Column 社長コラム
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2016.03.01
成人式
20年前、阪神淡路大震災の難を妻のお腹で過ごした長男が成人式を迎えることができました。はなむけの言葉を探しましたが「ありがとう」この一言だけが思い浮かびました。長男の内向的な性格を変革するために、一緒に始めた朝の散歩や男旅を懐かしく感じます。成人として自覚と誇りを持って羽ばたいて欲しいと願います。今回のコラムは、私の誇れない成人式の頃を書きます。
成人式を迎えた頃、私は大学を中退して東京へ家出中でした。あの頃の私は学歴や外見だけでダメな奴と決め付ける大人が嫌いで、心のどこかで馬鹿にしていたように思います。でも、自分には何もない、それは自分が一番わかっていました。目標もなければ誰かに期待されることもない、友人と過ごす時間だけが唯一の救いで、勿論将来の希望もありません。尖って反抗していたのは傷つけられまいとしていたのかもしれません。そんな自分を変えたくて、いやそんな自分から逃避したくて、私は東京への家出を決意しました。東京へ行けば変われるんだと、何の根拠もないのにそう思い込んでいました。友人たちに見送られJR大阪駅から夜行列車に乗り、早朝上野駅に到着しました。今ではあり得ない何の計画性もない旅立ちでした。不思議とあの頃のことはよく覚えています。まず、当時流行っていたテレビドラマ「俺たちの旅」の舞台だった、吉祥寺の井之頭公園を散策。その後、住み込みで働ける先を探し何件かを訪問しましたが「関西から来た」と言うと全て断られました。途方に暮れて吉野家で牛丼を食べながら、「どこで寝ようか」と考えていました。ここで奇跡が起こります。何と吉野家のアルバイトスタッフが、偶然2ヶ月前まで阪急塚口駅(私の住んでいた武庫之荘の隣駅)に住んでいたことが発覚。「偶然ですね、泊まりにきますか」と。好意に甘えて家に行くとお母さんに「ちゃんと親に言ってきたの?」と心配されます。家出してきたとは言えませんでした。翌朝、朝食までごちそうになり、吉野家本社へ面接に行きました。これがご縁で吉野家の工場で住み込みで働くことになりました。家に帰ってこない息子が東京にいて、吉野家の人事課からの「息子さんが東京で住み込みで働きたいと言っていますが大丈夫ですか」との電話に、母親は二つ返事で「よろしくお願いします」と対応、ご立派です。吉野家に住み込みで働きながら資金を貯め吉祥寺へ転居。3畳一間で風呂なし、共同トイレ。寝転がっていても全てが手に届く狭い部屋。今では絶対にできない経験です。そんな環境の中で将来について、「どう生きる」「何がしたい」などいつも考えていました。独りで暮らし一番感じたのは、世間の冷たさ厳しさと両親の愛情の深さでした。それまで両親の元でぬくぬくと暮らしていた人生がどれだけ有難かったか。親への感謝の気持ちが芽生えました。生きていくためには自分で考えて、自分で動かなければなりません。人生を変えるのはそう簡単じゃないと実感した家出生活となりました。
あれから34年。あの頃の自分にアドバイスするなら「置かれた場所で咲きなさい」。置かれた場所に不平・不満を持つのではなく、どんな場所に置かれても花を咲かせる心を持ち続ける。人生は決して順風満帆ではない。苦労や試練は人を強くし、深みを与える。境遇は選ぶことができないが、生き方は選ぶことができる。今というかけがえのない時間を精一杯生きなさい。時間の使い方が命の使い方。こんな言葉をかけてあげたいと思います。
2016/03/01 -
2016.02.01
留学
一昨年の夏、次男がカナダへ留学しました。留学するまでは公立高校へ通っている特徴のない普通の子どもでした。朝起きて学校で授業を受けて、サッカーの練習をして帰って来る。休みの日は昼近くまで寝て、ダラダラと1日を過ごし、たまに中学の頃からの友達たちと遊びに行く。そんな次男の日常を見ていて「これでいいのだろうか?」と感じていました。ある日、私に反抗的な態度をとった次男を叱ったことがありました。「誰のおかげで三度の食事ができ、誰のおかげで学校へ通えるのかを、考えたことがあるのか。嫌ならこの家から今すぐ出て行け」と。次男は少し泣いていました。その日以降、次男のために何ができるかを考えるようになりました。今のまま並みの高校へ通い、並みのサッカー部で練習し、並みの友人と遊び、並みに親に反抗し、並みの生き方をしていると、並みの人生しか生きることができない。どのような人生を歩ませればいいのか、何か得意なことはないのか、どうすれば自分の未来を考えるようになるのか。私の結論は「考えなければ生きていけない環境」を与えること、それが海外留学でした。
