Column 社長コラム
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2023.08.01
経営改革-社長の器編-
若い頃、人の器の大きさについてよく考えることがありました。器の大きさを測るための物差しは人によって違いますが、私なりに考えた『器』とは、どれだけ多くの方に『影響』を及ぼすことができるのか、その『影響を及ぼす範囲』のことが器の大きさであると考えていました。では、多くの方に影響を与えるに具体的には何が必要か?「人望」「信頼」「度量」「貫禄」「威厳」といった人格的要素や「知識」と「理論」さらに「戦略」「戦術」といった経営面での素養にたけている事はもちろんのこと、表現力に優れ、的確な言葉を使えることも重要なポイントだと考えられます。
人間社会は基本的に言葉のやり取りで成り立っているため、コミュニケーションの質の向上や、相手への影響力の強化、スタッフからの信用及び信頼の獲得のためには、どうしても言葉が必要となってきます。
経営者である私に大きな器があれば、多くの社員を引っ張っていくリーダーシップ、社員の心をグリップする求心力、職場での社員の満足度向上、など様々な課題の解決に繋がると確信していますが、今のままでは難しいと感じています。なぜならば、私は様々な事業に携わっているため店舗にいる時間が確保できずに、スタッフとコミュニケーションが取りづらい状況だからです。器を形成するためには、どれだけ現場に時間を割けるかが重要なのです。
そのため、デミックの直面している経営課題(組織改革、業態変換)などの解決に向けて、私自身が先頭に立ち、各地の店舗へ訪問し「店舗改革を行う」と決めました。「現場は宝の山」この言葉通り、経営改善をするための多くのヒントは牛乳宅配店舗にありました。改革の第一歩は、スタッフへの感謝の気持ちを伝えることから始まりました。店舗訪問を行い改めて感じたのはスタッフの凄さ、雨の日も、風の日も、お客様のご自宅まで牛乳を届けてくれているスタッフへ感謝の念に堪えません。全ての改革は、この「感謝」無くして前へ進めないと思いました。次に、スタッフとのコミュニケーション量を増やしました。「趣味は何?」「休日は何してるの?」「奥さんや彼女はどんな人?」から始まり、「仕事のやりがいは?」「仕事の楽しいところと辛いところは?」「未来どうなりたいのか?」など、話を進めていきます。身の回りのことから、人生観まで、色々と話をしていくと、その人の性格や人となりが理解できてきます。もちろん、私自身のことも包み隠さず話します。良いチームを作るには、店舗で働くスタッフのことを知ることが必要不可欠だと思います。
各店舗では約10人〜25人の社員や配達スタッフが働いており、当然、店舗改革は店舗にいる人を中心に進めます。したがって課題解決のためという理由で、店舗にいるスタッフを蔑ろにし、新しいスタッフを迎え入れても上手くいかないように思います。だからこそ、時間をかけて目の前(店舗)にいる人との信頼と信用を築くところから一歩、一歩進めていきます。
スタッフとコミュニケーションを深めると色々な事に気づきます。気づく⇒考える⇒行動する⇒壁にぶつかる、また気づく。このようなサイクルで頭の中がずっと休む間も無く、考え続けています。また、自分自身に「デミックが生き残るためには?」「経営者としての目標は?」「社員をどこへ導くのか?」など自問自答を繰り返しています。ホント考えてばかりで疲弊してしまうこともありますが、『企業は社長の力量以上に伸びないし、社長の器より大きくなる事は無い』これが組織論の原則です。
したがって組織が強くなれるかどうかは社長の力量次第。ならば、社長と呼ばれる人間はどんな時も、自分をレベルアップさせ続ける義務があります。私自身も、より良い組織づくりや人材育成、指導方法などを自分自身に問い続け、本業以外にも多くの経営者との交流を通して、自分を磨いてきたつもりです。社員以上に自分を厳しく律し、「進歩しよう、向上しよう」と戦う姿勢を周囲にも見せる必要があると思います。
社長の器の要素を全て備えている人は皆無に近いです。私がなんとなく長く社長をやれているのは、欠点こそあれ、信用や信頼を得るために創意工夫を重ねて、社員や役員からの助けを借りることができたからだと思います。社長の器を図る様々な要素の中で、肝要なのは、信頼、そして周囲から寄せられる信用だと思います。
2023/08/01 -
2023.07.01
ツキを呼ぶ魔法の言葉・2
先々月のコラムで「ツキを呼ぶ魔法の言葉・1」をお届けしました。
そのコラムにコロナが終わろうとしている今、5度目の経営危機に陥っているかもしれないと書きました。
過去の経験から、経営危機はほぼ「慢心」「過信」「自信過剰」の言葉通り、自らの中から発生することが多かったように思います。今回の経営危機に拍車をかけたのがコロナ禍の影響です。コロナ禍になってからの3年間を経営分析してみると、「動けない」「話せない」ことでコミュニケーションが不足し連帯感の喪失、行き違いや思い違いによってさまざまな問題に拍車がかかったと思います。現状の全ての問題をすぐに解決し、経営改善をするのは容易ではないと感じています。その理由は「やるべきことは沢山ある、しかし、店舗の誰とやるのかを決められない」「判断力はある、ただ判断する情報がない」このような状況の上に、ガソリン代、光熱費をはじめとする経費の高騰、メーカーの値上げなど、色々な問題を複合的に改善しないと良くならないからです。
