Column 社長コラム
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2022.08.01
新郎の父・兵吉
先日、私の友人(兵吉)の息子(翔大)が結婚しました。その結婚式で来賓としてのスピーチを依頼されたのですが、私は翔大の恩師でもなければ、上司でもない、ゆえに話す内容が見つかりません。兵吉に「あなたのことを話すよ」と断りを入れ、兵吉を中心にしてみると、スラスラと原稿が仕上がりました。
ここに、そのダイジェスト版を掲載しますので、皆様には式場にご来賓した気分でご覧ください(笑)
『翔大さん、ちや子さん、結婚おめでとうございます。私は翔大の上司でもなければ、恩師でもなく、翔大の父親である兵吉の友人という関係です。まず、自己紹介を兼ねて兵吉パパを紹介し、大いに笑っていただいき、お祝いの言葉を述べたいと思います。2001年、JC(青年会議所)という地域貢献団体で私と兵吉は衝撃的な出会いをしました。城崎にあるホテルのロビーで兵吉と豊岡JCの理事長が怒鳴りあいの喧嘩をしていたのです。周りには多くの若いメンバーやセクレタリー(鞄持ち)が、居合わせたので、私は「そんなところで喧嘩してたらカッコ悪いやろ。やるなら表出て見えない場所でやれ」と叱りました。最悪の出会いでした。翌年、JCの兵庫ブロック長から「兵吉、知ってるでしょ。保険屋をしてるんだけど有能なんで会ってほしい」と言われ、私は最初の出会いを思い出し、嫌だなあと思いながらも、兵吉と会うことにしました。しかし、兵吉の保険の話を聞くと、印象が一変しました。今までに出会った保険屋さんと知識や提案力など大きく違うと感じ、衝撃を覚えました。すぐに150台ぐらいあった軽トラックの契約を全て兵吉に変えました。あれから20年、兵吉の教えである「創業者が強くあるための経営手法」が根幹にあったからこそ、私はそれなりに強い経営者をやってこられたのだと思います。
結婚する二人のことを知るために、食事会を開き、話を聞きました。私の席の前に翔大と、ちや子さんを座らせて、質問していると、離れた席に座っていた兵吉が「ちや子ぉー、先輩が話を聞いてるんだから、ちゃんと喋れー!」と怒鳴りました。息子の嫁に対して、怒鳴るなんてありえない、と驚きましたが、怒鳴られたちや子さんは、特段気にする様子もなく「はーい」と返事をしていました。その姿を見て、ちや子さんは兵吉とも上手くやっていけると思いました。二人は関西大学に互いに進学したことで出会いました。出会いの印象はと尋ねると、翔大は「ビビッときた」、ちや子さんは「この人とは仲良くできない」だったそうです。その出会いから6年が経ち無事結婚するわけですが、よく他愛もないことで喧嘩をするみたいです。結婚生活の先輩である私から、夫婦円満の秘訣を教えときます。お父さん、お母さんでは教えられないから(笑)。夫婦は互いに感謝することが大事です。私は1年365日毎日外食で、毎晩、家に帰るのが夜中の1時、2時です。そんな私に、家内はいつも笑って接してくれます。私は家内に対し、常に「ありがたい」と思って、家内の要望には何があろうと一番早く応えるようにしています。日頃から、スピーディに要望に答えていたら、少々のことは目を瞑ってくれます。翔大はちや子さんの要望に素早く答える、ちや子さんは多少のことは目を瞑る、これが大事だと思います。
実は、私はなぜ翔大が兵吉の会社を継ぎたいたいのか、疑問に思いました。子供の頃から、パワハラされてきたのに、なぜ?という問いに「父は保険代理店の傍ら、得意先の希望で顧問をしています。顧問先の社長との会話って、立場的に丁寧な言葉での会話をするのが普通だと思うんですが、飛び交う言葉は、『何言ってんだよー』『お前馬鹿なの』『言うこと聞けないなら辞めるよー』だったんです」そんな強き兵吉パパに近づくため、会社を継ぎたいと思ったとのことです。
結びに、この場にお越しの皆さんにお願いがあります。翔大はどんな苦労にも試練にも負けることはありません。それは、兵吉の元で生まれ、育ったことがどんな苦労よりも試練よりも大変なことだったからです。しかし、兵吉がいつまでも元気で守ってくれることはありません。大病もしているし、明日死ぬかもしれん(笑)。翔太の未来は、ここにお越しの皆様の応援にかかっています。今後、益々のご指導と応援をお願いして、お祝いの言葉とします。おめでとうございます。』
2022/08/01 -
2022.07.01
ネクストミーツ/地球を終わらせない
私の友人が会長を務めるネクストミーツという企業を紹介させていただきます。企業理念は「地球を終わらせない」、このメッセージ性の強い企業理念を全面に押し出しているので、一見、環境団体のように思われがちですが、利益より使命を優先して仕事をしているのがこの企業の特徴です。以前のコラムで、2022年は「終わりの始まりの年」で、終わるものと始まるもののクロスする年だと書いたことがありますが、ネクストミーツは動物性食料から植物性食料へ変化していく中で輝きだした代表的な企業です。
ネクストミーツ白井会長に、この会社の存在意義を聞いてみました。『地球環境のための食事、地球環境のためのビジネス「サスティナビリティファースト」を大事にしていて、いわゆる利益追求、利益ファーストではなくて、まず地球環境のことを考えて、その上で物事を遂行していくことを一番大事にしています。あと、地球環境に配慮した新しい食材を普通に食卓に置いてもらうそのための「行動」これを「NEXTスタンダード」と言い、ライフスタイルの方向を変えるために必要なことを「NEXTカルチャー」と言い、新たに文化を創っていきたいと考えています。地球の気候変動問題が非常に深刻な状況なのに、まだまだ楽観視している人が多いと思います。また、私たちの子供たちが大人になるにつれて現実を知ると地球環境の未来にすごく絶望してしまうようにも思います。そういう世の中であってはならないと思い、私たちが今すぐ何かをやるべきだとずっと思っていました。それで行き着いたのが代替肉でした。畜産の中でも特に工場式の大量生産の畜産がありますが、それをまずは置き換えていくことが、我々の初動となり、大きな原動力でした。世の中はどんどん、そういう方向に我々がやらなくても向かっていくと思うのですが、我々のようにメッセンジャーとして先頭を走るプレーヤーが必要だと思い、「地球を終わらせない」というメッセージを全面に掲げて食品メーカーをやっていく決意をしました。そして、スピードを上げてここまでやってきました。マーケット自体はこういったSDGsであったり、サステナビリティという文脈で新しい文化を取り入れて、新しい食材を取り入れる必要があると思いますが、まだまだ変化が遅いという印象をもっています。その理由は「地球を終わらせない」という思いを受け入れてくれる方がまだまだ少ないからだと思います。だからこそ、我々が頑張るしかないのですが、徐々にサスティナブルな方向へ変わってもらえるように努力します。』
