Column 社長コラム
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2024.08.01
現役65周年挨拶
先日、尼崎青年会議所創立65周年記念に際して現役メンバー並びに来賓に向けての挨拶をさせていただきました。今回のコラムは、その時の挨拶の内容をご紹介します。
現役の諸君、創立65周年おめでとう!
私が尼崎青年会議所に入会した時は30周年の時でした。あれから早35年!当時は人格も品格も経済人としても未熟な男でした。それが、まさか、このような周年の晴れ舞台で挨拶ができる男になれるとは夢にも思いませんでした。尼崎青年会議所へ入会して良かった、仲間と共に成長できて良かった、と心から尼崎青年会議所との出会いに感謝をしているところであります。
30周年で入会して12年もの間、尼崎青年会議所に没頭しました。理事長を経験させていただき卒業。そして、5年前からシニアクラブの会長を務めています。5年前の60周年でもこの場で挨拶をしました。その時に話した内容は2つ「尼崎の誇れるものは人」「鴻池祥肇先輩会頭取り」の話をしました。実はこの2つの話には、「規律と礼儀を重んじ、先輩を敬う」「気付き、気遣いを大切にする」という尼崎の伝統とも言うべき精神が深く関わっています。この伝統が人を育て、会頭職を手繰り寄せました。
当時、井奥会頭の元、鴻池は副会頭として日本JCに出向していました。直前会頭は麻生太郎副総裁でした。井奥会頭、鴻池副会頭は麻生直前会頭に「次の会頭は大阪に決まっているから、会頭への爪を伸ばさぬように」と釘を刺されていました。そんな状況からどうやって会頭になれたのかは、5年前、挨拶の中で詳しいことは鴻池と共に会頭取りに動いたレジェンド、竹瀬元紀に聞いてくださいと言いましたが、その竹瀬元紀も周年の半年後、亡くなりました。ここで最後のレジェンドである森本清に聞いてくださいと言って、森本清まで失くしたら困るので私が話します。
当時の日本JCは、かなりの頻度で東京JC会館にて会議を行っていました。会議が終わると井奥会頭は飲みに行くわけにもいかず、一人でホテルの部屋で過ごされていることが多かったようです。そこへ竹瀬元紀が連絡をします。
「尼崎の竹瀬元紀です。鴻池から申しつかりました。飲み物やタバコなどは足りてますか?」
これを会議の度にやったようです。時にタバコを買って行き談笑する、時にビールを買って行き一緒に飲む、それを繰り返しているうちに、井奥会頭は尼崎青年会議所を好きになっていきました。井奥会頭はある日突然、麻生太郎の言いつけを守らず、鴻池を会頭に指名します。まさに、「規律や礼儀を重んじ、先輩を敬う」「気付き、気遣いを大切にする」という伝統の精神が会頭の心を動かします。尼崎は鴻池、竹瀬のおかげで会頭取りを達成して高みへと導かれました。ありがたいことです。
日本はバブル崩壊後、失われた35年という時代を過ごしました。その間、本屋はことごとくアマゾンに潰されました。タクシーはやがてUberに変わっていくでしょう。ひょっとしたら、自動運転となりAIやロボットが人間の代わりに働くようになるかもしれません。職業は「永遠に続く時代から寿命のある時代へ」変化しました。今後、益々変化の波は大きくなっていくでしょう。変化は、時代の流れの中で「変わるモノ」と「変わらないモノ」があります。今、大事なことは、未来永劫「変えてはならないモノ」を選択しておくことではないでしようか。この65周年を機に「規律と礼儀を重んじ、先輩を敬う」「気付き、気遣いを大切にする」この最も大切な伝統を現役に申し伝える、良き機会にしたいと考えています。
最後に、皆様にお願いがあります。現役はこれから数年、勢いがあり楽しみな人材が数多くいるようです。歴代の息子たちもいます。しかし、まだまだ若いので至らないところも多々あるように思います。厳しい叱咤激励、またご指導、ご鞭撻をお願いして、挨拶と返させていただきます。ありがとうございました。
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2024.07.01
