Column 社長コラム
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2017.03.01
卒業
私の人生に深く影響を与えた青年会議所(JC)は40歳で卒業を迎える制度があります。
私は28歳で入会し、40歳で卒業するまで12年間にわたり活動しました。「明るい豊かな社会を築く」という崇高な目的を掲げ、多くの同世代の仲間と活動した12年間にはたくさんの学びがありました。中でも私を大きく変えてくれた学びは、尼崎青年会議所独自かもしれませんが、礼儀や規律を重んじる所作(伝統)でした。
2016年度も、青年会議所を卒業しOB会(シニアクラブ)に多くの後輩たちが入会してきました。そんな卒業生に向け、はなむけの言葉を贈る機会がありました。「今年は市政100周年ということで、多くの時間を地域への奉仕活動に励んできたことと思います。卒業したらこれまでJC活動で費やした時間をどう使おうかと思案していると思います。子どものPTA、町内会、ロータリークラブなど選択肢は色々とありますが、対外的な活動はせずに少しゆっくりしたい、家族との時間を大切にしたい、仕事を頑張りたいなどと考えている人も多いと思います。私自身卒業から15年が経ち、全国にいる仲間の卒業後を見て言えることがあります。卒業時、ほとんどの人は少しゆっくりしたい、仕事に専念したいと言いますが、ゆっくりして大きく何かが変わることも、仕事に専念すると言っていた人で仕事で飛躍できた人もほとんどいません。逆に卒業を機に、起こり得る全ての機会を積極的に受け入れて活動の範囲を広げている人が、仕事や人生に良い影響を与え、飛躍的に成長しているように思います。40歳からが本番、卒業しても人生は続きます。50代、60代という後の人生を豊かに充実させるためには、男の人生で最も大切な40代をどう過ごすかが、明暗を分けていきます。少しゆっくりしたいと思う気持ちは理解できますが、何のために休憩するのか、いつから動くのかを考えてください。また、仕事に専念したいという人はいつまでに売り上げをいくらにするのか、利益をいくらにするか、などの計画を立てることが重要です。ゆっくりするも良し、仕事をするも良し、でもその前に考えて欲しいのが、自分自身の人生計画です。自分は何を目指すのか、どんな人生を歩むのか、「考える・計画を立てる・行動する」ことが人生を豊かにする唯一の方法です。
最後に私が起業した折に母親から言われた言葉をはなむけの言葉とします。『人には2つのタイプがある。休んでから働く人と、働いてから休む人。お前は働いてから休みなさい。』」
学問には本学(もとがく)と末学(まつがく)があります。末学は算段(そろばん)を学ぶ学問。本学は礼儀や人としての道を学ぶ学問。江戸時代、戦のない時代に、それでも武士が尊敬されていたのは、農民や商人の子供たちに寺子屋で本学の根幹である武士道を教えていたからだと言います。たとえ商売といえども判断や決断には、その人の人となりが顕著に出ます。商売の道を学ぶ前に、人としての道を学ばなければうまくいかないことが多々有ります。そんなことから本末転倒という熟語ができたと言われています。
東京へ海外へと走り回っている私の人生は今がまさに旬。世間的には出会う方々から経営者として褒めていただくこともありますが、「義理・人情・やせ我慢」「道徳・礼儀・規律」など経営をする上で最も大切な全てを青年会議所の先輩から教えていただいたように思います。男としての生き様を教えていただいた先輩がいらっしゃるから、どんなに忙しくても青年会議所の会合だけは参加しているのだと思います。生涯どんなに忙しくても、どんなに偉くなっても、この青年会議所という団体には最優先で参加させていただければと考えています。
2017/03/01 -
2017.02.01
USJ
昨年の10月頃、東京で始めたエンターテイメントビジネスの経営不振をどう立て直せば良いかを考えていました。
経営のヒントになる本を本屋へ探しに行った時、「USJ」「V字回復」「マーケティング」という自分が探し求めていたキーワードが目に飛び込んできました。この本『USJを劇的に変えた、たった1つの考え方』森岡毅著がきっかけとなりUSJの事を深く調べる事になりました。
USJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)は、ゲストの期待と想像をはるかに上回る興奮と感動のライドやショーのアトラクションによって、「ジョーズ」「ジュラシック・パーク」などハリウッド映画の世界を余すところなく体験できるパークとして2001年3月31日にオープンしました。2016年度上期(4月~9月)の入場者が昨年同期比7%増の約700万人となり過去最高を記録しました。東京ディズニーランドとディズニーシーは微減となり明暗が分かれました。このような快進撃の理由はある男がUSJにやって来たことから始まります。USJは初年度の来場客数1,102万人と世界で最も早く1,000万人超えを実現しましたが、不祥事などにより翌年から業績が悪化、翌年02年度には764万人まで激減、04年には事実上の経営破綻に陥りました。米国ユニバーサル社からグレン・ガンベル氏が招聘され社長に就任し、リファイナンス・コスト構造の見直すことにより経営を立て直しました。しかし、来場客数は一向に上向きません。そこで次の一手を打ちます。それが、マーケティングのプロである男・森岡毅氏の招聘でした。
森岡毅氏の本からマーケティングを勉強して一番強く感じた事は、いかに私がやっているエンターテイメントビジネスが自分本位で、販売する側の視点で商いをしていたかという点でした。店舗があるのは良い場所のはず、このキャラクターはお客さんを呼べるはず、この空間なら喜んで来てくれるはず、このぐらいの値段をもらわないと合わない、などの「販売者視点」を「消費者(お客様)視点」に変えなければなりません。次に感じたのは「どう戦うか」の前に「どこで戦うか」。ターゲット層を明確に見極めなければならないこと、ターゲット層をどこに絞るのか、その層にどんな販売戦略をするかが大事だということです。最後に、どこに問題があるのか。どうすればその問題解決ができるのか。マネジメントの視点やクリエイティブの思考などはとりあえず横に置き、消費者視点でひたすら考え抜き、問題解決案をいくつも用意し、成功確率の高いと思われる案から「トライ&エラー」を繰り返すことが大事だということ。
マーケティングを勉強する機会を得たことは、きっと私の人生において未来必要なスキルだと考えます。しかし、それ以上に大切な気づきは人生を変えるには「動き出す」ことだと感じました。東京でのエンターテイメントビジネスのつまずきが、私の人生の大きな気づきを与えてくれました。人生を変えるのは簡単です。現状に縛られず、一歩を踏み出せば良い。たったそれだけのことなのに、ほとんどの人は行動を起こせない。古い常識に縛られ、変化することは危険で、現状を維持することが安定につながると信じ込んでいる。そうした人々を目にするたびに、何度も歯がゆい思いをしてきた。古い価値観を捨て、動き出すことの大切さと楽しさを伝えたくて、少しでも多くの方の動き出すきっかけになることを願います。
(参考文献:森岡毅著『USJを劇的に変えた、たった1つの考え方 成功を引き寄せるマーケティング入門』角川書店,2016)
2017/02/01 -
2017.01.01
JAPANESE is beautiful
昨年からASEAN諸国へ行く機会が増え、多くの外国人たちと積極的に仕事を絡めた付き合いが始まりました。付き合いが深まると、決まって「日本人は美しい、そして日本という国は素晴らしい」と褒めていただきます。「何が美しく、何が素晴らしいのか」を尋ねるとまず言われるのが、東日本大震災においての日本人の行動です。生死の境にいても、略奪もなく暴動も起こらない。世界中のどんな天変地異の報道を観ていても支援物資が到着すれば避難民が押し寄せて物資を奪い合い、壮絶な争いが起こる。しかし、日本人は行列を作り奪い合わない、それどころか、自分たちはもう十分だから他の人に届けて欲しいと言う。大混乱の中にあっても、他人への心配りを忘れず、規律正しく振舞う姿、その秩序ある行動の規範となる倫理観が美しい。その次に言われるのは、日本は先の大戦で敗戦し、焼け野原にされ全てを失ったにも関わらず、占領国に支配されることなく、努力を惜しまず勤勉によく働き経済大国となったことが素晴らしい。また日本を経済大国に押し上げた日本の工業製品の品質は世界一だと、日本企業の名前が次々と挙げられます。もしかしたら、日本人より日本のことを知っているように思います。日本人はもっと、日本の価値を知る必要があると感じます。