また、やりがいはと尋ねると『まずこの仕事をやっている最大の喜びは、自分自身も子供を持つ親の立場から、子供たちのため、そして子供たちが生きる未来のために、私達は何かをしなければと、ずっと考えていました。今やっているネクストミーツの仕事は、代替肉を製造して販売する、そして、何よりもお客様に受け入れてもらうことが、未来につながっている自負があります。それだけでも仕事をしている喜びが大きいです。お金だったり権力だったり名誉だったり、そういったものよりも何より嬉しいと感じています。』
白井会長の話を聞き、企業の使命はいろいろあると思いますが、「利益と御返しのバランス」がすごく大事だと思いました。また、人生の素晴らしいテーマを学べたように思いました。いまだ試練が続く世界情勢にもかかわらず、支持を伸ばし、成長を維持しているネクストミーツの企業姿勢には、悠久の時を経ても決して色褪せない、普遍の哲学が貫かれているように思います。1年先の利益ではなく、100年先に生きる人々のことを大切にする思いが感じられます。それは現代社会が失いかけ、今、見直され始めている価値があるような気がします。
白井会長は2020年の始まりの頃まで、中国・深センにて年に100回ものビジネスツアーを行う会社を経営していました。それが、コロナになりビジネスツアーができなくなりました。それをきっかけに代替え肉事業に全てをシフトすることになりました。最初はその決断に「大丈夫なのかな?」と心配していましたが、2021年末頃にはネクストミーツがメディアにて大きく取り上げられ、米国ナスダックにてSPAC上場を果たし、時価総額が480億円もの値段がつきました。ご自身もこの現実に困惑されていましたが、人生は何が起こるかわかりませんね。人は白井会長のことを運がいいと言うかもしれません。しかし、代替え肉事業をコツコツとやってきたこと、未来の子供達のために地球環境のことを真剣に考えてきたこと、コロナを機に全てをこの事業に賭けたこと、これらが相まって大きな波がきました。私の人生のルールに「運はプロセスによるところが大きい」という言葉がありますが、その言葉を思い起こしました。今後も変わらぬ白井ちゃんでいてくださいね。
2022/07/01 -
2022.06.01
チャレンジ
二〇二二年四月一日、株式会社デミックが阪急百貨店うめだ本店十三階に「すし淡鮃(たんぺい)」をオープンさせていただきました。すし淡鮃は食の宝庫『御食国』の一つである淡路島産の海産物の『素材の旨み』を堪能できるグルメスポットになっています。当社は三十年以上前、神戸市にて二百軒の宅配から始まり、その後、全国拡大し四万軒に拡大しました。その過程は同業種同士の戦い「牛乳屋VS牛乳屋」でしたが、最近では数多くの宅配ビジネスモデルが台頭し、それらのほぼ全ての企業が牛乳を取り扱っています。現在、戦いは「牛乳屋VS他ビジネスモデル」へと変化しました。そして、コロナ禍の宅配需要を追い風に「牛乳宅配以外」のビジネスモデルは軒並み上昇に転じています。
牛乳宅配業者に向かい風が吹く中、長年イメージしていたものの、実行できていなかったビジネスモデル変換へ着手することを決意しました。やりたいビジネスモデルは生鮮3品のデリバリー、夕食材料やミールキット、弁当や飲食店の出前など、今あるビジネスモデルのミックスしたような業態を考えています。その魚の第一歩が今回の「すし淡鮃」です。今後は宅配すし業態、すし弁当業態、回転すし業態なども視野に入れながら、どの業態が自分の目指す宅配業態に向いているのかを考えながら挑戦したいと考えます。
コロナが終息するであろう今年のテーマは「チャレンジ」。
今年は「趣味チャレンジ」「特技を楽しむ」をキャッチフレーズに、幾つもの飲食店やスイーツ店の出店を計画しています。今回オープンした「すし淡鮃」は、まだ一つ目の事業ですが、多くの経営課題に直面しています。その中でも重要な課題が二つあると考えています。
1.「職人とは?」…料理人の特質は、技術を探求し、自信を持ち、金銭や時間的制約などのために自分の意思を曲げたり、妥協を嫌い、納得のいく仕事だけをする傾向にあるように思います。職人たちを束ねて、共有した目標を掲げ、目標達成のために、役割分担を決め、役割の進捗確認と発信をやり続けなければ目標は達成できないと思います。
2.「チームづくりは空気づくり」…まずは、社員や料理人たちを面談しました。過去の職歴や背景にあるもの(家族構成、趣味、特技など)、考え方を確認し、私からは、それぞれの社員にわかりやすく会社と個人が納得出来る近未来の接点(希望)や少し先の未来ビジョンを説明しました。面談で感じたことは、良いチームを作るには「自由に意見を言える空気づくり」+「仕事を楽しむ遊び心」が最重要だと感じました。
「努力は実を結ぶ」と言う言葉がありますが、長い人生の中で、「努力は実を結ばないこともある」と、しばしば思うことがありました。頑張っても、努力しても結果が出ず、それでも諦めずに一生懸命に努力していたら、そのタイミングでは実を結ばなくても、ある時期に急に実を結び「努力は実を結ぶ」ことを実感できたりします。言ってみれば、実を結ぶことができるのは、自分自身の心のあり方によるところが大きいと思います。「心」×「行動」」「結果」「どんな心で」×「何をするか」」「最高の未来」生きていればブレることもあれば、ズレることもあります。でも、実は何の問題もありません。それが生きるということだから。大事なことは、ブレた時に戻る場所がわかっているかどうかだと思うのです。ブレた時の戻る場所、それが「生きる目的」だと思います。未来をどうしたいか考えること、この店がどうなったら最高かを考えること、みんなで考えたいと思います。経営の神様と言われた松下幸之助さんの言葉に「目に見えないところをきれいにすると、見えるところが光りだす」があります。目に見えないところとは気持ちのことだと思います。
