Column 社長コラム
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2018.06.01
復活・羽生結弦
平昌オリンピックを観戦し、感動すると同時にスポーツの力に改めて驚かされました。今回のオリンピックは、開催前から多くの楽しみがありました。フィギュアスケート復活するか羽生結弦、男子ジャンプのレジェンド葛西紀明、女子ジャンプ今度こそ高梨紗羅、女子スピードスケート小平奈緒と高木美保など、ドキドキとワクワクの連続でした。その中から、私が感動した「復活・羽生結弦」と、次号で「小平奈緒とイ・サンファ 最高のライバル」について書かせていただきます。
羽生選手は2017年11月NHK杯前日の公式練習にて右足首を怪我し、3ヶ月後に控えた平昌オリンピックへの出場が危ぶまれました。羽生選手の復帰舞台は、平昌オリンピックぶっつけ本番のショートプログラムでした。「果たして本当に跳べるのか?」日本中のファンはそんなことを考えていたに違いありません。しかし、そんな周囲の不安をはねのけて王者は華麗に、そして完璧に氷上を舞ってみせました。「これでどうだ」と言わんばかりの鬼気迫る、今までに見せたことのない表情でフィニッシュしました。その後、リンクは割れんばかりの拍手と歓声、多くのファンから花束やくまのプーさんが投げ入れられました。羽生選手の復活を待ち望んでいたファンの多さを物語っていました。それはオリンピックの舞台ではなく、まるで羽生選手のワンマンショーの舞台のように思えました。オリンピックをワンマンショーに変えた羽生選手の凄さ、偉大さを目の当たりにし、この瞬間、金メダルを確信しました。当たり前のことですが、他選手達は力を発揮することはできず、思った通りの結果となりました。まるで、羽生選手のために用意された平昌オリンピックだったように思います。
ソチで金メダルを取ってからの羽生選手は、決して順風満帆ではなく、怪我や風邪と戦う4年でした。では、なぜ逆境の中で今回も金メダルに輝くことができたのでしょうか。羽生選手の言葉から紐解いてみました。「怪我で練習できない間、大学で筋肉解剖の論文やトレーニングのプランニングを学べました。」「計画通りきています、頭で半分取ったようなもの。」「世界中からこんなに応援される選手はいない。その限られた一人の選手として皆さんからパワーをもらっている。怪我も風邪も多い、なのに試合で力を発揮できるのは皆さんの応援があってこそ。」「僕は五輪を知っている。大きいことは言うなと言われるかもしれないけれど、僕は元オリンピックチャンピオンなので。」「褒める部分はない、まだ足りない部分ばかり、誰が取ろうが、僕も取ります。」
2月11日に平昌入りし、12日には本番のリンクにてわずか10数分の初練習。コーチ陣と握手、手応えをつかんだ様子。13日40分間の練習では美しい跳躍をアピール、14日、15日も軽く練習、16日ショートプログラム本番。このようなスケジュールで本番を迎えるわけですが、私が感じたことは、怪我で滑走練習できなかった日々を学びによってプラスに変えた。練習ができないのでオリンピック本番からの逆算でリスケジュールできた。滑走練習をできなかった分リンク外でのイメージトレーニングや筋トレなどを充実させた。その場、その時に、ただひたすらやれることをやってきた自信の裏返しでしょうか、12日の10数分の練習でやれると確信できた。などの理由で羽生選手が言うように怪我をしたからこそ連覇ができた、というのはうなずける話かもしれません。
そして忘れてはならないのは、羽生選手の発言の中心には、いつもファンへの気遣いや心遣いが感じられます。「ありがとうございます」「感謝します」など、いつもこのような言葉が前か後ろについています。4月23日、仙台にて10万人を集めたパレードで魅せた羽生選手のファンサービスの高さ、それに答えるファンの応援力を観て、一番の勝利要因は感謝する力のように感じました。
過去に、経営者数人で「どういう人材を引き上げたいか?」という話をしたことがあります。いくつか出た答えの中で、皆に共通していたのは「いつも自然に感謝できる人」でした。感謝できる人は上司、部下、取引先、お客様、など周りから好かれます。ちょっとした親切を忘れず、折に触れ感謝できたら、きっと周りももっと応援してあげたいという気持ちになるはずです。逆に感謝できない人は周りの親切や気配りが見えません。もしくは、すぐに忘れてしまいます。そうやって、感謝できる人、恩を忘れない人の評価は上がります。一流経営者は「受けた恩を忘れないというだけで、ある程度成功できる」と言います。羽生選手はフィギュアをやっていく過程で、多くの人の力を借りたことを忘れず、感謝の心を持ち続けている、それこそが羽生選手の強さの秘訣かもしれません。「ありがとう」を日常生活に増やすことができれば、人生に跳ね返ってくるかもしれませんね。感謝は高潔な魂の証。