異業種交流会〈3〉
異業種交流会2では、私が尼崎青年会議所主催の異業種交流会(JC)に参加した経験から『人を動かす力』について筆を執らせていただきました。今回は「動く練習・出ていく練習」について書きたいと思います。
「動く練習・出ていく練習」とは言葉の通り、様々な場に赴き、人と会うことです。
「フットワークが軽い」という言葉がありますが、フットワークの軽さは中々鍛えることができない潜在能力(ポテンシャル)だと思います。しかし、JCに没頭し、毎日のようにJCで会議や事業に出掛けているうちに、自然と動く練習、出ていく練習ができました。
もし仕事を増やしたい方がいた場合、私は「動く練習・出ていく練習」をお勧めします。
例えば、ある日プロアスリートの所属するマネージメント会社の社長からこんな相談がありました。
「仕事が減っています。どうしたら増えますか?」
こういうときに私は「日々の生活習慣」を質問します。
ちなみに、そのときにわかった生活習慣は次のようなものでした。
【マネージメント会社の社長の生活習慣】
同じ時間に起床→会社へ出勤→仕事→同じ時間に帰宅→自宅で家族と共に食事
これを毎日、繰り返していることでした。私は「週末ぐらい、家から出て行き、誰かと食事したり、話をしたりする必要があると思いますよ」とアドバイスしました。家族と過ごすことが悪いのではなく、週末も家で過ごしているようでは仕事が増えるわけが有りませんからね。
JCをやっていると多くの出会いがあります。どんな人と出会うか。出会いは、その後の人生を大きく変えていきます。まさに「出会いは人生を変える」という言葉通り、人生の問題を解決してくれたり、人生に喜びを与えてくれたり、人生に彩りを与えてくれます。今までの経験から出会いの法則を言いますと、ステージが大きく違う場合は、出会ってもお付き合いには至りません。逆に近いステージの人とは付き合いが始まっていきます。私は「リトルフレンズはビッグフレンズの友達 リトルチャンスはビッグチャンスの友達 リトルドリームはビッグドリームの友達」だと考えています。リトルをたくさん集めるとビッグにたどり着きます。まさに、出会いは人生を変えます。
最後に私にとってJCでの1番大きな学びは、「ギブの精神」を知ったことです。
私たちは子供の頃からテイクしか学びません。取ることばかりです。勉強して、良い学校へ入って、良いところへ就職して、良い給料をたくさんもらい、良い年金をもらう。私も最近わかったことですが、企業経営で成功するにはテイクが必要ですが、大成功するにはギブが必要だと思います。取るのではなく与える。世の中の人に必要とされる。世の中のタメになることをする。その企業の存在が地域貢献、社会貢献に繋がっていると自ずと大きな企業になれるように思います。日本は宗教心があまりないので、わからないと思いますが、欧米では物心ついた頃から毎週日曜日は教会に通い、ギブを勉強する機会があります。成功に最も必要なギブを学べるのがJCです。
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2024.06.01
異業種交流会<2>
異業種交流会<1>では、私が尼崎青年会議所主催の異業種交流会(JC)に参加した経験から『JCとは(人生の)ステージ』を上げる訓練ができるところ。この言葉で終わりました。今回は具体的に何が訓練できるのかを書きたいと思います。
まず私が1番大きいと思える訓練は「人を動かす力」です。事業が大きくなるかどうかは、この「人を動かす力」が大きく左右します。JCには委員会があり、その年の理事長の作成した事業計画をもとに委員会が構成されていて、与えられた課題を実行していきます。その委員会運営で人の動かし方を学べます。
【参考までに委員会の課題例です!】
・青少年について
・会員拡大について
・総務についてetc…
「人を動かす力」とは主に「人を動かす力」と「人が動きたくなる魅力」この2つがあります。
「人を動かす力」とは、準備する力、役割を決める力、課題を与える力、ビジョンを考える力と伝える力など、主に相手の力量や将来性を見抜き活躍の場を与えることに該当します。