2022/06/01 -
2022.05.01
カッコいい
こんなアンケートの結果があります。90歳以上の老人に聞いた質問です。「90年の人生を振り返り、後悔していることは何ですか?」 この質問に対して、90%以上の人が同じ答えでした。それは・・・、「もっと冒険しておけばよかった」 あの世には、お金も家も持っていけません。だから、財産を失うことは、不幸なことではないんです。では、この世の最大の不幸は何でしょう?それは・・・、死ぬ前に後悔することです。死ぬ前に後悔することこそが、最大の不幸です。では、9割もの人が死ぬ前に、もっと思いっ切り生きればよかったと後悔するような社会になっているのは何故でしょう。それは人からの比較から「他人の目」を気にしすぎたり、お金や勝ち負けの結果に縛られすぎて、一番大切な「生き方」を置いてきぼりにしてしまったからだと思うのです。「生き方」とは、生きる「目的」と、そこから生まれる「美学」だと思います。人は誰でも人生は一度きりと頭でわかっています。しかし、本当に心の深いところで、それを理解できているのかというと、ほとんどの人が、それほど切羽詰まった思いで人生を送っていません。私自身もコロナ前までは人生に終わりがあることを真剣に考えたことはありませんでした。コロナ感染拡大の恐怖、未来への不安の中で、終わりある人生を悔いなく生きるにはすればいいのか。コロナは今後の生き方を自問自答するきっかけとなりました。死ぬ直前に「あー、楽しかった。思い残すことは何もない」と言って死ねるような人生を送れたら最高だと思います。
コロナにより、私が所属する尼崎JCシニアクラブは2年間ほぼ活動ができない状況が続きました。現役達の活動もメンバー同士の交流ができないことによるコミュニケーション不足から一体感が無くなり、相次ぐ退会や新規会員拡大が進まない状況が深刻な問題となっています。現役の衰退はシニアの衰退へと繋がっていきます。コロナ初期、現役支援と称して現役メンバーの経営する飲食店へ食事に行ったり、私の会社のメンテナンス工事や改装工事などを現役メンバーの会社へ依頼したりしましたが、数多くいるメンバーの支援には程遠いのが実情でした。逆に、現役メンバーの頑張っている姿からそれぞれの「カッコイイ」を感じることができました。飲食店へ訪問した時、「みんな同じ条件なので頑張るしかありません」に「カッコイイ」、メンテナンス工事を依頼した時、「仕事ありません。死に物狂いでやります、仕事ください」に「カッコイイ」、改装工事を依頼した時、「コロナで取引業者の相次ぐ倒産で資金繰りが大変です。キャッシュフローを回すために、一晩中、仕事してます」に「カッコイイ」。彼らには経営の苦難に直面しながらも、それぞれの「カッコイイ」がありました。彼らと触れ合い思ったことは『「私も負けられん」もっと、チャレンジして後輩たちの手本となれるような「生き方」をしよう、先輩として「カッコイイ」背中を見せたい』と強く思いました。「役職は人を育てる」という言葉がありますが、会長という役割を受け、コロナに遭遇したからこそ、私自身の役割を考える機会を得て、自分自身の成長に繋がっていると思います。
コロナが世界中の人達の仕事や生き方を大きく変えるきっかけになりました。コロナによってダメになった業種もあれば、逆に大きく業績を伸ばした業種もあります。業種の問題だけでは無くコロナ時代に合った仕事のやり方への変換も余儀なくされ、働き方の大きな変換にもなりました。コロナ時代を生きる上で、大事なことは、心からトキメク「目的」を持つことだと思うのです。何のために生きるのか、目的がないから美学がない、美学がないから自分の中にあるはずの行動基準もない、故に安易に周りに流されてしまい、人生から生きがい、やりがいが消えてしまうのです。それは美しいか、それは楽しいか、それはかっこいいか、コロナが起こったからこそ、そんなことが大事だと思えるようになりました。コロナは私自身の内にある「生き方」や「美学」を思い出させてくれるきっかけとなりました。ただ生きるだけでは、人として立派な生き方とは言えないのでは、、、。人格に高低があるように生き方には美醜があります。重要なのは美しく生きること。美学を持って生きて初めて自身が楽しさを感じ、周りの人からカッコイイと思われ、世の中の役に立てる人になれるのではないかと思います。損得と勝ち負けばかりを目的にしていくと、人生から「面白さ」と「カッコよさ」が消えてしまいます。複雑化し、不安定で先の見えない未来、このような混迷の時代は「この先どうなるんだろう」と考えるよりも、「こうなる、こうする」と、決めつけてやりたいことをやり尽くし、目の前にあることを一生懸命に生きることが大事な事だと思います。「カッコイイ」とは超積極的にチャレンジする姿と、そのチャレンジを楽しんでいる姿、その姿が魅せる面白さだと思います「もっとかっこよく生きたい」「もっと楽しく生きたい」「日本をもっと面白くしたい」今、大事なことは目指すこと。天を見上げて生きること。理想を描いたほうが、絶対人生は面白くなると思います。
参照「昨日の自分に負けない美学」
2022/05/01 -
2022.04.01
未来を選択
二〇二二年は「終わりと始まり」がクロスする年になると考えています。
約二十年、ビジネス界では「デジタルがリアルを喰っていく」そんな絵面でしたが、二〇二二年はビジネス界以外でも「終わりと始まり」のクロスが起こっていくように思います。
より一層、「リアルビジネスモデル×デジタルビジネスモデル」へ移行、「会社で働く×自宅リモートで働く」へ移行、「リアル会議×リモート会議」へ移行、「動物性食料×植物性食料」へ移行、「自国優先主義×世界の共通ルール(SDGs・持続可能な開発目標)」へ移行など。