海外に行くようになり、外国人から見た日本や日本人の価値に気づかされた反面、日本は東南アジアの国々から信頼されていない、先の大戦を反省せず嫌われていると子どもの頃教えられた記憶がよみがえります。そこで ASEAN諸国について調べてみると、2014年外務省が東南アジア7カ国(インドネシア・マレーシア・ミャンマー・フィリピン・シンガポール・タイ・ベトナム)の一般市民を対象に「どの国を信頼しますか?」というアンケートを実施していました。日本は7カ国中5カ国から最も信頼できる国と支持され、1位ではなかったフィリピン・シンガポールでも僅差でアメリカの次となりました。子どもの頃、よく親に言われた「人に迷惑をかけるな、恥ずべきことはするな」という日本の恥を重んじる文化がこのような結果に表れているのかもしれません。
5年前、50歳を機にやらなければならないという生き方をやめ、やりたいことだけやる生き方に変えました。新たに出会う方々が新たな運命を運んできてくれます。導かれているような出会いには「海外」「エンターテイメント」というキーワードが多く含まれていて、ビジネスに人生に、このキーワードが絡み合って運命を彩り始めたように感じます。人生に旬というものがあるとするならば、私の人生は今がまさに旬。昔ならダメダメと軌道修正してやりたいことを半分に減らしていましたが、今は「どきどき、わくわく、楽しいし、まあええか」このような心境です。海外で日本人の価値に気づき、ますますこれが正しい道だと確信しています。日本人は世界の中で、傾向として内向きになりがちです。しかし、一歩日本から出れば、語らなければ理解されないことが多いと思います。主張することが苦手な日本人ですが、「これこそが日本人」という気概を持って美しい立ち振る舞いを忘れることなく、自分が大切だと思うこと、守りたいと願っていることは声に出して言えるようなJAPANESEになりたいと思います。
今年からは更にギアチェンジし、力強くスピードアップして海外へ出ていきます。時折、このコラムで海外での出来事も書きますので楽しみにしていてください。
本年もよろしくお願いします。
2017/01/01 -
2016.12.01
歩み
夏の男旅で息子たちと久しぶりにゆっくりと語り合いました。今回のテーマは「どんな人生を歩むのか?」長男21歳大学3回生、私の実家で生活費を与えられ一人暮らし、もちろん学費の支払いも私持ち。次男18歳カナダのハイスクール3年生、ホームステイしながら学校へ通う、もちろん全ての支払いは私持ち。二人とも俗に言う典型的なボンボンです。そんな息子たちに将来について何か考えていることがあるのかを聞いてみました。息子たちから「豊かに暮らしたい」「人生を謳歌したい」と過程のない結論が返ってきました。堅実な答えをイメージしていたので意外に思いましたが、息子たちの答えには何をして「豊かに暮らす」のかがありません。自分自身の20歳の頃を振り返ると、成功だけを夢見て東京に行きましたが、足がかりすら見つけることができずに逃げ帰ってきたことを思い出します。今考えると何の能力も実力もなく、たいした経験もない私が成功するわけがないことは当然でした。
私は息子たちに「豊かに暮らす」には、どのように人生を歩まなければならないかを話しました。
1つ目は「行動することの大切さ」です。目標設定をいくらしても、行動しなければ何も始まりません。行動するためには、目標設定ではなく、行動計画を立てることが大事です。目標設定ばかりしていて、いつまでたっても行動できない人がたくさんいます。「ああなりたい」「こんなことをしたい」「あれが欲しい」とばかり言っていても何も手に入りません。「そのためにどう動く」が行動計画です。
2つ目は「人生はノリが大事だ」ということです。人生を歩んでいるといろんな出来事に遭遇します。チャンスもあればピンチも有りますが、チャンスとピンチはいつも表裏一体のように思えてなりません。過去の出来事を思い出すと大抵がチャンスの中にピンチの要素もあるし、逆にピンチの中にもチャンスの要素がありました。出来事をチャンスと捉え「チャンスに飛びつく」こと。フットワークの軽さ、好奇心の強さ、リスクを承知で飛び込んでいける小さな勇気、その全ての総称を「ノリのよさ」と考えています。小さな成功体験の前には、小さなチャレンジがあり、その小さなチャレンジは「ノリのよさ」から生まれます。ノリの悪い人は人生の波にも乗っていけません。シンプルに考えると全ては「ノリのよさ」から始まるように思います。