「人が動きたくなる魅力」とは、気遣いする力、楽しい雰囲気を作る力、コミュニケーションを取り関係性を深める力、正しさをはかる力、など相手を思いやり安心を感じられる場を与えることに該当します。
年齢の上の人・下の人、男性・女性、会社規模が大きい人・小さい人、など色々な人がいる委員会を委員長として、チームをまとめて、引っ張り、課題を実行していくことが「人を動かす力」大きな訓練になります。
私が委員会で体験した「人を動かす力」の良い例を一つご紹介します。
ある年度の始まりに、委員長が会社へ挨拶に来てくれました。「君の力が必要だ。委員会を明るく盛りあげてほしい」このように言われて、その気になりました。委員会へ出かけて行くと、机の上にお茶と資料が用意してありました。聞くと30分以上も前に委員長は来ていて、準備をしたとのこと。会議では、その人に応じた役割分担が決まり、やるべき課題が与えられました。会議終了後、委員会メンバーみんなで食事を一緒にして、2次会はカラオケで盛り上がりました。その時間がすごく楽しかったことを覚えています。また、私が委員会を用事で欠席すると、翌日には会議の議事録がFAXされました。このように先輩方の「人を動かす力」を受けて、その年度は率先して動くことになりました。
続きはまた次回。
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2024.05.01
異業種交流会<1>
先日、後輩からの依頼で尼崎青年会議所主催の異業種交流会に参加して、挨拶をさせていただきました。挨拶なのに「異業種交流(JC)とビジネス」というお題がありました。漠然としたお題に驚きましたが、参加者の中から何人かが尼崎青年会議所へ入会してもらえることを願いながら話をしました。『JCへ入会したくない理由があるとしたら、私が思い浮かぶのは「時間」「お金」「人」この3つだと思います。
「時間」とは「時間が無いから」という理由。私はそういう方こそ入会した方が良いと思います。「忙しい」と言っている人で本当に忙しい人に、私は会ったことがありません。仕事は忙しい人に集まるものであり、仕事のできる人は短い時間でも人より多くの仕事をこなします。つまり時間は作るもので、忙しい人こそ時間の作り方が上手だと思います。「すぐにできること」「考えたらできること」「誰かにお願いしないとできないこと」などの優先順位を決めて、できることからやっていくスケジュール管理ができているように思います。
「お金」とは「お金がかかるから」という理由。ビジネスにおいてリスクはつきもの。リスク無くして成功はあり得ないと思います。そして1番のリスクはお金です。お金に慣れる、お金を使うなど、私は尼崎青年会議所でお金の使い方を学びました。これは自論なので、全ての人に当てはまるとは思いませんが、お金はどれだけ貯めるかよりも、どれだけ使うかの方が大事だと思います。使えるだけ使う、使える人には、使った分の仕事が入ってくると思います。あくまで経験値なので真似しないでくださいね。
「人」とは「人との付き合いが煩わしいから」という理由。それこそ、人との付き合いは時間もお金もかかります。ただ、たった一度の出会いで運命が変わる場合もありますし、人生の彩りは、その人の周りにどんな人がいるかで決まるように思います。時間、お金を使い、人と全力で付き合っていくと仕事がガンガンきて、成功に導かれるように思います。
私自身、大きな成功をしているとは思っていませんが、「じゃあ、成功の仕方を教えてください」と言われそうですね。とはいえ、皆さんの会社の状況をあれこれ聞いて、「あーしろ、こーしろ」と手法だけ教えても真似できないことが多いと思います。なぜならば企業も国も人も生きていく過程でステージと使命のようなものがあると考えているからです。私と異なるステージにいる人では、できることが違います。