この変化の理由を考えてみると、このまま私たちが消費型社会を続けていくと「この地球が終わってしまう」という理由なのかもしれません。二〇二二年は「終わりと始まり」を意識しつつ、牛乳宅配ビジネスモデルから未来の牛乳宅配ビジネスモデルへの移行の準備をやり尽くすような一年にしたいと考えています。それに伴い、この数年間、取り組めていなかった人材雇用、並びに専門職の人材雇用にも取り組みたいと考えています。人材雇用の必要性は、最近一緒に仕事をするビジネスパートナーから「強烈な始まり」が感じられるからです。それに対応するためには平均点の人材より、ほとんど0点だけど、必要な部分だけ百点というメリハリの効いた人材が必要だと考えます。この数年は新卒雇用も行わず、現場の必要性に応じてアルバイトや中途社員を雇用していました。エリア、エリアで人材を雇用し、その全てを現場の管理者に任せていたのが実情でした。しかし、今年からは「強烈な始まり(事業の多角化)」が始まるので、長年勤めてくれている社員の仕事も確保しつつ、新しいビジネスに必要な新たな人材を私自身が中心となり雇用していければと考えています。
私はあまり未来を深く考えて行動してきませんでしたが、一般的に就職や転職を考える方々にとっては「仕事選びが人生選び」であり、人生の大きな分岐点となります。私には独立独歩の歩みの中で育んできた自分なりの決断のルールがありますが、就職者は歩んできた、少ない経験の中から選択をしなければなりません。私なりに「仕事の選び方」を、どのような基準で考え、どんな決断をすればいいのか、考えてみました。これは持論ですが「やりたい仕事」よりも「できる仕事」を選択するべきだと考えています。この考え方はスティーブ・ジョブズの「私は本当に好きなことしか続けられないと確信している。何が好きなのかを探しなさい。あなたの仕事も恋人も。」この言葉に反しますが、私の考え方は、「多くの他者が認めてくれるできることが大事」だと考えています。「やりたい」「やりたくない」「好きだ」「嫌いだ」という人間の願望は、環境や情報など外部の要因で出会う偶然なものだと考えています。何々したい、という願望は偶然から生まれるもの。だから、「やりたい」というのが、絶対的なことではなく、情報が内部化されて、自分の思いとすり替わっているのかもしれません。それに比べて「できる」は偶然じゃない!「できる」は必然だと思うのです!「やりたい」より「できる」を選択するべきだと考えます。私自身の今年の大きなテーマである人材雇用は、その役割に適した人とはどんな人なのか、どこにいるのか、などを考えながら雇用に取り組みたいと思います。
次に求める人材ですが、理想は独立採算制で利益を上げ続けることのできる人です。昔は就職先で人生が決まるという面が強くあったように思います。造船業界なら一生安泰だ、鉄鋼だったら大丈夫、金融なら極楽だ、などと言っていました。それが次に「勝ち組から危ない」に変わり、やれトヨタだ、ソニーだと言うようになり、時代の変化に伴い、業積の良い企業も変化してきました。働くことは大事なことだと思いますが、就職や転職は働くことの選択肢の一つに過ぎないと思います。今の時代に必要なことは、どこで働くよりも自分の価値をどう高めるかの方が重要課題だと思います。今から迎える未来はどんな大きな会社ですら、生き残れるとは限らないからです。企業に頼るよりも自分に頼る方が、はるかに信頼度が高いと思います。社会に出たらそこにあるのは自分の人生。自分の人生をより良いものにするためにどう生きたら良いのか。それを選ぶのは自分自身だと思うのです。
私たちの生きている社会は資本主義です。当たり前ですが、資本主義は競争社会で、競争で勝ち残るたった一人を決める戦いをしています。しかし、たった一人では幸せになれないのではないかとも考えます。資本主義の世の中にいる限り、根本原理は競争。ここは否定しようがありません。勝ち残った先で誰を幸せにする、幸せにできるのか、そんな思いが大事なことだと思います。目の前にある様々なことを選択し、未来を幸せな人生にしたいものですね。
2022/04/01 -
2022.03.01
運のない人と距離を置きなさい
私の大先輩である中村孝氏が本を出版されました。題名は『運のない人と距離を置きなさい。』というズバリな題名でした。この題名をつけた勇気にまずは拍手喝采ですが、本を読んでみると大和ハウス創業者である石橋信夫氏から教えていただいた言葉だと理解でき、題名にした訳もわかりました。本から引用すると、『ある時、石橋さんが「運のない人とは距離を置きなさいよ」と言われた。「運のない人と付き合いしなさんな」と言われるならわかるのだが「距離を置きなさいよ」という表現がひどく引っかかった。石橋氏がなぜそのような言葉を発したかと言うと「長いこと事業をしてると、まあ、お金にまつわるいろんなことがありすぎる」とのこと。また「運のない人とおると、ろくなことあれへん、幸運を持っていってしまいよる。運のある人同士が向き合うことが大事や。だから運のない人とはできるだけ距離を置いたほうがええ」決して縁を切ることまでしなくてよいが、付き合う人をよく見ながら、距離を測って付き合うとともに、これだと思った人には懐にぐんぐん入り込んでいくことの大切さを教わった。』とありました。
この本に書かれている中村氏の半生を見てみると、絶妙なタイミングで良き人と出会い、幸運な転職や転機が訪れてきたことがわかります。中村氏曰く「運が良かった」という表現で書かれていますが、私の人生のルールにある「運はプロセスによる」からすると、実直に一生懸命目標を持って頑張ってこられたからこそ良き運に恵まれたのだと推測します。中でも、奥様との出会いから結婚は、人生を大きく変える良縁だったのだと感じました。今の中村先輩の成功があるのは奥様のおかげだと言っても過言ではありません。しかし、この縁の根幹にあるものは中村先輩の人柄があってこそだと思います。まさに運のある人同士が向き合うことが大事なことなのだと感じました。しかし、この本を読み率直に感じるのは、よくもまあ昔のことを一言一句忘れずに覚えているなあと。すごい記憶力だと、まだまだ会社は大きくなると思いました(笑)。