息子をカナダへ留学させている友人に協力してもらい、一昨年のゴールデンウィークを利用して次男をカナダへ連れて行き、2、3日現地にいる友人の息子に預けました。数人の留学生たちと綺麗な街の散策をしたり、食事をしたり、船に乗りホエールウオッチングなどをして楽しく過ごしていました。私も兄である長男の人生と次男の人生を比較しながら、どう生きるか、どう生きたいかをアドバイスしました。しかし、私の言葉が心に響いている様子ではありません。カナダ留学はしたくないという決断になるのだろう、と思っていました。旅の終わりに「カナダドルがあれば出しなさい。留学生たちにあげるから」と言うと、次男から「また、来るかもしれない」と意外な答えが返ってきました。あとでなぜ留学する気になったのかを尋ねると、「お兄ちゃんには負けたくない」と答えました。私は妹と2人兄妹で上にも下にも男兄弟がいないのでわかりませんでしたが、男兄弟はライバルなのだと改めて感じた旅となりました。
あれから1年半が過ぎました。次男の日常は一変、生きていくために考えなければならない環境となりました。辞書を片手に英語の授業を聞く、帰ってきて課題をする、食事を作ってくれるホストファミリーと一緒に食事をしてお礼を言う。何ひとつ不自由のない生活から、すべて自分で考え、自分で行動する環境へ。当たり前ですが、顔つきがしっかりとしてきました。与えられたお金で生活すると、お金に対する感覚もしっかりしてきたように思います。この選択がきっと運命を変える選択になるでしょう。
あなたの運命は今の習慣でつくられる。今のあなたの習慣を見つめると、未来のあなたが見える。「いつか習慣を変えようと思っている」「いつか誰かがきっかけを与えてくれるはず…」「いつか」はいつまでもこない。自ら運命をつくっていくには、今決めるしかない。まずは、小さい習慣から、少しの間だけでも始めてみよう。
2016/02/01 -
2016.01.01
夢の途中
10年程前に読んだ本『夢に日付を!夢をかなえる手帳術』(ワタミ創設者 渡邉美樹著)が生き方を変えるきっかけとなりました。その本には渡邉氏が実践してきた、手帳を活用した夢の叶え方が書かれていました。夢の実現に必要な項目を考える、何をいつまでにすべきなのかを知る、その項目を手帳の中の日付に記入する、夢を行動化し、なし遂げた項目を赤ペンで塗りつぶす。その頃の私は渡邉氏と似ていて、真面目にコツコツと努力することが立派な経営者への道だと考え、スケジュールを日々こなしていました。この日は毎月発行される経営書を読み知識を高める、この時間はセミナーへ行き未来必要な経営のノウハウを学ぶ、この時間は交流会に行き人脈を増やすなど。しかし、何も変わらない、あまり大きな成果も出ない日々が続いていました。そしてある日、嫌々スケジュールをこなしている自分に気づき、これ以上渡邉氏のような生き方はできない、そんな思いから生き方を変えました。
大きく変えたキーワードは「努力」から「楽しむ」でした。無理して頑張らない、努力はしない、考えるのではなく感じる、夢の実現に必要かどうかより自分が楽しいかどうかを重要視して行動しました。読まなければならない本は読まない。読みたいと思える本を読む。セミナーには行かない。出会いは天に任せる。すると、大きな変化が起こり始めました。楽しく付き合える多くの経営者と出会い、やがて彼らが仲間と呼べる存在に変化し、互いに高めあう関係になりました。新たなビジネスが始まり、仲間が新たな仲間を連れてきてくれるようになりました。広がる世界観、広がる行動範囲、仕事が遊び、遊びが仕事、人生をかけてやる遊びが仕事。楽しくて、楽しくて、最高の環境で生きていることを実感できるようになりました。「成功したから楽しいのではなく、楽しいから成功する」こんな境地に至りました。