3つ目は「決断のルール」です。息子たちも、私の20歳の頃もそうでしたが、何がやりたいかが決まっていませんでした。
たかだか20年の人生、そして大半を親に守られ生きてきた経験や知識の中で、やるべきことが決まっている人は、稀に自ら考えることのできる頭の良い人もいますが、大半は親に守ってもらえず、自分でしっかり生きなければならない環境、もしくは生まれながらに歩む道が決まっている環境で生まれてきたかです。「決断のルール」で大事なことは、あらかじめ未来を予測することです。知っておくこと、考えておくこと、いつも頭を動かして、こうなればどうする、ああなればどうすると、詰め将棋のように考えておくことが必要です。それでも、自分の決断の枠を超えている場合は信頼する人の言うとおりにすることが大事だと考えます。
最後に息子たちにこう伝えました。「他人に迷惑をかけぬこと。人の役に立てる人間になること。人を喜ばせることのできる人間になること。金や名誉などはそれについてくるにすぎない」。
2016/12/01 -
2016.11.01
2016 リオ
リオデジャネイロ オリンピックは南アメリカ大陸で初めての開催、さらに、開催地が冬の時期に行われる(平均気温22度の亜熱帯気候)夏季オリンピックとなりました。今回のオリンピックは開催前から競技場の工事の遅れ、水質汚染、治安の悪さなどの理由から開催が危ぶまれていましたが、極め付けはルセフ大統領停職による大統領不在で開幕。開催決定から7年、トップ不在は五輪に暗い影を落とし、南米初の栄誉が「不安材料ばかり世界中に知られてしまう」と残念がる声が聞こえてきました。
試合結果は参加国206、参加人数11,000人以上、28競技306種目で競われ、メダル数はアメリカが金46、銀37、銅38で1位、2位イギリス、3位中国、4位ロシア、5位ドイツ、6位日本は、金12、銀8、銅21、7位フランス、8位韓国、9位イタリアとなりました。残念だったのはロシアが国ぐるみのドーピング発覚により、多数の選手が出場停止となり、大幅にメダル数を減らしたこと。そんな中、10名の難民による難民選手団が結成された特別措置は、オリンピック憲章に謳う精神に則った極めて時宜を得た英断であり、賄賂やドーピング問題に揺れるIOCにとっては「大金星」と言えるでしょう。
今回のオリンピックで私の心を揺らしたのは選手の流す涙でした。卓球・福原愛「私が足ばかり引っ張って…」との泣きながらの発言には、私も一緒に泣きました。レスリング・吉田沙保里「お父さんに叱られる」と金メダルを取れず泣き崩れている姿に、お母さんの一言「最後までちゃんとやりなさい」これまた泣きました。テニス・錦織圭の銅メダル、柔道日本の復活などまだまだ見所はたくさんありました。勝って泣き、負けて泣く。そこには嘘や偽りがない世界。一生懸命にやってきたからこそ見ているだけで感動し涙する。私にとってオリンピックは寝不足との戦いでもありました。
そんな最中、夜中に違うチャンネルで格差社会についての討論会をしていました。いかにして生活保護、母子手当をもらうか、が議論されていました。おかしいと思いませんか。昔は生活保護をもらうことは恥ずかしいことだったはずです。どうやったらもらわずに生活できるのかを考えました。努力した人、努力しない人。一緒なわけがない。格差があって当然。こんなことを言ったらすぐに揚げ足を取る人が一杯いるのでしょうね。「お前は食えるからいいけど、俺たちはどうするんだ」と。自由を要求するなら、それなりに責任や義務が求められます。自分の都合のいいところだけ要求し、そこには責任のかけらもない。こんな社会では、誰も努力しなくなります。問題を解決するには「上へ上がる」しかない。努力するしかない。なぜ、豊かな暮らしをしてやると思わないのでしょう。手を握ってみんなで一等賞でゴールしましょう、はやめましょうよ。そんなことばかり言って、日本はここまできたように思います。過去そうだったように、オリンピックで活躍した選手のように、みんなが正直に、一生懸命活躍できる社会になることを祈ります。