ステージとは何か?私の人生で振り返ってみましょう。私が尼崎青年会議所に入会したのは28歳でした。当時の月商は60万円程度、今をあの頃の売上と比べたら500倍近くになりました。業種も牛乳販売店だけではなく、いろいろなことを手掛けています。当たり前ですが、私のステージはあの頃と比べたら比較にならない程、大きく跳ね上がっています。ステージは出会いや経験により少しずつ上がっていきます。特に、苦難を経験し、それを乗り越えた時には、大きく跳ね上がります。ステージが上にいる人から下の人を見ると、下のことが手に取るように分かりますが、下から上を見あげても理解できないことが多いようです。例えば、高校球児(上)と小学生の野球少年(下)。高校球児から小学生の野球少年を見ると、どこに才能があり、どこが悪いのかが手に取るように分かりますが、逆に小学生の野球少年が高校球児のプレーを見ても、何がよくて何が悪いのかは理解できないように思います。
何となくですが、ステージというものを理解してもらえたでしょうか。これまで生きてきた経験から、ステージを上げる生き方、上がらない生き方があるのも気がつきました。青年会議所はステージを上げる訓練ができるところです。
この続きは次回に書かせていただきます。
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2024.04.01
若手経営者
2022年の終わり辺りから、物の値段がドンドン上昇しています。30年間続いたデフレは終焉し、新たにインフレの時代が到来しました。デフレの始まりを振り返るとソ連邦が解体され、ベルリンの壁が壊され、東西のドイツが統一され、冷戦が終わったことをきっかけに、グローバル化が始まりました。それに伴い、世界中の工場は中国へ移り、中国の安い人件費とロシアの安い燃料で商品が作られるようになり、人件費のせどりが始まりました。中国に移った工場のおかげで、ものづくり立国だった日本は、30年もの間デフレに苦しみ、失われた30年を迎えました。2022年ロシアのウクライナ侵攻を機にロシア、中国とのグローバル化の蓋が閉ざされたように感じます。少しずつ、中国へ移った工場は平和で人件費の安い(円安の影響)日本へと戻りつつあります。多分、デフレ時代の企業経営と新たに始まったインフレ時代の企業経営は全く違う手法となり、過去の経営が意味をなさない、新たな時代の幕開けとなりました。
私と付き合いがある若手経営者は、大半が東南アジア在住となりました。なぜ海外に住むのかを聞くと「日本は税金が高く、金利が安い国だから」など、東南アジアの国々と日本の違いを理由に挙げていました。一例をあげると、ベトナムやカンボジアは銀行金利が5%以上。コロナ前に定期預金に入れていたお金が為替も相まって1.5倍近くになったそうです。1,000万円預けていたら、1,500万円です。「そのお金で遊んでいます」とのこと。
でも、1番大きな理由はアジアの国々は大きく成長していて、日本の30年、40年前の状況と似ているので、投資するにも予測しやすいからだそうです。
若手経営者との食事会では有益な情報を得られました。少しご紹介します。昔、私は彼らからビットコインが7万円の時に買うように勧められました。私は、「そんなコインが上がるわけない。汗水垂らして働け」と叱ったようです。そして、そのビットコインは今、600万円を超えています。あの時に買っていたら…トホホ!
彼らの特徴は、あまり働いているように見えないのですが、フットワークが軽く、日本国内はもとより海外でも簡単に動きます。彼らを見ていると、フットワークとは、努力しても急に高められるものではない、その人の持つポテンシャルのように感じます。
身軽に動けるから大きな組織を作らなくても、政治、税金、金利、仮想通貨、不動産、などで人脈を築き、利益に繋がる情報が集められます。フットワークの軽さ、つまり行動力は人に情報をもたらし、持つ者と、持たざる者の仕事の出来栄えに差を生じさせるということです。
フットワークを軽くして動きつつ、仕事だけに染まるのではなく、食べる、遊ぶ、楽しむ、といった「リフレッシュ」も気軽に楽しむ。フットワークの軽さは日々の仕事により良い結果をもたらし、プライベートも充実させる好循環を生み出します。