運が良かったのか、偶然なのかはわかりませんが、この数年で出会い力が高まってきたように感じます。素晴らしい方々との出会いは必然に思えてなりません。出会いは早すぎず、遅すぎず、絶妙のタイミングでやってきますが、その時、自分自身に力がなかったり、出会う方と大きくステージが違ったりすると、残念ながらそれはご縁とはなりません。同じステージにいるからこそ共鳴し、響き合える関係を築くことができるのだと思います。どうすれば出会い力を高め、幸せな人生を過ごすことができるのか?私の持論は、自分自身の考え方や生き方が大事。一つ目は目の前にあることを誠実に一生懸命に取り組む。目の前にあることを一生懸命にできないのに、幸運が飛び越えてやってくることは、まずありません。二つ目は自分の周りにいる人を大切にし喜んでもらう。周りを蔑ろにして、新たに人を入れ替えても良い人と出会える訳もありません。
年収1億円以上の人へ成功の秘訣は何?とアンケートを取ると、①心身ともに健康であること②正直であること③自分の仕事を愛すること だそうです。
私はまだまだ夢の途中、これからが本番です。本年もよろしくお願いいたします。
2016/01/01 -
2015.12.01
やっちゃえ日産
「2種類の人間がいる。やりたいことをやっちゃう人と、やらない人。やりたいことやってきたこの人生。おかげで痛い目にもあってきた。散々恥もかいてきた。誰かの言うことを素直に聞いてりゃ、今よりずっと楽だったかもしれない。でもね、これだけは言える。やりたいことやっちゃう人生のほうが、間違いなく面白い。俺はこれからも、やっちゃうよ。あんたはどうする?」これは日産のテレビCMで矢沢永吉さんが、これまでの人生を振り返って生き方を伝えてくれている言葉です。「挑戦」と「成功」という言葉が脳裏に浮かびました。
考えてみると私も随分挑戦し失敗と挫折を味わいました。20代には自身の器不足から社員がいっぺんに辞めてしまい、死に物狂いで働くはめになりました。30代では阪神淡路大震災により神戸エリアは壊滅、全てがゼロとなりました。40代では新規事業が自身の事業計画の甘さゆえ、ことごとく失敗に終わりました。しかし、失敗や挫折を繰り返しても「上へ行く」という燃える想いは消えませんでした。それどころか、どうしてこんな結果になったのか?どうやったら改善できるのか?と自問自答しながら考え、悩み抜いて、失敗しても挫折しない答えを導き出せました。50代になった最近も経営を揺るがすような取引先の制度改革がありましたが、まったく大丈夫でした。そのうえ、そのおかげで経営を見直し、強い経営ができるようになりました。答えは、意外と簡単で心の受け止め方を変えただけなのです。起こるアクシデントに対して、全てを感謝し受け止め、楽しく改善する。日頃から前向きな言葉を口にして、ありがとう。感謝。うれしい。元気。楽しい。ツイてる。アクシデントを良き出来事のごとく受け取る。受け止め方が変わると結果も変わるようになりました。
私の友人にリース会社最大手の創業社長の息子がいます。友人はリース会社と関わらずに生きています。不思議に思い聞いたことがあります。「なぜ、リース会社と関係なく生きるのか?」友人は子供の頃から「リース会社は継がせないから、自分の好きな人生を生きなさい」と育てられたそうです。「なぜ、継がせたくないのかな?」と質問すると友人は「父親は自分が一から会社を興して楽しかったから、息子にもそうさせたいと思ったんじゃないかな」とのこと。その言葉通り友人は自分で介護系ビジネスを立ち上げました。起業まもなくの頃、笑い話のようですが、父親の経営するリース会社にコピー機のリースを申請したら断られたことがあったようです。父親に言えば訳無いことなのに自分の素性を隠して、アクシデントをバネにして努力したようです。一度だけ経営危機があり、父親に助力をお願いしたことがありました。「経営状況が悪いので、資金を貸して欲しい」。父親は「そんな経験はなかなかできるものじゃないから、経験のために潰したらどうだ」「潰せ、潰せ」と。息子の気持ちを知ってか、知らずか、息子の状況を楽しんでいました。でも最近その真意が理解できたようです。「仕事は楽しく。仕事が遊び、遊びが仕事。楽しんでいる人には、いくら努力してもかなわない。」と。
私も友人を見習い、もっともっと、やっちゃいます。やっちゃえ デミック!!