2018/06/01 -
2018.05.01
君たちはどう生きるか VOL.4 ~ナポレオン~
主人公コペル君の友人ガッチンは、上級生から目をつけられ、強くなりたいという願望からナポレオンに強い憧れがありました。そして、コペル君たちがおじさんにナポレオンのことを教わる場面が書かれています。あまりに有名なフランスの英雄ですが、私はこの本で知るまで、深くナポレオンを知る機会がありませんでした。
ナポレオン・ボナパルト(1769~1821)、コルシカ島の落ちぶれ貴族の12人兄弟の4番目として生まれる。幼少期ナポレオンは無口で友達の少ない小柄な少年。フランス革命期の1784年パリ陸軍士官学校入学、24歳トウーロン島要塞を攻め落とした活躍により少将となる。その後、有名なアルプス越えの勝利を皮切りに、どこへ行っても勝利、勝利、勝利。フランスへ帰ってきたときにはパリ中の人気を一身に集めて凱旋将軍となっていた。少将からわずか10年、35歳で皇帝へと上り詰め、ヨーロッパ大陸はほぼナポレオンに服従していた。この時ナポレオンは文字通り王様の中の王様だった。
ナポレオンはとにかく強かった。わずか10年の間に一人の貧乏将校から皇帝の位まで一息に駆けのぼってしまった。国内の問題も外交も引き受けただけじゃなく大戦争を三つも四つもつづけざまに指揮した。ナポレオンは、どんな状況でも決して屈することがなかった。
一人の人間が、これほどまで強く、これほどまで活動的になれるものかと思うと、誰だって驚嘆しないではいられない。ゲーテのように、人道と平和とを愛し、人類の進歩に大きな希望をつないでくれた文豪でさえ、ナポレオンの話が出ると、いつもその湧き出るような活動力と天才的な決断力とを心から感嘆して語っていたくらいだ。
しかし、絶頂のナポレオンはわずか数年で破滅へと落ちていきます。ロシアへの遠征の大敗を機に、勢力範囲の国々が次々と反旗を翻し、戦いに敗れて捕らえられエルバ島に流された。エルバ島から脱出し、兵を集め、最後の決戦に挑むがこれも敗北に終わる。ナポレオンは捕虜となり、イギリス海軍によりイギリス本国へつれてこられた。
イギリスに着いて以来、ナポレオンはずっと船室にとじこもったまま暮らしていたので、波止場に集まった人々は彼の姿を見たいと思っても見ることができなかった。ところが、ある日、ナポレオンは久しぶりで外の空気に触れたくなり、とうとうその姿を甲板にあらわした。
思いがけず、有名なナポレオン帽をかぶった彼の姿を、ベルロフォーン号の甲板の上に認めたとき、数万の見物人は思わず息を呑んだ。今まで騒ぎ立っていた波止場が一時にシーンとしてしまった。そして、その次の瞬間――、数万のイギリス人は、誰がいい出すともなく帽子を取って、無言で彼に深い敬意を表して立っていたのだ。
戦いにやぶれ、ヨーロッパのどこにも身の置きどころがなく、いま長年の宿敵の手に捕らえられて、その本国につれてこられていながら、ナポレオンは、みじめな意気阻喪した姿をさらしはしなかったのだ。とらわれの身となっても王者の誇りを失わず、自分の招いた運命を、男らしく引き受けてしっかりと立っていたのだ。
そして、その気魄が、数万の人々の心を打って、自然と頭を下げさせたのだ。
流星の如く現れた場面と、捕虜となって囚われた場面、どちらも同じナポレオンの人生です。人々から見ると2つの場面でナポレオンの境遇は違って見えたのかもしれません。しかし、ナポレオンは自分の使命を、その時、その場面で果たしたに過ぎなかったのでしょう。時間があればナポレオンの残した功績を勉強したいと思いました。
参考文献:原作 吉野源三郎 漫画 羽賀翔一『漫画 君たちはどう生きるか』マガジンハウス,2017
2018/05/01 -
2018.04.01
君たちはどう生きるか VOL.3 ~貧乏について~