4年後、東京オリンピックが開催されます。世界が日本に注目しています。1964年、アジアで初めて開催された東京オリンピックは、第二次世界大戦での敗戦後、急速な発展を遂げた日本が、再び国際社会に復帰する、シンボル的な意味を持ちました。2020年、アジアを牽引していくリーダーとして、メダルの数もさることながら、開催国として「おもてなし」の姿勢や愛国精神を大事に、誇り高く準備にあたっていただきたいと思います。また、今回残念だった選手たちの活躍を祈ります。感動をありがとうございました。
2016/11/01 -
2016.10.01
天才
今月のコラムは昭和の宰相・田中角栄について書かれた石原慎太郎著『天才』を参考に書かせていただきました。元々、田中角栄のことを金権政治と批判して真っ向から弓を引いていた筆者が、なぜこの本を書くことになるのか。それはある方の一言「貴方は実は田中角栄という人物が好きなのではないですか」でした。 執筆するにあたり田中角栄についての書物を探しまくると、戦後の政治家の中で彼ほど多くの本が書かれている例は他にない。そしてそれらを、読めば読むほど彼ほど先見性に富んだ政治家は存在しなかったと痛感したそうです。
田中角栄は若くしてテレビというメディアを造成し、南北に長い日本の国土を機能的なものに仕立てた高速道路の整備や新幹線の延長整備、各県に1つずつという空港の整備。エネルギー資源の乏しいこの国の自活のために原子力推進を目指し、アメリカ傘下のメジャーに依存しない独自の資源外交など。彼の先見性に満ちた発想の正確性を今日の日本の在りようが歴史の現実として証しています。独自の発想で、まだ若い時代に40近い議員立法を成し遂げ、それがまだ法律として通用しているという実績を持つ政治家は他にいません。
田中角栄は1918年新潟県柏崎市に生まれ、1946年衆議院選出馬、落選しますが翌年再び出馬し29歳の若さで当選。1948年法務政務次官に就任、炭鉱国管疑獄により逮捕されるが、翌年、今の時代では考えられないことですが、獄中から立候補し再選を果たします。1957年戦後初の三十代の大臣として郵政大臣に39歳で就任。大蔵大臣、通商産業大臣と次々と閣僚のポストを手中に収め、1972年『日本列島改造論』を発表、54歳で内閣総理大臣となり日中国交正常化を実現。翌年には日ソ共同声明を発表。1974年金脈問題を追及され内閣総辞職に追い込まれます。1976年ロッキード事件が発覚し逮捕され自由民主党を離党するが、その年の総選挙ではトップ当選。その後1985年脳梗塞で倒れるまで闇将軍として政界に影響力を持つ。1990年政界引退。1993年死去。1995年最高裁で5億円収受(首相の犯罪)が認定される。
この本で、田中角栄の人間的な魅力に改めて触れたのが、聴く人を魅了する挨拶でした。私のお気に入りは大蔵大臣就任時の挨拶です。「私が田中角栄だ。私の学歴は諸君と大分違って小学校高等科卒業だ。諸君は日本中の秀才の代表であり、財政金融の専門家ぞろいだ。私は素人だがトゲの多い門松を沢山くぐってきて、いささか仕事のコツを知っている。これから一緒に仕事をするには互いによく知り合うことが大切だ。我と思わん者は誰でも大臣室にきて欲しい。なんでも言ってくれ。いちいち上司の許可を得る必要はない。出来ることはやる。出来ないことはやらない。しかし、すべての責任はこの俺が背負うから。以上だ。」
政治家の一番大事な仕事は、世の中を良くすることだと思います。その為には未来を見通す先見性こそが何より大切だと感じます。何を支援し、何を切り捨てるのかを責任をもって決めることが必要です。田中角栄が「天才」と言われる所以は、若くして政治の道を志したから、そしてその道を精一杯極めたからだと思います。
最後に私がメンタルヘルスの先生から聞いた天才(カリスマ)の特徴をお伝えします。
1.天才は必ず敵をつくる 2.内なる自分に語りかける 3.他人の反応に疎いが、自分がどうしたいかが強い
(参考文献:石原慎太郎著『天才』幻冬舎,2016)
2016年10月
2016/10/01 -
2016.09.01
シェアリング・エコノミー
近年、世界規模で世の中が激変していると感じます。日本が世界に誇っていた家電メーカーは台湾、韓国のメーカーにあっさりと負けました。長年世界第2位の経済大国だった日本は中国にその座を奪われました。しかし、今や中国でさえも、工場の拠点はベトナム、ミャンマー、カンボジアへ移り、その座をASEAN諸国に奪われようとしています。そして今、私が一番激変を感じているのは、シェアリング・エコノミー(共有型経済)です。WEBビジネスが、リアルビジネスを国境や規制の壁を軽々越えて侵食しています。「モノを所有」する時代から「モノを共有」する時代へ。「こうあるべき」という古い権威や秩序が「こうでもよい」という新しい発想へ、大きく傾きつつあります。