2015/12/01 -
2015.11.01
情報化
年々、時の過ぎゆくスピードが早く感じるようになってきました。あまりに忙しい日常に疑問を感じ、1日のスケジュールを確認してみました。すると、過去まったく使わなかったことに随分時間を使っていることに気付きました。それは携帯電話を触っている時間でした。携帯電話と言っても電話をかけている時間ではなく、Facebookで経営者仲間から発信される情報の受信、LINEで個人的なコミュニケーションや、グループでくくった部署ごとの情報の受発信と共有に要する時間です。SNSを始めたきっかけは仕事でした。最初はこんなに便利なものは無いと大絶賛でしたが、いつの頃からか頼んだ訳でもない大量に飛び込んでくる情報に、興味を持ち個人的に共鳴できる人の情報を選んで読むようになりました。私にとってSNSは情報を便利に早く収集できる反面、不必要な情報も無駄に見てしまうこともあり、効率が良いのか、悪いのか、どちらか甲乙つけ難いというのが今の状況です。過去電話で話をしたり、文章に書いたりしていたコミュニケーションや情報収集が、今は全てが携帯電話の画面の中にあります。こういう社会を情報化社会と言うのかもしれませんね。
SNSとはソーシャル・ネットワーク・サービスの略。その名の通り社会的な繋がりを作り出せるサービスで、SNSに登録し、誰かと繋がり、日記を書いたり、誰かの日記にコメントをつけたりすることで、情報交換や会話を楽しむことが出来ます。つまり、SNSに登録することで、知らない人や知っていたけれど交流がなかった人とコミュニケーションを楽しむことができます。このSNSの出現により、大きく世の中が変わったと感じています。それを、強く感じたのはアラブの春でした。SNSにより反政府デモが起こり、政府すら倒してしまう民衆の結束力の一助となりました。また、身近なところでいうと商談前から、その商談相手の情報を知ることができます。
情報化社会は人と人との関わりが薄くなり、人と簡単に繋がることができますが、逆に簡単に切ることができる社会だと思います。だからこそ、誰と繋がるかが大事なことだと思います。何を信じるのか、何を信じないのか、それを決める決断は結局誰が発信しているのかだと思います。結局は人なんですね。人と人との誠実な関わりによって人生は彩られます。「その人がどんな人であるのかを知るには、その人の周りにどんな人がいるかでわかる」。最近、この言葉の意味も理解できるようになりました。人との縁、時代との縁。縁あってこの時代に生まれました。何のために、何を残すために、そのためにどう時間を使うのか。人生は長いようで限られています。思うことがあれば、立ち止まって考えてみる。やりたいことがあれば、まずはやってみる。「今」その時を、付き合いたいと思う人と付き合う。付き合いたいと思えない人とは付き合わない。情報化社会はうそ、ごまかしがきかない社会。誠が如実に一気に拡散する社会。本物がより一層活躍する世の中であり、力を発揮する世の中だと考えます。情報化社会で活躍できる本物でありたいと思います。
2015/11/01 -
2015.10.01
若さの秘訣
テレビでおばあちゃんが20年以上かけて作り上げたお花畑が紹介されました。北海道帯広の十勝平野に広がる紫竹ガーデンです。紫竹昭代さんは56歳の時、4歳年上の夫を亡くしました。その後数年、失意の日々を送っていましたが、泣き暮らしていては天国の夫も安心できないと一念発起し、18,000坪の農地を購入、観光農地「紫竹ガーデン」をオープンさせました。63歳から一本、一本愛情込めて植えられた木々や花々は大きく育ちました。それから20年以上が経った今では、日本国内だけでなく、台湾、シンガポール、韓国、香港などアジア各地から大勢観光客が訪れる北海道の一大観光名所となりました。御年88歳なった昭代おばあちゃんに健康の秘訣を聞くと、よく食べて、よく寝る、そして、わがままを言うことだそうです。