80年前に書かれたこの本にはその頃の貧しさについての考え方が書き綴られています。「コペル君、君も大人になってゆくにつれて、知って来ることだが、貧しい暮らしをしている人というものは、たいてい、自分の貧乏なことに、引け目を感じながら生きているものなんだよ。自分の着物のみすぼらしいこと、自分の住んでいる家のむさ苦しいこと、毎日の食事の粗末なことに、ついはずかしさを感じやすいものなのだ。」「人間の本当の値打ちは、いうまでもなく、その人の着物や住居や食物にあるわけじゃあない。どんなに立派な着物を着、豪勢な邸に住んでみたところで、馬鹿な奴は馬鹿な奴、下等な人間は下等な人間で、人間としての値打ちがそのためにあがりはしないし、高潔な心を持ち、立派な見識を持っている人なら、たとえ貧乏していたってやっぱり尊敬すべき偉い人だ。だから、自分の人間としての値打ちに本当に自信を持っている人だったら、境遇がちっとやそっとどうなっても、ちゃんと落ち着いて生きていられるはずなんだ。僕達も人間であるからには、たとえ貧しくともそのために自分をつまらない人間と考えたりしないように、また、たとえ豊かな暮らしをしたからといって、それで自分を何か偉いもののように考えたりしないように、いつでも、自分の人間としての値打ちにしっかりと目をつけて生きてゆかなければならない。貧しいことに引け目を感じるようなうちは、まだまだ人間としてダメなんだ。」人の価値に貧しさ、豊かさは関係がない、高潔な心と立派な見識が大事なことだと書かれています。
80年前はまだ太平洋戦争が始まる前でしたが、貧しい人が多かったことがよくわかります。その後、戦争に負けて焼け野原にされもっと貧しくなりましたが、先人たちの努力により見事に復興し、日本は経済大国になりました。しかし今、貧しいことや生活保護を受けていることを恥ずべきことだと実感している人は少ないように思います。どちらかと言うともらえるものはもらわなければ損だという風潮が蔓延しています。今の日本は、豊かになる努力をしない人が、豊かになる努力をして一生懸命に働く人に支えられています。どうもやりきれない時代に変化してきたように思います。「モノの豊かさ」と引き換えに「心の豊かさ」を無くしてしまったように感じているのは私だけでしょうか。「損得」の価値観が強くなりすぎて「善悪」の価値観がないがしろにされているようで、残念でなりません。江戸時代の寺子屋のように、人の生き方や倫理観を養う場が現代はあまりに少ないように思います。「相手の立場に立つ」「人の幸せを考える」など世界の国々のお手本となるような、日本人の素晴らしい国民性を無くしてはいけませんね。
私の幼少期、父は「自分の人生を試してみたい」と起業しました。最初は右も左も分からない商いの世界で苦労し、家は貧しかった記憶があります。しかし、一年365日休みもなく、朝早くから夜遅くまで一生懸命に仕事をこなし、徐々に普通の暮らしができるようになりました。そんな、頑張っている父の背中を見て育ったことが、私の人格形成にとても良かったと感じています。長い人生には、どんなに避けようとしても、どうしても避けて通れない厳しい道があります。そんな時、愚痴や弱音を吐かず黙って歩くことができたのは、父の背中を見て育ったからだと思います。生きていると厳しいことや苦しいことは必ずありますが、そんな時にこそ人間としての魂が磨かれます。男は強くなければ生きていけない、優しくなければ生きて行く資格がない、強さ優しさの根底にあるモノは正しさでなければならない。
参考文献:原作 吉野源三郎 漫画 羽賀翔一『漫画 君たちはどう生きるか』マガジンハウス,2017
2018/04/01 -
2018.03.01
君たちはどう生きるか VOL.2
「君たちはどう生きるか」の漫画を読み進めていくと、いじめっ子といじめられっ子、それを取り巻く子供達の人間関係や成長が描かれています。主人公コペル君のクラスメイト、いじめられっ子の浦川君は油揚げ屋さんの息子で、毎日弁当のおかずは油揚げだけです。いじめっ子の山口君一派は浦川君を“あぶらあげ”と呼びバカにします。周りの子供達は、何か言ったら次は自分が狙われると思って誰も何も言えません。しかし、ある日“ガッチン”と呼ばれる正義感の強い子が立ち上がります。「卑怯だぞ山口、弱いものいじめをして」ガッチンと山口君のつかみ合いが始まりました。すると、クラスの大半がガッチンの味方につき、山口君に襲い掛かります。その時意外にも、いじめられていた浦川君がみんなに「許してやっておくれ」と、言って自分をいじめていた山口君を助けます。周りの勢いに乗っかって、山口君に仕返しをしたい気持ちもあったはずですが、一方的にいじめられることがどれだけ嫌だったか、周りの流れに勇気を振り絞って逆らいました。浦川君は本当に立派でした。おじさんのノートには、「英語や数学なら、僕にでも教えることはできる。しかし、人間が集まってこの世の中を作り、その中で一人一人が、それぞれ自分の一生をしょって生きてゆくということに、どれだけの意味があるのか、どれだけの値打ちがあるのか、ということになると、僕はもう君に教えることはできない。」と経験の大切さが書かれています。