もう一度、魔法の言葉を唱えながら経営改善(改革)を決意しました。ピンチが起これば「ありがとう」、良いことが起これば「感謝します」、常日頃から「ツイてる、ツイてる」と口ずさみながら改革に挑みました。改革の第一歩はお客様には心苦しいですが、値上げをさせていただくことから始めました。本当に申し訳なく思いますが、それをしないと改革の前に会社が終わってしまうからです。その上で店舗の現状を知ることから始めようと、長い間行けてなかった店舗への訪問をすることにしました。久しぶりに訪問した店舗は良いのか悪いのかわかりませんが、全く何も変わっておらず、昔のままでした。変わったのは老朽化した店舗建物と当時からの勤務してくれている配達スタッフが10歳以上も年をとっていたこと、さらに時代の潮流に伴う宅配牛乳のニーズの変化などから店舗のお客様件数が減っていたことでした。事務員と面談、店舗社員と面談、全ての配達スタッフと面談し、面談終了後みんなで懇親会を開催しました。スタッフと話して一番大きく胸に湧き上がった感情は、他の事業に力を割き10年以上も店舗を放ったらかしにしている間、ずっと配達をしてデミックを守ってくれていたスタッフへの感謝の気持ちでした。本当に「有り難い」の一言に尽きます。そして、一見、店舗もスタッフも変わっていないように見えたのですが、リーダー不在で放っておくと、そこで働くスタッフの都合よく仕事が変わっていることが面談を進めるにつれてわかってきました。これは、放ったらかしにしていた私の罪です。
デミックが大きく飛躍したのは、私が40歳から50歳の10年間でした。毎年、新卒を15人受け入れ、右も左も分からない社員と前年、前々年入社の成績優秀社員を育成者に育てて学生時代のクラブ活動のような営業組織で、毎年1店舗ずつ営業拡大していきました。たった200件で始めた牛乳屋は40,000件の顧客を持つまでに成長し、心の根底に「オレはできる」「オレはすごい」という勘違いがありました。これこそが「慢心」「過信」「自信過剰」という心の緩みでした。動く、動く、動く、誰よりも動く、誰よりも働く。正確な情報を得て即断即決。「いいチームを作る」をテーマに動きまくる。全国の店舗を回り問題がたくさん見えてきました。いつも「ありがとう」と口ずさみながらスタッフと面談を繰り返しています。文字通り「難が有る」時に「有り難う」不幸は重なるものです。でも、「ありがとう」ということで、その不幸の連鎖が断ち切られ、逆に幸運を呼び込むことができます。動き回ると、多くの社員を巻き込むことになります。多くの社員を引っ張り回すと、互いに同じ方向を見ることができるようになり、同じ想いを共有できることになります。何よりも店舗への訪問が楽しくなり、アイデアが湯水の如く湧き上がり、時間を共有する仲間と喋りまくります。変わりたくないスタッフが、こちらの本気に触れると、変わり始めます。本気を受け入れ始めます。動き回りどんどん改革していくと「一人でもやってやる」という自信が芽生えます。
かつて坂本龍一は「すごい根拠のない自信家でね、なんでもできると思ってたんですけどね。自信があるといつかそこ(目指す目標)にいけるんですよ」という言葉を残しました。『自信とは才能』私も60を過ぎ、まだこのような言葉に心動かされます。それも才能なのかもしれません。神様がこの時期に店舗を回るように仕向けてくれたのだと思います。「仕事は現場から」この言葉が心に染み入ります。たとえ小さなことに対しても「ツイてる、ツイてる」を口癖にすると、必ずツキはやってくるように感じます。なぜなら言葉は心を変え、習慣を変え、ツキを引き寄せるからです。
2023/07/01 -
2023.06.01
祝WBC世界一
WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)決勝の直前、侍ジャパンの大谷翔平選手が放った言葉です。「僕からは1個だけ。憧れるのをやめましょう。ファーストにゴールドシュミットがいたりとか、センターを見たらマイク・トラウトがいるし、外野にムーキー・ベッツがいたりとか。野球をやっていれば、誰しもが聞いたことのあるような選手たちがいると思うんですけど、今日一日だけは憧れてしまったら越えられないんで。僕らは今日、超えるために、トップになるために来たので。今日一日だけは、彼らへの憧れを捨てて、勝つことだけを考えていきましょう。さぁ、いこう!」この後の侍ジャパンの活躍はみなさんご存知の通りです。WBCで侍ジャパンが3大会ぶりに優勝しました。準決勝、決勝と、本当にシナリオライターがいるのではと思いたくなるほどドラマチックな展開で、侍ジャパンは歓喜の瞬間を迎えました。本当にすごかったですね。
今大会WBC世界一の優勝立役者はMVPも手中に収めた大谷翔平ですね。「大谷翔平の大会」として今後も長く記憶されていくに違いありません。「打って」は東京ドームの看板直撃弾で観客の度肝を抜き、「走って」は相手守備陣の隙を突くセーフティバントやヘルメットを飛ばしての激走二塁打で魅せてくれました。そして、「投げて」は、時速100マイル以上の豪速球と大きく横滑りするスライダーで相手打者を制しました。「打って」「走って」「投げて」たった7試合で野球小僧・大谷翔平のすべてを凝縮したようなプレーを見せてくれました。その活躍には野球を愛する者なら誰しも喝采を送るに違いありません。国籍、肌の色、人種を越えて世界中のファンを魅了しました。
私の主観で、世界一への軌跡を初期段階から振り返って、世界一に大きく貢献した選手を選ぶとしたら、大谷翔平以外にダルビッシュ、ヌートバー、吉田正尚、村上宗隆などを挙げたいと思います。ダルビッシュは宮崎合宿の初期段階から集合し、ダルビッシュ塾を開校して若手選手に的確なアドバイスをしてくれました。このダルビッシュの動きがチームを一丸とさせたように感じます。ヌートバーは切り込み隊長的なキャラクターで活躍し、試合の序盤を勢いづけました。準決勝のメキシコ戦では絶体絶命のピンチを救ったのは吉田正尚の同点3ランでした。7試合で13打点と大活躍でした。そして、最後の最後で不振に喘いでいた村上宗隆がさよならヒットを放って世界一を決めました。ここに挙げた選手たちが1人でも欠けていたら日本の世界一は無かったように思います。本当によくやってくれました。感動で心震えました。