最近の「脳の研究」でわかったそうですが、「脳細胞は、死ぬまで増え続ける」とのこと。そして、「新しいことを体験する」と、脳は最も刺激されて、ググッと活性化していくのだそうです。逆に、「毎日毎日同じこと(それ自体が良い悪いではない)」を「面白くないなあ」とか「面倒くさいなあ」などと思いながら、過ごしていると大変です。同窓会で昔の友達に会った時に、「あんた、どうしたの?」と言われてしまうぐらい老けてしまいます。しかし、それは、その人の責任ではなく、環境の責任だというわけです。「老けていく」「脳が死んでいく」その最大の要因は、「変化」がなく、「感動(喜怒哀楽)」がない環境を、自分が作ってしまっているから、脳がどんどん老化してしまうのですね。そういえば思春期の頃、毎日が初めてのことの連続でワクワクすることばかりだったように思います。また、私の周りにいる年齢より若く見える人は、例外なく、常に新しいことにチャレンジし、何事にも「好奇心旺盛」で「感動」する人が多いような気がします。食べたことのないものを食べてみる。やったことのないことをやってみる。行ったことのない場所に行ってみる。話しかけたことのない人に話しかけてみる。何でもいいと思います。今日は何か「今までに自分のやったことのないこと」をやってみてはいかがですか。
私の敬愛する先輩お二人に「若さの秘訣は初めてのことをする」話をしました。すると、75歳の先輩は「オレは100年委員会・サンデー企画を作った。あと何年生きられるかを考えて生きるのは楽しくない。だから、自分で100歳まで生きるというゴールを決めた。そうすると、何年生きられるか、何年元気でいられるか、という考えが、まだ25年生きられる、何でもできる、という発想に転換されるんや。」と話されました。サンデー企画の意味を聞くと「毎日が日曜日だから」だそうです。また67歳の先輩は、「大往生の意味を知っとるか」と聞かれたので「教えてください」と尋ねると「90歳以上元気で生きることは当然。万が一寝込んでしまったら、3日以内に死んだらなあかん。そして、死ぬその日まで孫やひ孫が遊びに来たら、小遣いの2、3万も渡せる。そんな甲斐性が必要。そんな人のことを大往生と呼ぶんや」と話されました。逆に元気の秘訣を教わりました。
紫竹ガーデンを作られたおばあちゃんは成功するためにお花畑を始めたのではない。楽しみながら精魂込めてお花を植えていたら、綺麗なお花を見に来る人が増えていた。ケンタッキーの創設者であるカーネル・サンダーソンはFC展開を始めたのが65歳だったそうです。夢や成功を追いかけるのに年齢は関係ない、やる気×能力+楽しむことが必要なのかもしれませんね。
2015/10/01 -
2015.09.01
ダライラマ – 2
ダライ・ラマ14世(80)はチベット仏教の最高指導者であり、1959年から50年以上も亡命生活を続けています。ノーベル平和賞を受賞して、世界中から注目を集めるリーダーの一人です。世界に散らばるチベット系の人々の中心に「観音菩薩の生まれ変わり」と信仰される一方で、中国政府からは「分離主義をあおる悪魔」と非難されています。以前にもダライ・ラマについてコラムを書いたように思いますが、偶然見かけたダライ・ラマの言葉に心が満たされ、温かい気持ちになりました。よかったらどうぞ。
1、大きな愛や仕事を手に入れるには、大きなリスクがつきものである
リスクは人生における全ての大きな機会に関与しているものだということを心に留めておいてください
2、望むものが得られないことは、時に素晴らしい幸運を引き寄せてくれる
あなたの希望通りにならない時もあるでしょう。でもそれは宇宙からの贈り物だと思って受け止めてください。あなたの望まないことが、時には幸運を引き寄せてくれるきっかけになるものです。
3、ルールを破るために、ルールを学べ
ルールは破られるものです。だからどう適切に壊すべきかを知るためにも、ルールを学ぶ必要があるのです。それが処罰を避ける手段でもあります。もし、既存のルールがいつまでも疑問視されなければ、我々の文明は停滞したままかもしれません。