昔、新入社員に飛び込み営業研修は「負ける練習」だという訓示をしたことがありました。「みなさんは大学を卒業するまで立派なご両親に支えられて、何不自由なく生きてこられたと思います。今回、初めて就職して自分の足で立ち、自分の足で歩かなければなりません。それが生きていくと言うことです。飛び込み営業でお客様のお宅に訪問してもほとんどの方に受け入れられません。その状況の中で、どうしたらお客様に話を聞いていただけるか、どうしたら受け入れられるのか、それを考えて欲しい。前もってその地域のことを調べたり、販売する商品のことを調べたりすることが、最低限必要です。それでもほとんどの方に話を聞いてもらえないと思います。それこそが負ける練習です。長い人生では、カッコよく勝つことよりも無様に負けたり、だらしなく恥をさらしたりすることの方がはるかに多いはずです。人は負け方を知るとやさしく温かい人間になれると言います。負けること、恥をかくことを素直に受け入れることができると、人として楽に生きることができるようになります。」
私たちは誰もが、人間関係の中で生きなければなりません。そして、自分を取り巻く人間関係の中でしか自分の「道」は見つかりません。だからこそ、良い人間関係が、良い「自分の道」をつくるための必須条件だと思います。私たちは、自分にとって大切な人との関係を大切にしなければ、「自分の道」を見出し、作り上げていくことはできないように思います。家庭でも、地域社会でも、職場でも、大切な人を大切にしながら、気負わずに生きていけたらいいなと思っています。
着実に「自分の道」をひらいていくためには、自分の目で見たもの、自分で感じたものを大切にすることが大事だと思います。人生を生きていると数学のように答えがあるものだけではなく、簡単に答えを見出せないことも多々あると思います。道は自分でつくる。道は自分で開く。人のつくったものは自分の道にはなりません。自分の目で見たもの、自分で感じたものを一番信じる。後悔のないように、自分の道を自分らしく歩いていきたいですね。
2018/03/01 -
2018.02.01
君たちはどう生きるか VOL.1
最近読んだ漫画「君たちはどう生きるか」に大きく心揺さぶられたので紹介させていただきます。原作者は吉野源三郎氏。今から80年前、1937年に新潮社から刊行された児童文学を羽賀翔一氏が漫画としてリニューアルしました。主人公は15歳の少年・本田潤一、あだ名は「コペル君」。父親は3年前に他界して、母親と暮らす。母の実弟「おじさん」と仲が良く、漫画ではコペル君の体験とおじさんのノートが交互に登場するつくりになっています。ある日2人で出かけたデパートの屋上。コペル君には屋上から見える人の流れが、まるで水の流れのように見えました。「目を凝らしても見えないような遠くにいる人たちだって、世の中の大きな流れを作っている一部、もちろん近くにいる人もおじさんも僕も」。自分の都合だけで捉える狭い世界から「広い世の中」の中にいる自分を見つめ直します。おじさんは、地球が宇宙の中心という天動説から、地球が太陽の周りを回っているという地動説を唱えた、コペルニクスのような発見だったとノートに書き記します。昔の人はみなコペルニクスが地動説を唱えるまで、太陽や星が地球の周りを回っていると信じていました。これは、一つはキリスト教の教会の教えで、地球が宇宙の中心だと信じていたせいもありますが、もう一歩深く考えると、人間はいつでも自分を中心としてモノを見たり考えたりする性質を持っているためなのです。ところが、コペルニクスがどうしても説明のつかない天文学上の事実に出会い、頭を悩ました末、思いきって地球の方が太陽の周りを回っていると考えてみると、今まで説明のつかなかったことが綺麗な法則で説明がつくようになりました。その後ガリレイやケプラーが研究を続け、今日では地動説が当たり前のことになりました。子供の頃は誰しも天動説のように自分を世の中の中心において物事を考えます。それが、子供から大人へと成長するにつれて大きな世の中で生きる自分を理解するようになります。
私が昔熱狂したキャロルという伝説的なバンドを思い出しました。キャロルはキャバレーでのバンド演奏を経てメジャーデビューを果たし、大ヒットを飛ばしますが、2年半後に電撃的に解散しました。そのリーダーが矢沢永吉でした。矢沢は「本気で成功する」と心に決めて広島から上京しました。他のメンバーは好きな音楽を楽しみ、デビューすることを最終目的に考えていたのだと思います。当たり前ですが音楽に対する姿勢も将来についても真面目に考えている矢沢とでは、ずれが生じてきます。矢沢はやっと軌道に乗ってきたので解散はしたくなかった。しかし、他のメンバー主導で解散が決まりました。矢沢は「俺はスーパースターになってやる」と、言葉通りの生き方をし、他3人とは大きく生き方が違っていきます。