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2024.03.01
Bangkok-バンコク-
2024年1月、タイ・バンコクへ行ってきました。目的は2つ。1つ目はバンコク在住の経営者との面談です。友人である若手経営者とバンコク在住の経営者とゴルフや食事をして交流を深めました。2つ目は私がリフレッシュするためです。普段、バンコクへ行く時は、家族、友人、社員など、一緒に行く人に喜んでもらうことが目的ですが、今回は、若手経営者数人と現地で合流した以外は1人で過ごしました。
というのも、昨年、多忙な一年を過ごした影響で12月に体調を崩し静養することになったからです。その間、ベッドで「自分の人生これでいいのか」と自問自答していると、これからの人生は「こう生きたい」という指針のようなものが芽生えました。
大きく3つあります。
■1つ目「幸せの根幹は健康である」
今までの私は、あまり身体を気遣わずに生きてきました。健康な時は平気でしたが、病気になると「身体は労わってあげないダメだ」と思うようになり、朝、1時間弱のウォーキングを行っています。その結果、身体の調子がすこぶる良くなっています。身体って正直ですね。
■2つ目「頑張らない」
私(経営者)は日常の仕事や与えられた役割を、ついつい無意識に頑張ってしまいます。今までなら、現状の仕事に加えて、優先順位の高い仕事が入ってきた場合、どちらも睡眠時間を削って頑張っていました。しかし、「頑張らない」「無理しない」と決めてからは、期限までに難しいと感じたら、「ごめんなさい」と、あっさり謝り、許してもらうようにしました。
■3つ目「楽しいこと、やりたいことだけをやって生きる」
難しそうなテーマですが、必要だったのは、周りの人に自分の生き方をわかってもらう「努力」これだけでした!月に数度リフレッシュすると決めて、海外で1人の時間を過ごす。私の仕事は大半が人と会って話すことに費やされるため、自分1人で過ごす時間はこの上なく幸せです。私にしかできない仕事以外は誰かにやってもらいます。
考えてみると、私にしかできない仕事は「考えること」「動くこと」。具体的には「未来ビジョンを考える」「ビジネスモデルを考える」「事業計画をたてる」「組織を改革する」「有益な情報を収集する」です。
1人の時間に、これらを整理整頓できます。でも、なるべく考えないようにしています。リフレッシュにならないから(笑)。
今回のバンコクでは「のんびり」をテーマに1人の時間を過ごしました。寝たいだけ寝る。プールでジュースを飲みながらボーっとする。サウナで汗をかく。食べたい昼ごはんを考えて、飲食店までの移動手段を決める(行きはタクシー、帰りは地下鉄)。ホテルのボーイにカタコトの英語で行き先を伝えて、タクシードライバーと金額の交渉までしてもらい出発。店ではタイ語しか伝わらないのでメニューを指差しながらオーダーする。ゆっくり食事をする(クセの強いスープだった)。帰りは地下鉄に乗るためにGoogleマップで最寄駅を探し、路線を確認。切符の買い方がわからなかったがGoogleを利用して切符を購入できた。最寄駅に帰ってきたら、すこし寄り道。途中で買ったジュースを片手にぶらぶら。目の前にあった足マッサージ屋さんに立ち寄り、ホテルへ帰って昼寝。どうですか、みなさん、いいでしょう!
考える、動く、話す、食べる、遊ぶ、楽しむ。毎日、楽しく遊んで、情報を得て稼ぐ…。
「やりたいこと、楽しいことしかやらない」は、意外と正解かもしれません。いや、絶対に正解だと思います。
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2024.02.01
天下人
織田信長「鳴かぬなら 殺してしまえホトトギス」
豊臣秀吉「鳴かぬなら 鳴かせてみせようホトトギス」
徳川家康「鳴かぬなら 鳴くまで待とうホトトギス」