ここまでは選手たちの話を書きましたが、今WBCでの世界一への土台を築いたのは、栗山監督だと思います。優勝後の胴上げで、マイアミの夜空に10度舞いました。背番号89の栗山監督を押し上げたのは、監督自らが東奔西走して集めてきた30人の頼もしき戦士たちでした。「選手たちが本当に嬉しそうな顔をしていた。それが嬉しかった」優勝インタビューでこう語ったように、栗山監督の野球は常に選手が主役で試合が動いていきます。世界一までの7試合で栗山監督が采配を振るったのは、送りバントのサインが1回、エンドランのサインが2回ほどで、ほとんど指示を出していません。栗山監督がしたことは、どこでどう信頼して人を使うかを決断すること、でした。先発メンバーを決め、打順を決め、投手陣の系統をメインに、後は試合終盤の代打や代走、守備固めでの選手交代を決断してきました。選手を作戦で動かす采配や、奇策もありませんでした。これほど選手を信頼して勝負を委ねられる監督は他にはいないかもしれません。その信頼こそが、侍ジャパンを世界一へと導く土台となったのです。「選手を信用しても信頼はしない」これはほとんどの監督が選手に持つ心得です。栗山監督の恩師でもある元ヤクルト監督の野村克也さんもよく語っていました。日本ハム時代、特に2021年シーズンを最後に退任する直前の栗山監督も、これに近い選手観を持っていたのかもしれません。しかし、WBCではほとんど選手を信頼して、それを元に選手を起用した。背景にあるのは、自らが作り上げたチームへの自信のように思えました。
今回のWBCは総評すると、決勝まで勝ち進み優勝したのは日本でしたが、勝者は野球界そのものだと思います。日本のプロスポーツといえば野球でしたが、近年サッカー、バスケット、ラグビーなどプロスポーツの台頭で野球人気も陰りをみせていたので、今回のWBCは今後の野球界を大いに盛り上げるきっかけになるように思います。
2023/06/01 -
2023.05.01
ツキを呼ぶ魔法の言葉・1
私は平成元年、27歳の時に牛乳宅配事業を起業しました。この34年間で、大きな経営危機が3度ありました。しかし、3度目の経営危機を最後に経営危機が無くなったように思います。
その理由は『ツキを呼ぶ魔法の言葉』という小冊子に出会ったからだと確信しています。
この小冊子は著者である五日市剛氏がイスラエルで出会ったお婆さんに教わった「言葉の大切さ」について書かれています。
お婆さん「心の持ち方って大事よ。だけど、もっと大事なのはね、言葉の使い方なの。どんな言葉を口にするかで、あなたの目の前の状況が変わってくれるし、あなたの心も変わってくるの。ほんとうよ」ピンチの時には「ありがとう」、良いことがあったら「感謝します」、いつも前向きに「ツイてる、ツイてる」、「言葉を変えると運命が変わる」と。最初は私も、そんな簡単に運命が変わるなんて、嘘のような話だと思いました。
しかし、タイミングよく4度の絶体絶命的な経営危機がきたので、実践してみることにしました。
その経営危機は、取引メーカーの多額リベートの削減要請でした。何もせずに、リベート削減を受け入れると万事休すです。恐る恐る「ツキを呼ぶ魔法の言葉」を使い、経営改善をやってみることにしました。まず私自身が、「よっしゃ、きたー、ありがとう」と、この経営危機をチャンスとして受け止めました。次に、2人の幹部社員に『ツキを呼ぶ魔法の言葉』の説明に加え、前向きに経営改善をするための戦略を伝え、私を含めて3人で役割を決めて挑みました。
経営幹部2人は「ありがとう」「感謝します」「ツイてる、ツイてる」と、事あるごとに唱えながら全店舗をまわり、獅子奮迅の活躍をしてくれました。その結果、リベート削減を受け入れても、V字で経営は改善していくのですが、同時に大きな痛みも伴いました。痛みの内容は、組織改革、仕事内容の改革、情報誌の廃止、店舗の集約などで、経営改善を進めていく過程で生じました。配達員の仕事項目が増えたり、不必要だと判断した部署を廃止したり、店舗を合併させたりと、効率が上がり、多くの経費が削減されましたが、広告費激減により取引していた業者との取引が停止したり、配達人件費の効率アップにより人件費が削減したり、予測はしていましたが多くの社員が不安に思い退社希望が続出し、寂しい思いをしました。
結局、この当時の経営改善が功を奏して(リベート削減額より、経費削減額が多くなり)大きく経営が好転してきたのです。それ以降も小さいピンチが何度もありましたが、危機らしい危機にはなりませんでした。本当に不思議です。
今回、紹介した4度目の経営危機は事なきを得ましたが、『ツキを呼ぶ魔法の言葉』に出会う前の1度目〜3度目に起きた経営危機は、眠れぬ日々もあるぐらい、とても辛く苦しいものでした。
■1度目【起業初期の試練】人が全員辞める→自己改革
■2度目【阪神淡路大震災の影響】配達先がゼロになる→アクシデントの受け止め方
■3度目【新規事業の失敗】マーケティングの甘さ
この3つでした。今思えば、その時期、その時期に経験すべき試練を経験させていただき有り難かったですし、経営を見直すチャンスだったとも言えます。
『ツキを呼ぶ魔法の言葉』を用いた経営改善を試してみて、最初は「心より、言葉が大切」というところがなかなか理解できませんでしたが、よく考えてみたら、私たちの心は意外と不安定で、言葉の影響を受けやすいものです。汚い言葉、マイナスな言葉を使うのをやめ、ニコッと笑ってプラスの言葉を口にすれば、自分の言葉も、相手の心も心地良い状態で安定し、自分の置かれた状況がどんなにピンチでも、必ず好転していくような気がします。
コロナが始まり3年が経ちました。当社デミックも社員と会うこともできず、店舗にも行けない状況の中、みんなの意識が統一できず、5番目の経営危機に陥っているように思います。久しぶりに『ツキを呼ぶ魔法の言葉』を用いた経営改善を行おうと考えています。次号、もしくはもう少し先になるかもしれませんが、パート2を書こうと思いますので、楽しみにしていてくださいね!