4、変化を受け入れても、大切な価値観は失わないこと
この世界は常に変化しています。変化を受け入れ、輝かしい未来を手にしましょう。ただし、自分の価値観は失わずにいることが大切です。
5、あなたの知識を分け与えよう、それが不死への道である
あなたが生涯で得た知識を周囲の人に分け与えましょう。それこそが、不死を達成するための方法です。さらに重要なのは、あなたの失敗を共有することです。他の人が同じ過ちを繰り返さないために。
6、私たちが住んでいる場所、地球に優しくしましょう
地球は私たちが住んでいて、これからも住み続けていく場所であるのは明らかな事実です。地球を傷つけることは、自分自身と子どもや愛する人の未来を傷つけていることになるのです。
ダライ・ラマの言葉は人生を幸せに生きるルールのようなものだと感じました。私たちの運命は今の習慣(ルール)で作られているということ。言い換えると、今の習慣(ルール)を見つめると未来がみえるということ。「いつか、習慣を変えようと思っている。きっと誰かがきっかけを与えてくれるだろう…。」「いつか」はいつまでもこない。自らの運命をつくっていくには、今決めて、変わるしかない。まずは小さい習慣から少しの間だけでも始めてみてはどうでしょうか。 -
2015.08.01
SUITS スーツ
最近、アメリカのUSAネットワークで2011年から放送されていたテレビドラマ「スーツ」にはまっています。アメリカのテレビドラマのクオリティがこの10年ぐらいで格段に良くなったと言われています。地上波を凌ぐ勢いで、ケーブル局が質の高いオリジナルドラマを作り、最近ではインターネット配信ドラマも映画並みのクオリティを誇っているようです。その中でもこのドラマはピカイチだと思います。仕事の休憩中や車での移動中にDVD約20本を一気に観てしまいました。素晴らしい脚本(ストーリー)とリズミカルに交わされる台詞(セリフ)のテンポの良さに一瞬たりとも目を離せない。なぜこんなに愉快に言葉のキャッチボールができるのだろう、ともう夢中。テーマは「成功と競争」。超エリート集団のクリエイティブで奥深い仕事とその対価の莫大さが面白さを倍増させます。
主人公・ハーヴィは大手法律事務所ピアソン・ハードマンで働く凄腕弁護士。難しい訴訟を解決に導くクローザーとして一目置かれる存在だが、部下を持ちたがらない一匹狼。そんな彼を見かねて所長のジェシカは、昇進と引き換えに部下のアソシエイトを雇うことを命じ、ハーヴィは仕方なく面接を始める。もう一人の主人公・マイクは祖母の入院費を稼ぐため、マリファナの運び屋まがいの仕事を引き受けていたが、それが警察の罠だと見抜き、偶然面接会場へ逃げ込む。そこでハーヴィは、マイクが天才的な頭脳を持っていることをすぐに見抜き、採用を決める。しかし、ピアソン・ハードマンは、ハーバード大学のロースクール出身者しか雇わない事務所。ハーヴィはマイクの経歴を詐称することを提案し、2人は秘密を共有する運命共同体となり、数々の訴訟に挑んでいきます。
このドラマを観るとアメリカ社会の日本社会との違いを感じることができます。一番大きく違うと感じたのは、地位や長幼の差に関わりなく意見を戦わせ、正しい見方なら躊躇なく採用する実力主義。そして、言葉。英語は日本語と違い曖昧さがないので勝つか負けるか、白か黒かなどはっきりします。エリート社会ではそれがより一層色濃く反映していました。はっきり勝敗を決める価値観から訴訟が多くなるのだと。だからこそユーモアの文化が発達したのではないのでしょうか。私が最も共感できたのは、ハーヴィの人間性についてのジェシカが弁護するシーンでした。「思いやりのないふりをしているけど、実は違う。あなたは職場の同僚や上司をいつも気遣っている。クライアントのことも一人一人大切にしている。あなたはそれを知られたくない。どうしてなの?答えられない。恥ずかしい。怖い。どうしてそこまで拒むの?思いやることは何が悪い?」「思いやりのある人は『弱い』。」「人に甘いといいようにあしらわれる。あの日のあなたは強かった。ただ勝てばいいのではなく、正々堂々と勝つことが大事だと信じていた。今でもそう!いいようにあしらわれたことは一度もない。」「弱い」のセリフはジェシカとハーヴィが二人同時に発するのですが、今更ながら、思いやりがあるだけではダメ、やさしいだけでもダメ、強さや正しさを合わせ持たなければ何の価値もないと実感しました。 -