こちらは有名な天下人3人のことを詠んだ句だと言われています。よくそれぞれの性格を言い表しているように思います。信長は過去の権威や慣習を潰し、新たな道筋をつくりました。その過程で多くの反抗があり、多くの犠牲を強いられました。秀吉は信長家臣団の重鎮でした。その秀吉が謀反人・明智光秀を倒し、内部抗争を勝ち抜き、終盤はほぼ戦争をすることなく、相手を懐柔し、天下統一へと導きました。豊臣政権の5大老の筆頭だった家康は秀吉の死後、時間をかけて豊臣派を潰し、徳川派を増やし、中から豊臣政権を食い潰し、徳川幕府を樹立した後に豊臣家を滅ぼします。
-天下人年表-
■織田信長
1534年 信長誕生
1551年18歳家督を継ぐ・大うつけ
1559年尾張一国統一・信友、信行打ち取る(ここまで相当な苦労があった・26歳)
1560年桶狭間の戦い(27歳)
1568年足利義昭奉じ、上洛(35歳)
1582年本能寺の変(49歳)
■豊臣秀吉
1537年秀吉誕生
1554年織田信長に士官(17歳)
1582年備中高松城の戦い(46歳)
1582年本能寺の変(46歳)
1583年賤ヶ岳の戦い、柴田勝家を滅ぼす(47歳)
1585年関白宣下(49歳)
1598年伏見城にて死去(62歳)
■徳川家康
1542年家康誕生
1560年桶狭間の戦い(18歳)
1562年信長と同盟(20歳)
1582年本能寺の変(40歳)
1586年秀吉と臣従関係(44歳)
1598年秀吉死去(56歳)
1600年関ヶ原の戦い(58歳)
1603年征夷大将軍(61歳)
1616年家康死去(75歳)
年表はいくつかの参考資料をもとに作成しましたが、資料により少し誤差がありますのでご容赦ください。
信長と秀吉の年齢差は3歳、秀吉と家康の年齢差は6歳です。生涯年表を紐解くと、この3人の人生がうまく絡み合っているのがわかります。まず、桶狭間の戦いで信長の人生賭けての大博打で今川義元を破ります。それにより、家康は人質生活から逃れることになります。その後、信長は本能寺の変で死去しますが、信長の後継者争いを経て3年後秀吉が関白となり実質天下を手中にします。家康は本能寺の変の後、今川、武田の領地を手に入れ、秀吉に次ぐ大大名となります。秀吉の死後、2年後関ヶ原の戦いにて石田三成を破り、5年後征夷大将軍となり徳川幕府を開きます。最終的に天下は家康に落ち着きますが、秀吉よりも家康の年齢差が6歳なのに、秀吉が亡くなった後19年も長生きします。
長寿は何物にも変え難い強い運を運んでくれる様に思います。また、特筆すべき点は信長の死後3年で関白になった秀吉。秀吉の死後2年で関ヶ原を勝利し天下を手中に収め、5年で征夷大将軍となり、徳川幕府を樹立した家康。学びとしては、天下人の死が大きく運命を変えるポイントとなっている事。そのポイントでなりふり構わず動き、天下を手中に収めたという点ではないでしょうか?人生の勝負所がいつなのか、見極めたいですね。
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2024.01.01
謹賀新年
明けましておめでとうございます
昨年中は格別のご愛顧を賜り厚く御礼申し上げます。
皆さまの健康にお役に立てますよう
一層のサービス向上を重ねて参りますので
どうぞよろしくお願い申し上げます。
今年もよろしくお願い申し上げます。。 -
2023.12.01
織田信長〜桶狭間〜
歴史上で好きな人物はと聞かれたら「織田信長」「坂本龍馬」と即答できます。しかし、なぜ好きなのかと聞かれると、その理由を答えることはできません。彼らの伝記を読み、時代を切り開くような生き様に私自身が共鳴(共鳴は心から湧き出るもの)したのかもしれません。この2人には共通点があり、最期は謀反や暗殺によって生涯を閉じます。言うなれば、志半ばで亡くなってしまった点が残念でなりません。
織田信長が歴史の表舞台に出るのは、「桶狭間の戦い」だと思います。今川義元軍約25、000人に対し織田信長軍約3、000人。まともに正面からぶつかれば織田軍はボコボコにされます。しかし、勝ったのは織田信長。その勝因には現代でも通じる学びがあります。
その勝因を紐解くために、まずは織田信長と今川義元の戦力の差を見ていきましょう。
【戦力の差1】身分
織田信長の父、織田信秀は尾張の半分を支配していた織田大和守に使える「清洲三奉行」の中のひとり、織田信長は尾張の守護代の家柄でした。今川義元の今川家は、駿河国、遠江国の守護大名という家柄で、身分上は完全に今川義元の方が上です。