2023/05/01 -
2023.04.01
現役新年例会2023
今回のコラムは2023年1月に行われた、尼崎JC(尼崎青年会議所)現役新年例会での挨拶を抜粋してお届けします。尼崎JCは他のLOM(国家青年会議所の中に属する各地青年会議所)と違い、どこへ行っても「尼崎さん」と敬ってもらえます。なぜ敬ってくれるのか?それは尼崎JCのレジェンドである鴻池祥肇先輩が日本JCの会頭に成られたからです。それも、ただ会頭になったからではなくて、圧倒的に不利な状況からLOM一丸で日本一を取り、伝説になるような素晴らしい会頭をされたからなのです。そして、鴻池先輩を支えた先輩方の立ち振る舞いが素晴らしかったから、全国のLOMから敬われるようになったのです。今でも尼崎JCに色濃く残っている「規律や礼儀を重んじ、先輩を敬う伝統」、これこそが尼崎J C 道であり、全国のLOMから尊敬される所以なのです。
鴻池先輩がどんな経緯で会頭になったのか?鴻池先輩の前の前の会頭が「麻生太郎」、その次の会頭が「井奥貞雄」、鴻池先輩は井奥会頭の副会頭をされました。その時に、麻生直前会頭から「井奥の次は大阪と決まってるから爪を伸ばすな」と釘を刺されましたが、「鴻池を日本JCの会頭にする」という想いは、鴻池先輩も鴻池先輩を支える先輩方も微塵もぶれませんでした。しかし、尼崎JCの長老方は「スポンサーLOMである大阪J C に刃向かうなんて、もってのほか」と大反対でした。
この困難を乗り越えるための作戦を考え、実行したのが竹瀬元紀先輩だったとのことです。日本JCの役員たちは東京や各地で会議をしていますが、会頭は会議が終わると立場
上遊びに行くわけにいかず、一人でホテルにいることが多いらしいのです。鴻池副会頭に必ず帯同していた竹瀬先輩が会頭の部屋に電話をいれて「尼崎の竹瀬です。鴻池に申しつかりました。飲み物は足りていますか?タバコは切らしていませんか?他、何かご用はあれば申し付けください」そう言って、いつも連絡を入れました。その時に、何かあれば部屋まで届ける。これを、どこへ行っても、どんな状況でも必ず続けました。結局、井奥会頭は尼崎JCの気遣いや心遣いに心動かされて、鴻池先輩を次の会頭に使命することになりました。
会頭になられてからは、どんな場所でも、どんな環境でも、すばらしい挨拶をされ、聞いている方々を魅了しました。当時、鴻池会頭を最も支えたのは森本清先輩(当時は秘書)でした。鴻池先輩は「森本はどんな広い会場で挨拶していても、まっすぐにこちらを見ていてくれた。何か問題がある時も、目でそれを察知して解決してくれた。
森本ほど立ち姿が美しい者はいなかった」このように仰っていました。会頭になる以前から続く「規律や礼儀を重んじ・先輩を敬う」この伝統が鴻池先輩も、鴻池先輩を支えた方々も一貫していたので、全国のLOMから敬われるようになったのです。
私はシニアクラブの会長として、目標が2つあります。1つ目は、毎年誕生する現役理事長のやりたいことをシニアとして思いっきり支援する。今年は55人スタート、人数の減っ
た現役の人数を元の姿に戻してもらいたい。こんな願いがあるので拡大で何か必要なことがあれば言ってください。現役とシニアは一対です。現役が衰退すれば、シニアも衰退していきます。100人以上のLOMに戻すべき努力をお願いします。
2つ目は、尼崎シニアクラブを日本一にすることです。近隣のJCに目をやると、シニアクラブがおとなしいLOMも多くあります。しかし、全国に目を向けると毎月懇親会を開
催し、100名以上のメンバーがシニアクラブに集い大いに楽しんでいるLOMもあります。尼崎はゴルフや旅行の同好会があったり、レジェンド会と称してお祝い会があったり、集まりやすい環境があります。しかし、日本一かと言われたら、上には上が…。もっと多くのメンバーに参加していただき、もっと活気のあるものにしたいと考えています。目指せ日本一のシニアクラブ。
2023/04/01 -
2023.03.01
神の子メッシ
平成の時代から続く慢性的な不況に追い打ちをかけるようにやってきたコロナ・・・。国民全体が「我慢」を強いられ、やり場のない「不安」を抱えてきました。そうした日々から解放され、感動をもたらす不思議な力がスポーツにはあると感じています。私のそれは、睡眠不足と多くの感動を与えてくれた、昨年のFIFAワールドカップ2 0 2 2 でした。ドイツ、スペイン相手に逆転勝ちをしてグループリーグ首位通過した日本の活躍に、日本サッカーと世界との差は僅差だと感じました。
日本の躍進も良かったのですが、もっと感動したのが「神の子メッシ」がキャプテンとして率いるアルゼンチンチームの優勝です。メッシはその圧倒的な技術は衰えることなく、チームを勝利に導いていきました。ただ、私は今大会のメッシに、以前とは異なる印象を受けました。
以前のメッシは、独力でスーパーゴールを決めることができる圧倒的な技術に加て、その瞬発力で相手を破壊してきたプレイヤーでした。
しかしながら、加齢には抗えず、最近では瞬発力や加速力などの身体能力に陰りが見えはじめたように感じます。その代わりに、周りの選手を活かし、一緒に得点をあげ、守備をするプレースタイルに変わり、それが良かったのかもしれません。攻撃だけでは無く、守備にあんなに走るメッシを見たことがなく、それだけで熱いものがこみ上げてきました。