天動説的な生き方をするか、地動説的な生き方をするかで人生は大きく変わります。大きな視野を持ち、目標を掲げ、自分自身を高めていくと、知らず知らずのうちに目標や夢のあり方が変わり、価値観や生き方が変わっていきます。同じように生きていても、普通の人たちに見えないものが見えるようになり、存在感が増し、周りから浮いた存在になることもあります。そこで大事なことは、周りの人に間違っていると批判されようが陰口を言われようが自分の考えを信じ貫き通すことです。それこそが人が生きる上での大義だと思います。みんなで一つの輪になって肩を寄せ合う生き方は、楽で小さな幸せがそこにはあるのかもしれません。しかし、未来こうなりたい、ああなりたいという願望のある人は、そんな輪を叩き壊して、羽ばたかなければなりません。周りの人が自分に対してどんなことを思っていたとしても、それは、自分の人生とは関わりのないことだと思うから…。
2018/02/01 -
2018.01.01
日本覚醒
海外へよく出掛けるようになり、日本と海外の国々の違いを感じることが多々あります。日本人の素晴らしい点は、誠実、素直、約束や時間を守る、義理と人情などを重んじるところだと思います。日本人は基本「こんなことをしたら相手が困る」「こんなことをしたら相手はどう思うだろうか」と相手のことを気遣います。しかし、外国人は「自分がどうしたいか」この考えに基づいて行動する人が主流だと思います。どちらが良い、悪いという話ではなく、世界には様々な価値観や考え方があり、日本人の当たり前は、むしろ世界では当たり前のことは少なく、珍しいことだと認識しておく必要が有ります。そして、一昔前の海外では日本人のビジネスマンや若者が目立っていましたが、最近はどこへ行っても中国・韓国のビジネスマンや若者達の勢いを感じます。彼らの海外にかける思いは日本のビジネスマンや若者とは比較になりません。原則ルールは無用、あるとすれば弱肉強食、白か黒か、勝つか負けるか、やるかやられるか。そして未来は、中国や韓国だけではなく、多くの発展途上国が世界へ出てくるでしょう。このような環境下で、次世代人たちは日本という国を背負い戦い、生き抜かなくてはなりません。海外の考え方を知った上で、したたかさや多少のずるさも必要なのではないでしょうか。
海外に出てみよう。横並びで「個」は育たない、「個」を育てたければとにかく海外に出ることだと思います。何でもない自分、ちっぽけな自分を全身で感じて、そこから自分で立つ。個を成長させるホップ・ステップ・ジャンプがあるとするならば、ホップ「自立する」、ステップ「自信(個として)をつかむ」、ジャンプ「自由(本当の意味での)を手にする」ではないでしょうか。
バブル崩壊、政治の停滞、中国の台頭、失われた20年を経て、尚も傾き続ける日本。2030年、団塊の世代が80歳を超え、団塊ジュニアが60代に差し掛るときまでに大きな変化がなければ、日本の未来は暗雲立ち込め、もっと悲惨な状況が待ち受けているように思います。近い未来、今ある職業の40%は消えて無くなると言われています。Amazon(アマゾン)に潰された本屋、UBER(ウーバー)の出現により消えていったタクシー、やがて自動運転になりロボットタクシーになるでしょう。職業は「永遠に続く時代」から「寿命がある時代」へと変化しました。今後ますます変わりゆくスピードは速くなると思います。未来は勝手に来ています。走るコースも乗り物も大きく変わるでしょう。何が必要になり、何が不必要になるのか?どの職業がなくなり、何が職業となるのか?一つ一つ整理し、対応しなければなりません。日本の未来に憂いを感じているのは私だけでしょうか。現状を自覚し、発奮しなければ、この窮地を乗り越えることはできません。だから声を大にして言いたい。どこに向かい、何を目指すのか。ここで変わらず、いつ変わるのか。ここで動かず、いつ動くのか。ここで立ち上がらず、いつ立ち上がるのか。日本という国の未来を自分のことのように案じています。歳のせいかもしれませんね。
2018/01/01 -
2017.12.01
人生
あれこれ未来について深く考えてこなかった私ですが、最近よく残りの人生について考える機会があります。生きていると色々ありますが、病気を患い若くして亡くなった友人、会社が倒産し消息不明になった先輩など、そういう出来事に遭遇するたびに、我が身を振り返り、後何年元気に動けるのかなど考えてしまいます。これまでの55年の人生は楽しく愉快に過ごすことができ、自分なりに満足しています。人生の半分以上が過ぎた我々世代は、商売している人も会社勤めの人も最終着地点がそろそろ予測できる頃だと思います。しかし、どういう訳か、私の人生は全く未来や着地点が見えません。それどころか、まだ夢の入り口をウロウロしている気がしています。