【戦力の差2】軍事力
桶狭間の戦いに際して、織田信長は3、000人程度の兵士しか動員できなかったのに対して今川義元は25、000人程度の兵を動員していました。兵の人数だけでも10倍近い差があります。本来ならこれだけの圧倒的な差があれば、信長に勝ち目はないと考えるのが妥当です。
【戦力の差3】経験値
それぞれの軍を率いる将としても、家督を継いで間が無い織田信長に対して今川義元はいくつもの戦いを経て、駿河・遠江・三河の国を着実におさめ、「東海一の弓取り」と言われ、文武両道に優れた人物でした。武田や北条と三国同盟を結ぶなど目覚ましい活躍を見せていて、弱体化した室町幕府を支え天下に号令できる人物であると注目されていたことからも、経験に大きな差があることがわかります。
戦力の差1〜3で書いたように、本来「桶狭間の戦い」は織田信長が勝てる戦いではありませんでした。織田信長の勝因は桶狭間という地の利を生かし、今川軍の数的優位を潰して、奇襲をかけたことでした。相手の優位なところを潰し、自分が優位なところだけで戦い、勝つ。
「桶狭間の戦い」を調べていくと、戦力の差1〜3を覆すために織田信長は、打てる手をいくつも打っていることに気づきました。その一つが『偽の手紙』です。今川方に寝返った武将の筆跡を真似て織田信長の動きを伝える手紙を書き、わざと今川義元に渡るようにしました。「寝返ったはずの武将が信長の動き知っているのはおかしい」と今川義元の疑心暗鬼を呼び起こし、寝返った武将を切腹させます。これにより裏切り者を抹殺。
「信長公記」には今川方の動きが明確に書かれており、これは、今川方に織田方の内通者がいたことに他なりません。
桶狭間の前夜、織田信長は家来を家に帰しました。これは今川方の内通者を警戒してのことです。一方で今川義元は桶狭間で打ち取られるまで、織田方の2つの砦を落とし、意気揚々と戦勝に沸いていました。そんな中、突然の豪雨が降り出し、桶狭間にて休息を取ります。かたや織田方はたった5人で城を飛び出し、熱田神宮へ走っていくのですが、いくつかの集団に分かれて出発します。熱田神宮に集まった人数は1、000人。織田方の作戦を今川方に悟られぬよう、実に緻密に考えられた動きです。今川義元の周りにいる5、000人の兵。その5、000人の兵を分散させるために、織田方300人の兵を突撃させます。信長は300人の兵を囮に今川義元の周囲を手薄にさせます。豪雨の中、今川軍に勝つことより「狙うは今川義元の首一つ」こちらに集中しました。「桶狭間の戦い」を紐解いていくと、「戦争で勝つ方法と、ビジネスで勝つ方法は似ている」と感じました。
織田信長は「桶狭間の戦い」を機に、戦国武将の中心人物となりました。自分の人生を変え、天下人への道を一直線に歩んでいきます。世に出る機会となった「桶狭間の戦い」ですが、織田信長から見れば人生最大のピンチでした。しかし、絶対に折れない気持ち、絶対に引かない気持ちを強く持ち続け、必死に戦略を練り、幾つも罠を仕掛け、考えに考え抜いて臨みました。結果、この戦いが織田信長の人生を変える戦いとなりました。どんなピンチも心の受け止め方によって結果が決まると考えている、私自身の考え方と共鳴した様に思います。「桶狭間の戦い」は小が大に勝つ、戦国時代で最も好きな戦いです。
さて、2023年も残りわずかとなりました。
本年も一年間、皆様には誠にお世話になりました。
来年もよろしくお願い申し上げます。良いお年をお迎えください。 -
2023.11.01
経営改革・小さな変化
最近、いろいろな場面で「小さな変化」を感じます。
YouTuber が稼げなくなったという話を聞いたことありませんか?
理由は芸能人がYouTubeの世界へ参入してきて競争が激化してきたこと。
広告が他の媒体へ移り、広告利用収入が減ったこと。
それに伴い、YouTubeの世界では最大手であったU U U Mが10億の赤字へと転落し、フリークアウトHDに買収されました。
日曜劇場『V I V A N T 』を観たことがありますか?