幾多の試合の中でも一番大きな感動を与えてくれたのは、決勝戦アルゼンチンVSフランスです。前半21分ディ・マリアが倒されてPKを獲得。メッシが冷静にPKを決めました。先制で波に乗ったアルゼンチンはメッシを起点としたカウンターから、ツータッチでディ・マリアがゴール、2点目をあげます。前半戦を終え2対0、アルゼンチンはフランスを相手にゲームを支配します。ゲームが動くのは、後半35分からでした。フランスはPKを獲得すると、エムバぺが決めて、2対1。その1分後にエムバペの追加点をあげて2対2。一気に形勢はフランスへ傾きますが、GKのスーパーセーブでしのぎ切り、勝負は延長戦へ。ここでもメッシが魅せます。延長戦後半3分に味方のシュートのこぼれ球を右足で押し込む形でゴール。
この得点で勝ち越したアルゼンチンに、またもや、エムバペが立ちはだかります。エムベパのシュートがアルゼンチン選手の肘に当たったとしてPKを獲得。エムバペが決めて、試合は3対3で終了。その後のPK戦を制しアルゼンチンが勝利します。突き放しても追いつかれる。それも一度ならず、二度までも。観る者すべての魂を揺さぶるファイナル。掛け値なしの名勝負を制したのは、執念でフランスを上回ったアルゼンチンでした。アルゼンチン3度目の世界制覇。
「神の子メッシ」は1987年生まれ、35才、アルゼンチン生まれ。身長170cm、ドリブル、パス、シュートなどのオフェンス能力がずば抜けて高く、世界中のどんなディフェンダーも無力化させます。アルゼンチン代表、バルセロナで主に活躍しました。4才の頃サッカーを始め、8 才の頃、地元ユースチームに所属し、6年間で500ゴール。当時から天才の片鱗を見せつけます。しかし、メッシは10才の頃、成長ホルモンを投与しないと正常に発育できない病気であることがわかり、家族は治療費の捻出に苦しめられました。
その後、リーベル・プレートの入団試験を受けるも不合格になり治療費も相まってメッシのサッカー人生は絶たれたかに思われました。そんな時に、FCバルセロナと繋がりの深い、ホセ・マリア・ミンゲージャと出会います。
この出会いがメッシの人生を大きく変えていくことになります。
今回のコラムを執筆するにあたり、メッシのことをあれこれ調べていると、
メッシがすべてのアルゼンチン国民からどれだけ慕われているかがわかりました。準決勝クロアチア戦3対0で勝利した後、インタビュアーのソフィアさんが、この試合で最高の活躍をしたメッシに投げかけた言葉で締めくくらせていただきます。
「これからワールド杯の決勝がやってきますが、一つだけ言わせて欲しいのです。あなたは結果というものを超えたところで、アルゼンチン国民の一人ひとりの心に入り込みました。誰もあなたを忘れることはできません。本当なんです」「あなたのユニフォームを持っていない子供なんていません。そのユニフォームがオリジナルであれ、偽物であれ、手作りであれ、想像のものであれ・・・。あなたは皆の人生の中に刻まれた存在です。私にとってはその事実の方がワールド杯優勝よりも大切なんです」「あなたはこんなに多くの人々に、こんなに大きな幸せを感じさせてくれました。感謝しています。このことを心に留めておいてくれたら嬉しいです。あなたはもうすでにワールド杯優勝よりも大切なものを私たちに与えてくれたからです。キャプテン、ありがとうございます」
2023/03/01 -
2023.02.01
鎖の会 2022
2022年は、皆さんにとってどのような1年だったでしょうか?私はコロナ禍でたくさんの事に気付かされた1年でした。世界と日本の対策や報道の違いなど、残念ながら日本の弱い部分を知りました。同時に、本当に素直な国民性であることも。だからこそ本物を見抜く力、真実をリサーチする能力が必要な時代だと思います。私の2022年は、「やりたいことをやり尽くす1年」にしたいと多くの事業を始めました。しかし、コロナ終息の時期が延び、思い通りにならないことも多い年だったように思います。中々、コロナが終息しないので、途中から2022年は2023年のスタートダッシュを決めるための準備の年としました。来年こそは、コロナが終息し、素晴らしい1年になることを願います。
さて、今回は、私が会長を務める尼崎青年会議所(以下「尼崎JC」)の「鎖の会」について筆を執ります。
「鎖の会」とは一体何か、発足のきっかけ、名前の由来等について書かせていただきます。
「鎖の会」とは、19年前に鴻池祥肇先輩が作った会です。
その当時、高岡伸一さんという、我々世代が尊敬してやまない先輩がいらっしゃいました。それは、それは男らしくて、素晴らしい先輩でした。その高岡先輩が19年前、経営苦により自らの命を絶ちました。高岡先輩と鴻池先輩の関係は、仕事上、鴻池組の名義人が高岡組という関係で、高岡先輩の結婚式の仲人は鴻池先輩が務め、鴻池先輩の結婚式の仲人は高岡先輩のおじいさんが務めました。明治、大正、昭和と続く、切っても切れない間柄でした。鴻池先輩は高岡先輩の死を知り、「貸せるお金はないけど、話ぐらいは聞いてやれたのに…、何も死ぬことはなかった」と悔やまれました。「鎖の会」は、その年の12月29日、鴻池先輩が東京にて仕事納めをして、尼崎へ帰ってくる日に始まりました。毎年12月29日に集まりが開催され、尼崎青年会議所の現役メンバーが多く参加します。