中村氏の成功の要因はこの本の最後に書かれている「感謝の心と道徳心を忘れずに」の項目に書かれている通りだと思います。抜粋すると『二十五歳の時に事業を始めてから五十五年。長年の事業の経験を通じて思うことは、人間としての基本、そして商いの基本ができているか、できていないか、それによってその会社が勝ち組になって生き残るか、負け組になるかが決まってくるということだ。私は朝晩に「今日はありがとうございます」「今日も社員が怪我のないように」「今日も一日、家族が、世の中の方々が、どうか幸せでありますように」とお願いをしている。今の世の中で一番大事なことは道徳心だと思う。新入社員に「わしは嘘つく人間はいらんで。勉強せんでもいい。ただし、人の道を外すなよ」人とつながっていくのに一番大切な道は絆だ。人の悪口を言いたくなったら、自分に置き換えて「ああいう話をしたら、相手はどういう気持ちになるだろう」「自分がもしやられたら、どんな気持ちになるだろう」と考えながら、一つ一つ成長していかなければならない。人の道に感謝すること、そして、ありがとうと喜ぶ心が、一番大切なことだと思っている。私が社員に徹底していっていることがある。「悪い時こそすぐに飛んでいけ」という。クレームや事故などがあった時はその原因を突き止めて、人様に迷惑かけないように対処することが大事だ。誠心誠意迅速に対処し、火が大きくなる前にくすぶっている段階で火を消すことができた。後回しにすればするほど事態は大きくなるものだ』と書かれています。
この本を読んで私は「運命は偶然よりも必然である。運命は性格の中にあるという言葉は決して等閑(とうかん)に生まれたものではない」という芥川龍之介の言葉を思い出しました。「運命は偶然ではなく必然であり、その人の性格が決める」ということ。運命は偶然であらがえないものだと思われがちだが、そうではなく、性格が決める、つまり「人間の意志が運命を変えることもある」と言う意味。運命に流されて生きるのではなく、意志を持って自分の道を進むことが大切だと改めて気づかされたように思います。昨年来、世界はコロナ禍に覆われ、不自由な生活を強いられています。しかし、大きな変化を強いられている今こそビジネスを前へ進めていく上で大きなチャンスだと感じます。私も数々の逆境に直面してきましたが、それをバネにヒントにして前へ進むエネルギーに変えてきました。閉塞感が漂う今こそ、元気になってほしいという中村氏の願いがこの本には感じられました。
参考文献
中村孝 著『運のない人と距離を置きなさい。』二〇二一年、神戸新聞総合出版センター
2022/03/01 -
2022.01.01
二刀流
花巻東高校野球部には具体的な目標を一枚の用紙に書き込む「目標達成シート」というものがあります。正方形の枠を大きく9つに分け、その1マスをさらに9分割した用紙には、目標や、その目標を達成するために必要とされる要素が細かく記されています。用紙の中央に書かれた事柄が、その選手の大きな柱となる目標になります。メジャーリーガー大谷翔平は高校入学時の目標達成シートのど真ん中に「ドラフト1位8球団」と書いていました。プロ野球のドラフト会議で8球団から1位指名されることを目指しました。そのために必要な要素として、目標を囲むように「キレ」「コントロール」「体づくり」「メンタル」「人間性」「運」「変化球」「スピード百六十三キロ」といった八つの言葉を書き込みました。163キロを目指していけば160はいけるだろう、そんな理由でスピード160キロは163キロに書き換えました。花巻東高校・佐々木監督は大谷の思考の高さに驚かされたようです。
大谷の歩んできた道には、その時、その時に下した決断がありました。「花巻東高校入学」「プロ・日本ハム入団」「メジャー・エンジェルス入団」その中でもメジャー挑戦について面談した日本ハム・栗山監督は「翔平はお金の話を一度もしたことがなかった。彼にとっての価値観はそういうところにはないんですよね。翔平は誰もやったことがないことをやってみたいんだと思うんです。結果じゃなくて、それをまずやってみる。翔平はチャレンジしてみることが嬉しくてしょうがないという価値観を持っているんです」と言います。佐々木監督は「夢も大事だし、チャレンジも大事だけど、現実として一人の人間としての生活もあるという話を。怪我もあった。その中でボールの素材変わり、日本と比べてマウンドの固いアメリカでは体の負担が大きくなって肩肘を壊すリスクもある。メジャー挑戦の前年は特に成果が出なかったし、オフには右足首の手術もある。他にもいろいろリスクはあるし、あらゆるリスクを考えた時に、もう少しじっくりやってからアメリカへ行っても遅くはないんじゃないか。なんで今アメリカへ行かなくちゃいけないの」すると大谷は「まだうまくいってないこともたくさんある。だから行くことが大事なんです。成功するとか失敗するとか僕には関係ないんです。それをやってみることの方が大事なんです」そう言い切ったそうです。自信があるとか無いとか、活躍できるとかできないとか、大谷本人は考えていない。ただ行って挑戦してみたい。高いところへ自らの身を置きたい。そんな大谷の生き方を貫ける球団を選んだのだと思います。
二刀流に懐疑的であったアメリカの野球ファンも大谷翔平の二刀流での活躍を目の当たりにして、今や次の二刀流選手を待望するようになっています。大谷は全米野球ファンの夢と希望を叶えるベースボールヒーローとして扱われるようになりました。しかし、全米ファンを虜にしたのは、二刀流での活躍だけではなく、その立ち振る舞いにありました。オールスター戦の試合後、前日はホームランダービーにも出場しヘトヘト状態だったにもかかわらず、ファンから突然サインを求められると、バックをわざわざ地面に置いて丁寧にサインをした。ホームラン王争いの真っ最中、しかも、本塁打数が失速している頃、リトルリーグの少年たちに求められるまま、笑顔でサインをし続ける大谷には尊敬の念すら感じます。多くの一流メジャー選手からも賞賛の声が上がっています。「僕はショウヘイの大ファンだ。何て素晴らしい才能だ。僕も彼と同じぐらい速い球を投げることはできるけど、彼のように打つことはできない」「本当にアンバビーブルな存在だ。この100年間、真の意味での二刀流をやった選手はいなかった。最後にやったのはベーブ・ルースだけだ。ショウヘイは100マイルを投げ、本塁打でもリーグトップクラス。投げても打ってもオールスター級さ。しかも、人間としても超一流。僕は打たれたけど(笑)、彼の活躍は嬉しいんだよね。人として素晴らしい人間には、誰だって成功を願うだろ。ショウヘイに会ったことのある人たちなら誰もが、成功してほしいと思っているはずさ」「権威ある人だけでなく、そうじゃないにも敬意をもって接している。本当に尊敬する人物だ」