シェアリング・エコノミーとは個人が所有する遊休資産の貸し出しを仲介するサービスであり、貸主は遊休資産の活用により収入、借主は所有することなく利用できるというメリットがあります。2013年約150億ドルの市場規模が、2025年3,350億ドル規模に成長する見込みです。2008年にスタートした空き部屋を宿泊施設として貸し出すairbnb(エアビーアンドビー)、2010年にスタートした、車の空き座席をタクシー代わりに貸し出すUBER(ウーバ―)、2012年スタートの自家用車の空き時間をレンタカー代わりに貸し出すRELAYRIDERS(リレーライド)など多数のサービスが生まれています。私がなかでも一番面白いと思って見ているのは、UBERです。
UBERは日本には2014年に上陸、供給過剰のタクシー業界の抵抗が厳しく、現在は東京都でのタクシー、ハイヤー配車など一部サービスの提供にとどまっています。アメリカでは、トヨタと提携し、ドライバー向けに自動車リースを発表。自家用車を持たない個人でもドライバーとして働けることで、供給量を増やす狙いです。一方で、UBERは10万台ものメルセデスベンツ「Sクラス」を購入しました。Sクラスには、自動運転機能がついています。また、ピッツバーグ州に自動運転技術の研究施設を設置するなど、UBERは完全自動運転の実現する世界を見据えています。将来UBERは、交通手段だけでなく、モノやサービスの提供といった「物流手段」までも掌握するプラットフォームになりえます。
激変する世の中で活躍するために必要な資質とは何かを考えていたら、イチロー選手のインタビュー記事が目にとまりました。「自分が全く予想しなかった球がきた時に、どう対応するか、それが大事。試合で打ちたい球はこない。好きな球を待っていたのでは終わってしまいます」。イチロー選手は毎日違うピッチャーに相対し実績を残しています。もちろん相手もプロのピッチャー、イチロー選手を研究しています。にもかかわらず、毎年高い水準で結果を残しています。「夢や目標を達成するには1つしか方法がない。今、自分にできること。頑張ればできそうなこと。小さなことを積み重ねることが、とんでもないところへ行くただひとつの道だと思う」。相手の変化に順応するポイントは、危機意識を高く持ち、目標に向かって小さな自信を積み重ねることなのでしょうね。
2016年9月
2016/09/01 -
2016.08.01
あらかじめ
毎年デミックでは10~15名の新卒社員を採用してきました。しかし、今年から新卒採用をやめる決断をしました。やめた理由は、大手企業が採用数を増やした影響で中小企業の新卒採用が厳しくなったこともありますが、それ以上に大きな理由は、一緒に事業をすることになった、東大卒で大学生のカリスマR君(25歳)の「上位1%の優秀な学生は、就職活動はせず自分で起業しますよ。」という一言でした。
デミックは過去12年にわたり企業説明会を開催し、多くの社員が面接やイベントに関わってきました。社長である私も新卒採用の先頭に立ち、3月・4月は毎週のように関西・関東・四国の、どこかの企業説明会場にて社長スピーチをやり、本社での最終社長面接も40名近くおこなってきました。社長である私の一番の大切な仕事が新卒採用だったように思います。これは、ひとえに優秀な新卒社員を採用したかったからです。しかし、牛乳宅配ビジネスの主たる仕事は飛び込み営業ということもあり、多くの新卒社員は未来への夢・希望を思い描くことができずに辞めていきました。社員が辞めるというのは、社長にとってはとても寂しいことです。「社員が未来に向けてやりがいのあるビジネスモデルがやりたい」と切に願うようになりました。それが、最近の私のビジネススタイル「一緒にやって楽しい人とやりがいのある事業を全国に拡げる」の最初の動機だったかもしれません。ビジネススタイルが変わると自ずと、求める人材層も変わり「優秀な新卒」から「事業を任せることのできる社長」へと変化していきました。