あれから19年が経ちましたが、数年前より、「鎖の会」に大きな変化が続いています。2018年12月末、会の創設者の鴻池さんが亡くなりました。奇しくも葬儀は12月29日「鎖の会」当日でした。葬儀は麻生太郎氏が葬儀委員長を務め、二階さんなど政界の大物も多く参列されていました。この葬儀に、竹瀬、森本、武本歴代シニア会長と共に参列し、鴻池さんをお見送りしました。その足で「鎖の会」へ参加し、多くのメンバーと鴻池さんの思い出話をしたのを覚えています。その翌年、2019年12月末には鴻池先輩に続き竹瀬さんが亡くなりました。葬儀はまた奇しくも2019年12月29日「鎖の会」当日に行われました。葬儀は森本先輩の会社で行われ、武本さんと私で参列しました。4年前鴻池先輩、3年前竹瀬先輩が「鎖の会」当日に葬儀が行われました。2020年の「鎖の会」はコロナにより中止にしました。2021年は高岡さんが亡くなって19年も経ち、「鎖の会」を創設した鴻池さんも亡くなったので、これを機に「鎖の会」を辞めようか、そんな風にも考えましたが…。ご子息の鴻池肇一さんに「鴻池さんの作った会だけど続けさせてもらう」と断りを入れて、私の一存で尼崎JC出身の政治家の慰労会をすることになりました。その理由は、昔のように自民党いや鴻池祥肇、一択の時代は終わり、公明党、維新などの仲間も増えてきました。選挙でバチバチやっても、年の終わりのこの「鎖の会」には、皆さんに集まってもらい、矛を収めて、同じ尼崎JCの名の下に一致団結してもらいたいという思いからです。この「鎖の会」の、今後については、私の次の会長に委ねたいと思います。
「鎖の会」この名前の由来ですが、一番最初に行われた「鎖の会」の冒頭挨拶に鴻池先輩がおっしゃった言葉です。「JCは毎年、新しい理事長が誕生し、その理事長を中心に輪っぱをつくる。毎年、毎年、1つずつの輪っぱが繋がり、やがて鎖となる。俺たちは命の輪っぱを1つずつ繋いだ仲間。互いに助け合える関係でありたい。1年の終わりに無事に過ごせたことを共に感謝し、共に喜び合おう」と。「鎖の会」創設の思いを話され、この会を「鎖の会」と名付けられました。もし、この会を「高岡さんを偲ぶ会」という名前にしていたら、こんなに長くこの会は続かなかったように思います。改めて、鴻池先輩の偉大さ、凄さを実感しました。
2023/02/01 -
2023.01.01
安倍晋三2・世界の真ん中で咲き誇れ
「菅義偉 弔辞」を要約
七月の、八日でした。信じられない一報を耳にし、とにかく一命をとりとめてほしい。あなたにお目にかかりたい、同じ空間で、同じ空気を共にしたい。その一心で、現地に向かい、そして、あなたならではの、あたたかな、ほほえみに、最後の一瞬、接することができました。しかし、安倍総理…と、お呼びしますが、ご覧になれますか。ここ、武道館の周りには、花をささげよう、国葬儀に立ちあおうと、たくさんの人が集まってくれています。二十代、三十代の人たちが、少なくないようです。総理、あなたは、今日よりも、明日の方が良くなる日本を創りたい。若い人たちに希望を持たせたいという、強い信念を持ち、毎日、毎日、国民に語りかけておられた。そして、「日本よ、日本人よ、世界の真ん中で咲きほこれ」これが、あなたの口癖でした。次の時代を担う人々が、未来を明るく思い描いて、初めて、経済も成長するのだと。いま、あなたを惜しむ若い人たちがこんなにもたくさんいるということは、歩みをともにした者として、これ以上に嬉しいことはありません。
平成十二年、日本政府は、北朝鮮にコメを送ろうとしておりました。私は、当選まだ二回の議員でしたが、「草の根の国民に届くのならよいが、その保証がない限り、軍部を肥やすようなことはすべきでない」と言って、自民党総務会で、大反対の意見をぶちましたところ、これが、新聞に載りました。すると、記事を見たあなたは、「会いたい」と、電話をかけてくれました。「菅さんの言っていることは正しい。北朝鮮が拉致した日本人を取り戻すため、一緒に行動してくれれば嬉しい」と、そういうお話でした。信念と迫力に満ちた、あの時のあなたの言葉は、その後の私自身の、政治活動の糧となりました。その、まっすぐな目、信念を貫こうとする姿勢に打たれ、私は、直感しました。この人こそは、いつか総理になる人、ならねばならない人なのだと、確信をしたのであります。
安倍総理。日本国は、あなたという歴史上かけがえのないリーダーをいただいたからこそ、特定秘密保護法、一連の平和安全法制、改正組織犯罪処罰法など、難しかった法案を、すべて成立させることができました。どのひとつを欠いても、我が国の安全は、確固たるものにはならない。あなたの信念、そして決意に、私たちは、とこしえの感謝をささげるものであります。国難を突破し、強い日本を創る。そして、真の平和国家日本を希求し、日本を、あらゆる分野で世界に貢献できる国にする。そんな、覚悟と、決断の毎日が続く中にあっても、総理、あなたは、常に笑顔を絶やさなかった。私だけではなく、すべてのスタッフたちが、あの厳しい日々の中で、明るく、生き生きと働いていたことを思い起こします。何度でも申し上げます。安倍総理、あなたは、我が日本国にとっての、真のリーダーでした。総理、本当に、ありがとうございました。どうか安らかに、お休みください。
<令和4・9/27 前内閣総理大臣、友人代表 菅義偉>
