえば思春期の頃、毎日が初めてのことの連続でワクワクすることばかりだったように思います。また、私の周りにいる年齢より若く見える人は、例外なく、常に新しいことにチャレンジし、何事にも「好奇心旺盛」で「感動」する人が多いような気がします。食べたことのないものを食べてみる。やったことのないことをやってみる。行ったことのない場所に行ってみる。話しかけたことのない人に話しかけてみる。何でもいいと思います。今日は何か「今までに自分のやったことのないこと」をやってみてはいかがですか。
私の敬愛する先輩お二人に「若さの秘訣は初めてのことをする」話をしました。すると、75歳の先輩は「オレは100年委員会・サンデー企画を作った。あと何年生きられるかを考えて生きるのは楽しくない。だから、自分で100歳まで生きるというゴールを決めた。そうすると、何年生きられるか、何年元気でいられるか、という考えが、まだ25年生きられる、何でもできる、という発想に転換されるんや。」と話されました。サンデー企画の意味を聞くと「毎日が日曜日だから」だそうです。また67歳の先輩は、「大往生の意味を知っとるか」と聞かれたので「教えてください」と尋ねると「90歳以上元気で生きることは当然。万が一寝込んでしまったら、3日以内に死んだらなあかん。そして、死ぬその日まで孫やひ孫が遊びに来たら、小遣いの2、3万も渡せる。そんな甲斐性が必要。そんな人のことを大往生と呼ぶんや」と話されました。逆に元気の秘訣を教わりました。
紫竹ガーデンを作られたおばあちゃんは成功するためにお花畑を始めたのではない。楽しみながら精魂込めてお花を植えていたら、綺麗なお花を見に来る人が増えていた。ケンタッキーの創設者であるカーネル・サンダーソンはFC展開を始めたのが65歳だったそうです。夢や成功を追いかけるのに年齢は関係ない、やる気×能力+楽しむことが必要なのかもしれませんね。
2015/10/01