今年の初め冒頭のカリスマR君と出会い、「起業を目指す大学生支援サイト」を立ち上げることになりました。起業を目指す大学生たちと話しをしていると、それまでの価値観は一変しました。彼らの価値観や考え方は社会人を10年経験したからといって、そこまで到達できるとは思えない域に達していました。新卒社員を採用し、育てていくことは決して否定しませんが、新たな出会いにより新たな事業が数々立ち上がっていく環境においては新卒育成は効率が悪く手間のかかる作業であることも否めません。そして、社長である私自身も新たな出会いや気づきにより社員の成長スピードを上回るスピードで成長させていただいたように思います。結果、新卒採用をやめ、社長をできる人材を求めるようになっていきました。最近、デミックの新卒社員たちの中から、新規事業への配属が次々と続いています。それなりに困難はあると思いますが、やりがいを持ってやってくれていると自負しています。
あらゆる選択肢の中から成功する確率の最も高いものを選ぶためには「予」を大切にしなければなりません。予感、予想、予測、予防、予期・・・の「予」です。あらかじめ感じ、あらかじめ想像し、あらかじめ学び、あらかじめ測り、あらかじめ覚悟する。常に「あらかじめ」を大切にし、念頭に置いていれば自ずと正しい道をたどることができるように思います。私の経験によると一流は例外なく感じる力を持っています。感じる力とは修正能力のことで、感じるとは少しの変化や移ろいに気づくことです。生きることは変化の連続です。その変化をいかに捉え、対応していくかが紙一重のところで明暗を分ける要因となります。変わりゆく今を生き抜くために必要なものは、良質な人脈、そして、そこから得られる良質な情報こそが重要だと感じます。
2016年8月
2016/08/01 -
2016.07.01
ボトムアップ
デミックでは創業以来、私の強烈なリーダーシップのもと「トップダウン経営」を用いてきましたが、3年程前から「ボトムアップ経営」に組織経営の手法が変化しました。私が意識的に変化させたというより、必然的な変化だったように思います。創業時、1店舗だった店が2店舗、3店舗と増え、4年前に現在の18店舗となりました。エリアも関西、関東、四国と広がり、気がつくとスタッフの数も300人を超えるような組織になっていました。「トップダウン経営」の最大のメリットは「意思決定が素早くできる」ですが、広域に広がった店舗網では、それぞれの店舗で取り巻く経営環境が違います。私の意思決定よりも、それぞれの店舗での経営判断が必要な場面も多々あります。しかし、「トップダウン経営」を長年続けていると、「現場社員が自分で考え、自分で行動する力を無くす」デメリットが発生します。事業計画も私が「これぐらいなら出来るでしょう」、現場は「出来るはずない」とこうなります。無理やり事業計画を達成させようとすると、販促費用が余分にかかるのが常でした。「トップダウン経営」の一番苦労した点は、私自身に時間的に、能力的にも非常に負担のかかる経営手法だったということです。いつかは「ボトムアップ経営」にシフトしたいと願っていました。
ではなぜ長年「ボトムアップ経営」にシフトできなかったのか。過去を振り返り思い当たったのは、創業期に起こったアルバイトの集金使い込み事件でした。集金したお金を自分の借金返済へ流用し、回していたことが発覚しました。あの時から使い込みされるのは会社に責任がある。使い込みができない仕組みを作る、人を信じない経営を主軸に置くような考え方になりました。しかし、それはスタッフを疑ってかかることを前提にしています。当たり前ですが、疑っている相手に権限を移譲する「ボトムアップ経営」は出来るわけもありませんでした。それを、変えてくれたのはある女性飲食店経営者でした。数店舗飲食店を経営している女性経営者に「お金の管理はどうしていますか?使い込みされたりしませんか?」と質問すると「そんなこと考えたことない」と潔い答えが返ってきました。小さい自分を見透かされたようで情けない気持ちに陥りました。この気づきを深く受け止めたところから、私の「ボトムアップ経営」が始まりました。まずは信じる、とことん信じる。次に任せる、とことん任せる。あとは褒めるだけです。