6、7年前より、人生のテーマを「努力」から「楽しむ」に変え、全てのリミッターを外し、自由に生きるようになりました。大きな変化は「出会い」の変化でした。良き出会いは良き結果をもたらし、良き人生へと導いてくれました。多くの「出会い」により多くのビジネスパートナーと一緒にビジネスを始めました。私のビジネスパートナーとして最適な条件は行動力がある人です。何かを手に入れたいと思ったときに行動に移せるか、移せないかが重要です。ビジネスをするにあたり、能力をつけるとか、資格を取るなど、自分を有能にしていけば、ビジネスが上手くいくと思われがちですが、決してそんなものではありません。能力や経験は努力次第で積み上げることは可能ですが、行動力というポテンシャルは、思考を変えなければ身につきません。成功したビジネス、失敗したビジネス、色々と経験した結果、自分の頑張り次第で届く範囲もありますが、一方でどんなに頑張っても及ばない範囲もあることを理解しました。また、成功するビジネスというものは、宇宙の真理に背いた自分本位の欲望によって成そうとしても、滅多に成功するものではありません。自分の欲望から離れ、自分以外の何かのために励むことが成功に近いように思います。
その上で今年は人生最大の「出会い」がありました。その「出会い」は私をメキシコという国に導き、本腰を入れてメキシコでビジネスを取り組むきっかけを与えてくれました。メキシコは地球の反対側に位置し、飛行機で14時間かかり、麻薬の犯罪組織が蔓延り、治安も悪く、砂漠とサボテン、東洋人が居ない、このようにあまり馴染みがなく、決して良いイメージは無いと思います。「なぜメキシコ?」聞かれると「直感」としか言いようがありません。周囲から「やめといたら」という囁きが聞こえてきそうですが、私自身はワクワクドキドキ、思春期の頃に味わった感覚が蘇り「メキシコ大冒険の始まり始まり~」と、このような気分です。
幸せな人生とはどんな人生か、「辛いことや悲しいことが少なく、嬉しいことや楽しいことが多い人生」だと思います。人生は一度きりです。やりたいことをやり、生きたいように生きる。最近お気に入りの座右の銘は「意思あるところに道はある」です。経営者として人様の役に立てるようになりたい、日本人として日本の役に立てる人でありたい。そして、自分自身のベストはどこにあるのかをいつも探りながら、「年齢は関係無い、いくつからでも挑戦できる」「後悔のない生き方をする」。これらのことをモットーとして、残りの人生を歩みたいと思っています。そんな私の生き方に対し、理解をしてくれている家族や社員、多くのお客様に支えられている私はつくづく幸せ者ですね。
今年も一年お世話になりました。ありがとうございました。
2017/12/01 -
2017.11.01
運を引き寄せる Vol.4
私の人生で一番大きな試練は、私自身の「慢心・油断・自信過剰」から起こったように思います。当時の経営方針は「牛乳宅配事業拡大&業態変換」。まさに業界を背負っているかのごとき感覚でした。牛乳宅配事業は、営業・店舗運営・財務などの部署にそれぞれ管理職が揃っていて、順調に売上や店舗数を拡大していました。周りから見ると順風満帆に映っていたと思います。しかし、実情は売上や店舗の数だけに重きを置く経営で、肝心な利益には無頓着、利益が出ているのか出ていないのか、全く分かっていませんでした。言うなれば目隠しをして全速力で走っているようなものでした。業態変換は、「食医食」と称し、東京より管理栄養士を招き、身体に優しい食材を使用し、カロリーをカットした調理方法など「食べることで健康になる」をコンセプトに掲げ、オープンキッチン型料理教室や健康弁当を製造する弁当工場を作りました。このビジネスモデルを既存宅配店舗近くに店舗展開してマッチングを試みようと考えました。そして、そのために多くが管理栄養士などの資格を持つ新卒社員を50人以上採用しました。しかし、思い通りには事は運ばず、料理教室には生徒は来ず、弁当の販売もコスト高により、売れば売るほど赤字という有様でした。無駄な経費だけが増え、売上が増えず、新卒たちは行き場を失い、急ブレーキ、急降下の経営状態でした。