日本は20世紀の終わりから、平成の大不況という20年以上続くデフレスパイラルに入りました。そして、東京オリンピックが決まり、やっと光が見えてきた2020年、コロナで経済のほとんどがストップしてしまいました。これを不運だと片付けてしまうのは簡単なことですが、見方を変えると「何かに気づけ」という先人からのメッセージでもあるような気がします。「迷ったときこそ、原点に戻れ」とよく言われていますが、私たち日本人が忘れかけているものの中に、未来のヒントが隠されているのではないでしょうか。私たち日本人の先人は、敗戦後、焼け野原の中から奇跡と言われるような経済復興を果たしました。憲法が「変わり、それまで信じてきた日本人に流れていた歴史や哲学をほとんど否定された中からのスタートにもかかわらずです。しかし、高度経済成長が終わった頃から、日本の方向性は変わってきました。復興を成し遂げた世代は次第に引退し、その土台の上に立って、ぬくぬくと育てられた次の世代はバブルの崩壊あたりから、完全に方向性を見失ってしまいました。私は政治家ではありません。安倍総理と住む世界も、戦う場所も違いました。しかし、日本の国と日本人を愛する気持ちは同じだと思います。私はこの素晴らしい国がいつまでも平和で、人々が幸福に暮らしていける国であってほしいと心から願います。「日本の素晴らしさ」「日本人の美しさ」を今こそ取り戻し、「世界の真ん中咲き誇れ」と日本にエールを送りたいと思います
2023/01/01 -
2022.12.01
明日を語る会
尼崎JCの後輩が選挙戦を戦いました。今回は尼崎JCが選挙に関わってきた歴史をコラムにしました。
先日、市長選挙・維新公認大原隼人くん、市議会補選選挙・自民公認の磯田雅司くんの二人のために「明日を語る会」を開催いたしました。まずは「明日を語る会」とはどんな会で、どのように発足したのか?その経緯を説明します。
我々世代から上の尼崎JCメンバーは入会当初から、先輩でもある自民党の鴻池祥肇先輩を応援していました。その理由は、敬愛する身近な先輩が「一緒に応援してほしい」と言われたからでした。当時は鴻池先輩とあまり話したこともありませんでしたが、応援することが当たり前でした。身近な先輩方が鴻池先輩を応援する理由は「お茶目で楽しい」「挨拶させたらピカイチ」「誰もが好きになる人柄」という人格は元より、日本JC会頭となり尼崎JCの名前を全国に広げ、私たちが日本の何処へ行っても尼崎JCメンバーだということで、敬意を払ってもらえました。また鴻池先輩と先輩を支えた先輩方が、この尼崎JCの伝統や根幹を作ったといっても過言ではありません。だから自民党一択、いや鴻池一択で応援しました。こうした理由から自民党の市会議員や県会議員を自然と応援していましたが、JCは特定の政治家を応援する団体ではありません。なので、選挙が近づくと「明日を語る会」と称して、直前理事長が会長となり尼崎JC出身候補者を応援していたのです。しかし、2018年末、尼崎JCのレジェンドである鴻池先輩が亡くなりました。さらに、公明党の中野議員や維新の若手市会議員が尼崎JCに入会し、今までの鴻池一択の流れや形が変わりつつあります。
その中で、今回、維新から大原隼人が市長選挙に立候補することになりました。当然、今まで自民党一択で応援していた者からすると違和感がありました。また、自民の市会議員、県会議員を応援する者からすると、「維新とは市会議員選挙・県会議員選挙でバチバチやるのに大原は応援したいけど…」このような感じとなりました。私自身も下境田副会長は津田先輩(自民)の懐刀、礒田副会長(自民)に至っては補選に出馬すると言い出しました。シニアクラブとしては今までの流れもあるが、大原も応援してあげたい、ということで、ねじれはあるが、「市長は大原・補選は礒田」ということで、両候補を堂々と応援しましょう。こんな呼びかけをしたいと「明日を語る会」を開催しました。
まず、大原候補のことを紹介します。大原候補と私は同じロータリークラブで毎週、顔を合わす関係です。真面目か不真面目かでいうと真面目。面白いか面白くないかでいうと、たいして面白くない。気遣いできるか、できないかでいうと、そんなにできない。良くない風に言いましたが、政治家の資質としては悪くありません。良いところは、挨拶は悪くない、割と爽やか、写真写りが良い、叩いても埃が出ないこと。そして、1番良いところは「運をもっている」。1つ目、同じ維新にライバル候補がいたが、公認をボタモチ的に勝ち取る。2つ目は、吉村大阪府知事の発言にもありましたように、大阪府知事、兵庫県知事が維新でその真ん中に位置していて、これから2025大阪万博、2027カジノIR場所まで約2キロと近く、地の利がある。3つ目、同じロータリーの富永が命がけで応援している。命がけで応援する者が出ると、風が吹くと言います。
次に、磯田候補の紹介をします。磯田候補と私の関係は私が理事長をした時の専務理事。また、私が理事長をやると決意した時、一番最初に相談したのが磯田候補。逆に磯田候補が理事長をやると決意した時、一番最初に相談を受けたのは私でした。その後、私がシニア会長をやることになった時、一番最初に声をかけ、色々とあると思うからバリケード役の副会長をやってほしいと声をかけました。そんな切っても切れない関係です。磯田候補の応援団の一人に「今回の選挙、どう思う」と質問したら、「60歳近くになり、周りのみんなは遊んでるのに尼崎のために立つという」「議員でもないのに、そこらへんの議員よりも、よっぽど尼崎のために動いてる」「金に困ってるわけじゃなく、職業でもなく、思いで政治家になろうとしてる」そんな答えが返ってきました。