目の前にいるスタッフを信じ全てを任せてみると、それまでこだわっていたことが、なんてちっぽけなものだったのかがわかりました。そして、何より気持ちが楽になりました。「自分がやらなくちゃ」とよく思っていましたが、今は「どう思う?任すわ、やってみたら!」こんな風に発言も変わってきたように思います。私はこちらの方が向いているのかもしれません。そして、一番大きな「ボトムアップ経営」の効果を実感したのは賞与の支払い直後でした。私ではなく顧問、役員、エリア長、店長と、自分たちで決めた事業計画を達成した社員たちから「ありがとうございました」とお礼の電話がありました。私は信じて任せただけなのに。経営者は口ではお金を出してあげたいと言いますが、出しすぎて業績が悪くなると返してもらえないとか、これが習慣になったらどうしようとか、出さなくてもよい言い訳を考えてしまいます。経営に自分の都合を反映さえながら結局、任せきれないんですね。
老子の言葉に「大国を治るは、小鮮を烹(に)るが若(ごと)し」という言葉があります。大きな組織を束ねることは、小魚を煮ることと似ている。やたらと手を出さずにコトコトとじっくり煮るのがうまく煮るコツだと。自分で考え、自分で行動できるまでには時間がかかります。相手を信じて任せることのできる人は、自分を信じることができる人なのでしょうね。
2016年7月
2016/07/01 -
2016.06.01
スティーブ・ジョブズ
アップル社の創業者、スティーブ・ジョブズ最後の言葉をフェイスブックで見つけました。死を目前にした成功者はこんなことを考えるのだと感慨深く読みました。皆様の生きかたの参考になれば幸いです。
「私はビジネスの世界で成功の頂点に君臨した。他の人の目には私の人生は成功の典型的な縮図に見えるだろう。しかし、仕事を除くと喜びの少ない人生だった。人生の終わりには、富など私の積み上げてきたものは、人生の単なる事実でしかない。病気でベッドに寝ていると、人生が走馬灯のように思い出される。私がずっとプライドを持っていたことや、富や名誉も迫る死を目前にして色あせていき、何の意味もなさなくなっている。この暗闇の中で生命維持装置のグリーンライトが点滅するのを見つめ機械的な音が聞こえてくる。神の域を感じる、死がだんだん近づいてくる…。今やっと理解したことがある。人生において十分にやっていけるだけの富を積み上げた後は、富とは関係のない他のことを追い求めたほうが良い。もっと大切な他のこと。それは人間関係や芸術や、または若い頃からの夢かもしれない。終わりを知らない富の追求は人を歪ませてしまう。私のようにね。神は誰しもの心の中に、富によってもたらされた幻想ではなく、愛を感じさせるための「感覚」というものを与えてくださった。私が勝ち得た富は死ぬ時に一緒に持っていけるものではない。私が持っていける物は、愛情に溢れた思い出だけだ。これこそが本当の豊かさであり、あなたとずっと一緒にいてくれる物、あなたの道を照らしてくれる物だ。愛とは何千マイルも超えて旅をする。人生に限界はない。行きたいところに行きなさい。望むところまで高峰を登りなさい。全てはあなたの心の中にある。全てはあなたの手の中にあるのだから。
物質的な物はなくなっても、また見つけられる。しかし、一つだけ無くなってしまっては再び見つけられない物がある。人生だよ。命だよ。手術室に入る時、その病人は、まだ読み終えていない本が一冊あったことに気付くんだ。『健康な人生を送る本』。あなたの人生がどのようなステージにあったとしても、誰もが人生の幕を閉じる日がやってくる。あなたの家族のために愛情を大切にしてください。あなたのパートナーのために、あなたの友人のために。そして、自分を丁寧に扱ってください。他の人を大切にしてください。」
ジョブズのように偉大な経営者でも死を目前にして、人生で大事なことは富の追求よりも愛だと。人生の終わりに残るものは集めたものではなく、与えたものなのだと考えさせられました。私自身のライフスタイルを見つめ直すと、楽しくて仕方のないビジネスを理由に、家族そっちのけにして、毎日愉快に全国を飛び回っているのが実情です。しかし、このような素晴らしい環境で人生を過ごせているのは、やはり家族の愛情や理解の賜物だと思えます。今、置かれている環境に感謝し、家族にもっと愛情を注ぐことを忘れずに生きていかなければ、人生は意味のないものになってしまうように思います。私たちは与えることにより与えられ、人に尽くすことにより生き続けることができる。ジョブズの死を目前にした言葉が大きな気づきとなりました。合掌
2016年6月
2016/06/01