このドラマは日本の制作費・通常1話につき3千万円に対して、1億円かけて制作しているようです。
ちなみに韓国ドラマの大作は1話につき1億円以上かけていて『V I V A N T 』と同じぐらいの予算だと思います。
また、韓国ドラマの大作には国の補助金が導入され、国を挙げてエンターテイメントを盛り上げ、国策として世界へ出て行ってます。
最近、流行りのNetflix は年間制作費2兆円とのことです。
話はそれましたが、日本もやっと韓国のように勝負する作品、勝負しない作品を制作段階から分けて、メリハリが大事だと悟りました。
2つの例にあるように、「小さな変化」を感じる時は、壁にぶち当たった時、変わらなくちゃいけない時、変化の理由を学んでいる時だと思います。
その先には必ずと言っていいほど「大きな波」が起こります。
「大きな波」によって、ライフスタイルが変化したり、時代の変化が伴います。
時代が変わるということは、そこにチャンスが生まれる、逆に時代に取り残されると衰退を余儀なくされます。
少しコロナを総括します。2020年、コロナ禍を乗り切るために3つのテーマを定めました。
①なるべくお金を借リる
②固定経費の削減
③IT化へ大きく舵をきる
3つのテーマ、特に①②を進めていくと会社の資金状況は新たな事業を展開できるほど潤沢になりました。
というのも、牛乳宅配事業はコロナ禍において、人と会ってはダメ、動いてはダメ、といった売上の維持もままならないような状況でした。
ならば、コロナ禍は近い将来必ずくるであろうビジネスモデルの変換へ向けての準備期間であると決め、いろいろな事業に取みました。
コロナ禍2021年10月〜2022年10月の1年間で、寿司屋をはじめ飲食店を5店舗、食パン専門店、スイーツ店、買取専門店2店舗など都合9店舗の新規事業をスタートさせました。
牛乳宅配でデリバリーをさせて頂いているお客様へ合わせて、寿司・弁当の宅配、訪問買い取り、などもできるイメー
ジをして実験しました。
現在2勝5敗2分と言ったところでしょうか。
どんな事業も簡単ではないことを思い知らされました。
2023年の後半は新規事業の中から採算の合わない事業を整理整頓して、黒字事業だけを残す
段取りをしています。
多くの失敗をしましたが、コロナ禍の前向きになれない時期に、多くのことにチャレンジできた経験は大きな財産となりました。
これで懲りたかと思いきや、2023年はいくつかの新規事業にチャレンジしています。
こちらは、なぜかどれも順調に推移しています。
不思議なものですね。
コロナ禍、たくさんのチャレンジをしましたが、中々当たりくじは出ませんでした。
失敗を検証すると、事業が時代に合っていない、人間関係の行き違い、雇用の獲得、販促方法など難しい問題が浮き彫
りになります。
逆に時代に合っている、人の雇用ができる、販促が上手くいく、この場合は当たりくじとなるように思います。
コロナ禍で多くのチャレンジをしたからこそ、学べたことです。
始めた当初は、全く赤字だった寿司屋が少し黒字となりました。
スタート時点では、料理人同士の喧嘩、雇用の難航、接客スタッフの教育時間の捻出が困難、私自身が飲食事業を経営した経験が少ない、など赤字の理由はたくさんありました。
しかし、オープンから1年後、試行錯誤し私自身も店へ足を運び、多くの時間を費やしても、なかなか変わらなかった状況に「小さな変化」が起こり始めました。
その変化の大きな要因は「人」でした。
その「人」との出会いにより、料理人が揃いだし安定してきました。
調理場の人が揃い出すと接客スタッフも揃いだし、接客のレベルも向上していったように思います。
コロナ禍での慣れない新規事業での大きな学びは「私がカリスマになってはならない」という事でした。
自分自身で全てを作り上げたという自負がある牛乳宅配事業では譲れなかったかもしれませんが、今回の慣れない寿司屋だからこその学びでした。