3年ほどは地獄のような日々が続きましたが、今思うと、この試練が後に大きく飛躍するために必要な宝の山だったように思います。V字回復するために、事業計画を作成、月次で経営状況を確認し、売上・店舗数拡大より利益重視、徹底的に無駄を省きました。この時の「ドン底での教え」が運を大きく引き寄せ、その後の人生を大きく飛躍させたように思います。その教えとは「感謝する心」「目標達成する強い心」が大事だということでした。ドン底で、自分だけでは何一つ達成できないことを知り、家内、子ども達、両親、ご先祖様、社員、取引先、友人にいつも感謝の気持ちを持つようになりました。毎晩寝る前には、感謝の気持ちと人生の目標を唱える、年に数回家族と共に墓参りに行きご先祖に感謝を伝える、そんな習慣が新たに始まりました。
人間の運というのは、どういう心がけを持ち、どういう行動を示すかによって変わってきます。周囲とどういう関係性を築き、周囲をどう巻き込み共鳴していくのか、それが家族や組織の機運となり、その人の運になるのではないでしょうか。実力以上に人間性や生き方が大切であり、それが周囲の評価や本人の運につながっていくと言っていいでしょう。経営の神様と言われた松下幸之助さんや本田宗一郎さんはなぜ多くの人に愛されているのか。会社を一から興し、日本を代表する世界的企業に育てました。でもそれだけではないように思えます。仕事に取り組む真摯な姿勢、社員や取引先、ひいては国民までにも尊敬される人格を備えていたからだと思います。人間の存在価値は周囲の評価で決まります。組織において個人の力だけでは、結果は出ないことがたくさんあります。真面目に一生懸命頑張っていれば、必ず誰かが見てくれている。いつもそう思わされることの連続でした。成功するためには、努力し実力がなければ辿り着けませんが、そのチャンスを与えてくれた人がいたからこそ成功することができる、そのように思います。
2017/11/01 -
2017.10.01
運を引き寄せる Vol . 3
人生(経営)には上り坂、下り坂、まさかの坂があると言われていますが、私の場合もご多分にもれず、何度かの試練がありました。今だから言えることかもしれませんが、試練こそが、運を引き寄せる最大のチャンスだと思えてなりません。これまで大きな試練が3つありました。1つは前号に書いた起業初期の頃の出来事。2つ目は1995年に起こった「阪神淡路大震災」と、同じ年の「置き薬業界大手の牛乳宅配事業への参入」でした。
起業から6年、神戸を拠点に3,200軒のお客様がいらっしゃいました。それが震災により一瞬にしてゼロとなりました。突然全てがゼロになると人間はパニックに陥ります。考えても悩んでも結論が出るわけも無く、思考が停止し無気力の状態になっていました。ボーっと車を走らせ、神戸の町並みを見ていると、壊れたスーパーマーケット・酒屋・喫茶店などが目に入ってきました。その中に同業者である牛乳屋の半分崩れている店舗が目に飛び込んできました。その時、神様の声が聞こえた気がしました「今がチャンス!」震災被害に遭い、全てがゼロになったのはみんな同じ。その同じ条件の中で誰が一番先に前を向くかが明暗を分ける。自宅待機させていた社員に「今がチャンス、前を向いてやれることをやろう」と大号令をかけました。心が前を向くと力が湧き、運気が上がったのか、明治から「救援物資の牛乳を避難所へ届けて欲しい」と依頼されました。その数1日40,000本。今まで配達していた10倍以上の量でした。人とトラックを方々からかき集め、壊れた神戸の街の体育館・公民館などに牛乳を届けました。約3ヶ月必死で配達し、救援物資の仕事が終わる頃、今まで手にしたことの無い大金を手にしました。その大金で震災被害の少ないエリアに出店し、全力で営業活動を行い、大金の全てを使い果たしましたが、その年の12月には元あった3,000軒の店舗ができあがりました。明治は被災した多くの牛乳屋がある中、なぜ私に救援物資の牛乳配達の仕事を依頼してくれたのでしょうか。振り返って考えてみると「ピンチをチャンスと受け止めた心」「誰よりも早く前を向く決断」が良かったように思えます。しかし、何よりも日頃から一生懸命に働いている姿があったからこそ、この仕事はデミックにと思ってもらえたように感じます。
さて、もう一つの試練は、置き薬業界大手のN社の牛乳宅配業界への参入でした。N社は震災から4ヶ月過ぎた頃に西宮市から営業を始め、瞬く間に全国に店舗を広げていきました。飛び込み営業のプロの仕事ぶりは「凄まじい」の一言でした。震災年度はエリアも違い営業のぶつかり合いもありませんでしたが、翌年あたりから徐々にぶつかり、コテンパンにやられた辛い記憶があります。しかし今思うと、まだまだ未熟で、経験も少なかった私が、戦力の乏しいチームを率い、戦力豊富なチームと戦うこと、この戦いは一見「恵まれない戦い(人生)」かもしれません。でも実は逆で、持たざるものだからこそ考え、工夫し、努力を重ねること、それは、不運なことではなく非常に運が良いことだと思います。戦力に恵まれて何も考えなくても勝てる人には必要のない努力。それは、恵まれている人には決して身につかない力をつけることができます。才能に恵まれていないおかげで、結果的に得られるもの。この努力のプロセスこそが運を引き寄せる最大の要因だと思います。