最近、私は2人の演説をよく聞きます。その度に、2人は本当に素晴らしい男で、そこらの政治家よりも、よっぽど資質は上だと考えています。
今回の選挙は絶対に2人に勝ってほしい、そんな思いで見守っています。
選挙が終わった後、大原とは市長室で一緒にコーヒーを飲みたい。
礒田には「街灯の電球が消えているから直してくれ」と言いたいと願っています。
2022/12/01 -
2022.11.01
孫子の兵法
コロナを境に牛乳宅配業界を取り巻く経営環境が大きく変化しています。私どもデミックも厳しい経営が続いているのが実情です。問題点をあげると、円安によるガソリン価格を始めとする諸経費の高騰、慢性的な人手不足、雇用条件の変化によるルールとの戦い、コロナによる緩み、などが挙げられます。今まで何度も経営危機はありましたが、過去の危機は改善手段がはっきりしていました。しかし、今回の危機は問題が複合的にあり、1つ、2つの問題点を改善するだけでは難しく、今ある全てを変えるぐらいの気概がなければ経営改善は難しいと考えています。日本や世界を代表するような経営者は何を羅針盤に経営の舵取りをいているのか?疑問に思い調べてみると、多くの経営者が「孫子の兵法」を愛読書としている方が多いことがわかりました。国や時代を超えて様々な偉人の間で読まれていて、古くは武田信玄やナポレオン、現代では孫正義やスティーブ・ジョブスを始めとする、多くの経営者が「孫子の兵法」を熟読し、孫子マニアとなっています。私自身も、この厳しい経営難をなんとか乗り越えたいという一心から「孫子の兵法」を読んでみることにしました。
「孫子の兵法」は、今から2500年前、春秋戦国時代に誕生した兵法書です。「孫子の兵法」の魅力は、ただの戦争論を述べているだけではなく、人間を心理的に深く分析し、精神や行動に対する鋭い洞察で、人間論にまで昇華させているところに魅力があります。私が感銘したポイントが3つありました。❶戦わないことを最優先 ❷奇策のススメ ❸今でも役立つ名言 順番に解説すると、❶では、戦いで重要なのは勝つことですが、孫子の「勝つこと」とは相手を完膚なきまでに打ちのめすことではなく、自軍の隊や兵士を消耗させないことを指します。戦いを最善とせず、被害や犠牲を最小限にとどめる、「戦わずして勝つ」ことの大切さを説いています。兵法書でありながら戦わないことを最優先させているところが、他の兵法書とは全く違う画期的なものとなっています。❷では、奇策とは、文字通り人の予想もしない作戦のことです。奇策といっても単なる思いつきではなく、相手を徹底的に観察・研究して、真意や行動を予測した上で行う予想外の戦略こそが奇策です。それを実行に移すためには、入念な事前準備や地の利の観察を必要とします。❸では、世界各国の戦国武将やカリスマ経営者が熟読し、そこから成功のヒントを引き出したと言われています。今に役立つ一節を幾つか紹介します。「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」相手の実力も自分の実力も知り尽くしていれば、百戦しても危険に陥ることはないという意味です。出たとこ勝負の考え方は危険、希望的観測は排除して、客観的データの収集に努め、その結果を冷静分析することが肝要であると説いています。「兵は国の大事なり」孫子にでてくる最初の言葉がこの言葉です。兵とは軍事や戦いを表し、国とは国家や国民を指します。国家存亡を左右し兼ねない大きなものであるからこそ、熟慮して行動しなくてはならないと説いています。「兵は詭道なり」戦いとは敵を騙すことである。強くても弱いふりをし、策があっても無いふりをする。相手が利を求めているときは誘い出し、混乱していると見れば敵陣を襲う。相手の備えが充実していれば避ける。相手が怒っていれば、さらに心を乱し、こちらを舐めているようなら、さらに油断させる。相手が団結しているようなら、仲違いさせる。相手の無防備のところを攻撃し、不意を突く。これらは勝つための体制づくりに必要で、計画が流出しないように注意すべきだと説いています。
「孫子の兵法」を読み自分なりにコロナ後の戦い方を考えてみました。❶配達・営業・事務の役割分担ごとに費用対効果を検証し適正に正す ❷人材雇用を進めるために採用担当の必要な能力を向上させる ❸コロナ禍で緩んだ体勢を正す ❶❷❸はともに対外的に何かをしたり、特別なことをする戦略ではなく、社内にある人材の改革です。コロナ禍、約3年間の一番大きな問題は「内なる敵」だと感じています。「内なる敵」すなわち「人材の緩み」を経営改善の柱としたいと思います。2022年度は「終わりで始まりの交錯する年」終わりゆくビジネスモデルと始まるビジネスモデルが交錯する年。牛乳宅配ビジネスモデルはこのままの形では、おそらく生き残ることは難しいと考えます。どのようなビジネスモデルに変化しても生き残れるように順応出来る人材改革が必須だと思います。今を生き残れなければ未来社会貢献も地域貢献も出来ません。今、大事なことは生き残ること。
2022/11/01