2015.07.01
先人に学ぶ知恵
先日、所属するロータリークラブで良い話を聞くことができたので、ご紹介させていただきます。
戦国時代の3武将の性格を表すお馴染みの歌があります。「鳴かぬなら 殺してしまえ ほととぎす」は織田信長。「鳴かぬなら 鳴かせてみせよう ほととぎす」は豊臣秀吉。「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ほととぎす」は徳川家康。では、「鳴かぬなら それもまたよし ほととぎす」と詠んだのは誰でしょうか。経営の神様と名高い松下幸之助です。幸之助さんは「自分は信長、秀吉、家康より偉い」と側近社員に言っていたと伝わっています。「信長、秀吉、家康では誰が一番偉いと思う。信長は偉いな、うつけと言われながらも今川義元を桶狭間で破った軍略の天才、常識にとらわれない発想の持ち主や。けど、秀吉はもっと偉い、信長の悪かったところを学んで、周りへの気遣いを忘れない”人たらし”で、百姓から天下人へと登りつめた。だから、信長より秀吉が偉い。けどな、家康はもっと偉い。自分の代だけで栄華が終わった秀吉の良いところ、悪いところを学んで、江戸幕府が未来永劫まで続く仕組みを考えた。だから江戸幕府は260年も続いた。だから秀吉より家康の方が偉い。けどな、信長よりも、秀吉よりも、家康よりも実は僕の方が偉いんやで。だって、僕はな、信長と秀吉と家康の良いところを勉強して経営に活かしてるからな。」さすがに経営の神様の自慢話は含蓄があります。しかし、まだ続きがあります。「けどな、君の方がもっと偉くなれるんや。信長と秀吉と家康と僕の『良いところ』も『悪いところ』も利用するだけ利用できるんやから。そうすれば、ゼロから始める人よりも、早く先人を乗り越えられるやろ。」偉くなるために先人の知恵を利用しろと社員を叱咤激励していたそうです。
ニュートンはこんなことを言っています。「私が遠くを見ることができたのは、巨人たちの肩の上に乗っていたからです。」これは、自分の発見はガリレオやコペルニクスなどの先人たちの研究があればこその意味です。ニュートンのような天才でも何のてらいもなく先人たちに学んでいて、そしてそれを公表していました。ビスマルクは賢いものは「歴史」に学び、愚かなものは「経験」に学ぶと言っています。自分の経験できることは限られています。一方、「歴史」は失敗と成功のオンパレードです。謙虚に歴史に学ぶ方が賢いということです。最後にもう一つ、「過去から学び、今日の為に生き、未来に対して希望を持つ」。アインシュタインの言葉です。
自分自身の仕事や人生を振り返ってみると、自分で考え実行したことよりも、先人の知恵を真似て実行したことの方が上手くいくことが多かったように思います。天才たちの話では、天才はポッと、単独で生まれるのではなく、天才は天才の知恵を上手く活用できた人が天才と言われるような人になるようです。誰から知恵をもらうのかが、過去は大事な時代だったのですね。最近はインターネットやフェイスブックなどで簡単に有益な情報や先人の知恵を利用できる時代になりました。しかし、情報が多すぎて選択する側の考え方や心のあり方、価値観などが情報収集に反映される時代になったようにも思います。また、集めた情報や知恵をどう使うのかが大事な時代なのだと思います。結局、人ですね。
10年後どうなっているかより、今誰と出会うのかが大事ですね。結局、人ということですね。