次号は震災から数年後に起こる、人生で一番の試練と、この試練のおかげで今の礎を築くことができた話を書かせていただきます。
2017/10/01 -
2017.09.01
運を引き寄せる Vol.2
1989年、大型量販店の店舗網が全国に広がり、コンビニも徐々に広がりつつある状況の中での起業でした。牛乳宅配事業はそれらのビジネスモデルに押されてジリ貧状態でした。同業経営者たちは「昔は良かった、今はスーパーで安く牛乳は売られているから経営は厳しい」と、さほど努力もせずに口を揃えて悲観的なことを言っていました。そんな折、明治から「神戸で販売店が廃業するので独立しないか」とスカウトにやって来ました。今思うと、なぜあの時私のところにスカウトにきたのか?今となっては真相はわかりませんが、あの頃私は父親の仕事である牛乳卸を手伝い、売上をグイグイ伸ばしていたからだと考えられます。そして、何よりも運が良かったのは、同業者が全く営業努力をしていなかったので、頑張れば売上がドンドン上がっていったことです。そんな状況の中、近隣販売店が次々と病気や高齢化などで廃業していきました。明治はそれを全て私に配達するように言ってきました。なぜこの時も私だったのか?改めて考えてみると、他販売店と比べて仕事に取り組む姿勢や向上心が違っていたからだと考えられます。その後も明治のバックアップは続きます。増えた配達先を一人では配達しきれないのを見て、若手社員2人を配達員として差し向けてくれたり、配達アルバイトの人材募集をするにあたり、事務の方が電話受付をしてくれたり、今では考えられないようなバックアップをしていただきました。運とは単に偶然起こるものではなく、きっと運を呼び込むきちんとしたプロセスを経たからこそ、ツキを呼び込めるものだと思います。
起業初期に一番運が良かったのは自分を変えることのできる試練を与えられたことでした。試練① 朝4時からの配達。友人達と食事をしていても、遊んでいても、朝4時に起きなければならないと考えるだけで、夜が更けていくと、全然楽しくありませんし、だんだん暗い気持ちになったものでした。同じ時間に起きて、同じ牛乳を、同じルートで、真面目にコツコツと配る仕事は、自分の一番足りていなかった忍耐力を養うことができたように思います。また、雨に打たれ、風に吹かれ、犬に吠えられ、楽しくできない配達をどうしたら楽しくできるようになるのだろうか。いつも辛さを楽しみに変える方法を考えていたように思います。
試練② 人が思うように動かせないこと。その頃の私は案内状の返信FAXですら、期限どおりに返すことができないだらしない人間でした。朝寝坊して店へ行くとアルバイトが店の前で待っていて「兄ちゃん、遅いわ~」と文句を言われる。私はろくに挨拶もせず、鍵を開け店に入ると、店の中は散らかり放題で汚い。アルバイトは自分勝手にそれぞれの車に牛乳を積み込みます。私はそれをボーっと眺めている。何の気遣いもできない経営者だったように思います。2年ぐらいはアルバイトがすぐに辞めていきました。最初の頃はアルバイトが悪いと、自分の出来の悪さを棚に上げてアルバイト批判をしていました。さすがに2年人手不足が続くと自分に責任があることに気づきました。「人を動かせる男」になることを一番のテーマとして、自己改革を始めました。朝4時までに、できれば30分前に店に行く。店の整理整頓をしながら、アルバイトが来ると大きな声で「おはようございます」と挨拶をする。珈琲の一杯も差し出しながら、意識して話しかける。牛乳の積み込みが始まると率先して手伝い、雨の日にはカッパを差し出し、「事故の無いようにお願いします」と声をかけます。アルバイトが働きやすい環境を作るにはどうしたら良いのかをいつも考えていました。そうすると、あれだけ辞めていたアルバイトが辞めなくなり、それどころか、仕事が終わってもなかなか家に帰らないような状況へと変化していきました。この時、社長の一番の仕事は「人格を高めること」「人間性を磨くこと」なのだと胸に刻むことができました。これから経営者として歩んでいくという起業初期の段階で、自己改革できるような試練を与えられたことは、最も運のよい出来事でした。
2017/09/01