2021年、大谷は二刀流として一年間怪我なく終えられるよう肉体改造を行い、シーズンの最後まで熾烈なホームラン王争いを繰り広げ、投手としても九勝し、投打の大活躍を見せました。オールスターゲームでは従来のルールさえも変更させ、1番DH兼先発選手としてリアル二刀流を魅せてくれました。全米野球記者協会の代表30人によって選出されるアメリカンリーグMVP受賞は当然だと思います。
植木屋の職人さんから、「小さな植木鉢のイチョウも庭に植え育てたら大きく育つ」と聞きました。器を大きくして育てれば、それ相応の大きさになる。人材育成も相通ずることがあると思います。逆に「お前はあれができない、これができない」と否定ばかりして育ててしまうと、それなりにしか育たないように思います。今、自由や自主性を尊重する風潮があり、自らの考えのもと行動することは大切だと思います。でも、何もわからない時期には道を示してあげることも、ある程度必要だと思います。美しい盆栽を作るには、矯正した針金をどのタイミングで外すかが重要とのことです。人材育成も、どのタイミングで自由や自主性に任せていくかが大切なことだと思います。
私自身の歩みを振り返ると、27歳で起業し、まったく矯正されることなく独立独歩で歩んできました。その分失敗も多く、苦しい場面も多くありました。会社の数も今では16社と増え、ある意味十六刀流と言えるかもしれません。還暦を迎える今思うことは「人生これからが本番」、干支が一巡し、出生時に還る今こそ、さらなる高みを目指したいと思います。本年もジャンジャン、バリバリ頑張ります。今年もよろしくお願いします。
2022/01/01 -
2022.02.01
エイベックス
コロナは私に多くの変化をもたらしましたが、一番大きな変化はリフレッシュの仕方だと思います。コロナ前はストレスを感じたことがありませんでした。それは「遊びのように仕事をこなしていた」からではなく、ストレスを感じない仕事のやり方をしていたのだと、最近気が付きました。コロナ前は、東京、名古屋、博多、ソウルなどへ月の半分以上動く生活をしていました。これがストレスを生まない仕事法でした。動く生活は移動時間を含めての一人で自由に過ごす時間が多くあり、その時間を利用していろんなことを考えたり、コラムを執筆したり、勝手気ままに過ごすことができました。それが今は毎日Zoomで六つも七つも会議に参加して、時間から時間のスケジュールをこなしています。たまに行く東京出張が楽しくて仕方ないのは、日頃のスケジュールに遊びの時間がないからなのでしょうね。
コロナが終息する今年の目標は、スケジュールに余裕を持たせる、自分にしかできない仕事以外はしない、この二つを目標にしようと考えています。最近、動けない生活の中で新しいリフレッシュ法を見つけました。それがNetflix(ネットフリックス)とYouTubeを見ることでした。Netflixはまたの機会に書くとして、最近のお気に入りYouTuberはエイベックス松浦会長です。昔なら講演を聞きに行かないと聞けない話が今は簡単に聞けるようになりました。『起業のきっかけはアルバイトをしていた貸レコード屋の社長から「一緒に会社やらないか?」と誘われたから。最初に出店した場所は貸レコード屋が四店舗もある激戦区でした。なぜわざわざ激戦区に出店したのかは、そこに客がいるのがわかっていたからとのことでした。あとはその四店舗に勝つにはどうすればよいかを考えるだけ。松浦氏は同業者に勝つために、どう差別化を図るかを考えました。毎日のように喫茶店へ行きノートとペンに、新たな企画や販促法を考えては書き記して実践することを繰り返しました。やがて近隣にあった四店舗は全て無くなり、地域のナンバーワンになりました。それでも次に何をすればもっと大きくなれるかを考えました。地域密着の商売は売り上げが青天井で伸びていくことはない、ならば伸ばしていくには多店舗化するか、乱立していく貸レコード屋に何かを売るか、この二つのどちらかだと。多店舗化で大きくなった成功事例はTSUTAYAでした。松浦氏はもう一つの方法の他の貸レコード屋にものを販売する方を選びました。当時の貸レコード屋には音楽に詳しい人があまりいなかったので、輸入盤の仕入れを代行し、内容を解説するコメントを書いて貼ってあげると評判になり、ウチの店でもやってほしいと多数の依頼があった。毎月仕入れ代として数万円をもらって今で言うサブスクのようなものをやりました。ある程度の売り上げが見込めないと、やめられてしまうので、真剣にやりました。五十軒ぐらいの貸レコード屋からの依頼がきて感じたことは「これは商売になる。別会社を作ろう」。これがエイベックスの前身でした。
輸入盤の卸の会社に軸足を置くと、そこでも輸入盤卸会社同士の戦いがありました。そこでまたどうすれば勝てるかを考えました。あまり差別化できない輸入盤卸事業でしたが、ライバル社が真似できないことを探しました。たどり着いた企画がエイベックスでセレクトした曲をイタリアのレコード会社に権利を獲らせてセレクト盤を作ってもらうことでした。作成したCD一万枚は全て買うから、他の輸入レコード卸会社には売らないようにと交渉しました。企画は大当たりしてドンドン売れました。売れると儲かり資金ができました。次に考えたのは輸入盤のセレクトで良い曲をたくさん選んだ「スーパー・ユーロビート」を制作しました。ある時から輸入盤ではなく、自分たちの曲に入れ替えることを考えました。自分たちの権利を持った曲を販売するということはレコード会社になるということでした。当時のレコード会社はSONY、東芝、松下など大手家電メーカーの子会社だったので少し悩みました。周りの人から散々やめろと言われましたが、やってしまいました。その後、ジュリアナ東京ができブームにのりジュリアナのCDを作ったらバカ売れしました。その次は小室哲哉氏と出会いがあり、またまた小室氏のダンスミュージックはバカ売れし、TMネットワーク~TRFへと続いていきます。創業期はやることなすことがほぼ当たり順風満帆でした。その後上場し、得た上場益五十億円を詐欺で騙された時の話では「苦い経験あるんですね」の一言に「苦い経験ばかりだよー」と返答していました。また、小室哲哉氏がある日突然逮捕されて、六億五千万円の弁済を肩代わりして、刑務所行きを免れた話では、「小室さんのおかげでエイベックスが大きくなったのは間違いないし、五年も刑務所に入ったら才能ダメになるだろうな。俺にできることはそれしかない」と。』
今回の松浦氏のYouTubeは本当に勉強になりました。共感を覚えるポイント、自分に足りていないポイントなど大きな気付きとなりました。エイベックスの成功の軌跡で学んだことは、成功ではなく大成功するために必要なことでした。大成功するためには「時代の流れに乗れる業種を選ぶ」「同業者が真似できないぐらいの差別化を図る」「常に考える、自分しかできないこと以外は全て任せる」でした。コロナ禍でライブやコンサートができない状況、CDが売れなくなり低迷する中で、青山のエイベックス本社を売却、社長を退任し会長に就任したこと、YouTuberを自分自身で体験、体感していること、そんな状況の中で、松浦氏は次の時代をどう捉え、どんな手を打つのかを楽しみにしたいと思います。
2022/02/01 -
2021.12.01
渋沢栄一
今年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」では「日本実業の父・渋沢栄一」を取り上げました。このドラマを観るまでの渋沢栄一の印象は、三菱の岩崎弥太郎と海運業で対立したライバルという印象しかありませんでした。しかし、このドラマを機会に、あれこれ調べてみると、渋沢栄一は日本経済の礎を築き、約500に及ぶ企業の設立に関わり、多くの功績を残した人物であると理解ができました。『大阪へ行くために「JR」に乗り「日経新聞」をひらいた。社内吊り広告に「サッポロビール」の新製品の宣伝があった。帰りに買って帰るために「みずほ銀行」のATMに寄る。今年ももう少しで終わる、年末年始は「帝国ホテル」で過ごし、初詣は「明治神宮」に行くかな。その前に「聖路加病院」に入院している親父の見舞いにも行かなくちゃ。』ここに出てくる固有名詞のすべての設立に関わった人物が渋沢栄一です。他にも、三井住友銀行、日本製鉄、東京海上日動、東急電鉄、東京証券取引所、キリン、東京電力、一橋大学など、数えればきりがありません。また、2024年より新一万円紙幣の顔となる人物です。
1840年・武蔵野国榛沢郡血洗島村生まれ。江戸時代末期・ペリー来航などにより長く続いた封建制度が終わり、新たな時代の幕が上がろうとする変わり目に、渋沢栄一は青年期を過ごしました。家業は製藍業・養蚕業を親の代から営み、割と豊かでありました。青年期に剣術習得のため道場へ通いだし、同じ道場に通う同志達の影響で尊王攘夷思想へ傾倒していきます。倒幕計画を企てるが未遂で終わり、京都に逃げ、平岡円四郎の推挙により一橋慶喜に仕官することになります。倒幕から仕官へと人生は真逆の方向へ歩み出しました。仕官後は真面目に働いたことを認められ一橋家の「勘定組頭(財政管理)」に就任します。やがて一橋慶喜が15代将軍徳川慶喜に就任。パリ万国博覧会の幕府使節団に抜擢されヨーロッパに渡り、日本にはない水道設備、蒸気機関車、エレベーターなどの科学技術を目にして驚きます。さらに、多くの人々から集めた資金で事業を行い、利益を分け合う「資本主義」に大きな衝撃を受けることになります。後に多くの企業設立に携わるきっかけが、このヨーロッパ視察にありました。ヨーロッパ視察中に徳川慶喜は大政奉還を行います。帰国後、幕府から新政府に任を移し、その後に実業家の人生をスタートします。1931年~1991年・91歳で亡くなるまで約五百の企業設立に尽力することになりました。
渋沢栄一の経営指針の根幹には「論語」があり、「仁義道徳に基づかないと、会社はうまくいかない」「個人の富は国の富であるから、自分だけが儲かれば良いという考え方ではダメだ」このような思想の持ち主でした。だからこそ、幕末からわずか数年間に日本の資本主義の礎を築くことができのだと思います。渋沢栄一の業績を考えれば、渋沢財閥を作ることも可能だったはずなのに、その道を選びませんでした。また、三菱の岩崎弥太郎から、「二人が手を結べば、日本の実業界を思い通りに動かすことができる」と、誘われたときも、岩崎弥太郎の才覚には深い尊敬を抱きつつ、大きな富を独占しようという結論は自分の考えと真逆だと断ります。まさに「論語と算盤」の経営を貫いた人でした。渋沢栄一は『論語と算盤』という著書の中で、論語と算盤は、はなはだ遠くて近いものと表現しています。当時は政界や軍部と結んだ企業が利益を独り占めしている図式がありました。そのような時代に実業とは多くの人にモノが行き渡るようになり、多くに人々に幸せを感じられるようすることが目的である、というのが持論でした。渋沢栄一曰く、「それが完全ではない場合、国の富は形にならない。国の富をなす根源が何かと言えば、社会の基本的な道徳を算盤とした素性の富なのだと。そうでなければ、その富は完全に永続することはできない。ここにおいて「論語」と「算盤」というかけ離れたものを一致させることが、今日の急務だと自分は考えている」と。
コロナにより情報化革命は一段とスピードを上げて、新たな時代へと進んだように感じます。WITHコロナの時代の到来は、人々の生活習慣を大きく変化させ、それに伴い、多くの企業も変革を求められています。時代に合わないモノは滅び、時代に合わせて変化したモノは振興していきます。先の見えない時代にどう生きるか?渋沢栄一の生き方・考え方は迷った時や悩んだ時に立ち返りたい原点だと思います。私もこれを機に、論語を読み返してみようと思います。
2021/12/01 -
2021.11.01
東京オリンピック2020
東京オリンピック2020は7月23日~8月8日まで、205カ国・地域などから約11,000人の選手が参加し、33競技339種目が17日間にわたって開催されました。新型コロナウィルスの世界的な感染拡大で近代五輪史上初めて1年間延期され、大会期間中も緊急事態宣言下で、ほとんどの会場が無観客となった異例の大会となりました。日本勢は2004年大会を更新する金27個、2016リオデジャネイロを更新する計58個と史上最多のメダルを獲得しました。多くの見どころがありました。野球・侍ジャパン・五戦全勝、柔道・阿部兄妹同日V、水泳・池江璃花子 奇跡の「東京」、レスリング・川井姉妹で「金」、ゴルフ・稲見萌寧メダル初「銀」、体操・内村衝撃の落下、卓球・水谷、伊藤 中国破り「金」など多くの感動や衝撃を都度感じながらの観戦となりました。オリンピックでのアスリートのコメントも、今と昔では随分違ってきました。昔は、「ちょー、気持ちいい~」など、自己の喜びの表現が主流だったように思いますが、今は、「支えてくれた方への感謝」をコメントする方が多くなりました。また、オリンピック期間中は、日本という国を多くの場面で意識する機会となり、改めて、日本人であると言う自覚が蘇った期間でもありました。
今回の大会で個人的に一番心揺さぶられたのは、柔道・大野将平選手でした。1年間の延期が余儀なくされる中、前回大会からの5年間、金メダル連覇へのプレッシャーの中、多くの葛藤と我慢を強いられながら、金メダルを獲得しました。このプロセスに私の人生を重ねてしまい、勝手に自分ごとのように感動しました。彼のルーティンは、どの選手よりも早く会場入りし、真っ先に畳にあがります。仰向けになり天井を見つめ「今日1日、二度とこの景色を見ないように」と。大野選手は言います。「前回のリオデジャネイロオリンピックは24歳で怖いもの知らずで戦えましたが、チャンピオンになってからは、勝ち続けることの怖さを知りました。2連覇というのは過去の歴史でも3人の先輩方しか達成できていません。井上康生監督ですら2連覇の壁を乗り越えることができなかった。準決勝・決勝と延長になりました、今まで感じたことのない恐怖を感じ、ただただ怖かったです」。よくモチベーションを維持できましたね、という問いには「5年間でモチベーションの上がり下りは何度もありました。何のためにきつくてしんどい稽古やトレーニングをやっているのだろうか、という気持ちにもなりました。1年延期してなかったら、もう休めていたかもしれないとも考えました」。「何のために柔道やっているのかと自問自答もしました。若い頃は自分のために自分の内側から出てくるものに頼っていたのが、だんだん、内側のモチベーションだけで走れなくなってきて、いろんな要素をモチベーションにして自分のケツを叩きました。その一番は延期になっても大野は強い、当たり前に勝ってくる。この声を一番のモチベーションに変えました。この周囲の声に自分自身が乗っかってしまうと、自分は負けると理解していたので、この1年間自分が負ける姿を想像して稽古をしてきました。それが一番のストレスではあったんですが、だからこそ我慢できたように思います。」練習を休みたくなったことは、との問いには「朝起きて、今日休もうと思うこともあります。しかし、逆に休む勇気を持つことの方が難しかった。練習をやりすぎてしまう自分がいて、人に止められたら休むというのを、自分への合図にしていました。自分で休む合図を決めてしまったら、いくらでも妥協できますし、いくらでも休む理由なんか見つけてこれますので」。東京オリンピックから学んだことはと言う問いには、「一番は覚悟をするということ!自国開催で勝つということは普通のオリンピック以上に覚悟が必要だったと思います。私にとって覚悟とは準備を整えること。楽しむ場ではない、戦いの場だということを。大げさに言うと、生きるか死ぬかの殺し合いの場だということを胸に刻み戦いました」。大野選手の戦いを見て、心動いた人が多くいると思いますがとの問いには「生きていると辛く苦しい場面もあります。我々、アスリートの姿を見て奮い立って欲しい、これが、一番の願いです。スポーツは心動かせる存在であって欲しいです」個人的に大野選手の好きなところは、勝っても表情を崩さない理由が「相手に敬意を表す」という、日本人が大切にしてきたことを実践しているところです。
東京オリンピック1964大会では終戦から19年が経ち、戦争で焼け野原になった、この日本の復興を世界に示すことが「国」として意味があったのでしょう。あれから57年、わずか半世紀余りで私たちの国は、あの頃とは違う国になってしまったように思います。政治家も企業も、そして国民も「経済」ばかりを追い求めた結果、「富」という豊かさと引き換えに、「心」の豊かさを、どこかに置き忘れてきたように思います。結果、社会的な格差は広がり、自分さえよければ良いという風潮が蔓延しています。人々はこの国や社会のためにという「志」も「大義」も持てず、安全に生きることができる日本の今に感謝すらしないようになりました、相手の言葉を聞かず、自分の言いたいことだけを言う。不平不満だけを吐き、世の中を変えようという気概もない。これが「平和」の正体なのでしょうか。今、新型コロナ感染症によって国民は心も生活も疲れ果て、未来を見失いました。オリンピックでは観客も奪われ、歓声の聞こえない閉会式となりました。東日本大震災からの「復興五輪」として描いた夢や計画は幾度も変更され、次々と担当者が入れ替わり、我々は四分五裂し、東京2020は人々の思いから離れつつ、閉会式を迎えました。残念に思います。このことを、次世代を生きる者は、どのように記憶し、未来に繋いでくれるのでしょうか。
今回の大会では困難な状況にもかかわらず、アスリートたちは胸を張って堂々と歩んでくれました。すごく誇らしく思えると同時に、アスリートの栄光と挫折に寄り添えたことに感謝の気持ちでいっぱいです。
2021/11/01